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作者: 霜月かつろう
懐かしい景色 その12
「ね。ここどこ」

 栄口商店街から少し離れただけだ。それだけでも優太からみたら新鮮なものなのだろう。それに緊張が伝わっているのだろう。

 こんなに近かったんだよね。

 毎日のように自分で通うことが出来たのだから当然なのだが、当時はこの道が遠く感じた。心の奥底では行きたくなかったのかもしれないな。上手にはなりたかったがそのために積み重ねなければならないものはたくさんあった。それが短い距離を長く感じさせていたのだろう。

 単に歳を取っただけの可能性もあるけどね。

 優太といると時間はあっという間に過ぎる。目を離していられないし、じっと見ていれば見ていたらでその落ち着きのない行動に注目しているだけであっという間だ。これでおとなしい方だと言うのだから世の中の子育てをした人たちはすごいなと、感心してしまう。

 そしてそれはあっという間に目的地に着いてしまうことも意味している。暑い日差しの下にいることだけが心臓のドキドキを感じさせているわけじゃない。優太がどこかにいかないようにしっかりと握っている手が汗ばむのも同じ理由だろう。

「ママが毎日通っていた道」

 そう言葉にすると途端に懐かしさも込み上げてくる。全部が全部、嬉しい想い出ばかりではない。

 初めてジャンプを跳べるようになったときの帰り道ははしゃぎすぎて注意されたのを覚えている。

 大会に向かうときは緊張のあまり真っ青になっていて、出場どころではなくなったこともあった。

 大会でうまく滑れなくて拗ねたこともある。ちゃんと歩けと叱られた。

 国体選手に選ばれた時、自分で思っている以上に心が震えなくてスケートへの情熱が信じられなくなった。

 順当な成績しか残せなかった。辞めようと決意したのもこの道だ。

 赤ん坊だった優太を抱えて逃げるように走ったのもここ。

 自分が生まれ育った家へと続く道。

「懐かしい景色だね」

 優太にもそう思ってもらえたらいいなと思った。そのためにしなければならないことはたくさんある。今日はその第一歩と言えなくもない。

 事前の連絡もしていない。出かけている可能性だってある。門前払いされるかもしれない。それでもキラキラしているはずの物を手に入れなくてはならない。

「懐かしい?」
「優太にもそのうちわかるよ」

 優太にはまだわかるまい。でもそれもあっという間のことだ。きっとすぐに大きくなってしまう。だからこそ、その優太に置いていかれないように生きなきゃいけない。そのためにも自分にはあれが必要なのだと心を決めてきたはずなんだけどな。

 進めば進むほどにその足取りは重くなっていく。

「ふーん。じゃあ、いこ」

 足早に歩みの速度を上げる優太に引っ張られる。不意にその手が琥珀から離れて優太が何処かへ行ってしまうのではないかと恐怖に襲われた。

「いかないでっ」

 心の奥底がゾワッとしてとっさにそう言葉にしてしまった。きっとさっきまで頭を巡っていた考えのせいだ。

「いかないよ。ずっと一緒」

 そう笑顔を返してくれる優太に心が落ち着くのがわかる。

「そうよね。ずっと一緒」

 そんなはずはない。でも今はそうしたい。

「がんばるからね」

 だから今だけはそう口にし続ける。

「ママ。えらい」

 優太は笑っている。どういう意図なのか分からない。でもその言葉に救われ続けているのは確かだ。

「うん。じゃいこっか。おじいちゃんとおばあちゃんのところに」

 スケート靴と衣装を取りに行くだけだ。でも大きくなった優太を見て少しでもいいから喜んでほしい。自分がここまで生きてこれたのは両親がいたからなのは間違いない。であればその子どもである優太のことだって。きっと。

「うん」

 懐かしい景色は懐かしいまま。新しい想い出を刻む。その隣に優太がいることは幸せに違いないのだ。
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