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作者: 矢賀地 進
見切り発車だとしても
 即売会・コミックティアも無事に終わり、また日常が始まる。一ヶ月後、月本は正式に『レジェンズオールスターカードバトル』のチームにアサインされていた。フロアを移動した桃山の元を離れ、年度の途中でディレクターへ昇進した原島を新しく上司に迎えたが、与えられるのはゲームとは関係のない作業ばかりだった。

(これで最後か。やっと終わったぁ~)

 原島より指示された、備品の管理作業を終わらせる。部署にある全てのLANケーブルをリスト化し、タグを付け台帳で管理するという内容だった。

 部署の合併に当たって物品の整理が必要であること。また、ケーブル一本であっても会社の所有物であるというコスト意識を徹底するとの建前だったが、背後には何らかの意図が働いてのことだろう。月本は日々自身の居場所がなくなっているような息苦しさを感じていた。

 さらに悪いことには、希望退職の募集が始まっており、突然去る社員も目につくようになっていた。動き始めた同人版『異世界大戦』企画に集中したい気持ちもあり、仕事から学ぶことも少ないとなれば、果たして居続けることは正解と言えるのだろうか。

 席に戻り一息つくと、堂々と私物のスマホを取り出しSNSをチェックする。プロジェクト開始直後とあればやれることはまだ少なく、他社タイトルをプレイすることも推奨されているとなれば、誰も気に留めるものはいなかった。

 スイッターアプリのアイコンを見ると、右上に数字が表示されている。新着のメッセージ通知だ。お願いしていた作業に進捗があったのか、それとも企画についての質問か。

『一章、最初の部分のスクリプト試してみました、画像は仮です』

『主人公君描いてみました!元のイメージを大事にしてます。画像送りますね(^^)』

(お、来てる来てる。返信しないと)

 個人開発となればそれに見合ったツールや規模、ジャンルがある。プレゼンに使用した企画書をそのまま使うわけにはいかず、大学ノートとにらめっこでなんとか新しい企画書をまとめ上げたが、もちろんそれはただの始まりに過ぎなかった。

 SNSでのメンバー募集告知し、メッセージのやり取りする。同人ゲーム開発者の集まりに顔を出して情報交換し、協力できる人がいないか探す。

 ある程度人が集まれば、企画書を見せながらアイデアを説明し、意見を交換する。担当を決めて依頼し、対面での打ち合わせ、スケジュールが合わなければオンラインでの通話を重ねる。

 自分から主導して何かを作るとなると、とにかくやることが多かった。協力してくれる人達には、一度実際にオフラインで会ってはいたが、どこまで信頼していいのかも未知数なところはある。気心の知れた長井と、阿吽の呼吸でできた作業とは格段に難易度が違う。

 平日夜と土日のほぼすべての自由時間をつぎ込み、それでもまだやることは無限に湧いてくる。

 数カ月後の即売会で、体験版を出せるくらいには進めようと意気込んではみたものの、そう最初からうまくいくものでもない。一番モチベーションが高いであろう自分が、時間と気合でカバーしない限り現実的なスケジュールではなく、やはり会社勤めと両立は厳しいというのが月本の実感だった。

『助かります、あとで確認しますね!』

『早速ありがとうございます、見てみます!』

 何はともあれ、できることから進めていくしかない。それぞれに返信を返し、リンクを開いた月本は、そこにあった画像のあまりの出来の良さに驚かされることになった。

(えっ、これは凄いぞ!)

 『腐美絵』と名乗るハンドルネームの女性から送られてきた画像は、普段の彼女の繊細な絵柄とは似ても似つかない、男女ともに幅広く受けそうな整ったデザインだった。

 長井のよく言えば味のある手作り感あふれるキャラクターを、見事にアレンジして昇華させた『普通の高校生』がそこにいた。

 一枚の画像とはいえど、やはり絵として見た目に訴えるインパクトは大きい。月本は改めて御礼のメッセージを送信し、今後の身の振り方を改めて考えていた。

(このデザインなら、うまく行けそうな気がしてきたぞ!やっぱり、サークルに集中した方がいいかな)

 退職となると金銭面の不安は多少あったが、寮生活と残業代で貯めた貯金はそれなりにあるし、少しの間実家に頼るという選択肢もないではない。ただ、月本にはその前に確かめておきたいことがあった。

 ◆◆◆

 月本は早速上司の原島と話をするために、会議室にいた。

「原島さん、作業終わりました。それと、話があります」

「お、ありがとうね。で、話って?」

「はい。『カードバトル』の仕事は任せてもらえませんか?」

 月本は単刀直入に訊ねた。本格的にプロジェクトが動き始めていないとはいえ、常に備品管理や雑用を割り当てられるのはあまりにも不自然だ。

 何かしら開発の作業をこなしていれば、まだ心持ちも変わってくるし、焦って飛び出す必要もないかもしれない。今は何より、平日の日中をやりがいのない作業で浪費し、気力と体力を奪われるのがもどかしかった。
 
「なるほど。君はまだ、社会人がどういうものかわかっていないようだね。この会社で沼田部長に楯突くなら、それなりの扱いを覚悟しろということだよ」

 やけにもったいぶった話しぶりに苛つきを感じたが、口には出さなかった。

「楯突くなんて、そんなつもりじゃ……。僕はただ、良いと思った企画を発表しただけで」

「で、その企画は事前に部長に話を通したのかい?」

「いえ、桃山さんと相談して……」

「桃山さんね。あの人も哀れなもんだ。ちょっと昔のタイトルが運良く100万本売れてさ、調子に乗って勘違いしちゃったんだね。いい歳してまだゲームに夢を見てるのさ。良いものを作れば売れるってね」

「月本君、結局は私らもクリエイターである前に、組織で働くサラリーマンなんだよ」

「でも、みんながそう考えてたら、良いゲームなんか作れないじゃないですか」

 世話になった桃山を悪し様に言われ反感を覚えた月本は、思わず反論してしまっていた。

「随分と知ったふうな口を利くんだな。君が本当に心を入れ替えて反省するまでは、何年でも似たようなことをやってもらうぞ」

(何年って、そんな馬鹿な!)

 急に脅すような声色に変わった原島を見、それが最後の一押しとなった。これ以上居続けることに意味もないと結論付けた月本は、用意しておいた退職届を取り出して机に置いた。

「ふむ、残念だ。ずいぶんと急な話だね」

 白々しい物言いの原島にも、もう何も言い返すつもりはなかった。

 ただ、一つだけ気になることがあった。彼にも夢に燃える若い時代があったかもしれず、今のような考えに至るのが不思議で、月本は最後に問いかけてみた。

「一つ聞いてもいいですか。原島さんは、どうしてゲーム会社に入ったんですか?」

 上の顔色を窺い、組織の力学を読みながら自身に損がないように立ち回る。開発それ自体よりも、権謀術数に注力するのが当たり前になって久しい彼には、あまりにも青臭い質問だったのか。原島は口元に歪んだ笑みを見せると、

「なんで入っちゃったんだろうね。昔のことは、忘れたよ」

 と返した。それが、後悔を伴ったものなのか、夢見がちで幼かった自身を嘲笑ったものなのか。本心は読めないまま、月本はここが自分のいるべき場所ではないという認識を確かなものにした。
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