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作者: 丘多主記
星降る夜に
 僕、三宅太樹みやけたいきは夏休みの最後に不思議な夢を見た。自分を運命の人と言い張る早希乃さきのという女の子と出会う。その夢の中で昔の記憶を取り戻すとともに、早希乃と僕は昔仲良しだったということを思い出し、そして早希乃と結ばれるという夢だった。

 正直ただの夢だと思っていた。夢も希望もクソもなんにもない。そんな自分が夏の終わりに見た都合の良い幻想だと思っていた。それが、今現実となって目の前に現れている。本当に早希乃が居て、しかも自分と同じ学校の同じクラスに転校してくる。

 これは奇跡だ。奇跡以外の何者でもない。ほっぺを何度つねっても痛みを感じる。心臓はドクンドクンと大きく波打っている。現実だ。現実なんだ。僕はようやく今の現実を飲み込めた。

「おーい、三宅。始業式にいくぞ」

 担任の光山から声を掛けられる。あっ、そう言えば始業式まだだった。考えすぎていてそのことが頭からすっぽりと抜けていたようだ。

「太樹のやつ、ボーッとして何やってんだろうな」

「本当、あいつはバカだよなあ」

「元々変だけど、今日は朝から特に変だよな」

「そうそう。死んだ目をしてたしな!」

 周りから嘲笑の声が聞こえてくる。これでより一層、今見ている景色が現実なのだと感じさせられた。僕は昔から筋金入りのいじめられっ子で、学校の全員からいじめを受けている。この嘲笑は可愛いものだ。物が消える、アザができる、自転車に悪戯をされる、川に突き落とされるみたいなのが当たり前だから、別に気にするほどでもない。

 僕は何も言わず、教室の外に出来た列に並びに行った。列に並ぶと後ろから腕をつねられたり、足を蹴られたりする。僕は何も言わないし、反撃もしない。無駄だからだ。やったところで倍返しは免れないだろう。教師も見て見ぬふりをしてるし、家族も僕のことは守るどころかいないものとして扱う。誰も助けてくれないのだ。誰も守ってくれない。まあこれは今に始まったことではない。これからも変わらずに起きることだろう。痛いけど耐えて列について行った。

 始業式は特に目立ったことなく終わる。陸上部? か何かが表彰されていたみたいだが関係ない話だ。ホームルームも流れるように終わり、下校の時間になる。さて、これから自由時間だ。早希乃に話しかけに行ってみるべきだろうか。休み時間中は早希乃の周りに人だかりができていて、とても話しかけに行けるような状態じゃなかった。

 とは言え、話しかけると言っても何を話しかけるべきか。うーん、わからない。夢であなたのことを見たんです。これって運命ですよね? とでも話すべきか?

 いやいやないない。こんなことを話したとして聞いた本人はどう思うだろうか。気持ち悪いが第一感だろう。自分もそんな奴がいたら二度と話しかけてこないで欲しいと思う。自分が思うことは相手にしない。それが一番だ。

 じゃあなに? 今日はいい天気ですねなんて世間話でもする。うーん、これもそれ以上話が広がらない。他にあるとするなら、どこから来たんですか。まあありきたりだけど、これならそこそこ話ができる。まあ、夢の通りなら早希乃は九州、確か福岡から来たと答えるだろう。それなら、ベタだけど話も広がるだろうし、当てたらなお一層話が広がりそうだ。

 そうと決めたら、話しかけに行ってみよう。と、目線を下から教室の方に向ける。しかし、誰もいない。自分がそうこう考えているうちにみんな帰ってしまったようだ。まあ、仕方ない。明日とか明後日とか時間ある時にでも行ってみよう。僕は重い足取りで家へと帰ることにした。




 暑い暑い帰り道をなんとか帰りきり家にたどり着いた。知っての通り僕は一人暮らしをしている、と言うよりさせられている。僕には出来のいい弟がいて、その弟の勉強や私生活に悪い影響を与えないようにという理由で隔離させられるように家を追い出された。

 流石に生活に必要なお金と服やスマホは買い与えられたが、そこまでするんなら一緒に暮らした方が経済的なはずだろうなと思う。それでも僕を追い出したのは、自分のことなんて全く可愛くないし、いなくていい存在だからなんだろう。家族どころか親戚一同これに異議なしだったんだから、間違いない。

