▼詳細検索を開く
作者: 円宮模人
少女と犠牲と渦巻く思慕
黒曜樹海こくようじゅかい 資源採取戦指定区域外 通信不能領域

 暗いコックピットの中、ヨウコがフラフラと頭を持ち上げ、鼻血をぬぐう。

「ちょっと……。使い過ぎたみたいね」

 ヨウコの能力には対価がある。使い過ぎれば脳死の危険もある代物だ。

「でも……。だからと言って……」

 だが、ヨウコは美しい未来のために能力を使う。素晴らしきフソウを思い描きながら、意識を整えていくと、徐々に視界が定まった。

 峡谷から銃声が響く。

 それを聞いて、ヨウコはにんまりと笑みを浮かべた。

「あそこに逃げ込んだのね……。大群相手に悪くないけど、いつまで持つかしら」

 狭い地形は同時に自分の退路も断つ。損耗が激しい場合、弊害は大きい。

「事前の調査では……、この先は行き止まり。じゃあ、ゆっくり楽しめるわね」

 組織が調べたマップを見ながら、ヨウコは笑みを深めた。

 その時、アオイの声が峡谷から響く。

「ソウ!」

 それと同時に戦闘音が減った。

「銃声が一人分に……。いや、罠かも知れないわね。まぁ、だとしてもこの火力なら」

 ヨウコ機が峡谷を進む。

 搭載された高精度センサーが攻性獣の群れと、傍に横たわるシドウ一式を捉えた。

「あらあら……。随分と」

 シドウ一式は攻性獣に呑まれ、踏み潰され、今にも破壊されそうだった。攻性獣を追い払うように、もう一機のシドウ一式が応戦をしている。

 応戦するシドウ一式のつたなさからヨウコは事情を察した。

「倒れているのがレモン君? ……ちょっと胡散臭うさんくさいわね」

 ヨウコもそれなりに場数を踏んだ操縦士だ。勘が怪しさを告げている。だが、理性の方はあり得ないとヨウコを諭した。

 近づけば近づくほど、アオイたちにとって絶望的に見える状況が暴かれる。

 倒れている機体は、攻性獣から思うままに叩きのめされて、装甲の殆どが砕けている。もはや動く気配がない。

「機能停止のふり? ……無理ね。攻性獣には関係ない。それに、そろそろ……」

 その時、硬いものがひしゃげる音が響く。見れば攻性獣の足が胸部にめり込んでいた。それは明らかに、操縦士がいるべき領域まで食い込んでいた。

「コックピットまで……。あれでは、どうせ動けない」

 それを見たヨウコは、レドームを展開する。それに合わせて攻性獣は目標をアオイへ変えた。

 ヨウコは峡谷を進み、倒れたシドウ一式に足をかけ、ガトリングガンを機体胸部へ向けた。そして、アオイに呼びかける。

「甘えん坊さん。どうする? 今から攻性獣と私を死ぬ気で倒せば、助けられるかも知れないわよ」

 アオイならこの状況でも裏切らない。もっと美しいものが見られるはずという期待に目を輝かせる。

 だが、アオイ機は一瞬の躊躇ちゅうちょを見せた後に、峡谷の奥へと消えた。ヨウコは目を剥いて呆然と口を開けた。

「に、げた……?」

 呆けた顔から徐々に口角を上げて、目を細める。

「ふ……。ふふ……。ふふふ……」

 その顔に、底無しの暗さが差していく。

「なぁんだぁ……。あなたみたいな、いい人でも……」

 口には安堵の笑みが、目には憎悪の炎が満ちていく。

、裏切るんだぁ……」

 淑やかさも美しさもない、相容れない感情でちぐはぐに歪む表情を浮かべた夜叉が居た。

 ギラギラとして同時に黒に曇る瞳を、奥に逃げるアオイの機体へ向けた。

「裏切り者は、殺さなくちゃね」

 りつかれたように言葉を吐くヨウコは、足元に転がる機体を一瞥いちべつする。

 憎しみの色は消え、醜く歪んだ目は元の形に戻った。入れ代わりに、憐れみと慈しみが瞳に浮かぶ。

「まだ生きているか知らないけど……」

 目を閉じるヨウコ。

 まぶたの裏に浮かぶのはかつての日々。未熟ながらも自分を慕っていると思っていた同僚との楽しい思い出だった。

 この機体の持ち主も、そんな相手から裏切られるとは思っていなかったのだろう。

「……あなたも私と同じになっちゃったわね」

 寂しげにつぶやいた後に目を開けて、その場を去ろうとするヨウコ。だが、湧いてきた違和感がヨウコを引き留めた。

 視線をもう一度倒れている機体に向け、細部を観察する。

「この機体……。攻性獣にやられただけでこんな風になるかしら」

 確かに装甲は破損しているが、それ以上に土汚れが目立つ。

 頭の中で何かにたどり着きそうな時、モニターにアラートが灯る。

 ヨウコの淑やかな切れ長の瞳が、驚愕に歪む。

「至近距離に人戦機が!?」

 直後、真横から銃弾が飛来した。

「くぅ!? 誰が!?」

 見ればシドウ一式が銃を構えている。肩には盾と桜をあしらった社章。

 ヨウコは瞬時に悟る。目の前で攻撃している機体こそが、ソウの機体であると。

「どうして!? いや、そんな事より!?」

 ヨウコは自らの窮地きゅうちを悟る。

!」

 グレネードランチャーを近距離の相手に向ければ自爆の危険がある。ガトリングガンは銃身が重く反動が強いため、素早く振り回せるものではない。そして、攻性獣を呼び寄せようにも、アオイの打倒に向かわせてしまった。

