残酷な描写あり
第三十七話 懸念と感傷
「……やっぱり、分かんないなぁ〜」
サニーは頭を振って思考を現実に引き戻すと、肩を落として溜息を吐いた。
シェイドの祖母が遺した手紙の内容は衝撃的で核心に迫るものだったとは言え、ではどうやって呪いを解けば良いのかという解決策までは示していなかった。
けれどもシェイドは、あの手紙を踏まえた上でセレンとの対決を省みて、『既に全ての決着はついた』という結論に至ったらしい。
確かに、バース炭鉱での戦いはサニー達が制したと言えるのだろう。
セレンは、鉱床から吹き出したガスの引火による連鎖爆発の中に消えた。呑み込んだレッド・ダイヤモンド――“アポロンの血晶”――と共に。
だが、本当にあれで終わったと言えるのか? 『影』という存在は、あんな物理的で乱暴な方法でも斃せる存在だったのか?
そして“アポロンの血晶”は? 爆発に呑み込まれたからあの赤いダイヤも消失して、必然的に呪いも無くなってハッピーエンド?
「なんか、虫が良すぎるような気がしてならないんだよね。もっと悪い事態が起こる前兆っぽいというか……」
さっきからサニーの背中に纏わり付く嫌な予感は、多くの物語を耽読してきた読書家としての経験が鳴らす警鐘なのかも知れない。一度はやっつけたと思った敵が、後にケロッとした顔で再登場して再び主人公を襲ってくるなんて、実にありがちな展開だ。
勿論、これは小説ではない。だが往々にして、想像の産物である作品世界より現実での出来事の方が奇々怪々、という事はある。
実際、この街に足を踏み入れてからというもの、そんなのばっかりだったじゃないか。
人の心の闇を具現化した怪物、『影』。呪いに魔術に魔女。
まさに、たちの悪いおとぎ話みたいな非日常の世界だった。
人智を超えた力が渦巻く四十年にも及ぶ悲劇の終着点が、バース炭鉱でのセレンとの対決というのは、どうにもしっくりこないというか収まりが悪い気がしてならない。
「まぁ、あたしの気にし過ぎかも知れないけどね。どんな理由は分からないけど、シェイドさんが“終わり”だと信じているのなら本当にその通りって気もするし」
それに、ジュディスの例もある。
“アポロンの血晶”の力を直接浴びた彼女は、強力な『影』と化してサニーとシェイドを追い詰めたが、その余りにも強すぎる力ゆえに身体の方が保たなかったのか、最期は自壊して果てた。
ましてや、あの赤いダイヤそのものを体内に取り込んだセレンはどうか?
太陽の力を呪いに変換して、街全体を覆ってしまえる程の魔力である。人間の身には、到底受容し切れない力なのだ。
どの道、セレンが長生き出来たとは思えない。
「あ〜、もうやめやめ! 気分が滅入ってくるだけだし、一旦全部置いとこう!」
肩の力を抜くようにもう一度大きく溜息を吐くと、サニーは伸びをして凝った身体をほぐした。
途端に、忘れていた疲れがどっと押し寄せてくる。
「そう言えば、昨夜からお風呂も入ってないんだった。服もあちこち汚れちゃってるし」
心の余裕を取り戻すと、今度は今の自分の状態が気になってくる。
全身は汗だくだし、服には大量の土やら煤やらが付着している上に、ほんの少し裾が焦げてもいる。こんな恰好で人前に出ていたとか、思い出すだけでも恥ずかしい。
「寝る前に、お風呂を使わせてもらおう。……ああ、でも、準備は自分でしなくちゃいけないんだった。だって……」
セレンさんは、もう居ないんだから――。
口に出しかけた言葉を、サニーは呑み込んだ。
着替えなどの用意を手早く済ませ、サニーは浴室へと向かった。
“館の中では自由にして良い”とシェイドから許可を貰っている為、改めて伺いを立てるまでも無いだろう。
無人の廊下を歩きながら、サニーはなんとなく周囲に目を走らせる。
「綺麗な廊下……」
セレンは、毎日毎日この廊下を掃除していたんだ。此処だけでなく、館の至る所を。
掃除だけに留まらない。炊事も、洗濯も、自分達の身の回りの世話まで。彼女は、全て一身に引き受けていた。
公私ともにシェイドを補佐し、レインフォール家を支えてきたのだ。――昨日まで。
その彼女が、今はもう居ない……。
「セレンさん……! あなたは、どうして……!」
感傷に胸が詰まり、サニーは立ち止まって窓の外から夜空を見上げた。
雲の無い夜である。欠けたるところの無い円い月と、きめ細かに散りばめられた無数の星々が地表を見下ろしている。
サニーは窓に近づき、満月を見上げながら掠れた声でやるせない気持ちを吐露した。
「どうしてそこまで、先代の遺志に拘ったの……!? シェイドさんが好きだったのに、どうして彼まで殺そうとしたの……!?」
あの時のセレンの様子は、完全に常軌を逸していた。
手紙の存在に気付いたサニーを、口封じに殺そうとしたところまでは分かる。
呪いによる『影』化の開始に怯え、逃げてしまったのも納得は出来る。
だがその後の、シェイドに向けたあの殺意はどうしても理解出来なかった。
あれは、限界まで追い詰められた末の自暴自棄になった所為だとでも言うのだろうか?