 なので、家に帰っても一人だ。誰か愚痴を聞いてくれる人も慰めてくれる人も誰もいやしない。寂しい寂しい人生なんだ。 

 自分の身の上話は置いといて、帰り道は夢で見たように商店街からではなくいつものスーパーの方を通って帰ってきた。夢だと自分を引き摺り込む早希乃がいたが、これは現実だ。そんなのはいないと思い、普段の道から帰ってきた。

 途中でスーパーに寄り、今日の夕飯のための食材と麦茶のパックを買ってきた。僕はそれをいそいそと小さな冷蔵庫に入れる。入れ終わると、汗をかいてびちょびちょになった制服を脱いで、上のカッターシャツを洗濯機へと放り投げる。そして、体を汗拭きシートで拭き、普段着に着替える。

 それからお昼ご飯――ご飯とふりかけのみ――を食べ、茶碗を洗う。宿題は出ていないが、先に予習をしておこう。と言うわけで、数学と英語の教科書と学校で配られた問題集を取り出し、勉強をする。しばらくしていると、四時間が経っていた。時計は午後六時を示している。そろそろ夕食を作り始めてもいいかもしれない。夕食といっても野菜炒め一品だが。

 どうしようか。夢の中では夕食なんて食べてなかったよなあ。そのまま、綾戸川に行ったんだっけか。今思うと絶対腹減るよなあ。まあ夢だからできたんだろうけど。

 いかんいかん。夢のことばかり考えて。あれは夢だ。現実じゃないんだ。僕は現実を向かなきゃいけない。あんな自分にとって都合のいい女の子はいない。オタクに優しいギャルがいないのと同じだ。自分に優しくしてくれる人なんて、この世にはいないんだ。そう心に言い聞かせて、夕食を作った。

 夕食はいつも通り、特に美味しくも不味くもないと言う感じだ。食べた茶碗とかを洗い、後は風呂、正確に言うとシャワーを浴びて寝るだけになった。とは言え今は午後七時。ちょっと寝るには早すぎる。ただ、何もすることはない。もうちょっと勉強する。いやいや。一週間分はどちらも予習を終わらせた。なんなら、復習もやってしまった。これ以上やっても忘れるだけで無駄だろう。何もないなあ。やること。そう思いながら僕は天井を向いた。

 夢のように、早希乃が居てくれればこう暇にならないんだろうけど、現実はそうじゃないからなあ。僕はため息を吐く。

 ……なあ。早希乃が現実に現れたんだ。いくら夢であっても、夢で見た人がそんな簡単に現実に現れるか。いや、そんなことはない。ならば、あの約束も本当だったんじゃないか。心が僕にそう問い掛ける。

 いやいや。偶然そういうことが起きたって不思議じゃないよ。僕はそう返す。

 確かにそうかもしれない。けど、そのくらい強く願ったから現実として引き寄せたんじゃないか。引き寄せたんなら信じてみないか。心は諦めてくれない。

 僕は何も言い返さない。

 折角そう言う夢を見て、それが少しでも現実になったんだ。少しくらい信じてみてもいいんじゃないか。それに僕は早希乃に会いたいんじゃないか。だから、時々夢のことを思い返したんじゃないか。

 そうかもしれない。僕は早希乃に会いたい、早希乃と話したいのかもしれない。そうじゃなきゃ、何度も朝見た夢のことを振り返らない。学校であんなにどうやって話しかけようか考えなかったはずだ。

 早希乃に会いたい。話したい。僕はこのことに満たされる。

 うん。綾戸川に行ってみよう。夢のように上手くいかないかもしれない。もしかしたらただの夢でなんの関係もなかったのかもしれない。だけど、それならそれでいい。僕は今早希乃に会いたい。話したい。できなくたっていい。ただ、自分の心に素直になって行ってみよう。

 僕は玄関に向かい靴を履いた。




 午後七時をちょっと過ぎた頃。私は家へと帰りつき、ベッドの上で仰向けになっていた。転校初日だけあって私は注目の的だった。どこに行っても人は着いてくる。終いには歓迎会と称してファミレスに連行された。まあ断らなかった自分も悪いんだけどね。

 それで、その歓迎会だが実に面白くなかった。女子は誰かを落とすことでしか笑いが起きないし、誰々がどうだこうだの悪口が出るわ出るわ。何人分の酷い話を聞いただろうか。男子は下ネタのオンパレードでとにかく品がない。あと、女子同様誰かの悪口が多い多い。初日とは言え、嫌な人ばかりだった。私は苦笑いをするしかなかった。

