R-15
あたしから弟へ。岳人からあたしへ。
あたしは椅子に座らずに、岳人のベッドに半身を入れて横になった。岳人と寝かしつけるときと同じように。右手で頭を撫でて、左手は小さな手を握った。岳人にはまだ意識がある。その証拠に手を強く握り返してくれたのだ。
「あのね。ねえたんは岳人が生まれた日のことを良く覚えているよ。お昼頃にもうすぐ生まれそうだと聞いて楽しみで仕方なかった。家中に岳人の為に買い揃えておいたおもちゃを並べたの。岳人が早くおうちを好きになってくれればいいなと思って。
その日の夕方にお父さんと一緒に逢いに行ったんだよ。いつ生まれてもいいように病院に泊まるつもりでいたんだ。それから少しの時間が経って岳人が無事生まれたって聞いたの。すぐにお祝いのプレゼントを渡したくて、あたしは折り紙で鶴を折った。こんにちは、あたしの可愛い弟って書いた紙を使って。
あれ、いつ渡せたんだっけなあ。次の日にはベッドの横に飾ってあった。お母さんが渡してくれたんだろうね。はじめて岳人の顔をみたときは嬉しかったけど、少し泣いちゃった。うわあ、あたしの弟可愛いなって。すぐには抱っこさせて貰えなかったけど、お姉ちゃんだよ。怖くないよ。優しいよ。泣かないでいいよってなんども話しかけたのを憶えている。
あたし、岳人と一緒にいるのが楽しくて幼稚園とか学校が終わったら走って家まで帰ったの。たくさんの時間を一緒に過ごしたんだよ。ミルクをあげたり、おむつを替えたりするのが楽しかった。だから、岳人が立ったときも、まんまって最初に話したときも隣にいるのはねえたんだったんだよ。
元気に大きくなって色んなことをして遊んだね。鬼ごっことかかくれんぼとかボール遊びとか。どれも上手だったね。
小学生になってお母さんにお勉強しなさいと言われたら、あたしの帰りを待っていてくれたね。一緒にお勉強するのもおもしろかったね。なにをするにもあなたと一緒なら楽しかった。ねえたんの元気がないときは、頭を撫でてくれたり、後ろからぎゅうって抱き締めてくれたね。すごく元気が出た。笑いたくなった。岳人にも同じことをしてあげたいなと思ってお返しもしたね。ありがとう。」
心の器はもう溢れるくらいに満ちていた。溢れたものが言葉となって口から出るのだ。もっと、ずっと、お話をしていたいのだけれど、心電計の信号音の間隔が短くなってきた。どうしても伝えないといけない大事な言葉がある。
「岳人。ねえたんの弟に生まれてきてくれてあるがとうね。いつも想っていたけどなかなか伝えられなかったね。もっと口に出して言うべきだったね。ごめんね。」
ほぺったとほっぺたを擦り付け合って、もう一度祈った。なにが姉なものか。情けないけど、出来ることといったらそれしかない。
奇跡は起こった。弟は薄く目を開いた。家族全員が駆け寄ったが誰ひとり大きな声を出さない。夢から覚めてしまいそうで。
「ねえたん。パパ、ママごめんね。またみんなでパパの車で大きい公園行きたかったなあ。ねえたんとアスレチックで遊びたかったなあ。」
すべてが叶わぬ願いで諦めてしまったような口調だったが、それを正そうとするものはいない。だから、もう少しだけお話しよう。
「ねえたん。悲しいよお。怖いよお。ごめんね。大好きねえたん。」
あたしには分かった。多分お父さんとお母さんにも。これが愛する弟、息子の最期の言葉なのだと。
もう、息を潜める必要はない。大きな声で呼び覚ますときなのだ。帰ってきてくれと泣き叫ぶべきなのだ。
弟は目を閉じた。いくら体を揺らしても、耳元で叫んでも少しも体を揺らすことはない。
「岳人。岳人。ねえ、岳人ってば。」
もう二度と、あたしに笑顔を見せることはない。返事をすることもない。今だけじゃないの。もう二度となの。
諦められるわけがないでしょう。受け容れられるわけがないでしょう。必死になって何度も弟の名を呼び続ける。お母さんも一緒に泣き叫んでいる。さっきまで必死になって涙するのを堪えていたのに、もう泣かなくてはいけないときが訪れたと理解したのだろう。お父さんは一度だけ弟の名を呼んで立ち尽くした。
最期の言葉が「ごめんね。」という岳人の人生とはなんだったのだろう。
最期の言葉に「ごめんね。」と言わせたあたしはなんだったのだろう。
世界はやけに強い太陽の光と熱に覆われている。眩しいくらいに晴れたある日の午後だった。
