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作者: 京泉
計算と不機嫌と不協和音。(ラリッサ)
 わたくしの思い通りにいかないことなど、この世界に存在しない——本来ならば、そうであるはずだったのに。

「ラリッサ様。あの子、ロザリンと親しくしているようですのよ」

 友人の一人が甘ったるい声で報告してきた。わたくしは扇子を開いたまま視線を動かさずに尋ねる。

「あの子、とは?」
「リアーナ・メイフィルドですわ」

 その名を耳にした瞬間、眉間にかすかな皺が寄るのを自覚する。いけないわね。顔に出しては、下の者どもが図に乗る。

 リアーナ・メイフィルド。身分は子爵令嬢。身分は下位、容姿は悪くはないけれど冴えない。取り柄といえば身分を弁えた姿勢ぐらい。つまり、わたくしの「ご友人」にちょうど良い存在。身分を弁えて、わたくしに感謝し、従っていればいいのに。

 なのに、最近の彼女ときたら。わたくしの指示に従っていないようだし、友人たちがひそひそ話しても顔色一つ変えない。
 もっとも理解し難いのはロザリンと親しくしているですって? 何を考えているのかしら。
 ロザリンは、身分の低さを弁えずにアルフレッド殿下に近付こうとしていた愚か者。そのような者と親しげにしていた時点で、リアーナもまた同類だと証明されたようなものだわ。

「そう。リアーナがロザリンと話していたのね」

 わたくしは優雅に頷くと、扇子でそっと口元を隠す。ふふ、と笑っておけば、それだけで友人たちは従うの。

「少し「指導」が必要かしらね?」

 わたくしの言葉に、友人たちはすぐさま笑顔で頷いた。彼女たちはわたくしの手足。意思を伝えれば、あとは勝手に動いてくれる。便利な存在。

 ロザリンへの嫌がらせは、実にうまくいった。ちょっとした噂を流せば、学園内の空気はすぐに変わる。誰もあの男爵令嬢をかばおうとはしなかった。それが当然よ。わたくしの後ろには、グレイ公爵家が控えているのだから。

 しかし、問題はリアーナ。

 あの子だけは、噂にも友人たちにも怯えない。かといって反論してくるわけでも、反撃してくるわけでもない。ただ、黙って立っている。その静けさが、わたくしにはどうにも気に入らないのだ。

 それに⋯⋯最近、アルフレッド殿下が妙にリアーナに目を向けるようになったのも気に入らない。何故、あのような地味な女が——。

 おそらく、リアーナがロザリンと話していたことを知って、殿下が関心を持ったのだ。
 もしくは、リアーナも身の程知らずにアルフレッド殿下に近付いたか。
 どちらにせよ、わたくしの許可なく、殿下の話題に乗るなど身の程知らずも甚だしい。

 身分をわきまえない愚かさは、ロザリンと同じ。けれどロザリンは簡単だった。わたくしが動けば沈黙する程度の小物。その点、リアーナはやっかい。野心が見えず、かといって従順でもない。だからこそ、始末が悪いのだわ。

 数日前、わたくしは父に頼んだのよ。





「お父様、メイフィルド子爵を、役職から外しませんこと? 我がグレイ公爵家なら簡単でしょう?」

 とびきり甘えた声で、お気に入りの紅茶を淹れながら。けれど父は渋い顔をして言ったの。

「ラリッサ、それはどういう意味だ? 彼は仕事ができるだけではなく、人格も信用に値する。私が尊敬する一人だ。何より陛下と王家の信頼が厚い。グレイ公爵家の政敵を増やせというのか?」

 わたくしがムッとした顔をして黙ると、父はため息をついて言った。

「──お前はこのグレイ公爵家の一人だ。そのことを忘れるな」





 父は公爵。政治家としては優秀なのかもしれないけれど、わたくしから見れば臆病者よ。グレイの名を継ぐ者が、子爵一人に譲歩するなんて、どうかしてるわよ。

 身分の低い者が、実力だの人格だのを評価されて、要職に就いていること自体、間違っているのよ。血筋と家格で評価されるべきよ。

 ふざけているわ。

 わたくしは、扇子を握る手に力がこもっているのを自覚した。いけない、こんなふうに感情を表に出すのは品がない。そう、わたくしはグレイ公爵家の令嬢。どんなときも優雅に、気品と威厳をもって振る舞わなければ。

 教えてあげるべきだわ。身分の違いが、どういう意味を持つのかを。

「そういえばラリッサ様、そろそろ舞踏練習会ですわね」
「ラリッサ様のパートナーは当然アルフレッド殿下ですわね」

 友人が思い出したように声を上げる。わたくしは扇子を閉じ、優雅な仕草で彼女に視線を向けた。

「ええ、もちろんわたくしのパートナーは殿下ですのよ。お揃いの仕立てが仕上がるのを待ってますの。練習会と言っても王立学園の伝統行事。身のこなしも礼儀も、家柄にふさわしい品位を示す場ですもの。楽しみですわね」

 口元に微笑を浮かべると、友人たちはそろって頷く。

 舞踏練習会——貴族子女の社交訓練の場。
 令嬢や令息たちが礼儀作法や立ち居振る舞いを学びながら、将来の人脈を築くために用意された重要な行事。

 ──そうだわ。そこで、彼女の評価を落としてやればいいのでは? 例えば、ドレスに紅茶をこぼす、ヒールを折る、踊る楽譜の入れ替え、パートナーの交換、小さなミスの積み重ねで「無能」という印象を植え付けるの。

 仕組まれた失態ほど、貴族社会では効く。目に見える失敗が一度あれば、人々の目はすぐに冷たくなる。

 すべては、完璧な流れの中で起こる「偶然」として演出される。誰も証拠は残さないし、誰もわたくしを疑うことはない。だって、わたくしはグレイ公爵家の令嬢。疑われる側ではなく、信じられる側の人間なのだから。

「舞踏練習会⋯⋯ええ、本当に、楽しい練習会にしましょう」

 扇子の端で、軽く唇を撫でながらわたくしは微笑んだ。わたくしの「意思」は、友人たちにはすぐ伝わる。
 忠実で、有能で、なによりわたくしの意図をよく汲むいい子たち。

 リアーナ・メイフィルド。
 あなたの身の程を、わたくしが教えてあげるわ。

 光の下で滑るように踊る令嬢たちの中に独り影のように立ち尽くすことになる。

 それが誰かなんて、言うまでもないでしょう?
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