息子であるアングリッドの将来に絶望し、無理心中を図ったジュディスのように。
自らの死期を悟ったセレンが、最期の最期で自分の慕う相手を、シェイドを道連れにしようとしたのだろうか?
それがセレンの抱える心の闇を、『影』を具現化したものだとしたら――
「もしそうだったのなら寂しすぎるよ、セレンさん……」
窓の外から見下ろす満月にセレンの面影を描きながら、サニーは諦念の込もった溜息を吐いた。
と、その時――
バンッ――!!
突然、何かが窓を叩いた。
「な、何!?」
サニーは身を仰け反らせながら、勢いよく窓に張り付いたその物体を見た。
――茨の付いた、蔦だった。
「まさか!?」
と、驚愕を口に出したのとほぼ同時に、
「サァァニィィィ様ァァァ! 見ィツケェタァァァ!!」
焼け爛れ、陥没して醜く歪んだセレンの顔が、月光の下で浮かび上がって窓の向こうに現れた――!
サニーは頭を振って思考を現実に引き戻すと、肩を落として溜息を吐いた。
シェイドの祖母が遺した手紙の内容は衝撃的で核心に迫るものだったとは言え、ではどうやって呪いを解けば良いのかという解決策までは示していなかった。
けれどもシェイドは、あの手紙を踏まえた上でセレンとの対決を省みて、『既に全ての決着はついた』という結論に至ったらしい。
確かに、バース炭鉱での戦いはサニー達が制したと言えるのだろう。
セレンは、鉱床から吹き出したガスの引火による連鎖爆発の中に消えた。呑み込んだレッド・ダイヤモンド――“アポロンの血晶”――と共に。
だが、本当にあれで終わったと言えるのか? 『影』という存在は、あんな物理的で乱暴な方法でも斃せる存在だったのか?
そして“アポロンの血晶”は? 爆発に呑み込まれたからあの赤いダイヤも消失して、必然的に呪いも無くなってハッピーエンド?
「なんか、虫が良すぎるような気がしてならないんだよね。もっと悪い事態が起こる前兆っぽいというか……」
さっきからサニーの背中に纏わり付く嫌な予感は、多くの物語を耽読してきた読書家としての経験が鳴らす警鐘なのかも知れない。一度はやっつけたと思った敵が、後にケロッとした顔で再登場して再び主人公を襲ってくるなんて、実にありがちな展開だ。
勿論、これは小説ではない。だが往々にして、想像の産物である作品世界より現実での出来事の方が奇々怪々、という事はある。
実際、この街に足を踏み入れてからというもの、そんなのばっかりだったじゃないか。
人の心の闇を具現化した怪物、『影』。呪いに魔術に魔女。
まさに、たちの悪いおとぎ話みたいな非日常の世界だった。
人智を超えた力が渦巻く四十年にも及ぶ悲劇の終着点が、バース炭鉱でのセレンとの対決というのは、どうにもしっくりこないというか収まりが悪い気がしてならない。
「まぁ、あたしの気にし過ぎかも知れないけどね。どんな理由は分からないけど、シェイドさんが“終わり”だと信じているのなら本当にその通りって気もするし」
それに、ジュディスの例もある。
“アポロンの血晶”の力を直接浴びた彼女は、強力な『影』と化してサニーとシェイドを追い詰めたが、その余りにも強すぎる力ゆえに身体の方が保たなかったのか、最期は自壊して果てた。
ましてや、あの赤いダイヤそのものを体内に取り込んだセレンはどうか?
