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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
5-3 玲と部活動
「――射る」

 そう、小さく呟いた紺青色の髪の男は、力いっぱいに引いていた指を離した。
 弦に押され放たれた矢は真っ直ぐに、吸い寄せられるように標的である的の中心を射抜く。

「うおー、流石玲だな。その集中力が羨ましい……」

 その背中に話しかけるのは同じ衣装を纏った同級生、大平海人おおひらかいとだ。

「いや、まだまだ。もっと速く射れないと使えないよ」
「使えないってなんだよ。実戦みたいに言うなよ怖ぇーぞ!」

 謙遜するように笑う玲に、海人はげっそりした表情を見せる。
 小学生も中学生も続けてきた野球から離れて一年強、やっと生え揃ってきた髪の流れをがしがしと崩しながら大きく息を吐いた。

「その力があるなら大会目指せばいいのに。今回はわざわざ言ったんだろ? 無理だって」
「家の用事があるからね。そもそも大会自体には興味がないんだ」
「くそ、お前が大会行けたら絶対優勝間違いねぇって先輩も言ってたのに、勿体ない奴だよなぁー」
「朝練には出て皆の士気を上げには来てるんだから許してよ。海人は射る瞬間に集中がブレやすいから、最後まで気を抜かない方が良いよ」
「さり気無くアドバイスしてくんな!ありがとよ!!」

 むきになる海人は姿勢を取り、矢をつがえる。
 ふぅ、と呼吸を整え右断の構えをとった。
 左手を返し、集中を始めると一度溜めを入れて弓を引く。
 きりきりと弓は鳴きながら引き切り、狙いを定め、覚悟を決めたように――指は離れた。
 放たれた矢は的に向かって飛んでいく。
 しかし先程の玲とは違い、さく、と音を立てた矢は的下の地面に突き刺さった。

「……」
「……」
「いや、何か言えよ」

 何も言わない静かな玲に、海人は突っ込み玲を睨む。
 言葉を発しない代わりに玲は再び弓構えをすると、先ほどと同じ様に的へ狙いを定めた。
 海人とは違い上に持ち上げ、ゆっくりと弓を降ろす動作を取った玲は再び矢を放つ。
 矢は先程と同じように真っ直ぐに飛んだが、次は的を外れて左側に刺さる。
 ふぅ、と息を吐く玲は海人に向き直り、にこりと笑った。

「海人はすごいなぁ」
「いやいやお前まじふざけんな!」

 あまりにもわざとらしい玲の行動、そしてその言葉に海人は叫ぶ。
 弓道部の玲は『腹黒』として有名だ。
 しかし美しい動きと確実に的へ当てる集中力は部内一の実力を誇り、勿論男女関係なく人気も高い。
 特に『射る』と口に出た時は確実に的の中心に当ててくる。
 その時は誰もがその印象を脳裏に、意識に打ち込まれるのだ。
 家にも小さな弓道場があり「弓道は家系だ」と言っていたが、実力はどの先輩をも軽く凌駕りょうがしてバケモノと感じるくらい。
 海斗は、その静かな強さと背中に憧れて入部した人間だった。

 玲は俺と出会った中学からずっと変わらない。
 その見た目から殆どの女子から注目は浴びるし、見た目だけでなく文武両道という実力もある。
 男女関係なく人気があるヤツだから、最初こそ偏見を持っていた。
 しかし実際は多少腹黒くても気さくで優しく接していて、俺も素で居られるような奴だから寧ろ楽しいくらいで。
 そんな最初の印象も払拭してしまうような年齢相応の奴だった。
 勿論、今も変わらず玲を狙ってる女子生徒は多い。
 王子の印象を持たれて、ファンクラブなんてものまで出来て、だけど今はその姿も相変わらずだなぁとしか思ってない。

 だけど、それは知っていたんだけど、今年に入ってからは少し違った。
 部には参加するものの昨年と比べて参加時間が少ないし、登下校にはたまに女子生徒が一緒らしい。
 先日登校中にその姿を見てまさか……とは思ったが、腰までの長い髪を揺らす綺麗な可愛い子が一緒だった。
 焦げ茶の髪が少し金色に光っていたのが珍しく、薄い表情は不思議な印象を持たせるのに目が離せないような美少女で、正直羨ましい。
 後で「誰だよあの子!」と問い詰めたら「幼馴染」と笑顔で答えられたので、いつかこいつの人生を一度味わってみたいと思う。

「海人、今日はもう家の用事の時間だから僕は帰るよ」
「あ?もうそんな時間か。また明日なー」
「うん、また明日」

 玲はいつも5時には帰る。
 中学からの付き合いだが、これは出会ってからずっとそうだ。
 俺は野球部、玲は弓道部だったけど毎日さくっと帰っていた。
 高校になってから同じ弓道部に入ったが、入部当初から変わらず、絶対に部内の人間のように遅くまでは残らない。
 最初はもちろん先輩も口煩くしていたが、玲は実力で黙らせてしまった。
 以降玲は部内では特別扱いだ。

「……くそ、もっと練習しよ」

 考えるだけで羨ましくて、憧れる。
 友人として仲良くしてくれるが、やっぱ同じ場所に立ってみたい。
 なんにもない俺としては、その景色はどんなものなのだろう……とうずうずしてしまう。
 だから……俺はもう少しだけ、弓を引いた。



***
 玲が帰ってから何本もの弓を引いた。
 どうやったら玲に近付けるだろう。そんなことばかりを思っていた。
 気付けば6時になり、先輩からの招集がかかる。

「大会が近い! 集中を怠らず、一位を目指す。高峰が今大会をまた辞退したので団体戦は代わりに大平、お前が出ろ」
「……は、俺ですか?」
「最近成績が良くなっている。充分だと思うが」
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」

