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作者: 風森愛
R-15
最終話 心に灯るあかり
「おまたせ」
「うん」

 優衣香はこの前と同じ艶のある薄紫色のガウンとワンピースを着ている。風邪をひいていた時は綿のパジャマだった。
 優衣香はガウンを脱がずに掛布団を捲って俺の横に来て、横向きになっている俺の胸に顔を埋めた。
 右腕で優衣香の体を強く抱くと手のひらから少しずつ、優衣香の温もりが伝わってくる。

「優衣ちゃん」

 仄暗いランプは優衣香を照らすが髪で影になってよく見えない。
 抱きしめたまま優衣香に体重をかけて仰向けにさせると優衣香は左腕を俺の首に回した。ランプに照らされた優衣香の瞳は俺を見ている。

「優衣ちゃん、好きだよ」

 恥ずかしそうに微笑む優衣香が可愛い。ついにこの時が来た――。

 唇を重ねると優衣香の舌が俺の唇をなぞった。舌が歯列を割って、口内に入って来て、俺の舌を求めている。
 優衣香の体の下にあった右腕を外し、左肩を押さえて耳を指先でなぞると、『んっ』と小さく呻いた。
 優衣香が求めるように舌を差し出すと、優衣香はそれを吸い上げた。唾液が絡み合う音が部屋に響く。
 優衣香の舌は甘く、柔らかく、温かい。

 首筋に舌を這わせ鎖骨の窪みを舐めると、優衣香は身を捩る。そのまま左胸へ舌を移動させ、ワンピースの上から先端を口に含んだ。
 優衣香は唇を噛んで、声を出さないようにしている。

 ――もっと、声を聞かせてよ。

 右手をワンピースの裾へと伸ばし、手繰り寄せた。柔らかな布地はひんやりとしている。

 舌を先端に絡めて転がすと、優衣香はまた体を仰け反らせる。
 優衣香の唇に軽く重ねて、鼻の頭をくっつけた。
 指先は内腿をなぞっている。
 目線を交わすと、優衣香は目をそらした。

「優衣ちゃん、どうして欲しい?」

 優衣香は何も言わない。潤んだ瞳で見つめられるだけだ。
 左手で右頬に触れ、親指で下瞼を押し下げるように撫でると優衣香は困ったような表情をして少し笑った。その笑顔が愛しくて、額にキスをした。そしてもう一度、今度は深くキスをする。
 お互いを求め合って長い時間唇を重ねていた。
 優衣香の柔らかい舌先を感じながら、ゆっくりと舌を動かす。唇を重ねたまま、そっと手を太ももの内側に滑らせていく。でも、体温より熱いそこには、触れない。

 唇を離した時、優衣香は囁いた。『敬ちゃんも脱いで』と。
 優衣香は起き上がって俺を見下ろしながらガウンを脱ぎ捨て、俺の手を取る。

 Tシャツを脱ぎ、下も脱いだ時、優衣香は俺の肩に指先を添わせた。
 俺はベッドに脚を開いて座り、間に膝立ちになった優衣香を引き寄せた。

「優衣ちゃん、どうして欲しいか、言って」

 そう言いながらワンピースの肩紐を両手で外すと、優衣香は恥ずかしそうに目を伏せた。
 左腕を優衣香の腰に回して背中を指先でなぞると優衣香の唇から甘い吐息が落ちてくる。
 優衣香の柔らかなふくらみを口に含んで先端を噛むと、喘ぐ声に変わった。

「敬ちゃん、欲しい……」
「もう……?」

 肩に置いた優衣香の指先に力が入っている。

「でも、まだ、あげない」

 優衣香をシーツに沈めて、優衣香の体に唇を這わせた。俺は優衣香はどこが感じるのか知りたかった。何度も何度も、優衣香は俺とひとつになることを望んだが、そのたびに俺は『ダメ』と言った。
 俺だって、優衣香に『ダメ』と言われたのだからいいだろう。