 まあそんなわけで、今日はあまりいい一日じゃなかった。ただ一つを除いては。

 それはあの太樹くんが、成長した太樹くんが同じクラスだったのだ。

 太樹くんは私の恩人で、それでいて私の初恋もとい、今も恋している人なんだ。小さい頃私はいじめにあっていた。そんな私を救ってくれたのが太樹くんだった。

「言葉が違うだけでいじめるなんて僕が許さない」

 そう言っていつも守ってくれた。

「誰も遊ばないなら、僕と遊ぼうよ」

 そう言って一人の私といつも遊んでくれた。

「その髪型、とっても似合っているね」
 
 そう言って私をいつも褒めてくれた。顔もカッコよくて、性格も優しくて温厚で、誰の悪口も言わない。そんな素敵な人だったんだ。後にも先にも、私に恋心を抱かせてくれたのは太樹くん以外誰もいない。

 そんな太樹くんと別れる時に私は言えなかったことがある。それは次に会ったら抱きしめて、という言葉だ。思い出すだけで体温が高くなるくらい恥ずかしくなるような言葉だ。それを当時の私が言えるわけもなかった。

 だから、私は言いたいことをしっかり言える女の子になろうと決心した。自分を変えていった。そうして言いたことがちゃんと言えると自信がついてきた。それでどんどん明るくなれた。言いたいこともはっきりと言えるようになれた。太樹くんにはそう言う意味でも感謝している。

 そんな太樹くんと十数年ぶりに再会できた。髪はボサボサだったし、暗い雰囲気が漂っていたけど、顔はあの頃のようにカッコよかった。目鼻立ちはキリッとしていて、それでいて輪郭もシュッとしている。幼さを微塵も感じさせない美男子という感じだった。

 あれだけ顔がいいならモテそうだけど、そうじゃないらしい。それどころか、話を聞くにどうも虐められているようだ。皆口を揃えてあいつなんていなければいいとか死んで欲しいとか、いじめのきっかけはわからないが酷い話だ。そう思うとムカついてきた。私はぎゅっとベッドのシーツを握った。

 しかし、太樹くんは私を覚えているだろうか。自己紹介をした時に驚いたような表情をしていたってことは、少しでも覚えてくれてたっていうことなのかな。気になる。気になってしょうがない。

 明日学校で会った時に話そうか。いや、それじゃあ遅い。今確かめたい。今会って私は変わることができた、今でもあなたが好きなんだってことを伝えたい。けど、どうやって? 私は頭を悩ませる。

 今日はクラスの人達に邪魔されて連絡先の交換もできなかったし、今も太樹くんが実家に住んでいるとも思えない。そう言えば、あの人達は実家を追い出されたなんて話をしてたような……。だとすると家もわからない。

 あの時の約束通り、綾戸川に行けば会えるかも……? そんなの太樹くんが覚えてなかったら何も意味はないし、待っていても昼の話だったかもしれない。

 けど、今日会うならそれしかない。それを信じて動くしかない。そうと決まれば行ってみよう。会えなかったら、その時はその時だ。私はやりたいことをやりたいようにやる。

 私はベッドから起き上がり部屋を飛び出す。

「早希乃、ちょっとどこ行くの?」

 お母さんが心配そうに声を掛けてくる。

「ちょっと忘れ物取りに行ってくる」

 私はそう言い残して、家を駆け足で出た。




 ふと、スマホを取り出す。時刻は八時二十四分。ここに来たのは何時ごろかはわからないが、家を出た時が七時二十分頃だったから、三、四十分くらいは待っていたのだろう。

 待てど暮らせど早希乃は居なかったし来なかった。ということは、あれはきっと自分が産み出した都合の良い夢だったんだろう。きっとそうだ。そうに違いない。これではっきりわかったじゃないか。夢は夢だったんだ。それにその方が綺麗でいいじゃないか。綺麗に終われて。

 夏休み最後にそんないい夢が見れた。それだけでよしとすればいいじゃないか。キッパリと諦めよう。早希乃は僕みたいな底辺の人間に関わることなく、クラスメイトと仲良くなってやっていけるだろう。笑顔が素敵な女性なんだ。ポニーテールの緑髪で明るくて活発な女の子なんだ。僕が関わっていいレベルの人じゃないんだ。

