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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
17-3 夏休みの苦悩(後)
 結局両手いっぱいになって帰ることになった。
 せいぜい2袋くらいだろうと思っていたのだが、その結果は推定が甘すぎたどころでは済まない。
 ちなみに別れる直前、波音には綺麗な笑顔で「これからは出かける度、服に悩み倒しなさい」と言われた。
 既に憂鬱が溢れ出ている。
 それでも、今日はひたすらに楽しかった。
 何度でも思い出し、その度に頬が緩んでしまう。

「ただいま帰りました……」
「日和様……! おかえりなさいませっ!」

 帰宅すると、丁度玄関先の広間を華月が歩いていた。
 華月は「まあなんて大荷物、早速しまいに参りましょうね! お持ち致します」と、買った荷物を持って先に部屋へと向かってしまった。

「沢山買われましたね」

 階段を上がって部屋に入った華月はにこりと嬉しそうに微笑む。
 自分としてもこんなに買い物をしてしまうとは思わず、そしてその片付けを手伝ってもらうことに少し恥ずかしく感じる。

「友人の手伝いもあり、酷い量になってしまいました……」
「お手伝いしますよ」

 それでもにこりと嬉しそうな華月は、世話好きな置野家の女中だからだろうか。
 購入した服を慣れた手つきでクローゼットに押し込めていく。
 制服と自分の数着、ハルから頂いた服が2,3着しかなかったクローゼットだが、半分以上が一瞬にして埋まってしまった。

「とっても増えました……。華月さん、手伝って下さりありがとうございます」

 頭を下げた日和は外出した疲れを少し感じた。
 夕飯までにまだ時間は少しある。
 今から少しだけでも休息でも入れようかな、と頭で考えた、その時だった。

「日和様」
「はい?」

 何故か目の前の華月は先程まで嬉しそうだったのに、何故か今はその表情も歪んでしまっている。
 どうしてだろう?何かあっただろうか?
 そう思案する前に、わなわなと体を震わせる華月は低い声で呟く。

「お言葉ですが、全く足りません……」
「な、何がですが?」

 はぁ、と残念そうな華月は両手に握りこぶしを作り、必死の形相へと変わった。

「服が、全く、足りないのです! これじゃ1週間ほどしか持ちません! 奥様に申しつけてもよろしいですか!?」
「え、え!? ここ、困ります! 自分で服、選びますから……!」
「日和様、坊ちゃんもそうですが、服に対しての意識が低すぎます! やはりこの倍はないと……!」

 クローゼットが悲鳴を上げそうなことを言い出した。
 世の女性達がどれ程服を持っているのか、気にはなったが調べたくない気持ちに駆られる。
 寧ろこのまま買って貰い続ける訳にはいかない。

「いえ、大丈夫です……! 元々そんなに外出たりしませんから……!」
「いえ、外は楽しいものです! 様々な所へ行く度、その場に合う服というものがあります! よろしいですか、日和様!」

 この後1時間ほど、華月から説教の混じった衣装講習があった。
 波音の言う「衣装で相手に印象を与えるのだから、このくらい当たり前」は真理だったらしい。
 女性がこんなに難しいとは思わなかった。



 華月による突然の講習があった為に、夕食はいつもより少し遅めとなってしまった。
 それでも佐艮とハルは一緒に食事をしてくれた。
 寧ろ置野家はそれこそいつも通りの食卓のように、温かい夕食が目の前にあって「いただきます」と手を合わせる。
 生憎竜牙はいつも通り巡回の時間だ。
 そもそもいつも食事の場には現れないのだが。

 そんな中で少しずつ食事を進めていると、いつもにこやかなハルが満面の笑みを日和に向けていた。
 ぞくり、と厭な予感がする。

「日和さん、お洋服……足りないんですって?」
「え゛っ……、いえ、その……」
「そうなんです、奥様。日和様の好みもあると思うのでこの華月、日和様と見に行ってもよろしいですか?」
「かっ、華月さん……!?」

 口籠る日和に華月はテーブルを叩き、食い気味に寄る。
 申し訳のなさと恐怖の展開に日和は既に真っ青だ。

「ええ、勿論よ華月。支払いはこちらでね」
「流石奥様……! はい、次のお休みに行ってまいります!」

 ぱあぁっ、と太陽の様に笑顔を輝かせた華月はハルからお金を受け取った。
 お金と言う名の、所謂クレジットカードである。
 それだけで日和の喉から「ひっ」という恐怖の声が鳴った。

