残酷な描写あり
R-15
第六話 壁
八人組の野盗が盗品を抱えて馬を走らせる。
その後ろをやや遅れて数騎の影が追う。
「追手がしつこいな。若頭、どうする?」
「支雄、お前は弓で打ち払え。夔安、王陽は剣でいけ」
支雄はその月氏の出自を示すかのように馬上で身を翻すと背を馬首に合わせ、弓を引き絞った。
放たれた矢は正確に追手の兵の胸を居抜く。
夔安と王陽はそれぞれ別の追手に肉迫し、それぞれの得物を抜く。
夔安の五叉の剣に打たれた追手は血しぶきを上げて倒れ、王陽の二刀の斬撃が十字の傷を刻む。
その他の追手は恐怖を感じたのか馬の手綱を返し、その場で逡巡し始めた。
ベイは逃げ切ったことを確認すると、汲桑の牧場へと戻った。
「おらよ!今日のあがりだぜ」
ベイが絹や財貨を並べると、汲桑はそれを細かく吟味していった。
「しかし、犯さず殺さず貧しき者からは盗らず、それでいて、これ程の稼ぎを生み出すとはな」
「心外だぜ。蓄えの大きそうな家を狙って、余計な事をせずにずらかってるだけだ。それに追手は殺してるぜ……追手が来ること自体少ないが」
ベイは汲桑をわずかに睨んだ。
「ベイ、なんだおめぇ。追手が少ないなら結構な事じゃねぇか」
「夔安や支雄がちょくちょく消えるな。俺に内緒で何をやらせている。追手が少ないことと関係があるんじゃないのか」
汲桑は鼻を鳴らして、黙っている。
ベイが睨んでいると、ため息をついてようやく語り始めた。
「俺は帳下督の公師藩の紐付きだ。そいつが頼んでくる汚れ仕事を請け負うことで、盗みの監視や捜査が緩められている」
「こうしはん?誰だよ、それ」
「お貴族様さ。貴族ってのは、この国を牛耳っている連中だ。公師藩は、貴族の頂点である皇族の、皇太弟で成都王の司馬穎様の右腕でもある。皇族ったら、もう雲の上のお人さ」
ベイは汲桑が何か言葉をはばかっているような様子を見て、腹を抱えて笑いだした。
「らしくねぇな。らしくねぇよ、お頭!何が雲の上だ。そいつらは霞食って生きてるわけじゃあるめぇ。クソだってするんだろう。俺らとそいつらに、大した差なんてねぇよ」
「ある。俺ら下々の者と貴族や皇族との間には越えられねぇ“壁”があるのさ。やつらが何をしても咎めるものはねぇんだ。下々の連中を生かすも殺すもやつらの自由だ。お前を奴隷にしたのも、皇族の一人、司馬騰だ」
ベイは白い歯を見せると、ゆっくり言った。
「へぇ、司馬騰って言うのかぁ。司馬騰、司馬騰、覚えたぜ」
不穏な笑みを見せるベイを見て、汲桑は慌てる。
「おい。馬鹿なこと考えてるんじゃねぇぞ、ベイ」
「今、どうこうというつもりはねぇさ。ただな、俺はその壁とやらを超えられる。やり方しだいさ。俺も、お頭も、その気になれば壁の先にいけるんだ」
ベイがそう言ったとき、扉を叩く者がいた。王陽だ。
「お頭、若頭も。表に官軍の者が来ています。ただ、捕り方ではありません。公師藩の使いだとか」
◇
「汲桑、よく来てくれた。折り入って、お前に頼みたいことがある。と言っても、いつものような仕事ではない。日向を歩くような、まっとうな勤めだ」
公師藩は黒い髭を捻りながら言う。
汲桑とベイは公師藩の呼び出しに応じ、その居館に来ているのだった。
「へぇ、俺のような者にありがてぇ話ですが、どういった御用向きですか」
公師藩はわざとらしく咳払いすると、説明を始めた。
皇太弟となり専権を振るっていた司馬穎だったが、やがて東海王司馬越と対立するようになった。
司馬越は弟である并州刺史の司馬騰と都督幽州諸軍事の王浚を使って司馬穎を攻撃し、ついに司馬頴が勢力を張っていた大都市の鄴を陥して排除する事に成功したのである。
