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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
14-2 講習会・後
 世話人・神宮寺師隼による講習会はまだ続いている。
 先日現れた『憧憬の女王』と呼ばれる存在、そしてそんな姿にも変わることのできる妖についての講義を受けたところだ。
 感情を食い、感情を叫ぶ妖達、その生態は日和が想像しているよりも深く未知なものだ。
 自分はこの先も、感情を知ることで術士達の手伝いをすることができるだろうか?
 ただ守られ続けているだけで心苦しさを感じる日和には、薄っすらと感じたそんな気持ちが真水の中に落とされた一滴の染料がじわりと広がっていくような感覚のように思えた。
 まだ遠い意識、今はまだ芽吹いたばかりの気持ちを遠くから眺める日和に師隼はにこりと笑う。
 そして席を立つと、背後の分厚い本を取り出した。

「じゃあ、日和はよかったらこれを読んで」

 渡された本は教科書よりは分厚く、手に乗ればそこそこの重さがある。
 いくら勉強に参考書を持ち込む日和でも、あまり厚さのあるものは好まない。
 普段の生活でも然程重めの本を扱わない日和だが、特段のものであれば勉強で使う辞書がある。
 本の大きさが一回り大きい事を除けば、特に特徴と言えるものは感じられない。

「これは?」
「様々な感情について書かれたものだよ。妖――女王を弱体化させるには、数ある感情を少しは知っておかないと、ね?」
「確かにそうですね……。読んでみます」

 日和は本を受け取り、頷く。
 表紙には大きく『感情辞典』とある。
 ぱらぱらと中身を覗けば事細かく感情やそれに連なる単語が書かれていた。

「ああ。あ、女王になる前の姿に伝えても駄目だからね? 彼らに理性は無いから」
「理性……女王にはあるんですか?」
「ある程度の感情の制御はできるみたいだよ」

 たった一言だけど、ぞわりと怖くなった。
 得体の知れない訳ではないが、ある程度相手を知っていても怖いものは怖いと思うしかないようだ。
 特に感情の制御ができる人型のものなど、人と何が違うのだろうか。

「えっと、動物の姿をした妖と、人型の妖……女王の違いは何ですか?」

 ふとした疑問を口にしたつもりだが、師隼は目を丸くしていた。
 聞き方を間違えただろうか。

「中々面白い所を突いてくるね。妖は感情を食む過程で体を成長させるとはさっき言った通りだが、ある程度成長しきると女王の資格のようなものを手に入れるんだ」
「女王の、資格……ですか?」
「うん。先日出会った女王が産まれる根源となった感情……私達は"性質"と呼んでいるけどね、これは君の言う通り『憧憬』だった。ではその形は? 彼女の場合はフラッシュ、つまり『光』が彼女の性質の形……それが資格だよ」
「ただ動物の姿としてではなく、独自の特別な攻撃手段……いえ、彼女にとっては憧憬を叫ぶ為の声、のようなものですか?」
「なるほど、声か。表現としては言い得て妙だね。しっくりくる。君は中々面白い生徒だ」

 師隼は日和の表現がよほど気に入ったのか、くすくすと柔らかな笑みを溢す。

「では、今までの女王も色んな手法があったんですか?」
「地水火風、電磁に氷、そういった自然の物から呪いや物を浮かす様な超能力と例えられるものまで、様々な手法があったよ。……そういえば昔のそういったものを取り纏めていた資料に目を輝かせて読んでいる、面白い人がいたのを思い出したよ」
「私もそういう話を聞くと興味が出てしまいそうです……」
「いつかはそのあたりも整理しないといけない。是非その時にでも見るといいよ」

 くすくすと師隼は楽しそうに笑う。
 一体その資料には何が書かれているのかが気になる所だが、今は講義中だ。
 見せてもらうのは後にしよう。
 それから話は術士の話へと移った。

「ここの術士は四人と……えっと、師隼は戦わないんですか?」
「私かい? 私や麗那は…残念ながら戦えないんだ」

 師隼の眉が残念そうに、八の字に下がる。
 それにしても戦えない、とはどういうことだろうか。
 師隼が持つ光の力は一体どういうものなのだろう。

「術士の力にも様々な物があってね。特に四家の力は術士の根源とも言える力で、妖に対応するための力でね。一方私や麗那のような光・闇の力というものはそれらを掌握する……所謂術士の為の力なんだ。術士や人を生かすも殺すも私達次第、妖に対する殺生は一切効いてくれないよ。精々力を強めたり、弱めたり……軽く干渉する程度だ」
「だから師隼が術士を取り纏めているんですね……」
「神宮寺家は代々この地と術士を守ってきた。それはこの光の力を維持してきたから、だね」

 師隼は右手を差し出し、手のひらを見せる。
 手のひらはいくつかの仄かな光が現れ、蛍のように漂っている。

「綺麗な光……」
「そうかい?だけど覚えておいて。言っただろう? 術士や人を生かすも殺すも私達次第だと。光も闇も、簡単に人を助け、殺してしまうんだ」
「師隼……?」

 師隼の表情はどこか哀しげで、寂しそうでもあった。
 漂っていた光は弾けるように消え、師隼は手を握りしめる。
 そこに師隼の気持ちは見えそうにない。
 なんとも言い難い気持ちを抱えながら握り締められた拳を眺めると、扉の方からノックが聞こえた。

「師隼、術士が戻ってきたぞ……すまない、まだ来客がいましたか」

 扉の先から顔を出したのは、たまに屋敷の中を歩いている20代前半の男だ。
 ただ人の顔を覚えられない日和は、なんとなく特徴で気付いた。

「そうか。……ああ、一応彼の事も紹介しておこう。日和、この人は和田わだ朋貴ともき。私の手伝いをしてもらっている人間で、特殊な術士だ」
「和田、さん。金詰日和です」
「ああ……例の。和田朋貴だ。世話になる事はあまりないと思いますが、よろしくお願いします」

 挨拶を受けた男性は短く刈られた髪に、着物に袴、肩にかけられた羽織から覗く右腕には何故か鎖が巻かれている。
 少々異質な男は師隼のように体の線が細く、衣服で体型を大きくしているようにも見える。
 そして不思議なのはその言葉遣い。
 とても気さくそうな見た目姿をしているのに、とても丁寧な印象を受けた。

「朋貴は封術、物に対して封印を施す術士だ。たまに世話になることがあるのと……この屋敷には私以外に世話人を置けないからね、そういった意味でも手伝ってもらっているんだ。もし私が不在の時でも何かあれば頼んで良い」
「わかり、ました。よろしくお願いします」

 お辞儀をすると、朋貴は無言で頭を下げて道を譲る。

「それじゃあ行こうか」

 日和は師隼に連れられ、最初の講習を終えた。
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