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作者: 霜月かつろう
憧れのその先 その6
 暦上は夏も終わりだと言うのに暑さは相変わらずだった。大学からスケートリンクまでの間、そんなに距離はないとは言えど汗はかくしその暑苦しさに辟易する。これがスケートリンクに入った瞬間冷やされるのだからたまったもんじゃない。

 準備運動ために外で軽く身体を動かすのだからなおさらその瞬間の身体への負担は大きいように思える。

 そうは言ってもスケートにはつきものだ。ある程度諦めるしかない。そう思いながら今日の練習メニューを組み立てたメモをスマートフォンで確認しながら歩いていると、スケートリンクの前でなにやら中の様子を伺っている人がいる。

 明らかに怪しい。不審人物にしか見えない。
 けれど、その風貌には聞き覚えがあった。

 海藤さんから聞いていた、対抗戦に参加するもうひとりだ。海藤さんと同じくらいの身長で、体格はよくなく細身。髪の毛はちょっと長めでそれは散髪に行くのを渋っているから。ちょっと気だるそうな二十代前半の男の人。

 とりあえずすべて当てはまる。が、美鶴から声を掛けるのはあまりにも勇気がいる。違う可能性も十分あるので一旦スルーすることにした。

 本人だったら海藤さんに連絡も取れるだろうし、あんなところでうろうろもしてないだろう。

 素知らぬ顔をして横を通り過ぎて自動ドアを開けて中に入る。商店街から特別に発行してもらったパスを係の人に見せて入場する。

 しばらく進めば準備ができるくらいに少し開けた控室前のホールだ。すぐにじゃれ合っている琥珀さんと優太くんが見えた。

「あ、おねーちゃん。こんにちわー」

 いち早く美鶴を見つけてくれた優太くんが元気に挨拶をしてくれる。

「こんにちわ優太くん。琥珀さんもお疲れ様です」
「おつかれさま、美鶴ちゃん。今日も暑かったでしょ。準備運動しに外行こっか」
「それなんですが、ちょっと怪しい人が外にいまして。でも見た感じはこの前、海藤さんに聞いたみたいな風貌に似てるんですよね」
「えっ。それって対抗戦最後のメンバーの? 私ずっと気になってたんだよね。なんだか海藤さんと意味深なこと言ってたし、見てこようかな。危なそうかどうかもついでに見てくるよ」

 本当に不審者だったら困ると思うのだけど、そこは好奇心が勝ったと言うことだろう。

「ごめん。美鶴ちゃん。ちょっと優太の相手をしてて貰ってもいいかな」

 わくわくしながら、外に行く準備をして、優太くんを美鶴に差し出すように抱っこして渡してくる。

「すぐ戻ってくるから。優太も大人しくして美鶴お姉ちゃんの言うことを聞くんだよ」
「うんっ!」

 無邪気に返事をする優太くんは素直に美鶴の手をギュッと握る。その手の小ささに感動に近いものすら覚える。

「ばいばーい」

 琥珀さんをそうやって見送ると優太くんは何が楽しいのかわからないが繋いだ手を上下にブンブンと振っている。それだけで十分満足しているらしい。

「今度。幼稚園行けるんだよね。楽しみ?」

 何の話をしていいのやら、悩んだ結果は琥珀さんから聞いた幼稚園の話題だ。
「うんっ! この前もおじいちゃんとおばあちゃんにありがとうって言った。お父さんいないから、僕ががんばるんだ」

 おっと。早速の決意表明に優太くんの力強い意気込みを感じる。

「なにをがんばるの?」
「お母さんを守る!」

 そのあまりに健気な様子に思わず声が出なくなる。

「お父さん言ってた。今度はお前がお母さんを守る番だって」

 そうなのか。お父さんもきっといい人なんだろうな。そのつもりはなかったのだけれど、お父さんの話になって美鶴の方が戸惑ってしまった。このままお父さんのことを聞きたいけれど優太くんから聞き出したみたいで、それはそれで気まずい。

「幼稚園行ったらなにするのかな?」

 だから、慌てて話題をそらそうとする。

「えっと、分からない!」

 そうりゃそうなのだ。優太くんに取っては幼稚園も未知なる世界だ。そこでどんなことが起きるのか何が待っているのか、想像もつかない未知の世界。美鶴も幼稚園でなにがあったのか思い出そうとする。でも、正直あんまり覚えていない。幼い頃の記憶なんてそんなものだろうけれど、それにしたって印象は薄い。

「友達はたくさんいるし、たくさん遊べるよ」

 だから、美鶴の言葉も曖昧になってしまう。当時の友達で、今交流がある人はいない。その後を知っている人もわずかだ。でも、楽しかったことだけはなんとなく覚えている。

「友達! もっと出来る?」
「きっと出来るよ。そう言えば琥珀さん遅いね」

 すぐに戻ってくると言っていたのだけれど、それなりの時間が経った。そうなると心配にもなってくる。相手の素性が分からないのだからなおさらだ。

 対抗戦のメンバーで琥珀さんとの知り合いであればいいのだけど。そう様子を見に行こうかどうか悩んでいたら琥珀さんが帰ってくるのが見えた。

「おまたせふたりとも。ごめんね。思った以上に時間取られちゃった」

 そう言う琥珀さんはいつも通りの笑顔だ。

「誰だったんですか?」
「よく分からなかったな。こっちも気づかれないように遠目で観察してみたんだけどさ。多分知らない人だからメンバーじゃいんじゃないかな」

 琥珀さんがそう言うのであれば心配することもないのだろうか。

「最後のメンバーって琥珀さんの知り合いなんですか?」
「海藤さんが言うにはね。教えてほしいって言ったけどその日までのお楽しみだって。ほんと誰なんだろうね。最後のひとり」
「だれだろー?」

 優太くんの言葉で張り詰めていたものが少し緩んだ気がした。優太くんは気づいていないみたいだけど、美鶴は確かに感じ取っていた。琥珀が戻ってきてからの様子がちょっとだけおかしいのだ。

 その違和感はその日の練習が終わる頃になっても拭い去ることが出来なかった。
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