「そんな馬鹿な! 劉淵様がついていて、そんな事になるわけがない!」
汲桑がそう言うと、公師藩は首を振った。
劉淵と言う名はベイも聞いたことがある。
胡人の中でも最強最大の種族である匈奴の出身で、名将と名高い男である。
匈奴は前漢を建国した高祖劉邦を破って以来、幾度となく中華の地を脅かしてきたが、近年は晋朝の支配を緩やかに受け入れて、中華王朝でいうところの皇帝に当たる単于の子を人質として贈っていた。
劉淵は人質となった単于の子の一人であり、人質の身でありながら将軍として頭角をあらわし、晋の重鎮となった人物である。
「劉淵は故郷から援軍を呼ぶと言って、匈奴の地に行方をくらました。やっと出てきたと思ったら、匈奴を引き連れて漢の王を自称して暴れ始めた。やつはもう敵だ。司馬越にとっても敵だろうがな」
「……それでは司馬穎様はかなり危ない状況にあるということですね」
「残念ながら、その通りだ。丸腰で長安に落ち延びた司馬穎様を、なんとしてもお助けせねばならん。私は、将軍として義兵を起こし、河北の地から憎き司馬越派を一掃する。そして、鄴に司馬穎様を再び迎え入れるのだ。だが、いかんせん兵が足りない。そこでお前には、お前と同じような牧人の類いを掻き集め、即席の騎兵を編成してもらいたいのだ。」
汲桑は拝命すると、ベイを連れて出て行った。
帰り道、馬上でベイは汲桑に事もなげに言った。
「お頭、壁の方から勝手に近づいて来やがったぞ」
汲桑は苦虫を噛み潰したような顔をして、黙っていた。
一方、公師藩の居館では、会見を終えた公師藩が爪を研いでいた。
配下の李豊が尋ねる。
「よろしかったのですか。あの様な、毛並みの悪い連中を引き入れて」
「背に腹はかえられぬ。……それに、用済みになれば処分するだけだ」
公師藩は静かにやすりを下ろすのだった。
その後ろをやや遅れて数騎の影が追う。
「追手がしつこいな。若頭、どうする?」
「支雄、お前は弓で打ち払え。夔安、王陽は剣でいけ」
支雄はその月氏の出自を示すかのように馬上で身を翻すと背を馬首に合わせ、弓を引き絞った。
放たれた矢は正確に追手の兵の胸を居抜く。
夔安と王陽はそれぞれ別の追手に肉迫し、それぞれの得物を抜く。
夔安の五叉の剣に打たれた追手は血しぶきを上げて倒れ、王陽の二刀の斬撃が十字の傷を刻む。
その他の追手は恐怖を感じたのか馬の手綱を返し、その場で逡巡し始めた。
ベイは逃げ切ったことを確認すると、汲桑の牧場へと戻った。
「おらよ!今日のあがりだぜ」
ベイが絹や財貨を並べると、汲桑はそれを細かく吟味していった。
「しかし、犯さず殺さず貧しき者からは盗らず、それでいて、これ程の稼ぎを生み出すとはな」
「心外だぜ。蓄えの大きそうな家を狙って、余計な事をせずにずらかってるだけだ。それに追手は殺してるぜ……追手が来ること自体少ないが」
ベイは汲桑をわずかに睨んだ。
「ベイ、なんだおめぇ。追手が少ないなら結構な事じゃねぇか」
「夔安や支雄がちょくちょく消えるな。俺に内緒で何をやらせている。追手が少ないことと関係があるんじゃないのか」
汲桑は鼻を鳴らして、黙っている。
ベイが睨んでいると、ため息をついてようやく語り始めた。
「俺は帳下督の公師藩の紐付きだ。そいつが頼んでくる汚れ仕事を請け負うことで、盗みの監視や捜査が緩められている」
「こうしはん?誰だよ、それ」
「お貴族様さ。貴族ってのは、この国を牛耳っている連中だ。公師藩は、貴族の頂点である皇族の、皇太弟で成都王の司馬穎様の右腕でもある。皇族ったら、もう雲の上のお人さ」