「華月はセンスも良いからきっと素敵な日和さんにしてくれるわね。期待しているわ」

 にこりと微笑むハルもまた、華月に衣服の相談をしているらしく嬉しそうな表情をしている。
 話し合いの結果、夏休みの終わり頃にでも華月と買い物に出かけようという話になった。
 日和はどっと疲労感が溜まり口から何かが出そうになったなにかを抑える。
 部屋へ帰り際、いつの間にか帰宅し廊下に立っていた竜牙は「お疲れ」と声をかけてくれた。
 でもあの目は絶対同情の目だ。
 乾いた笑いを返しながら部屋に戻り、日和の口から大きなため息が吐き出された。

「はぁー……――」

 そのまま力が抜ける様にへなへなと布団へ導かれようとして、視界の端にキラリと何かが光る。

「…………そういえば、そう……でしたね……」

 光ったそれは、昼間に買った指輪。
 本当に、文字通りの衝動買いだった。
 机に置かれた指輪は今も、深い夜色を輝かせて日和を惑わせる。
 日和は導かれるように綺麗な石を覗いた。

『せっかくだから、つけたら?』

 昼間の弥生の言葉が脳内で響く。

「……指輪は、つけるもの……。そう、だよね……」

 日和の細く白い指に、暗く煌めく石が輝く。
 深い夜色がどこまでも続きそうでとても綺麗だ。
 身体が何だかふわりと軽くなった気がして、同時に欠伸が出た。
 これ以上は動けそうにない。
 指輪をつけた手を抱いて、日和はぱたりと眠りについた。

 ……。
 そんな日和が目を覚ましたのは、次の日の昼。
 多分頭は既に覚醒している。
 通常ならばとっくに体は起き上がって着替えていて、勉強なりしている頃だろうに、気持ち悪くて吐きそうで、酷い頭痛がする。

「うっ……うぅ……」

 起き上がれなかった日和はベッドから転げ落ち、なんとか立ち上がった。
 しかし日和の視界はぐにゃりぐにゃりと歪んでいく。
 眩暈ですら毎度のように現れた体調不良だった時以上の、異常な状態だ。

「あっ……っ!!」

 ふらつく足元。
 日和は対処できず、激しく体を打ち付けて倒れた。



***
 コンコン、コンコン――。

「日和様、入りますよ?」

 扉を叩くノックの音が響くが、部屋の主は返事をしない。
 珍しく中々起きてこない日和を心配した華月が、日和の部屋を開けた。

「日和様……――日和様!?しっかりして下さい!」

 中を覗くと中央には主が倒れていた。
 部屋の真ん中で這いつくばり、苦しむ日和を見て声をかける。
 しかし、粗い呼吸だけで返事はない。

「どうした!?」

 隣の部屋から駆けつけてきた竜牙が日和の部屋を覗き、かたわらに腰を落とす。

「起きてこない日和様を見に来ましたらこの状態で……」
「わかった、後は任せてくれ」

 竜牙は華月を下がらせるとひとまず日和を抱き上げ、ベッドに下ろす。
苦しそうに肩を揺らす日和の状態を竜牙は一目で理解した。
前にも何度か見ている、力に酔っている状態だ。

「大丈夫か、日和……」

 額に手を添える。
しかし、これでは微々たる量しか力は取れない。
手を握ったり頬に手を添えてみるものの、そのどれもが微量しか流れて来ず、効かない。
簡単な接触では安らげない程に溢れているのだろう。
他に方法を思案するが、思いつく方法が一つしか出てこなかった。

「あれをやるしかないのか……」

 竜牙からため息が漏れた。
日和は依然、苦しそうにしている。
この状態を放置すればどうなるかは知っている。
それだけは、絶対に避けなければいけない。
再び最初の日を思い出し、ため息をもう一つ。
そして、唇を重ねる。
鳴る心臓に聞かない振りをして、意識だけに集中し、離れる。
日和の容態は落ち着いたようで、過呼吸気味だった呼吸はゆっくりになった。
心に積もった疲労が3回目のため息となって、またもや漏れた。
日和の表情も落ち着いたように見える。
もう、大丈夫だろう。と安心した――その時。

「あ……あううぅぅ……!! うあああああ……!!」

 日和の表情が歪み、痛みを堪えるような苦しげなものに変わった。

「どうした、日和!大丈夫か!?」

 再び日和の表情体が悪化したか、呼吸が粗くなり額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
両手で胸を抑え、握り締めて、随分と苦しそうだ。

「一体なにが……ん?」

 胸を握る手の、下側で隠れた右手に何か光るものが見えた。
力の入った手を解きながら見えたそこには、夜色の指輪が白い指に嵌め込まれている。

「なっ……? なんだ、これは……」

 指輪はどう見てもただのアクセサリーなんかではない。
星の様に小さな光が瞬く石の下から蔦の様なものが日和の指を這っている。
外そうにもびくともしない、明らかに異質な
日和の体は師隼の元に運ばれる事になり、日和の容態が完全に落ち着くのは20分後の事だった。
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