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作者: 円宮模人
少女と任務と束の間の平和 
黒曜樹海こくようじゅかい 開拓事業設備付近

 うねるようにえぐられた崖の底には、黒曜樹海が広がる。

 頭上を黒の葉で覆われた樹海の底で、二機の巨人が歩いていた。巨木に茂る漆黒の葉を見上げながら、二体の人型兵器が巨木の幹の間をゆるやかに抜けていく。

 肩と腰部の大型装甲板がモノノフの大鎧おおよろいを思わせるシルエットを形作る。二機は、黒曜樹海の中を哨戒するアオイとソウの機体だった。

 ゴーグルモニター越しに、アオイの気弱そうな垂れ気味の丸目が見えた。左右せわしなく、瞳が揺れる。

 アオイの視界には、いつもどおりに暗い木立が見えていた。

 視界の端に通信用ミニウィンドウが現れ、視覚バイザーを掛けたトモエが映った。

「アオイ。ソウ。定時報告を」
「周囲に攻性獣は見られません」
「指定ルートに従い、哨戒を続けろ」
「了解です」
「アオイ。なかなか様になってきたじゃないか」

 思わぬトモエの賞賛に驚く。少しだけ頬が熱い。

「……ありがとうございます」
「この調子で、頼むぞ」
「分かりました」

 トモエと入れ代わりに、半透明ゴーグルとヘッドギアを被ったソウがミニウィンドウに映った。通信越しでも、三白眼の迫力が伝わってくる。

「なぜ攻性獣がいない」

 普段から仏頂面ではあるが、若干不機嫌にも見えた。攻性獣がいない事実に対して苛立つ相棒に、思わず呆れてしまう。

「いや、いない方がいいでしょ。そんなこと言うとトモエさんに怒られるよ」
「理由が不明だ?」
「もぅ。そこから説明しなきゃだめ?」
「頼む」

 素直に頼んでくるソウに悪い気もしなかったので、少しだけ得意気に口を開いた。

「今回の目的は、開拓業者の防衛。攻性獣の討伐じゃない。だから、たくさん倒してもそうでなくても、ボクたちの評価や報酬は変わらないよ」
「む……。確かに攻性獣がいない方が状況は有利か」
「ついでに言うと、依頼主の安全が第一なんだから、トラブルが来てほしいみたいな言い方はどうかと思うよ?」
「そうなのか?」
「さっきみたいな事をトモエさんに言ったら、がっかりするんじゃない?」
「それは避けたいな。了解。感謝する」
「どういたしまして」

 通信を切って、再び哨戒に戻り、森をしばらく歩く。すると、無数の幹の向こう側に崖肌が見えた。

「あれ……? なにか?」

 その切れ目、つまり峡谷の中が妙に気になった。ふと気づいた違和感に導かれ、崖肌を凝視する。

 視線の先が徐々にズームされ、人影のようなシルエットが映った。

「あれ? あそこ見て」
「どうした?」
「何か人影のようなものが。いや、大きさ的には人戦機?」
「トモエさんに連絡してみよう」

 手元に浮かぶ仮想スイッチを操作して連絡を入れると、すぐにトモエと繋がった。

「アオイ。なんだ?」
「トモエさん。実は何かが――」

 事情を説明すると、トモエの形の良い眉がわずかに歪む。

「心当たりはないな……。周囲に警戒しつつ確認しろ。遭難者である可能性もある。放っては置けない」
「了解。向かいます」
「当然、任務の方が優先だ。演算リソースを索敵に回し、担当範囲の警戒は怠るな」
「分かりました。演算リソース、索敵優先」

 演算リソースを動作補正から索敵へ回したため歩行が少しぎこちなくなったが、それでも哨戒(しょうかい)には問題ない。

 二機が峡谷の中へ入っていく。

 両脇にそそり立つ崖の間を進む。ほどなくすると、土砂に埋まった人戦機を見つけた。土に汚れた上半身だけが露出している。

 動く気配はない。

「やっぱり人戦機だ。どうしてこんなところに?」
「音波通信がいいか。こちら、サクラダ警備。応答願う」

 峡谷にソウの声が響く。だが、返事は無い。

 トモエが顎に指を添えて悩む。

「……返事なしか。アオイ、ソウ。もう少し近づいてくれ」
「了解」

 周囲を警戒しながら近づく。埋もれた機体の形には見覚えがあった。

「これ……。シドウ一式?」
「風化しているな。放置されて年月が経っていると推測される」
「なんでこんなところに? 遭難したとか? 救助要請は……ってウラシェだと出来ないのか」