「敬ちゃん……もう、我慢出来ないの……」

 ――優衣香が望むなら。

 俺は二十三年分の気持ちを、ただひたすら優衣香にぶつけた。優衣香が果ててもなお俺は優衣香を求めた。一回だけじゃ、済まなかったから。


 ◇


 力なく横たわる優衣香の隣に寝転がり、汗ばむ優衣香の頬に触れると、指先が濡れる。
 俺が指先を舐めると、優衣香は恥ずかしそうに目を伏せた。

「優衣ちゃん、大好きだよ」

 優衣香は小さく笑みを浮かべて、目を閉じた。
 穏やかな表情をしている優衣香を見て、俺は思った。

 ――ずっと、そばにいるよ。だって、俺は優衣ちゃんが大好きだから。


 ◇


 一月二十一日 午前零時三分

 気怠くて、目を閉じたらそのまま深い眠りに落ちてしまいそうになるのをなんとか耐えて、俺の腕の中にいる優衣香にプロポーズをしようと思った。
 でも、プロポーズはもっと、想い出に残るようなことをしたいとも思う。
 どうしようか。ずっと一緒にいたいと思ってるし、優衣香だって、こんな俺でもいいと言ってくれた。でも優衣香は――。

「ねえ、敬ちゃん」

 優衣香は俺の鎖骨をなぞりながら、見上げて笑顔で言った。『私、敬ちゃんの子供のお母さんになりたい』と。
 その言葉に驚いた俺は飛び起きてしまった。

「えっ……あの、優衣ちゃん、それって……」
「うーん、プロポーズ?」

 優衣香は続けた。俺が前回半年ぶりに会いに来たあとからのこの二ヶ月の間に、『自分が俺の帰る場所になればいい』と思ったという。

 優衣香は家族を亡くして帰る家が無くなった。でも生きていけるだけの術はありこのまま一人で生きていくつもりだったが、自分一人で生きていけるから、結婚してもいいと思ったそうだ。

 子供の頃の武闘派の優衣香は、大人になってからは愛情深くて優しい女性になったと思っていた。元々体力があって体を動かすことが好きな女性なだけで、女性らしい可愛い人だと思っていた。
 違った。優衣香は強い。

「ふふっ……嬉しい。でも優衣ちゃん……」
「なに?」
「俺も今、プロポーズしようと思ってたのに先に言われちゃった」
「えっ……」

 優衣香を強く抱きしめて、あらためて俺からプロポーズさせて欲しいと言うと、腕の中の優衣香は笑っていた。

 その時だった。
 優衣香と永遠に一緒にいられると思ったのに、現実に引き戻された。
 俺は警察官で、“音楽隊で楽器を拭く係”だから。

 ナイトテーブルに置いたスマートフォンが鳴った。仕事用とプライベート用の両方が同時に鳴っていた。

 仕事用は須藤さんからで、プライベート用は相澤だった。
 俺は仕事用のスマートフォンを取った。
 優衣香に背を向け、電話に出ると須藤さんの第一声は緊急事態を告げる言葉だった。

「お前は目薬は使う?」

 ――捜査員が行方不明、と。

「はい」

 ――誰だ。誰がいなくなったんだ。

「あの洗剤ってあんまり落ちないよ」

 ――同時に誰かが大怪我した、と。

「そうですね」

 ――誰よ。

「クレンザーとオリーブオイル買ってきてよ」

 ――行方不明は野川里奈、本城昇太が大怪我、か。

「そこの脇の引き出しの二段目にありますよ」

 ――九十分で戻ります。

 電話を終えた俺は優衣香に振り向いた。電話の須藤さんの声は聞こえていたのだろう。少しだけ首を傾げている。

「優衣ちゃん、ごめん帰る。送って欲しい」
「えっ、うん……」

 おそらく、俺の目つきが変わったからだろう、優衣香は怯えた目をした。
 優衣香に車で送ってもらうことは本来はしない。だが、俺は話さなければならないことがある。
 服を着て慌ただしく支度する優衣香の姿に、俺は申し訳無いと思った。


 ◇


 優衣香が車を出している間に相澤へ連絡をした。
 俺が電話に出なかったから相澤はメッセージを送ってきたが、そこには本城の容体が箇条書きされていた。もちろん暗号としての単語の羅列だった。

 ――兄ちゃんと同じ場所、か。

 顔に切創を負ったのか。

「もしもし」
「あ、お疲れ様です、あの、のど飴はいります?」

 ――葉梨が情報を得た、と。

「うん、ありがとう」

 ――何の情報よ。

「耳栓は持ってます。タオルケットは畳みますか?」

 ――山野花緒里が関わっている、と。

「クレンザーは?」
「無いです。大きい絆創膏より包帯がいいですよ」

 ――追ってるが、本城昇太とは別件だと?

