Wanderers
気がつくと、冴川はとある駅の前にいた。台風でも来ているのか、天気は大荒れで、風と雨で全身びしょ濡れだった。どこか海が近い場所のような匂いもしている。
(ここは、どこだ……?)
だいぶ前に来たことがあるような気もするが、何か様子がおかしい。周りを見回しても誰一人見当たらず、どこか現実感がなかった。今が何時なのか、何月なのかもはっきりしない。
(寒いな、とりあえず雨風をしのがないと)
逃げるように駅に向かい、改札を通りホームに向かうと、そこには電車が停車していた。ホームにまで吹き込む風を避けるように中に入ると、車内は暖房が効いていて暖かい。外は相変わらずの嵐だった。
見渡してみるが、車内にも誰も見当たらない。人はいないかと探しながら先頭車両に向かうと、一人の女性の乗客が座っているのが目に入った。その姿を見た冴川は、心臓が一つ大きく脈打つのを感じた。思わず近寄り、声をかける。
「……雪乃だよな?元気か?俺だ、冴川だよ」
「ふふっ、言わなくてもわかるよ。おかえり、賢ちゃん」
「ただいま!その呼び方照れるな。良かった、やっぱり雪乃だ。そうだよな、そりゃあわかるよな」
(……本当に良かった。ああ、綺麗な顔をしてる)
沢口雪乃。かつての想い人との突然の邂逅に、間の抜けた口調になってしまったのを自覚する。雪乃に会えた安堵感と、彼女の穏やかな微笑みに、思わず泣きそうになった冴川だった。そして、それを気づかれないよう、そんな自分の顔を正面から見られないよう「隣、いいか?」と訊ね、返事を待たずに隣に座った。
何を話していいか、何から話していいか思いつかず、外に視線を向ける。膝においた手に、雪乃の手がそっと重ねられるのを感じていた。
気づけば、列車は発車しており、ガタンゴトンという音だけが響く。外は雲ひとつなく晴れており、道路を挟んだ先にある海が夕日を反射して輝いていた。この景色は見覚えがある、江ノ電だろうか。びしょ濡れだったはずの服も乾いている。そして、以前もこんな風に二人で電車に乗ったのを思い出していた。
「覚えてるか。行ったよな、鎌倉高校前だっけ、ほら、アニメのオープニングそのままでさ」
「うん、また行きたいね」
しばしの無言が続く。沈黙を破って先に切り出したのは雪乃の方だった。
「賢ちゃんはさ、将来何になりたいの?」
それは、彼の心にくすぶり続ける遠い日の約束。でも、心からの同じ答えを返すには、きっと世の中を知りすぎてしまった。
「ゲームクリエイター、なんて言ってたこともあったっけ」
「今は違うの?」
「……わからなくなっちゃったな」
「そっか、大変だったね」
何も否定せず、何も問い質さずに、全てをただ受け止める雪乃の答えに、微かな違和感を覚える。将来の夢を語るような歳はとうに過ぎたような気もする。
「そういえばさ、前に作ってたゲームはどうなったの?ほら、『RPGツクレール』で。何てタイトルだっけ」
「『Wanderers』な。もうデータが残ってるかもわからないよ」
「そうだ!ワンダラーズ。日本語だとどういう意味だっけ?」
「さまようとか、放浪者とかそんな意味かな」
まるで俺みたいだと自嘲しながら答える。そう、どこに向かっていいのか、何をしたらいいのかもわからず、彷徨っている。沈んだ冴川の表情を見てか、雪乃は努めて明るく別の話題に切り替えた。
「ねえねえ、そんなことより最近はさ、なにか面白いゲームあったの?またおすすめ教えてほしいな!」
雪乃とはそんな話をよくしていたなと、思い返す。
「……ああ。そういうことなら、昨日『Dear Loneliness』ってノベルゲームをクリアしてさ。荒削りでも、すごく心に響いたんだ。絵も別にそこまでうまくもないんだけど、とにかく熱量があって、よくこんな話書けるなって。こういう凄い作品に出会えるから、いくつになってもゲームはやめられないんだよな」
待ってましたとばかりに、つい先程までの落ち込みも忘れて饒舌になるのがわかったが、止まらなかった。
「うんうん、なるほど。やっぱり賢ちゃんはそうでなくっちゃね!」
二人で声を出して笑い合う。
(色んなゲームの話をしたな、懐かしい。戻りたいなあ、あの頃に)
肩に柔らかな重みを感じる。そして、世界があまりにも優しすぎるから、冴川は思わず自分の弱い心をさらけ出したくなる誘惑に駆られた。