 突然主将に名を呼ばれ、嬉しくなった。
 今年も大会には出られないだろうと思っていたから、すごく楽しみだ。
 明日から、もっと頑張ろう。

「……今日は解散だ」
「ありがとうございました!!」

 部員全員で頭を下げ、ぞろぞろと更衣室を出ていく。
 俺はその流れに逆らって主将の元へ進んだ。

「主将、ありがとうございます! 俺、頑張ります!」
「おう、期待してる。だからあんま無理すんなよ」
「うっす!」

 主将に労われ、気分が上がったまま更衣室に向かう。
 着替えを終えて出ると空はもう、夜が近づいていた。
 それよりも、雨雲が近づいている。

「……あー、一雨来そうだな……」

 季節はもう梅雨前。
 最近の晴天続きはいよいよ終わりそうだ。

「やっべ、傘持ってないや。早く帰ろう」
「傘ならここにあるよ」
「……は?」

 仕方ない、走って行こう、と思ったら突然後ろから声をかけられた。
 振り向くと、女子生徒が傘を持って立っている。

「ほら……傘、あるよ」
「……良いのか?」
「もちろん」

 にこりと、女子生徒は笑う。
 リボン型のタイは青色、つまり1年生だ。
 そんな彼女がなんで俺に……?と思いながらも差し出された傘を受け取る。

「あ、ありがとう……」
「どういたしまして。お兄さんは今から帰るところ?」
「ああ、そう。……あんたは?」
「私も今から帰るところだよ。家はどこ?」
「しょ、商店街の方だけど……」

 なんだろう、妙に馴れ馴れしいこの下級生は。
 家の大体の方向を伝えると、にぱっと笑顔になった。
 なんでこんな俺を気にすんの?
 そう言いたくなるくらい裏が見えなくて、たじろぐ。
 寧ろ女子ってみんなこうなのか???

「わ、一緒だね! じゃあ一緒に帰ろうよ!」
「え!? い、良いけど……誤解されないか?」
「ん? 何を気にしてるのか分からないけど、大丈夫っしょ」
「そ、そう、か……? なら良いけど……」

 ずっと明るい笑顔で何を考えているのか不安になるけど、それは俺の女経験の無さだからだろうか。
 彼女どころか女子と無縁の生活を送ってきた俺にこんな日がやってくるとは。
 隣の名も知らぬ女子は何やら楽しそうだが、流れで一緒に帰る事になった。

 そういえば、玲と一緒に居た女子生徒は稀に見かける。
 なんか見覚えがあるような……と思っていたが、その女子生徒は玲と居ない時は大概いつも同じ女子生徒がくっついている。
 もしかして、こいつじゃねえかな。
 玲と居る女子生徒は大人しそうな子だが、こっちは明るく愛嬌もある。
 ふわふわの髪をゆるく纏めた頭は少し俺の好みで、寧ろこっちの好みを把握してるんじゃ、と勘違いしそうだ。

「ん、どうかした?」
「いや、何でもない」

 ちらりと下から見上げてくるこの女子生徒、動きの一つ一つが細かい。
 なんというか、自分が可愛いって理解している、というか確実に好感を持たれる様に動いてくる。
 要するに、あざとい。
 あざといのに、嫌な感じが全くしないのが余計腹立たしい。
 好意があって近付いてきたんだよな……?俺、好意持つぞ?
 いやいや、今初めて会ったばかりで俺との接点なんにもねーし!
 この世の中腹の黒い奴しか居ないのか……?
 そんな疑念が頭に充満している。

「あ、忘れてた。私、奥村弥生。1年B組だよ」
「B組か。俺は特進だから2年のA組だ」
「特進ってすごいね、頭良いんだ! あれ、もしかして勉強で残ってたの?」
「いや、部活だよ。弓道部だ」
「へぇ、弓道部! 文武両道だ、すごい!」

 この学校は4クラスに分かれている。
 Aは特進、B・Cは普通科でDは専門科の就職専門クラスだ。
 確かに俺は大学進学を視野に入れたクラスに滞在してるけど、すごいを連呼されると単に乗せられてる気がして複雑な気分ではある。
 それとも素で言ってるのか???
 でも、俺は思った以上に単純だった。
 簡単な褒め言葉でもこんなにも、つい天狗になりそうになるなんて。

「いや、俺よりすごいのいるから。高峰玲ってんだけど、全国優勝なんて普通に出来そうなのに大会に参加しねぇんだよなー」
「ふぅん……そう、なんだ……」
「ん?」
「その高峰玲って人、そんなに強い人なの?」
「勿論的を外すこともあるけど、集中力はすげえんだ。特に『射る』って言ったらどんなプレッシャーがあっても外したところは見たこと無い。中学の頃も勝負所には負けない強さがあって、その時は俺野球部だったけど高校になったら一緒の部活に入りたくて弓道に来たんだよ」
「へえ、そうなんだ!」
「特に雨の日はめっちゃ強ぇ!ほぼ外さねぇんだよ。中学も去年も横断幕下がってたぐらいなんだけどなぁ……」
「そんな腕があるのに、大会に出ないなんてもったいないね」

 いつの間にか自分の事でもないのに熱心に話してしまった。やっべ、くそ恥ずかしい。
 それなのに相槌打ってくれる優しさが身に染みる。
 女子がこんな可愛い生き物だなんて知らなかった。

「……だよなぁ。代わりに俺が出る事になったから、頑張らねーとな」
「えっ、そうなの!? すごいじゃん♪ 応援行くね!」
「まじで?」
「まじまじ!」

 いつの間にか、簡単ににこにこと笑う弥生に気を良くしていた。
 益々玲に負けないくらい、頑張らないといけないな。
 明日の朝練はいつもより早めに行こう。
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