 そこまで考えて、理解した。

「打つ手が!? 誘い込まれた!?」

 相手はアサルトライフルを装備している。しかも、近距離戦闘では無類の強さを見せていた操縦士が乗っている。

 機体の性能差を考慮しても、ヨウコに勝負の行方は分からなかった。





黒曜樹海こくようじゅかい 資源採取戦指定区域外 通信不能領域 峡谷内

 ヨウコを罠にめる数分前だった。

 ソウとアオイ、二機のシドウ一式が峡谷を走っている。互いに何も言わずとも、両機が同じ方向へ駆け出していたのは偶然ではない。交わす言葉は少ないが、それでも通じた。

 れ谷のような狭路きょうろをひたすらに駆ける。ソウが回収した弾薬により、状況は幾分いくぶん好転した。

 そして、両側が崖ならば大群を迎え撃つには申し分ない。

「ここなら攻性獣が来ても倒せるね」
「だが、攻性獣を倒した後が問題だ」

 ソウの言うとおり、それだけでは生還に不十分だった。

「次の攻性獣を呼ばれて、それが延々と続いたら」
「そのうち弾薬が切れて戦闘不能だ。どうする?」
「ちょっと待って。アイデアがあるから」

 懸命に考える。文字どおり、命を懸けるつもりで。

(頼ってばかりじゃダメなんだ。ボクも、ボクの死ぬ気を)

 だが、もう一人の自分が邪魔をしようとする。背後にそっと忍び寄り、耳元で聞きたくない事実をささやく。

――だれもキミボクを認めない。だれもキミボクを頼らない。

 ヨウコの加勢を得た一人の自分が、足を引っ張ろうとする。鏡写しの自分を抑え込もうとしている最中だった。

「ああ。いつもどおり、頼りにしている」

 それはソウの声だった。

「いつも……どおり?」
「いつもどおりだ」
「なんで……ボクなんかを?」
「よく見て、作戦を立て、囮になる事も躊躇ちゅうちょしない。それは、オレにはできない」

 不意の、嘘偽りの無い言葉が身体中を貫く。

「だから頼りにしている」

 しばらくの沈黙。ソウが不思議そうに尋ねた。

「どうした? ……泣いているのか?」

 両目から零れるものが、ただ熱かった。

「ごめん……。こんな時に」

 ソウは何も言わなかった。

「ボク。初めてだったから。誰かに頼られるの。しかも、それがソウだったから」
「欠陥品なのにか?」
「ボクにとっては違う。真っすぐに見てくれて、必要だと言ってくれる、たった一人の存在だ」

 もう一人の自分が消えて、次々と考えが繋がっていく。

「よし。考えがまとまった。ソウ、相手を釣り出そう」
「釣り出す? どうやって?」
「やられたフリをしよう」
「どういうことだ?」
「説明するから、足は止めないで」

 二機の人戦機は渓谷をかけ進む。何も追求しないのは信頼の証だと、今は素直に思えた。

「ヨウコさんは裏切り者を見ると抑えがきかなくなる。それを利用する」
「具体的には?」
「ソウがやられたフリをして、ボクが逃げたと思わせる。そうすればボクを追ってくる」
「だが、攻性獣相手に擬態は不可能だ。大破に近い状態まで破壊し尽される」
「そこはこの奥にいる人に協力してもらう」
「この奥?」

 その奥には半分埋まったシドウ一式がいた。

「これは……。そうか」

 ヒノミヤの設備防衛任務の際に見つけた遭難機だ。時間が惜しいので、早口で説明を続ける。

「ボクたちと同じシドウ一式。破損した武器を持たせておけば――」
「どちらかがやられたものと、誤認する」
「そういうこと。念のため肩の装甲を砕いて、社章が分からないようにしておこう」

 そう言って、肩を念入りに踏みつけ、装甲を砕く。

「どちらが待ち伏せを?」
「お願い。ソウがやられたと思わせた方が、確実だ」
「分かった。だがそれは……」
「ボクが攻性獣の攻撃を引き受ける」
「危険じゃないか?」
「命がけで対等だよ」

 不敵に唇を釣り上げる。強がりであり、同時に本音だ。

「あとはこの土砂の中に隠れよう。ソウが入ったらすぐに塞ぐ。攻性獣にも見えないはず。そして、ヨウコさんの機体が近づいたら一気に飛び出て懐に入り込む。遠距離特化のヨウコさんの装備なら――」
「付け入るスキがあるという事か」
「そう言う事」
「だが、それでも確実とは言えない。こちらの損耗も軽視できない」
「そこは、ソウを頼りにしているから。その……」
「なんだ?」

 資源採取戦前までは言えなかった関係も、今ならば否定される気がしなかった。

「ボクたち、だからさ」
「ああ。だ」

 万全とは程遠い状態での賭けに、不安を感じないはずがない。それでも、互いを信じるに足りる何かが、そこにあった。
Twitter