 以前のトモエの言葉を思い出す。

 ウラシェの大気は電波を吸収するため、通信は中継ドローンが展開する範囲に限られる。アクシデントで展開領域から外れれば、救助を呼ぶことは出来ない。

 そして空を見上げる。

「こんな雲じゃ、飛行機も飛ばせないし」

 そこには低く立ち込める、どこまでも続く雲があった。

 通信もレーダーも衛星ナビゲーションも使えないウラシェで、視界不良の中を飛行した末路は容易く想像できた。山に激突するか迷子になって遭難するか、その二択しかありえない。

 視線を後ろへ向ける。崖の切れ目の向こうには、黒の森が見えた。

「そして、この樹海か」

 なんの目印も無い広大な樹海。涙目になりながら彷徨う自分を想像する。

 一方のソウは淡々と考察を進めた。

「がけ崩れに巻き込まれ、行動不能になったと推測。まずは画像をトモエさんへ転送」

 通信ウィンドウに映るソウが、手元を操作した。

 直後、トモエから通信が入る。状況報告を報告するとトモエが、ふむ、と言った。

「遭難だな。外観からすると、それなりに昔のだろう」
「ということは……」
「操縦士は死んでいる。おそらくは遺体もあの中だ」
「うわ……」
「珍しくない。アクシデントで行方知れず……というのは」
「ど、どうしましょう?」
「現場保全だ。そのままにして、任務に戻れ」
「了解」

 三人での通信を終える間際、ソウがぼそりと呟く。

「オレたちも、こうなっていたかも知れないな」
「助けが来なかったら……ってこと?」
「そうだ」

 遭難と攻性獣の違いはあれども、誰にも見つかることも無く朽ちていく可能性は多分にあった。武装警備員は薄氷の上にいる事を実感する。

「これは、ボクのありえた姿なのか」

 もしもの未来と目の前の機体を重ね、その場を後にした。





〇黒曜樹海 開拓事業設備内 休憩用トレーラー

 黒曜樹海の中でわずかに開けたところ。駆動音を響かせながらせわしなく動く人工物が十数台あった。

 それはサクラダ警備のクライアントの設備だ。すぐ隣に大型のトレーラーが数台止めてあり、一台は仮設宿泊所兼休憩所となっていた。

 小綺麗な休憩所の入り口には、消毒用エアシャワーが設置されていた。ドアの横には人戦機用のヘッドギアと防護用マスクが二人分だけ掛けてある。

 休憩所内には十数名ほどが休める机と椅子が並べてあった。その端でアオイとソウは休んでいた。二人とも緩衝パッド付の操縦服は椅子に掛けて、インナー姿でコップに口を付けている。

「アオイ。いつも水だが、そんなに好きなのか?」
「水が好きって人いるのかなぁ? 昔はこだわっている人もいたらしいけど。ボクの場合は節約しているだけだよ。早くソウにおカネを返さないといけないし」
「チームを解消したいという事か?」
「え? 違うよ」

 咄嗟に出た答えに、自分でも意外に思う。そして、言葉を続けた。

「借りたお金は早く返さないと」
「そこまで早めようとする理由が理解できない」
「借りたことないだろうしね。そういえばなんであんなにおカネがあったの?」
「数年分の実験報酬だ」
「あんなに貯めてすごいなぁ」
「使い道がなかっただけだ」

