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作者: 霜月かつろう
憧れのその先 その8
 今は充実している。

 美鶴はそんな風に物思いに耽ることが最近増えたように感じていた。

 おそらく対抗戦のことに夢中だからだ。でも、その事自体は結局今だけのこと。それもわかっている。やらなきゃいけないことは他に明確にあるはずなのに、対抗戦のことで頭がいっぱいだ。精一杯、琥珀さんたちのために頑張らなきゃと思っている。だからって、進路を決めることを疎かにしていい理由にはならないはずだけれど。今だけは。そう思いながら今日もスケートリンクに足を運んでいる。

 今日は貸切練習。そこで見たことがない人がいた。そうでなければいいのになんて良くない考えが頭に浮かぶ。

「川島良二です。よろしくお願いします。えっと、参加が遅くなって申し訳ありませんでした。追いつけるように精一杯がんばります」

 よろしくお願いしますと対抗戦のメンバーが次々にあいさつしていくなか。琥珀さんがあいさつを交わしたばかりなのに、川島さんと妙に距離が近いがして気になった。

「おふたりは知り合いなんですか?」

 気になりすぎて、練習前に声を掛けてしまった。練習に身が入らない気がしたのだ。

「えっと。君は……」
「美鶴ちゃんだよ。さっき自己紹介したばかりなのに。もしかして川島くん相当緊張してた?」

 ふたりの間に入ってしまっていいものかちょっと後悔し始める。
「してないって。美鶴ちゃん以外、みんな知り合いなんだし。えっとね、立花さんとは高校のクラスメイトだっただけだよ」
「じゃあ、やっぱりこの前の人とは別人なんですね」

 琥珀さんの様子がおかしくなった時、スケートリンクの前で見た人物はタダの不審人物だったのか。であれば、琥珀さんの反応は気になってしまう。

「なに? この前の人って」
「川島くんと似てる人がいたってだけの話よ」

 そう。それだけの話。そのはずなのに、胸騒ぎは続く。

「そうですね。それだけの話です」

 ちらりと琥珀さんを確認するが特に変わった様子はない。やっぱり気のせいなんだろうか。

「それにしてもクラスメイトがここで揃うなんて偶然ですね」
「偶然と言えば偶然なんだけどね。なるべくしてなったというか」

 琥珀さんは誰かを探すように辺りを見渡している。

「もうひとりクラスメイトがスケートリンクにいるんだけどね。今日はいないみたい。その人の繋がりで川島くんがここにいるんだ。だから単なる偶然じゃないって私は思ってるね」

 いたずらっ子みたいな表情の琥珀さんにそのもうひとりとの間になにかあるんじゃないかと勘ぐってしまう。

「そんなたいそうなもんじゃないさ。面倒事を押し付けられただけさ」
「仲いいんですね」

 なんとも言えない気恥ずかしさが流れた。琥珀さんと川島さんの過去にはなにかあったのか。反対に意識していたのになにもなかったからのようにも思える。

「ほらほら。ちゃんとストレッチしないと怪我するぞ。特に川島くんは初めてなんだからしっかりやっていくぞ」

 相変わらず引率の先生みたいな海藤さんが声を掛けてくる。その声に川島さんがいち早く立ち上がると海藤さんがいる、ちょっとしたホールのような空間へ向かう。

「琥珀さん」

 一緒になってそこへ向かおうとする琥珀さんを引き止める。

「ん? どうしたの美鶴ちゃん」
「ちょっとどうしても気になってしまって。この前の人って誰だったんですか?」
「えっと。誰のことかな」
「この間、もしかしたら最後のメンバーかもしれないって話をしたときのことです。川島さんじゃなかったんだったら、誰だったんですか」
「知らない人だよ。あのときもそう言ったでしょ」
「そんなはずないじゃないですか。だとしたら、離れていた時間が長すぎます」

 沈黙が流れる。ほんの少ししかないそんな時間が長く感じる。

「あー。たいしたことじゃないの。優太の父親が来てただけ。優太の手前言えなかっただけなんだ。美鶴ちゃんに余計な心配掛けちゃってごめんね」

 その言葉に沈黙するのは美鶴の番だった。その優太くんはアリスちゃんに懐いている。練習時間帯もアリスちゃんが面倒をみていることが多い。アリスちゃんの練習は他の時間に行っているからこれ以上はオーバーワーク気味になると上里コーチが言っていた。

 いや、逃げてはいけない。話を受け止めなくては。わざわざ足を運んできたということはなにかしらの用事があったということだ。それが琥珀さんを苦しめているなら力になってあげたい。

「そう……なんですね……なにしに来られたんです?」
「なんでもないの。本当よ。元気にしてるか確認しにきただけ」

 それだけのことがあるだろうか。もっと踏み込みたい気持ちになったけれど。それは許されない気がした。

「さ、練習行こっか」

 だからそう続いた琥珀さんの言葉に頷くことしかできなかった。
 身の入らない練習ほど無意味なものはないとその日は落ち込みながら帰った。
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