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残酷な描写あり R-15
第二十八話 劉淵崩御
 「安東大将軍の石勒せきろく殿、態勢を立て直し、進軍を再開。 百余の塢壁うへきを攻略し……」

報告を受けた容姿端麗な長身の男は、手に持っていた杯を振り回しながら、声を荒げる。
酒が飛び散り、男の指と床を濡らした。

「どこの城を落としたとか、そんな事はどうでもいい! 開府だ、開府の動きを聞かせろ!」

「は、安東大将軍石勒は降伏した晋人の士大夫を集め“君子営くんしえい”なる官僚集団を整備している、とのこと。 軍功曹の張賓ちょうひんなる晋人がこの政策を主導しているとのことです。 しかし、皇太子殿下、開府は皇帝陛下ご自身が許可なさったことであり……」

伝令の額に杯が当たり、砕け散った。
皇太子と呼ばれた男は爪をかじりながら言う。

「それが問題だというのだ」

顔を押さえる伝令を蹴飛ばして、漢の皇太子である劉和りゅうかは父の寝室に向かう。
部屋の前に侍る典医に尋ねる。

「父上の容体はどうか」

「手を尽くしましたが……」


匈奴の漢王朝を興し、台風の目となった劉元海りゅうげんかいこと劉淵りゅうえん
彼は突然の病に倒れ、その命の灯火はまさに消えようとしていた。
寝室の扉を開け放つと、豪華な寝台に不釣り合いなほど痩せ細った劉元海こと劉淵りゅうえんが横たわっている。

「父上、お気をしっかりもってください。 きっとよくなります。 典医もそう言っております」

劉淵は横たわったまま笑う。
何かが絡まるような不気味な音が喉の奥から響く。
容体はさらに悪くなっているらしい。

「お前はいつも嘘ばかり言う。 ……会うのも今日が最後だ。 最後くらいは言いたいことをぶちまけたらどうだ」

劉和は爪の先を噛みちぎる。

「なんで、石勒や王弥といった将軍連中に勝手放題をさせるのです。 なぜ、皇太子である私以外の兄弟達に多大な軍権をお与えになるのです。 ………どうして死ぬ間際になって、こんな余計なことばかり! なぜだッ!」

劉淵は声をあげて笑う。
ごぼごぼと液体の沸き立つような音が響く。
その口角には血の泡がまとわりついている。

「晋は衰えたりとはいえ、健在だ。虎狼のような諸族もひしめいている。内なる敵を蹴散らして帝位を守ることのできるものでなければ、到底、我が事業を継ぐ事はできまいよ。さて、お前にその才覚があるかな?
お前の兄弟には?
あるいは……あのけつの小僧には」

劉和が襟首を掴むと劉淵はさらに咳き込み、やがて静かになった。
劉和は父の屍を寝台に突き放すと、叫んだ。

「皇帝陛下は崩御された! 遺詔により、この劉和が帝位を継ぐ! 叔父上を呼べ。今後の事で相談がある。」


 劉淵が崩御したその日の深夜、劉和の部屋に、劉和の叔父である呼延攸こえんゆうと腹心の劉乗りゅうじょうの姿があった。
また、劉和派と目される西昌王の劉鋭りゅうえい、安昌王の劉盛りゅうせい、安邑王の劉欽りゅうきんとその側近である馬景ばけいもまたこの会合に出席していた。
呼延攸は言う。

「故人に失礼を承知で申し上げるが、先帝は権力の軽重を考えていなかったと言わざるをえませんな。陛下に反抗的な三王は禁中で近衛兵を率いており、さらに大司馬・楚王もまた十万の精兵を近郊で掌握しております。陛下は今、ただ玉座にいるだけに過ぎず、実権を彼らに握られているに等しいのです。これによる災いは推し量ることも出来ません。お早いご決断を望みます」

呼延攸は続いて策を述べる。
差し当たり、北海王劉乂りゅうがい、魯王劉隆りゅうりゅう、斉王劉裕りゅうゆう、そして楚王劉聡りゅうそうの四人を殺す。
王弥や石勒も脅威となり得るが、劉和にとって最優先で取り除くべき障害はこの四人の兄弟だった。
呼延攸の進言に皆が頷く中、安昌王の劉盛は挙手をして発言を求めた。

「四王は反逆の素振りも見せておりません。 先帝の葬儀も終わらぬ内から兄弟で争い合うなど、愚の骨頂。 このような小人の言を信じて道を失ってはなりませ……?」

言い終わらない内から劉和の剣が劉盛の喉を貫いていた。

「他に異論のある者は……いないようだな」
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