 納得のいく回答だった。操縦訓練に夢中になっている間に積みあがったカネなのだろうと想像した。

「ソウに趣味とかってないの?」
「ない。評価向上につながらない活動への注力は非効率的だ」

 あまりにも予想どおりの回答に、苦笑いを浮かべる他なかった。

 その時、背後でドアの開く音が聞こえた。振り返ると長身の女性が防護ヘルメットを取る。ヘルメットからこぼれたのは、よく整えられたショートカットだった。

 そして、バイザー型視覚デバイスが露になる。

「あ、トモエさん。お疲れ様です」

 立ち上がって、頭をさげた。対するトモエは困惑気味に周囲を見渡す。

「なんでそんなに隅に? もうちょっと真ん中の方に来たらどうだ?」
「昔から、隅のほうが落ち着くので……」
「そうか……」

 しばらくの間、気まずい雰囲気があたりを包む。ソウだけがマイペースに飲み物を口にしていた。そんな空気を変えようと、意図的に明るい調子で質問する。

「トモエさんも休憩ですか」
「ああ。さっき元請けの所にレポートを出し終わった。特にトラブルもなかったから早めに終わったよ」
「攻性獣も出ませんからね。そういえばさっきの機体ですが……」
「しかるべきところに報告はした。今は待ちだ。調査着手も数週間後だろう」
「そんなに遅いんですか?」
「遭難者の数を考えると、順番待ちでそれくらいだろう」

 当然のような口調に、改めて遭難の危機を実感する。

 トモエは隣に座り、コーヒーを口にしながら窓から映る風景を眺めた。つられて外を見るが、攻性獣の姿は見えなかった。

「それにしても、平和ですね」
「大半の任務はそうだ。むしろ、前回や前々回の任務の方が異常だ」
「シミュレーションでも激しい状況ばかりでしたから、それが普通だと」
「いざという時に備えてな。だが、武装警備なんて物々しい名前でも、大半は平和な物さ」
「仕事に就く前は、軍隊みたいな感じだと思っていました」
「あるあるだな。だが、軍隊とは別物だ。軍隊の相手は敵軍、我々は主に攻性獣という違いがある」

 よく分からないと言ったしかめ面をするソウ。

「戦うという点では同じでは?」
「目的が違う。軍隊では採算よりも国を守る事が大事だ。一方で、我々は採算がとれる範囲で活動する必要もある」
「つまり効率が重視される」
「お前はちょっと極端すぎるけどな……」

 トモエが苦笑いを浮かべる。

「あとは、軍隊には軍法があり禁固刑なども科すことができる。一方で、我々は民間企業だ。そんな事はできない」
「命令に従順なのは当たり前では?」
「みんながみんな、評価第一主義なわけじゃない。命の危険がある局面では、葛藤もする」
「ではどうやって統制を?」
「民間企業の範囲で何とかしている。たいていは違約金などだが、洗脳じみた研修、パワハラまがいの恫喝。それで徹底管理と完全服従を要求する会社もある」

 その内容に、思わず顔が引きつった。

「うわぁ……。やっぱりそういう会社もあるんですね」
「まあ、ある程度の人数を越してくるとそうせざるを得ないという側面もある。一方でうちは十数人程度だから、そういうやり方は逆に効率が悪いと思っている」

 トモエの声に実感がこもる。

「何より、私はそう言った雰囲気にしたくない。そんな組織は、脆いんだ」

 トモエの呟きにソウは心底分からないと言った面持ちで詰め寄る。

「理解不能です。命令に対して一体となり動く方が効率的では?」
「シミュレーターの中なら、お前が言うとおりの方がよいかも知れない。だが、現実は違う」
「何が原因ですか?」
「命令を受け取れない時は? 命令が大まかな時は? そういう状況ばかりだったろう?」

 前回の任務での苦境を思い浮かべる。ソウも同じことを考えていたらしく、切れ長の三白眼を細めた。

「否定はできません。では、どうすれば?」
「適切な判断がその場で取れるように、個人を鍛え、相性の良いチームを組むしかない。お前とアオイを組ませているのはそう言った意味合いもある」
「相性というのは一体――」

