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作者: 矢賀地 進
Cherry Blossoms
 雲ひとつない青空の広がる、3月末の土曜日。まだ美樹との待ち合わせまでは時間がある。朝早く目覚めた冴川は、公園に桜を見に行くことにした。

 JR石川町駅を降り、坂を登るといくつか洋館がある。それらを一通り回り終えて、静かな高級住宅街の中を抜けてしばらく行くと、その公園はあった。

 坂が多く、女子校や教会が並ぶ落ち着いたエリアの横浜・山手。その中にある山手公園は、高台にあることもあってか、いわゆる花見の名所と比べては人もまばらで落ち着いていた。

 テニス発祥の地との説明の通り、コートがいくつかあり、そこでは実際にテニスを楽しんでいる人たちが見える。

 まだまだ20代とはいえ、坂道を歩き通しでは流石に少し息が上がっている。自販機でスポーツドリンクを買い、隣のベンチに腰掛け満開の桜を見上げながら、かつてこの場所を教えてくれた人のことを思い出す。

『賢ちゃんはさ、将来何になりたいの?』

『そうだなあ……やっぱりゲームクリエイター、かな』

『すごいね!きっとなれるよ。賢ちゃんが作ったゲーム、いつか見せてね、約束だよ』

 今はどこで何をしているだろうか。甘い過去の思い出に意識が向きつつあるのに気づき、未だにそんな記憶に囚われている自身に苦笑した。スポーツドリンクをがぶ飲みして立ち上がり、考えても詮無きことだと頭を切り替え、桜の樹の真下に向かった。

 スマホを取り出し満開の桜を撮影する。まだまだデジタルカメラに及ばない画質ではあったが、SNSに投稿するぶんには充分だろう。

 冴川が場所を変えながら撮影に熱中していると、突然「だーれだ」と声がかかり、視界が覆われた。背中に遠慮なく押し付けられる感触に、こんなことをするのは一人だけだと確信して答える。

「眼鏡が汚れるだろ、美樹」

 振り向いた先には、予想通りに下河原美樹その人が立っていた。

「あったりー。お帰り、賢ちゃん!」

「ただいま。その呼び方、やめてくれないか」

「いいじゃない、私の好きに呼ばせてよ」

 自身の都合で一方的に置き去りにした罪悪感からどう話したものか不安だったが、思った以上に前と変わらず話せている自分と、変わらない様子の美樹に安堵した。

「私に会えないのが寂しくて、日本に帰ってきちゃった感じかな?」

「そんなんじゃないさ。待ち合わせは昼だろ。こんなところで何やってるんだよ」

「別に、今日は絶好の花見日和だなって思って来てみたら、たまたま見慣れた誰かさんを見かけたってわけ。私も高校この辺でさ、ここの桜気に入ってるのよね」

 どうせまたSNSを見たのだろう。かといってブロックするのもやり過ぎだし、美樹に見られるからといって投稿内容を変えるのも癪だ。馴れ馴れしく腕を組もうとしてくる美樹をかわして距離を取ると、冴川は言った。

「だから、やめてくれよ。誰が見てるかわからないだろ」

「あれれ、見られて困る人でもできちゃったのかな~?」

 全く反省した様子のない美樹に、余計な心配は無用だったなと思い直した。

「で、今日は何の用だ?」

「もう、せっかちね、色々積もる話もあるでしょ。少し歩いてこうよ」

「……わかったよ。ほら、行くぞ」

 冴川は美樹の服装が歩きやすいスニーカーとジーンズであることを確認すると、先頭を切って歩き出した。
 
 ◆◆◆

 坂の多い道を小一時間ほど歩き、元町公園、外国人墓地、港の見える丘公園と一通りの名所を巡り、二人は山下公園まで来ていた。冴川は近くでハンバーガーをテイクアウトし、ベンチに腰掛けて待っている美樹のところに向かっていた。

「ほら、買ってきたぞ。ったく、ちょっと行けば中華街もあるだろ」

「いいじゃない、私が食べたい気分なの」

「まあ、嫌いじゃないけど。相変わらず人の事情はお構いなしなんだな、美樹は」

 袋を手渡しながら憎まれ口を叩く。山下公園へ歩く道すがらで昼食について話していた時に、美樹の出した希望は世界中どこでも食べられるハンバーガーチェーンだった。帰国してまだ日も浅く、何かしら日本でしか食べられないものが欲しい気分だったが、「いい天気だし公園で食べようよ」とゴリ押しされて折れる形になった。

 ハンバーガー自体にそこまで乗り気ではなかったとはいえ、テイクアウトして外で食べるのには絶好の天気なことは間違いはなかった。見渡すと、左手に大さん橋が見える。ベンチに腰掛け、正面の海に浮かぶ氷川丸を見ながら「話があるんだろ」と切り出した。