 さて、家に帰ったら風呂に入って寝よう。それで明日の準備だ。そうしよう。

 そんなことを思いながら、家の方へと足を向けた時だった。

「太樹くん!」

 背後から聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。夢で何度も聞いた、少し高くて明るさの感じる声。もしかして、早希乃が本当に来たのか? 僕は振り返る。

 見えた姿は少し遠い上に暗くて若干ぼんやりとしているけどわかる。緑髪で僕より背の高い女の子。少し息を切らしているけど、元気そうな感じが全身から伝わってくる。間違いない。早希乃だ。

「太樹くん!」

 もう一度そう言うとこちらに向かって走り出してきた。そして僕のところに辿り着くと、ぎゅっと少し力強く僕を抱きしめてくる。それは柔らかく優しくふわふわしたものだった。

「太樹くんっ。会いたかったっ」

 その声は僕と会えたことを喜んでいるようだった。僕は何も言わず、早希乃を抱きしめた。




 それから僕と早希乃は色んなことを話した。これまで、どんなことがあったのか。どんな風に過ごしてきたのか。ありとあらゆることを話すことができた。

 早希乃は早希乃で、変わる為に色んな苦労をしてきたと言うことを知れた。そして、その成果あって見事変わることができたと言うのを感じることができた。

 一方で僕は何も変われていない。変わらない。いや、退化している。勇気ある男の子だったはずだが、牙を抜かれた状態だ。そんな僕に早希乃は少し眩しく見えた。

「そうだったんだね……。太樹くん私のせいで苦労してたんだね」

 早希乃は申し訳なさそうにしている。

「いやいや。そうじゃないよ。僕が何もしなかっただけ。だから、早希乃さんは悪くないよ」

 気に病む早希乃を僕はやんわりと否定した。それから、僕と早希乃の間には少しだけの沈黙が続いた。

「なんで太樹くんはここに来れたの?」

 早希乃が沈黙を破るように疑問を投げかけた。確かに幼い頃の約束なんてそう覚えてるもんじゃないから、こうやって会えたのは不思議に思われても仕方がない。

 僕の場合は夢を見たからであるが、それをそのまま答えていいものだろうか? 変な人と思われないだろうか。

 だけど、それ以外答えがない。そうとしか答えようがない。覚えていたとか言って期待させるよりもそっちの方がいいか。

 僕は包み隠さず、昨日見た夢の話をした。

 話を聞いた早希乃は最初は驚きのあまり目を丸くしていたが、段々と笑顔になっていき、話終わると笑い出した。

「なにそれ! そんなことってあるんだね!」

「自分もそう言う夢なんてないって思ってたけど、現に正夢になっちゃったから信じざるをえないわけで……」

「まあでも、そうやって思い出してくれただけでも私は嬉しいよ。よかったー! 太樹くんが夢を見てくれる人で」

 早希乃はなんだか嬉しそうにしていた。そんな早希乃を見ていると自分もすこしだけ嬉しくなった。

「それじゃあさ。その夢の続き、今ここで実際にやってみない?」

 早希乃はそう言うと、僕の顔に近づきそして唇を奪った。あまりにも突然の出来事に、僕は言葉も反応もできなかった。

 ファーストキスの味とかをよく色んな所で言ったりするが、僕にはよくわからなかったそれくらい、刹那的な出来事だった。

「あははははっ! 太樹くん固まってる! かわいいよ!」

 そう言われて僕はやっと体が反応し始め、体温が急上昇し始めた。

「顔も真っ赤になってるよ! けど、そう言うとこが大好き」

 早希乃は僕をぎゅっと優しく抱きしめた。

「これからお互いの空いた時間を埋めていこっ。太樹くんの辛かった思い出も私が全部塗り替えてあげる。だから、私と……私と付き合って」

「うん……。何があっても、僕は離さないよっ」

 僕と早希乃は固い愛で結ばれた。

 これからどんなことが起きるのだろうか。早希乃との愛の結末はどうなるのだろうか。それは誰にもわからない。バッドエンドではなくハッピーエンドが希望ではある。

 そうなるように頑張っては行こうと思う。百パーセントじゃなくて百二十パーセントで答えていこう。それが自分にできることだから。

 その為に。僕は今この瞬間を堪能しよう。この幸せを噛み締めていこう。それだけでいい。それでいい。

 僕はこの温もりを身体に刻むように、自分からも優しくぎゅっと抱き返した。
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