懐かしい景色 その8
「あら。もしかして立花さん?」
聞き覚えのある声が聞こえてきて背筋がピンと伸びるのが自分でもよくわかった。
「お疲れ様です」
条件反射のようにペコリと頭を下げている自分がいる。
ああ。身についた癖はなかなか抜けることはないんだな。
「いいのよ。そんなに緊張しなくても。もう選手じゃないんだから」
散々お世話になった先生の変わらない姿に緊張するなと言われても無理な話だ。
「なんだか帰ってきてるって話は聞いていたのだけれど本当なのね」
ほんの数日前の話のはずだけれど。ま、小さな世界だ。そんな話題はすぐに広まるのも分からなくはない。
「それも、商店街対抗戦に出るんでしょ? 引退して久しいのに。よくやるわ」
それは皮肉でしょうか。なんて言い返せるはずもなくて。まあ。なんて曖昧に返事をしてしまう。海藤さんが紹介してくれたのが上里コーチで良かったな。先生だったらきっと逃げ出していた。いや、そもそもこの人のことだ。琥珀を下につけるなんてことは意地でもしないだろうけど。
「流れでそうなってしまいました。先生は当日審査員なんですよね。お手柔らかにお願いします」
「そうね。かわいい教え子ですから。多少甘くなってしまうわね」
そんなことを言ったら先生の教え子ばかりの北口商店街のほうが断然、点数は甘くなるだろうに。
「ママ?」
優太が退屈そうに琥珀の袖を引っ張る。アリスちゃんの滑りを見て興奮し疲れてしまったところによくわからない大人の言い合いだ。朝も早かったし眠かろう。
「あら。立花さんの子ども? あんまり似てないわね。僕もスケートやるの?」
「うん!」
おいおい。優太。即答するんじゃない。
「私が上手にしてあげるからね。もうちょっと大きくなったらおばさんのところにおいで」
「いやっ!ママに教わるんだ」
優太の言葉に胸が熱くなる。この短い期間でそんなふうに思っていたのか。
「そ、そう。それがいいかもね。じゃあ。立花さん。私もこれからレッスンなので失礼するわね」
優太の勢いに押されたのか先生は去っていった。相変わらずだなぁ。
恩師。
まちがいなくあの人がいなければ自分はこうなっていなかったと思う。妙な話、親よりも影響を受けている。それくらい長い時間を一緒にいたはずだ。
寝ても覚めてもスケート生活だったな。思わず記憶を遡ってしまう。
「どうしたの?」
「ううん。がんばらなくっちゃって思っただけ。ママがんばるからね」
うん。よくわからないよね。不思議そうな顔をしてしまっている。そんな顔をも可愛くて仕方がないのだ。
「あれ? もしかして琥珀?」
げっ。でもまあ、先生がいたんだから当然いるよな。
「ひ、久しぶりだね香住」
「久しぶりじゃん。もしかして南口の経験者って琥珀のこと? そりゃ南口の気合も入るよね。勝てそうなの初めてなんじゃない」
確かにそうだ。琥珀の記憶を遡っても南口が勝利しているのは見たことがない。まあだからこそ引き受けたのだけれど。
「ママも滑るの?」
優太に説明していなかったことに気がつく。というより、琥珀自身まだ実感がない。未だに海藤さんの冗談だと思っている節もある。それくらい追い詰められていたし突拍子もない相談だった。
「うん。滑るよ。まだ先だけどね」
毎年クリスマス直前の土曜日に行なわれる商店街対抗フィギュアスケート選手権。その南口のメンバーに選抜されたのは住むところを提供してくれた海藤さんのお願いだ。お世話になる以上、断る選択なんてなかった。それがどんなに昔を思い出す結果になったとしてもだ。
「すごいねっ!」
なんのことだかわかっていないはずなのに優太は嬉しそうにしている。さっきみたアリスちゃんと同じことをすると思っているのだろうが、比べられちゃ困るくらいにはもう現役から退いて久しい。期待だけ膨れ上がって、残念な姿を見せてしまったらどうしよう。昨日のこともあるしな。やばい。ちょっと不安になってきた。
「ただのお祭りだし気楽にやりましょ。琥珀もそのほうがいいでしょ。あっ。私はレッスンあるからじゃあねー」
数年ぶりの香住は相変わらずマイペースだ。いっつもこんな感じで振り回されていた。それこそ、大会の直前だって。いや。もう過去のことだ。気にすることはない。
「ママお祭り?」
「ママがお祭りなわけじゃないんだけどね。それに出るのは間違いないかな」
お祭りのような伝統行事。それが商店街対抗戦。ことの始まりは琥珀も知らない。大体、対抗戦の内容はフュギュアスケートだけではない。野球。サッカー。テニス。水泳。フラッシュ暗算に将棋、ボードゲーム。互いの商店街の人たちが得意な競技で挑み続けた結果あらゆるジャンルの対抗戦が行なわれるようになったらしい。年度毎にその対戦結果をもとに次の年のどちらが商店街の上位になるかを決めている。
上位になれるとどんな恩恵があるかは知らない。ただ躍起になって勝者になることだけを追い求めているようにも見える。それが商店街どころか街全体を活気づけさせているのであればそれはいいことなのだろう。
ただ、上里コーチをはじめ、スケートリンクの人達からすると割りと迷惑だったりする。シーズン真っ只中で選手たちが本格的な大会に出場する中。コーチたちや選手たちを捕まえて対抗戦に出てくれとお願いされるのだ。もちろん商店街の人達も滑る。でもそれだけだと華がない。それだけの理由で今回の琥珀のように毎回だれかが駆り出されるのだ。たまったものではない。
「楽しみ!」
よくわからないながらも応援してくれる優太に踏ん張らなきゃなとだけ思った。
