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作者: konoyo
R-15
笑顔の気持ち悪い卒業写真
授業がすべて終わった後、卒業アルバムに載せるためのクラスごとの集合写真と個人の顔写真の撮影が行われた。集合写真は何枚か撮影したものから先生達がこの写真がいいというものを選ぶことになっていた。個人の顔写真については、この写真でいいですよねという確認の為に一応児童に回覧される。どうしても納得のいかない児童は後日、もう一度撮影して貰えるらしいけど、そんなことを希望する人はいない。だって、面倒くさいもんね。

 もちろんあたしも回覧されてきた写真に文句などない。それどころかよく撮られていると感心した。程良く可愛らしく、程良く気持ちの悪い笑顔が写っていた。そう。写真の中のあたしは何故か気持ち悪いのだ。何故だろう。写真の中の自分であるはずのものと、現実の自分がかけ離れたものだと憶えたからかもしれない。

 自分の写真がなんだか遺影みたいに見えた。他の友達の写真はどれもみんな綺麗に見えたのに。小学校卒業という記念すべき想い出の写真としてふさわしい笑顔をみんなはしていた。改めて自分の顔写真を見直すとやはり気持ち悪い。気味が悪いよ。きっとみんなはこれからもたくさん想い出の写真を残していくのだろう。だけど、あたしはこれが最後の記念撮影であるかのような面構えをしていた。だから、微笑が気味悪かったのだろう。

 なぜあたしは死ぬのだろう。なぜあたしはそんなに早く死ぬのだろう。あたしは死ぬ。あたしだけが。事実はそんなわけはなく、死は確実にすべての生き物にいつかは平等に訪れる。そんな当たり前のことが頭から抜けてしまうくらい死はあたしだけの存在になっていた。死は明らかに隣に座っている。そして、あたしの手を握っている。

 そう、三年後という近い将来にあたしは連れて行かれるのだ。これまで勝手に自分は家族の他の誰かの身代わりに死ぬものだと信じてきた。しかし、そもそもそれが勘違いであったらどうだろう。急に吐き気を催した。誇りと大義を失ってしまったような気がして。そうだ。誰かの身代わりとなれるなどと約束もしていないではないか。栄誉ある死を迎えるつもりだったのに。

 犬死などしたくない。叶うなら岳人の身代わりになって死にたい。三年後に、岳人がトラックに撥ねられそうになってそこに突っ込んで岳人は助かりあたしだけが死ぬのだ。そんな死なら受け容れよう。もし、死に方が選べるのであれば死の恐怖感が薄れる。なぜだろうね。死んでいくことにはなんの変わりもないのに。不思議なものだ。
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