いつもならつまらない授業の終わった放課後の教室のいつもの場所で、いつもの三人で笑っている時間になっていた。
「あのね。ねえたんは岳人が生まれた日のことを良く覚えているよ。お昼頃にもうすぐ生まれそうだと聞いて楽しみで仕方なかった。家中に岳人の為に買い揃えておいたおもちゃを並べたの。岳人が早くおうちを好きになってくれればいいなと思って。
その日の夕方にお父さんと一緒に逢いに行ったんだよ。いつ生まれてもいいように病院に泊まるつもりでいたんだ。それから少しの時間が経って岳人が無事生まれたって聞いたの。すぐにお祝いのプレゼントを渡したくて、あたしは折り紙で鶴を折った。こんにちは、あたしの可愛い弟って書いた紙を使って。
あれ、いつ渡せたんだっけなあ。次の日にはベッドの横に飾ってあった。お母さんが渡してくれたんだろうね。はじめて岳人の顔をみたときは嬉しかったけど、少し泣いちゃった。うわあ、あたしの弟可愛いなって。すぐには抱っこさせて貰えなかったけど、お姉ちゃんだよ。怖くないよ。優しいよ。泣かないでいいよってなんども話しかけたのを憶えている。
あたし、岳人と一緒にいるのが楽しくて幼稚園とか学校が終わったら走って家まで帰ったの。たくさんの時間を一緒に過ごしたんだよ。ミルクをあげたり、おむつを替えたりするのが楽しかった。だから、岳人が立ったときも、まんまって最初に話したときも隣にいるのはねえたんだったんだよ。
元気に大きくなって色んなことをして遊んだね。鬼ごっことかかくれんぼとかボール遊びとか。どれも上手だったね。
小学生になってお母さんにお勉強しなさいと言われたら、あたしの帰りを待っていてくれたね。一緒にお勉強するのもおもしろかったね。なにをするにもあなたと一緒なら楽しかった。ねえたんの元気がないときは、頭を撫でてくれたり、後ろからぎゅうって抱き締めてくれたね。すごく元気が出た。笑いたくなった。岳人にも同じことをしてあげたいなと思ってお返しもしたね。ありがとう。」
心の器はもう溢れるくらいに満ちていた。溢れたものが言葉となって口から出るのだ。もっと、ずっと、お話をしていたいのだけれど、心電計の信号音の間隔が短くなってきた。どうしても伝えないといけない大事な言葉がある。
「岳人。ねえたんの弟に生まれてきてくれてあるがとうね。いつも想っていたけどなかなか伝えられなかったね。もっと口に出して言うべきだったね。ごめんね。」
ほぺったとほっぺたを擦り付け合って、もう一度祈った。なにが姉なものか。情けないけど、出来ることといったらそれしかない。
奇跡は起こった。弟は薄く目を開いた。家族全員が駆け寄ったが誰ひとり大きな声を出さない。夢から覚めてしまいそうで。
「ねえたん。パパ、ママごめんね。またみんなでパパの車で大きい公園行きたかったなあ。ねえたんとアスレチックで遊びたかったなあ。」
すべてが叶わぬ願いで諦めてしまったような口調だったが、それを正そうとするものはいない。だから、もう少しだけお話しよう。
「ねえたん。悲しいよお。怖いよお。ごめんね。大好きねえたん。」
あたしには分かった。多分お父さんとお母さんにも。これが愛する弟、息子の最期の言葉なのだと。
もう、息を潜める必要はない。大きな声で呼び覚ますときなのだ。帰ってきてくれと泣き叫ぶべきなのだ。
弟は目を閉じた。いくら体を揺らしても、耳元で叫んでも少しも体を揺らすことはない。
「岳人。岳人。ねえ、岳人ってば。」
もう二度と、あたしに笑顔を見せることはない。返事をすることもない。今だけじゃないの。もう二度となの。
諦められるわけがないでしょう。受け容れられるわけがないでしょう。必死になって何度も弟の名を呼び続ける。お母さんも一緒に泣き叫んでいる。さっきまで必死になって涙するのを堪えていたのに、もう泣かなくてはいけないときが訪れたと理解したのだろう。お父さんは一度だけ弟の名を呼んで立ち尽くした。
最期の言葉が「ごめんね。」という岳人の人生とはなんだったのだろう。
最期の言葉に「ごめんね。」と言わせたあたしはなんだったのだろう。
世界はやけに強い太陽の光と熱に覆われている。眩しいくらいに晴れたある日の午後だった。
いつもならつまらない授業の終わった放課後の教室のいつもの場所で、いつもの三人で笑っている時間になっていた。