聞き覚えのある声が聞こえてきて背筋がピンと伸びるのが自分でもよくわかった。
「お疲れ様です」
条件反射のようにペコリと頭を下げている自分がいる。
ああ。身についた癖はなかなか抜けることはないんだな。
「いいのよ。そんなに緊張しなくても。もう選手じゃないんだから」
散々お世話になった先生の変わらない姿に緊張するなと言われても無理な話だ。
「なんだか帰ってきてるって話は聞いていたのだけれど本当なのね」
ほんの数日前の話のはずだけれど。ま、小さな世界だ。そんな話題はすぐに広まるのも分からなくはない。
「それも、商店街対抗戦に出るんでしょ? 引退して久しいのに。よくやるわ」
それは皮肉でしょうか。なんて言い返せるはずもなくて。まあ。なんて曖昧に返事をしてしまう。海藤さんが紹介してくれたのが上里コーチで良かったな。先生だったらきっと逃げ出していた。いや、そもそもこの人のことだ。琥珀を下につけるなんてことは意地でもしないだろうけど。
「流れでそうなってしまいました。先生は当日審査員なんですよね。お手柔らかにお願いします」
「そうね。かわいい教え子ですから。多少甘くなってしまうわね」
そんなことを言ったら先生の教え子ばかりの北口商店街のほうが断然、点数は甘くなるだろうに。
「ママ?」
優太が退屈そうに琥珀の袖を引っ張る。アリスちゃんの滑りを見て興奮し疲れてしまったところによくわからない大人の言い合いだ。朝も早かったし眠かろう。
「あら。立花さんの子ども? あんまり似てないわね。僕もスケートやるの?」
「うん!」
おいおい。優太。即答するんじゃない。
「私が上手にしてあげるからね。もうちょっと大きくなったらおばさんのところにおいで」
「いやっ!ママに教わるんだ」
優太の言葉に胸が熱くなる。この短い期間でそんなふうに思っていたのか。
「そ、そう。それがいいかもね。じゃあ。立花さん。私もこれからレッスンなので失礼するわね」
優太の勢いに押されたのか先生は去っていった。相変わらずだなぁ。
恩師。
まちがいなくあの人がいなければ自分はこうなっていなかったと思う。妙な話、親よりも影響を受けている。それくらい長い時間を一緒にいたはずだ。
寝ても覚めてもスケート生活だったな。思わず記憶を遡ってしまう。
「どうしたの?」
「ううん。がんばらなくっちゃって思っただけ。ママがんばるからね」
うん。よくわからないよね。不思議そうな顔をしてしまっている。そんな顔をも可愛くて仕方がないのだ。
「あれ? もしかして琥珀?」
げっ。でもまあ、先生がいたんだから当然いるよな。
「ひ、久しぶりだね香住」
「久しぶりじゃん。もしかして南口の経験者って琥珀のこと? そりゃ南口の気合も入るよね。勝てそうなの初めてなんじゃない」
確かにそうだ。琥珀の記憶を遡っても南口が勝利しているのは見たことがない。まあだからこそ引き受けたのだけれど。
「ママも滑るの?」
優太に説明していなかったことに気がつく。というより、琥珀自身まだ実感がない。未だに海藤さんの冗談だと思っている節もある。それくらい追い詰められていたし突拍子もない相談だった。
「うん。滑るよ。まだ先だけどね」
毎年クリスマス直前の土曜日に行なわれる商店街対抗フィギュアスケート選手権。その南口のメンバーに選抜されたのは住むところを提供してくれた海藤さんのお願いだ。お世話になる以上、断る選択なんてなかった。それがどんなに昔を思い出す結果になったとしてもだ。
「すごいねっ!」
なんのことだかわかっていないはずなのに優太は嬉しそうにしている。さっきみたアリスちゃんと同じことをすると思っているのだろうが、比べられちゃ困るくらいにはもう現役から退いて久しい。期待だけ膨れ上がって、残念な姿を見せてしまったらどうしよう。昨日のこともあるしな。やばい。ちょっと不安になってきた。
「ただのお祭りだし気楽にやりましょ。琥珀もそのほうがいいでしょ。あっ。私はレッスンあるからじゃあねー」
数年ぶりの香住は相変わらずマイペースだ。いっつもこんな感じで振り回されていた。それこそ、大会の直前だって。いや。もう過去のことだ。気にすることはない。
「ママお祭り?」
「ママがお祭りなわけじゃないんだけどね。それに出るのは間違いないかな」
お祭りのような伝統行事。それが商店街対抗戦。ことの始まりは琥珀も知らない。大体、対抗戦の内容はフュギュアスケートだけではない。野球。サッカー。テニス。水泳。フラッシュ暗算に将棋、ボードゲーム。互いの商店街の人たちが得意な競技で挑み続けた結果あらゆるジャンルの対抗戦が行なわれるようになったらしい。年度毎にその対戦結果をもとに次の年のどちらが商店街の上位になるかを決めている。
上位になれるとどんな恩恵があるかは知らない。ただ躍起になって勝者になることだけを追い求めているようにも見える。それが商店街どころか街全体を活気づけさせているのであればそれはいいことなのだろう。
ただ、上里コーチをはじめ、スケートリンクの人達からすると割りと迷惑だったりする。シーズン真っ只中で選手たちが本格的な大会に出場する中。コーチたちや選手たちを捕まえて対抗戦に出てくれとお願いされるのだ。もちろん商店街の人達も滑る。でもそれだけだと華がない。それだけの理由で今回の琥珀のように毎回だれかが駆り出されるのだ。たまったものではない。
「楽しみ!」
よくわからないながらも応援してくれる優太に踏ん張らなきゃなとだけ思った。