太陽の力を呪いに変換して、街全体を覆ってしまえる程の魔力である。人間の身には、到底受容し切れない力なのだ。
どの道、セレンが長生き出来たとは思えない。
「あ〜、もうやめやめ! 気分が滅入ってくるだけだし、一旦全部置いとこう!」
肩の力を抜くようにもう一度大きく溜息を吐くと、サニーは伸びをして凝った身体をほぐした。
途端に、忘れていた疲れがどっと押し寄せてくる。
「そう言えば、昨夜からお風呂も入ってないんだった。服もあちこち汚れちゃってるし」
心の余裕を取り戻すと、今度は今の自分の状態が気になってくる。
全身は汗だくだし、服には大量の土やら煤やらが付着している上に、ほんの少し裾が焦げてもいる。こんな恰好で人前に出ていたとか、思い出すだけでも恥ずかしい。
「寝る前に、お風呂を使わせてもらおう。……ああ、でも、準備は自分でしなくちゃいけないんだった。だって……」
セレンさんは、もう居ないんだから――。
口に出しかけた言葉を、サニーは呑み込んだ。
着替えなどの用意を手早く済ませ、サニーは浴室へと向かった。
“館の中では自由にして良い”とシェイドから許可を貰っている為、改めて伺いを立てるまでも無いだろう。
無人の廊下を歩きながら、サニーはなんとなく周囲に目を走らせる。
「綺麗な廊下……」
セレンは、毎日毎日この廊下を掃除していたんだ。此処だけでなく、館の至る所を。
掃除だけに留まらない。炊事も、洗濯も、自分達の身の回りの世話まで。彼女は、全て一身に引き受けていた。
公私ともにシェイドを補佐し、レインフォール家を支えてきたのだ。――昨日まで。
その彼女が、今はもう居ない……。
「セレンさん……! あなたは、どうして……!」
感傷に胸が詰まり、サニーは立ち止まって窓の外から夜空を見上げた。
雲の無い夜である。欠けたるところの無い円い月と、きめ細かに散りばめられた無数の星々が地表を見下ろしている。
サニーは窓に近づき、満月を見上げながら掠れた声でやるせない気持ちを吐露した。
「どうしてそこまで、先代の遺志に拘ったの……!? シェイドさんが好きだったのに、どうして彼まで殺そうとしたの……!?」
あの時のセレンの様子は、完全に常軌を逸していた。
手紙の存在に気付いたサニーを、口封じに殺そうとしたところまでは分かる。
呪いによる『影』化の開始に怯え、逃げてしまったのも納得は出来る。
だがその後の、シェイドに向けたあの殺意はどうしても理解出来なかった。
あれは、限界まで追い詰められた末の自暴自棄になった所為だとでも言うのだろうか?
息子であるアングリッドの将来に絶望し、無理心中を図ったジュディスのように。
自らの死期を悟ったセレンが、最期の最期で自分の慕う相手を、シェイドを道連れにしようとしたのだろうか?
それがセレンの抱える心の闇を、『影』を具現化したものだとしたら――
「もしそうだったのなら寂しすぎるよ、セレンさん……」
窓の外から見下ろす満月にセレンの面影を描きながら、サニーは諦念の込もった溜息を吐いた。
と、その時――
バンッ――!!
突然、何かが窓を叩いた。
「な、何!?」
サニーは身を仰け反らせながら、勢いよく窓に張り付いたその物体を見た。
――茨の付いた、蔦だった。
「まさか!?」
と、驚愕を口に出したのとほぼ同時に、
「サァァニィィィ様ァァァ! 見ィツケェタァァァ!!」
焼け爛れ、陥没して醜く歪んだセレンの顔が、月光の下で浮かび上がって窓の向こうに現れた――!