「うん。まだ仕事決まってないんだったら、パパの事務所でITの人募集してるから、どうかな、って思って。何なら試験勉強も始めてさ!受かるまで面倒見てあげるよ。そのまま就職してくれちゃっても……私は大歓迎だけど」

 パパの事務所、その言葉の意味する距離の近さは流石に自覚していたのか、最後は少しずつ控えめな声になっていった美樹だったが、冴川の答えに迷いはなかった。

「そんなことか。エンジニアにも色々あるんだよ、そっちは畑違いだ。それに、法律も専門外だし」

「そう?賢ならちょっと勉強したらすぐ受かると思うんだけどな」

 しばしの間、ふたりとも無言でハンバーガーを食べる気まずい沈黙が流れる。半分ほどを食べ終えた美樹が切り出した言葉は、意外にも「だったら、ゲームの仕事なんかどう?」というものだった。

「何だよ、あれだけブラックだとか言っておいて、今更」

 付き合うにあたって、趣味や好みが何から何まで同じである必要は全くない。それでも、結局は自分の好きなことへの理解が得られず、ゲームを下に見た美樹の言葉が最後のひと押しになって別れを決意したのを思い出し、言葉に苛立ちが混ざるのを止められなかった。

「そんな、私はただ賢のことが心配で……。ごめんね、でも、ゲーム好きなら悪くない話だと思ったから。安藤君は最近連絡してる?」

 安藤慎二(あんどうしんじ)。大学で冴川と美樹の同期だった彼の名前が出てくるとは思わず一瞬動揺したが、努めて平静を保って返した。

「いや、卒業してからは全然だな」

「最近よく連絡来るんだ。仕事も人足りてなくて忙しいみたい。クラウド?だか何かを売ってるんだって」

 おそらく自分が日本を発ったあとのことだろう。安藤の想いと、美樹に連絡が行っているその意味は痛いほど分かっていたが、それには触れずに言う。

「クラウドコンピューティングだろ。要はサーバーの管理は丸投げして、払った分だけ使えますってことさ」

 サービス提供者がサーバーを用意し、利用者側は端末とインターネット回線さえあれば、契約や支払った料金に応じてサーバーを自由に使える。物理的なPCの管理や設定、そのための設備や置き場所も必要がない。まさに”雲の上”でうまいように管理してくれるというわけだ。

「それで、最近はゲーム業界のお客さんも多いんだって。ドラグーンゲームズだっけ、あの『レジェンズ』の。よく知らないんだけど、最近はスマホゲームも景気良いんでしょ?」

 実際、未経験のゲーム業界に飛び込むには不安もあったし、待遇としても充分なように思える。期待していなかった割には現実的な美樹の提案に、違った形でゲームに関わるのもありかもしれないと思い直し『ドラグーンゲームズ クラウド 活用事例』とスマホで検索すると、まさにその事例を紹介しているWebサイトがヒットした。

 冴川がその記事を読み終え「……確かに、悪くないかもな。考えてみる」と返したところで、ちょうど食べ終わったらしい美樹がこの後のコースについて切り出した。

「ねえ、せっかくいい天気だし、もうちょっと色々見ていかない?赤レンガの方も行きたいし、観覧車も乗ってみたいな。昔サークルの新歓で行ったよね、懐かしい」

 用件が済んだのであればこれ以上は付き合う義理もない。我ながら薄情だなと思いながらも、なんとか断りの言葉をひねり出し、ベンチから立ち上がった。

「悪い、美樹。もう充分話はしたし、あそこまで結構距離あるだろ。朝から歩いて疲れたんだ」

 美樹の方を見ずに答える。疲れているのは嘘ではないが、それでもやはり少し胸が痛む。

「そっか。じゃあ私はもう少しここに居るね」

 流石に雰囲気から察したのか、美樹は無理に付き合わせるつもりはないようだった。「それじゃ」と声をかけ歩き出したが、美樹がためらいがちに「あのさ、賢」と声をかけるのを聞いて振り返った。

「向こうで何があったかは聞かないけど。私にできることがあったら何でもするから、いつでも言ってね」

 思ったより真剣に自身のことを考えてくれている様子が伝わり、少し邪険に扱いすぎたかと気まずくなった冴川は、今度ははっきりと美樹の方を向いて礼を述べた。

「ありがとう。その求人、応募してみるよ」

 余計な気遣いはせず、思い立ったらすぐに相手に踏み込んでいく。それは確かに捉え方によっては彼女の良さでもあったが、言われるがままに美樹と付き合い、周りの期待に応えようと流されてきた結果がこの度の帰国だったのではないか。そして、何かを変えなければまた似たような失敗を繰り返すのではないか。冴川の中にそんな漠然とした不安が渦巻いていた。

 幼い日の約束。それに恥じない生き方ができているとは思わない。それでも、過去にすがるのではなく、目の前の現実を生きるのが大人なのだと自分に言い聞かせ、後ろ髪を引かれる思いを無理やりに断ち切ると、冴川は振り返ることなく駅に向かい歩きだした。
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