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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
10-3 遭遇
「できたら、玲と結婚できんかと思ってな。……どうかな?」
「えっと……」

 老人男性は持ち上げたブラックコーヒーをソーサーに置いて聞いてくる。
 突然舞い降りた話に、金詰日和はどう返事をするべきか、困っていた。



 ――時を遡る事、約20分前。
 学校帰り、日和は珍しく一人で寄り道をしながら帰っていた。
 商店街を彷徨いながら本屋へ寄り、本を眺め歩いていると老人とぶつかってしまった。

「おっと、すまない。大丈夫かい?」
「こちらこそすみません、よそ見してました……」

 紺のスーツに同色のコート、長めのストールをゆったりと巻いた渋みのある老人男性の所作はとても紳士的だ。
 手を伸ばされその手を取り立ち上がると、男性はぴくりと眉を動かし、日和の顔を覗いた。

「私の間違いでなければ……もしや、樫織隆幸のお孫さんかい……?」
「そ、そうですけど……」

 樫織は母方の性、名前は祖父だ。
 どうやら祖父の知人らしいが、生憎本人は亡くなってしまっている。
 どうしようか、と若干の不安を持ちつつ返事をすると男性はにこりと微笑んできた。
 老け込んではいるが、その作ったような綺麗な笑顔は覚えがある。

「ああ、私は高峰重俊しげとし。玲の祖父だ」
「あっ、えっと……いつもお世話になってます。すみません、失礼しました」
「いや、そこまで畏まらないでくれ。こちらこそ、玲がいつも世話になっているね。……少し、時間はあるかな?」

 ――という事で、近くの喫茶店で今、席を囲んでいる。

「前々からご挨拶せねば、とは思っていた。だがこちらはこの通りの老体で、今の術士は玲だ。わざわざ顔を見せても困るかと思って、自重していた。迷惑でなかったかな?」
「いえ、大丈夫です。こちらこそ、ずっと守っていただいていたのは最近知ったので……申し訳ない気持ちです」
「違うんだ。それは個人的な依頼があって、玲に任せておった。その依頼は君の祖父、隆幸さんからなんだ」

 被っていた中折れ帽はテーブルに置かれ、話をする玲の祖父は中身も紳士的なように思う。
 玲からは厳しい人だと聞いていたが、本当にこの方が……?と思ってしまうくらい。
 更に話を聞いていると意外な場所から祖父が出てきて、驚いた。

「おじいちゃん、ですか……?」
「うむ。最初に君たちが会った日からずっと、契約上では玲が高校に上がるまで君を守るよう依頼があった」
「そう、なんですか……」

 確かに玲は高校に入ったら「学校も一緒じゃなくなるから居られる時間はすごく減るけど、極力会うようにするね」と言って、結局殆ど会えなかった。
 寧ろそれまでが依頼だったんだと、改めて思い知った。
 それでも傍で気にかけてくれた玲にはやっぱり感謝しか思い浮かばない。

「隆幸さんとは私達が学生の頃の同級でな。当時私が術士をしていたのを知っている。それを思い出して、依頼してくれたんだ」
「そうなんですか?全然、知りませんでした……」
「金詰蛍を失い、母親と別れた君については、玲から聞いていたからね……。今回も、隆幸さんについてはとても残念だった」

 落ち込む様子を見せる玲のお爺さんは、相当仲良かったのだろうか。
 ただ知っているだけならここまで落ち込む事はないだろう。
 いつも私や玲を気にかけてくれたおじいちゃんだけど、こんな友人も居たんだと初めて知った。

「いえ、今まで沢山守っていただきましたから……」
「……玲も、あいつは不器用で、術士にしても器量もあまりよくはない。ただ何事にも懸命ではあるし、意志の強さはあると思っている。――できたら、玲と結婚できんかと思ってな。……どうかな?」
「えっと……え?」

 ……気付けば違う話が始まっている。
 話の繋がりが見えなかった。
 何かを聞き間違えた?気のせい?