「でもさ。そうやって人の心を動かせるすごいヤツがいるのに、俺はこんなところで何をやってるんだって……思うんだ」
「そんなことないよ。勉強もずっと頑張ってきて、仕事も良いところに決まったんでしょう?偉いぞ少年、よしよし」
「違うんだ。ゲームなんかに現を抜かしてたからあんなことになったんだって、世間に顔向けできるように生きてれば、もうあんな辛いことは起きないんじゃないかって……そうやって、やりたいことから逃げてただけなんだよ」
「辛かったんだね。賢ちゃんのせいじゃないよ」
思わず語気が強くなるが、雪乃は変わらず優しいままで、それが逆に辛かった。
(どうして、俺の作ったゲームをやってみたいと言ってくれない。どうして、こんな俺を許すんだ)
「じゃあ、そんな可哀想な賢ちゃんに、元気の出るスタンプ送ってあげるね!」
そう言って雪乃が手元のスマホを操作すると、ズボンのポケットから通知音が聞こえた。メッセージアプリを確認し、そこに届いた『ガンバレ!』と応援する猫のキャラクター画像に暖かい気持ちになる。でも、何かがおかしい気がする。
横を見ると、雪乃も微笑んでこちらを見ていて、思わず見とれてしまう。
(やっぱり変だ。だって綺麗すぎるよ。あの時君は――)
そこで違和感が頂点に達し、気づいてしまった。
(ああ、そうか。これは夢なんだ)
このスマホは最新の機種だが、雪乃とはあの日以来もう何年も会っていない。そもそも、連絡先もわからなくなっていたはずだ。だから、こんなことは起こり得ない。
「ごめん、雪乃。もう行かなきゃ。いつまでもここにいるわけにはいかないんだ」
ずっと甘えていたかった。それでも、自分が生きていくのは現実なのだと、名残惜しさを振り切って立ち上がる。
「……気をつけてね」
電車が駅に停車し、ドアが開く。外はまた嵐になっていた。最後に振り返って雪乃に手を振り、彼女も笑顔で「バイバイ」と振り返してくれるのを見た。
(ありがとう……もう大丈夫だ)
一歩を踏み出し電車を降りたところで、優しい世界は終わりを告げた。
◆◆◆
目が覚めると、冴川は兄の家で間借りしている部屋にいた。朝9時、特に予定はないがそろそろ起きてもいい頃だ。一つ大きく伸びをして、枕元のスマホを確認すると、友人の安藤からのメッセージが届いていた。
『入社決めたみたいだね!来月から冴川君と同じ職場なんて、不思議な感じだな。これからよろしくね!』
『よろしくな』
取り急ぎの淡白な返信とスタンプを送る。
安藤の紹介もあり、応募した外資系企業、アメージング・ウェブサービス社の選考を軽々と突破した冴川は、早々に内定を受諾していた。とりあえずというには充分すぎるほどの働き口を確保し、間接的とはいえゲームに関わる仕事をするはずだったが、それでも心が晴れることはなかった。
起き上がって机に向かい、デスクトップPCの電源を入れる。仕事も決めたところで何かゲームでもするかと、インストールして忘れていた『Dear Loneliness』を起動したところ、やめ時の見つからない面白さにぶっ続けでプレイしてクリアしたのが昨日の夜のことだった。
(しかし良いゲームだった。それであんな夢を見たのかもな。結局、過去からは逃げられないってか)
SNSで『サークルRK』のアカウントをチェックすると、すでに次の週末に迫った即売会の予定が告知されていた。投稿しているのは、以前に一時帰国した際、即売会・コミックティアのブースで話した彼だろう。若くして亡くなったメンバーの跡を継ぎ、新作を開発しているとのことだ。
幸い入社日はしばらく先であり、今日はまだまだ時間もある。起きてから何も食べていなかったが、それでも突き動かされるように自身のブログにアクセスし、作成画面を開いた。
『Dear Loneliness』の感想を、この感動が冷めないうちに形にしたい。受け取ったメッセージを、自分のフィルターを通して、形に残しておきたい。何千人、何万人に見られなくても、アクセスが稼げなくてもそれでいい。
それでも、もし叶うのならば。
(雪乃、読んでくれたりして、な)
我ながら都合の良い妄想だと思いながらも、冴川はキーボードを打ち込み続けた。心なしか、いつもより言葉が素直に出てくるような気がしていた。
(ここは、どこだ……?)