 ソウの質問を、背後から聞こえた声が遮った。

「こんにちは、サクラダさん!」

 振り返ると、溌剌とした雰囲気を持つ若い男がいた。作業服姿ではあるが、よく整えられた髪。白い歯が爽やかさを放っている。陽気さにあふれる好青年といった面持ちだった。

 男を迎えるためにトモエが振り返る。

「こんにちは、ヒノミヤさん」
「欠員が出たってオクムラ警備さんから連絡があったときには、どうしようかと思いました。今回は助かりましたよ」

 今回は、サクラダ警備は助っ人、もしくは二次請けという位置づけだ。

 もともとはオクムラ警備という他の警備会社がヒノミヤらの警護を請け負っていたが、急な欠員が出た。そこにサクラダ警備が穴埋めとして入った。

 トモエが朗らかな笑みを浮かべる。

「こちらとしても仕事が無かったので助かりました。ソウ、アオイ。来い」

 トモエの手招きに従って、ソウと一緒に前へ出る。

「うちの社員です。お前たち挨拶を」
「アサソラ=アオイと申します。はじめまして」
「自分は……、確かクウガ=ソウです」

 ソウの言い様にヒノミヤは眉根を寄せた。だが、理由に検討が付いた。

(ああ……。苗字も、後からつけたんだ)

 微妙な空気が流れたが、ヒノミヤの表情は明るいものへ戻った。

「休憩中に邪魔して悪かったね」
「いえ」
「悪いかとも思ったが、ぜひお礼を伝えたかったんだ」
「お礼ですか?」
「欠員補充に来てくれたことさ。広域駆除後なんて、僕たちみたいな零細企業には絶好のチャンスだからね。僕たちは土壌販売事業をやっているんだが、今が正念場なんだ」

 聞き慣れない単語に、思わず首を傾げた。

「土壌販売事業? すみません。あまり詳しくは知らなくて」
「ああ、あまり耳にする事業ではないからね。知らないのも無理はない」
「どんな事業なんですか?」
「ああ。簡単に言うと、この星の土を僕たちが使える土壌に加工して売る事業だ」

 その言葉を聞き、疑問は深まった。

(土が売れるとは思えないけどなぁ。けど、お客さんが作っている商品に、そんな物が売れるんですかって聞くのも失礼な気もするし。使える土壌って何だろう? 聞きたいけどどうしよう。ボクって考え過ぎなのかな。けど、もし聞くとして、聞き方にも何か工夫をした方が――)
「土が売れるんですか?」

 隣から聞こえた相棒の質問に、思わず大口をあける。

(ちょ、直球だ)

 最短距離を行くソウに、ささやかな敬意と大いなる呆れを抱く。これはマズいとヒノミヤを見るが、当の本人は気にした様子もない。

「ああ。売れる。いずれ急速に需要が高まるはずだ」

 ヒノミヤは目を輝かせながら熱をこめて、土が売れる事情を説明し始めた。

 大侵食以降、人類は土壌を失った。土壌とは生命の営みの堆積物だ。母星の大地を失った人類は水耕栽培と水棲培養に活路を求めた。オキアミやミドリムシも、水棲培養が可能なタンパク源として重用されている。

 一方で、水耕栽培や水棲培養が難しい食物は、これからの生活に不要と切り捨てられた。

 惑星ウラシェに入植しても事情は同じで、有機成分は母星とは異なる。加えて、未知の病原体を考えれば、ウラシェの土をそのまま使うわけにはいかない。結果として、土壌は不足していた。

 それでも、人類はなんとか我慢を重ねてきた。なので、いまのところは目立った需要はない。ヒノミヤはそう説明した。

 ソウが分からないとばかりに、問いかける。

「目立った需要がないなら、売れないのでは?」
(確かにボクも思ったけど、それも口に出すんだ……)

 呆れ半分にソウを見る。ヒノミヤが怒っていないかと視線を移すが、本人はまぶしい笑顔のままだった。

「今はね。でも、そうだ……。これを食べてみたら? 休憩を邪魔したお詫(わ)びにどうぞ。そのままかぶりつくといい」

 ヒノミヤから渡された物をまじまじと眺める。隣のソウも不思議そうに見ていた。いたずらを考えた子供の様に瞳を輝かせながら、ヒノミヤがこちらを見ていた。
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