「今、置野家にいるとは聞いている。だが今までの事もあるし、これからも玲に君を守らせたいと思っている。もし君がよければ、玲の結婚相手になってくれないか、と私は考えているんだ」
「え、っと……す、すみません。すぐにはその……にっ、玲さんは、なんて言っているんですか?」
「正直に言うと、あやつに選択肢は無い。術士の家系において一番大切なのは、術士の持つ力だ。
 勿論一般の方と繋ぐという発想もある。だが、私たち水鏡は基本的に見合いか、力ある者を連れてくる事を重点にしたい。
 私は……玲に見合いをさせずとも、金詰日和という一番近き存在があると思っている」

 目の前の男性の目の色が変わった。
 何もない普通の老人男性だった雰囲気は一転し、ぞわぞわと流れてくる空気は術士が戦っている時に感じる力そのものだ。
 この人も術士だったのだと理解できる。
 理解できないのは――その口から出る言葉かもしれない。

「――ご、ごめんなさい……」
「……」
「私、そんな風に玲さんを見たことなくて……に、兄さんと相談しても、良いですか……?」
「ああ。返事は……今度直接、うちに来なさい。お茶の時間、楽しかったよ。それじゃ」

 玲のお爺さんは立ち上がると、伝票を持って先に出て行った。
 私は一緒に自分の分まで会計してくれたことに気付かず、しばらく席に座り込む事しかできなかった。



***
「……日和、どうした?顔色が……」

 日和はなんとか喫茶店から出て来た。
 少しずつ頭痛がして、なんとなく気持ち悪い。
 ふらふらしそうな足取りをなんとか平然を装うのに必死で、目の前に竜牙が迎えに来ている事に気付かなかった。

「――おい、大丈夫か?」
「……っ! た、竜牙? もしかして、迎えに来てくれてました……?」

 ふらりと日和の体が揺れて、竜牙は後ろから慌てて支える。
 そこでやっと、日和は竜牙が来ていることに気付いた。

「そうだが……もしかして、また具合が悪いのか?」
「大丈夫、です。少し、頭痛がして……気持ち悪いだけ、です……」
「全然よくないじゃないか!」

 身体を起こした日和の体は更にずしっと重みを増した。
 既に目は瞑りかけて、だるそうに体を投げ出してしまっている。
 竜牙は日和の体を抱き上げた所で、後ろから声がかかった。

「竜牙さん、どうしたんですか?」
「すまない、今日はもう戻る」
「日和さん! 体調悪そうですね……わかりました」

 季節柄暑くなってきただろうが、変わらず深緑色のマフラーを靡かせる夏樹は日和の様子を一目見て、理解したらしい。
 本来なら警戒をする時間だが、それどころではなくなった竜牙はこの日の巡回をやめた。

「うっ……すみま、せん……」
「無理をするな。休んでいろ」

 日和の部屋、ベッドに横たわる日和は真っ青になって辛そうにしている。
 またあふれてきた力に酔っているのだろう。
 竜牙は額に手を当て、手に集中しつつ日和の様子を見る。

「……?どうした、笑っているが」
「えっと……少し兄さんを、思い出しただけ、です」
「玲か……」
「何度も、体調悪くなった時に……してくれたので……」
「……そうか」

 まだ体は良くないようだが、安心しているのか日和はそれから動くことなく大人しくなった。
 日和の額から手の平を通して腕に、体に流れてくるその力は不調を訴えている。
 以前手を出すように回収してしまった力はまた日和の体から溢れて、更に増幅しているようだ。

「本当に一か月ほどで来るんだな……」

 竜牙の口からため息が漏れそうになった。
 世話が焼けるという訳では無いが、尋常じゃない速度で日和の術士としての器が出来始めている。
 これが誕生日直前になればどうなるのかさえ不安に思う。
 術士は基本的に力さえ使えば、その力に酔うことは無い。
 しかし日和は力を使わないから容量を超えて酔うことになる。
 いっそ少しだけでも使わせた方が楽なのだが、一般の人間には教えてはいけないのが術士のルールだ。
 そもそも一般の人間自体、力を使わせないといけない程溢れかえる事すら非常に稀なのだが。
 これは日和が術士家系の人間だからだろう。

「すー……」

 気付けば日和は静かに寝息を立てていた。
 幾分楽になったのか、酷そうだった表情はかなり落ち着いるようだ。

「……ああ、違うな。お前は、不安なのか」

 力は感情に左右する。
 人によりどの感情かで変わるが、日和は不安を受けると力が増幅するらしい。
 そういえば出会ったこの1か月弱は不安な事だらけだったようにも思う。

(あったかい……)

 力を貰い、補充された分で意識下の人間が起きたようだ。
 憑依換装はしているだけで、力を消費する。
 しかも今は女王の呪いを受けて、未だに元の状態に戻れやしない。
 いつまでこの状態が続くかは分からないが、日和の支援が無ければ多分互いに消えてしまうだろう。
 早く女王を仕留めるのが先か、日和の誕生日を迎えるのが先か、気が重くなりそうだ。

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