だいぶ前に来たことがあるような気もするが、何か様子がおかしい。周りを見回しても誰一人見当たらず、どこか現実感がなかった。今が何時なのか、何月なのかもはっきりしない。
(寒いな、とりあえず雨風をしのがないと)
逃げるように駅に向かい、改札を通りホームに向かうと、そこには電車が停車していた。ホームにまで吹き込む風を避けるように中に入ると、車内は暖房が効いていて暖かい。外は相変わらずの嵐だった。
見渡してみるが、車内にも誰も見当たらない。人はいないかと探しながら先頭車両に向かうと、一人の女性の乗客が座っているのが目に入った。その姿を見た冴川は、心臓が一つ大きく脈打つのを感じた。思わず近寄り、声をかける。
「……雪乃だよな?元気か?俺だ、冴川だよ」
「ふふっ、言わなくてもわかるよ。おかえり、賢ちゃん」
「ただいま!その呼び方照れるな。良かった、やっぱり雪乃だ。そうだよな、そりゃあわかるよな」
(……本当に良かった。ああ、綺麗な顔をしてる)
沢口雪乃。かつての想い人との突然の邂逅に、間の抜けた口調になってしまったのを自覚する。雪乃に会えた安堵感と、彼女の穏やかな微笑みに、思わず泣きそうになった冴川だった。そして、それを気づかれないよう、そんな自分の顔を正面から見られないよう「隣、いいか?」と訊ね、返事を待たずに隣に座った。
何を話していいか、何から話していいか思いつかず、外に視線を向ける。膝においた手に、雪乃の手がそっと重ねられるのを感じていた。
気づけば、列車は発車しており、ガタンゴトンという音だけが響く。外は雲ひとつなく晴れており、道路を挟んだ先にある海が夕日を反射して輝いていた。この景色は見覚えがある、江ノ電だろうか。びしょ濡れだったはずの服も乾いている。そして、以前もこんな風に二人で電車に乗ったのを思い出していた。
「覚えてるか。行ったよな、鎌倉高校前だっけ、ほら、アニメのオープニングそのままでさ」
「うん、また行きたいね」
しばしの無言が続く。沈黙を破って先に切り出したのは雪乃の方だった。
「賢ちゃんはさ、将来何になりたいの?」
それは、彼の心にくすぶり続ける遠い日の約束。でも、心からの同じ答えを返すには、きっと世の中を知りすぎてしまった。
「ゲームクリエイター、なんて言ってたこともあったっけ」
「今は違うの?」
「……わからなくなっちゃったな」
「そっか、大変だったね」
何も否定せず、何も問い質さずに、全てをただ受け止める雪乃の答えに、微かな違和感を覚える。将来の夢を語るような歳はとうに過ぎたような気もする。
「そういえばさ、前に作ってたゲームはどうなったの?ほら、『RPGツクレール』で。何てタイトルだっけ」
「『Wanderers』な。もうデータが残ってるかもわからないよ」
「そうだ!ワンダラーズ。日本語だとどういう意味だっけ?」
「さまようとか、放浪者とかそんな意味かな」
まるで俺みたいだと自嘲しながら答える。そう、どこに向かっていいのか、何をしたらいいのかもわからず、彷徨っている。沈んだ冴川の表情を見てか、雪乃は努めて明るく別の話題に切り替えた。
「ねえねえ、そんなことより最近はさ、なにか面白いゲームあったの?またおすすめ教えてほしいな!」
雪乃とはそんな話をよくしていたなと、思い返す。
「……ああ。そういうことなら、昨日『Dear Loneliness』ってノベルゲームをクリアしてさ。荒削りでも、すごく心に響いたんだ。絵も別にそこまでうまくもないんだけど、とにかく熱量があって、よくこんな話書けるなって。こういう凄い作品に出会えるから、いくつになってもゲームはやめられないんだよな」
待ってましたとばかりに、つい先程までの落ち込みも忘れて饒舌になるのがわかったが、止まらなかった。
「うんうん、なるほど。やっぱり賢ちゃんはそうでなくっちゃね!」
二人で声を出して笑い合う。
(色んなゲームの話をしたな、懐かしい。戻りたいなあ、あの頃に)
肩に柔らかな重みを感じる。そして、世界があまりにも優しすぎるから、冴川は思わず自分の弱い心をさらけ出したくなる誘惑に駆られた。
「でもさ。そうやって人の心を動かせるすごいヤツがいるのに、俺はこんなところで何をやってるんだって……思うんだ」