ベイは汲桑が何か言葉をはばかっているような様子を見て、腹を抱えて笑いだした。
「らしくねぇな。らしくねぇよ、お頭!何が雲の上だ。そいつらは霞食って生きてるわけじゃあるめぇ。クソだってするんだろう。俺らとそいつらに、大した差なんてねぇよ」
「ある。俺ら下々の者と貴族や皇族との間には越えられねぇ“壁”があるのさ。やつらが何をしても咎めるものはねぇんだ。下々の連中を生かすも殺すもやつらの自由だ。お前を奴隷にしたのも、皇族の一人、司馬騰だ」
ベイは白い歯を見せると、ゆっくり言った。
「へぇ、司馬騰って言うのかぁ。司馬騰、司馬騰、覚えたぜ」
不穏な笑みを見せるベイを見て、汲桑は慌てる。
「おい。馬鹿なこと考えてるんじゃねぇぞ、ベイ」
「今、どうこうというつもりはねぇさ。ただな、俺はその壁とやらを超えられる。やり方しだいさ。俺も、お頭も、その気になれば壁の先にいけるんだ」
ベイがそう言ったとき、扉を叩く者がいた。王陽だ。
「お頭、若頭も。表に官軍の者が来ています。ただ、捕り方ではありません。公師藩の使いだとか」
◇
「汲桑、よく来てくれた。折り入って、お前に頼みたいことがある。と言っても、いつものような仕事ではない。日向を歩くような、まっとうな勤めだ」
公師藩は黒い髭を捻りながら言う。
汲桑とベイは公師藩の呼び出しに応じ、その居館に来ているのだった。
「へぇ、俺のような者にありがてぇ話ですが、どういった御用向きですか」
公師藩はわざとらしく咳払いすると、説明を始めた。
皇太弟となり専権を振るっていた司馬穎だったが、やがて東海王司馬越と対立するようになった。
司馬越は弟である并州刺史の司馬騰と都督幽州諸軍事の王浚を使って司馬穎を攻撃し、ついに司馬頴が勢力を張っていた大都市の鄴を陥して排除する事に成功したのである。
「そんな馬鹿な! 劉淵様がついていて、そんな事になるわけがない!」
汲桑がそう言うと、公師藩は首を振った。
劉淵と言う名はベイも聞いたことがある。
胡人の中でも最強最大の種族である匈奴の出身で、名将と名高い男である。
匈奴は前漢を建国した高祖劉邦を破って以来、幾度となく中華の地を脅かしてきたが、近年は晋朝の支配を緩やかに受け入れて、中華王朝でいうところの皇帝に当たる単于の子を人質として贈っていた。
劉淵は人質となった単于の子の一人であり、人質の身でありながら将軍として頭角をあらわし、晋の重鎮となった人物である。
「劉淵は故郷から援軍を呼ぶと言って、匈奴の地に行方をくらました。やっと出てきたと思ったら、匈奴を引き連れて漢の王を自称して暴れ始めた。やつはもう敵だ。司馬越にとっても敵だろうがな」
「……それでは司馬穎様はかなり危ない状況にあるということですね」
「残念ながら、その通りだ。丸腰で長安に落ち延びた司馬穎様を、なんとしてもお助けせねばならん。私は、将軍として義兵を起こし、河北の地から憎き司馬越派を一掃する。そして、鄴に司馬穎様を再び迎え入れるのだ。だが、いかんせん兵が足りない。そこでお前には、お前と同じような牧人の類いを掻き集め、即席の騎兵を編成してもらいたいのだ。」
汲桑は拝命すると、ベイを連れて出て行った。
帰り道、馬上でベイは汲桑に事もなげに言った。
「お頭、壁の方から勝手に近づいて来やがったぞ」
汲桑は苦虫を噛み潰したような顔をして、黙っていた。
一方、公師藩の居館では、会見を終えた公師藩が爪を研いでいた。
配下の李豊が尋ねる。
「よろしかったのですか。あの様な、毛並みの悪い連中を引き入れて」
「背に腹はかえられぬ。……それに、用済みになれば処分するだけだ」
公師藩は静かにやすりを下ろすのだった。