「そうか」

 ――本城昇太が目的じゃないのか。

 ヘッドライトが近づく。優衣香が俺の横に車を寄せた。

「キャビネットの右側の上の棚にあるよ。じゃ、よろしく」

 相澤に午前二時二十分までに戻ると伝えて電話を切った。


 ◇


 捜査員用のマンションまで送ってもらうわけにはいかないから、マンションに一番近い加賀町警察署まで送ってもらうことにした。そこから走れば五分だ。
 夜中だからあと四十分程で到着するが、優衣香は急いでいる雰囲気だった。

「優衣ちゃん、道交法遵守で」
「でも……」
「捕まると遅くなる」
「……うん」

 優衣香にとっては初めてのことだ。だが、本来はこんなことを優衣香にさせてはならない。
 俺の恋人だからこんなことをさせられている。
 真夜中に男を送って行くために車を出すなんて、そんな都合のいい女みたいな扱いは、『普通の人』からはされないだろう。

 この仕事をしている限り、優衣香を幸せにすることは出来ないと思う。
 優衣香は朝行って夜帰って来る『普通の人』と暮らすのが幸せに決まってる。

 ――何度目だ、これを考えるのは。

 優衣香が誰かと結婚すれば、俺はこんなに悩まなくて済むのに。優衣香を諦めることが出来るのに。

 ――でも優衣香は俺と結婚すると言った。

 あの日、優衣香のマンションを出てからも同じことを考えた。そして、今も同じことを考えている。
 本当に優衣香は俺でいいのか。
 でも、優衣香は俺の人生に責任を持ちたいと言った。

 ――俺は優衣香の人生に責任持てないのに。


 ◇


 一般人の優衣香には、深夜の警察署は静まり返っていると思うだろう。
 だが、俺にはわかる。ここに来るまでの間にも、同業だからわかる変化があった。こっちも非常招集されている。

 ――優衣ちゃんは何も知らずにいていいんだよ。

「ここでいいの?」
「うん、ありがとう」

 横浜スタジアム向かいの玄武門から入り、加賀町警察署脇に到着した。
 デニムにダウンジャケットを着た優衣香は不安そうな顔をして助手席の俺を眺めている。

 多分、半年は戻って来れない。それ以上かも知れない。
 俺は優衣香がそれに気づくようなことを伝えたい。だが、本当はしてはいけない。音楽隊で楽器を拭く係の俺は、何も言えない。でも――。

「優衣ちゃん、あのバーに行っても、もう俺に連絡しなくていいから。じゃあまた、葉書を送るね」

 何かを察した優衣香は目を見開いて俺を見たが、俺は目を合わせず、車を降りた。

「敬ちゃん!」

 ドアを閉じようとした瞬間、優衣香の声がした。屈んで優衣香を見ると、助手席のシートに手をついて俺を見上げている優衣香は笑顔でこう言った。

「いってらっしゃい。待ってるからね」

 俺は少しだけ口元を緩めて、頷いた。それからドアを閉じて背を向けて走り出す。

 ――帰る時の『またね』じゃなかった。

 先の角を曲がれば優衣香の車は見えなくなる。
 その前に振り向くと、優衣香は車の脇で笑顔で俺を見ていた。
 俺の誕生日のナンバープレートの車の脇で。

 優衣ちゃんの笑顔が大好きです――。
 二十三年の時を経て、やっと優衣香に想いが伝わった。優衣香が、俺の帰る場所になった。

 捜査員用のマンションまではあと少し。
 またしばらく優衣香と会えないけど、俺の心は弾んでいた。




 ―第一部・終―




 
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