「そんなことないよ。勉強もずっと頑張ってきて、仕事も良いところに決まったんでしょう?偉いぞ少年、よしよし」
「違うんだ。ゲームなんかに現を抜かしてたからあんなことになったんだって、世間に顔向けできるように生きてれば、もうあんな辛いことは起きないんじゃないかって……そうやって、やりたいことから逃げてただけなんだよ」
「辛かったんだね。賢ちゃんのせいじゃないよ」
思わず語気が強くなるが、雪乃は変わらず優しいままで、それが逆に辛かった。
(どうして、俺の作ったゲームをやってみたいと言ってくれない。どうして、こんな俺を許すんだ)
「じゃあ、そんな可哀想な賢ちゃんに、元気の出るスタンプ送ってあげるね!」
そう言って雪乃が手元のスマホを操作すると、ズボンのポケットから通知音が聞こえた。メッセージアプリを確認し、そこに届いた『ガンバレ!』と応援する猫のキャラクター画像に暖かい気持ちになる。でも、何かがおかしい気がする。
横を見ると、雪乃も微笑んでこちらを見ていて、思わず見とれてしまう。
(やっぱり変だ。だって綺麗すぎるよ。あの時君は――)
そこで違和感が頂点に達し、気づいてしまった。
(ああ、そうか。これは夢なんだ)
このスマホは最新の機種だが、雪乃とはあの日以来もう何年も会っていない。そもそも、連絡先もわからなくなっていたはずだ。だから、こんなことは起こり得ない。
「ごめん、雪乃。もう行かなきゃ。いつまでもここにいるわけにはいかないんだ」
ずっと甘えていたかった。それでも、自分が生きていくのは現実なのだと、名残惜しさを振り切って立ち上がる。
「……気をつけてね」
電車が駅に停車し、ドアが開く。外はまた嵐になっていた。最後に振り返って雪乃に手を振り、彼女も笑顔で「バイバイ」と振り返してくれるのを見た。
(ありがとう……もう大丈夫だ)
一歩を踏み出し電車を降りたところで、優しい世界は終わりを告げた。
◆◆◆
目が覚めると、冴川は兄の家で間借りしている部屋にいた。朝9時、特に予定はないがそろそろ起きてもいい頃だ。一つ大きく伸びをして、枕元のスマホを確認すると、友人の安藤からのメッセージが届いていた。
『入社決めたみたいだね!来月から冴川君と同じ職場なんて、不思議な感じだな。これからよろしくね!』
『よろしくな』
取り急ぎの淡白な返信とスタンプを送る。
安藤の紹介もあり、応募した外資系企業、アメージング・ウェブサービス社の選考を軽々と突破した冴川は、早々に内定を受諾していた。とりあえずというには充分すぎるほどの働き口を確保し、間接的とはいえゲームに関わる仕事をするはずだったが、それでも心が晴れることはなかった。
起き上がって机に向かい、デスクトップPCの電源を入れる。仕事も決めたところで何かゲームでもするかと、インストールして忘れていた『Dear Loneliness』を起動したところ、やめ時の見つからない面白さにぶっ続けでプレイしてクリアしたのが昨日の夜のことだった。
(しかし良いゲームだった。それであんな夢を見たのかもな。結局、過去からは逃げられないってか)
SNSで『サークルRK』のアカウントをチェックすると、すでに次の週末に迫った即売会の予定が告知されていた。投稿しているのは、以前に一時帰国した際、即売会・コミックティアのブースで話した彼だろう。若くして亡くなったメンバーの跡を継ぎ、新作を開発しているとのことだ。
幸い入社日はしばらく先であり、今日はまだまだ時間もある。起きてから何も食べていなかったが、それでも突き動かされるように自身のブログにアクセスし、作成画面を開いた。
『Dear Loneliness』の感想を、この感動が冷めないうちに形にしたい。受け取ったメッセージを、自分のフィルターを通して、形に残しておきたい。何千人、何万人に見られなくても、アクセスが稼げなくてもそれでいい。
それでも、もし叶うのならば。
(雪乃、読んでくれたりして、な)
我ながら都合の良い妄想だと思いながらも、冴川はキーボードを打ち込み続けた。心なしか、いつもより言葉が素直に出てくるような気がしていた。