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1話
日曜日の午後は青く澄み渡っていて、トンビが泳ぐように空を飛んでいる。
「今日は晴れてよかったね」
見上げながら話しかけると隣の彼女はにかむ様に笑った。
秋も大分深まった街の中には夏の残滓はすっかりと消え果てていて冬の香りがすでに混じり始めている。
この場所を歩く人々の服装も暖色系が目立ち始め、紅葉のように季節ごとの色合いをかもし出す。
その喫茶店の名前は『ロワンディシー』という名で、フランス語で『この世の果て』という意味なのだそうだ。
学生街にあるこの店にはよく彼女と学校帰りや待ち合わせとしてよく利用していて、名前の由来も彼女の講義が終わるのを手持ち無沙汰で待っていた折りに店長が教えてくれた。
見慣れた店の扉を開くと、カウンター越しに店長と目があう。
「やあ…田崎君、いらっしゃい」
そう言うと拭いていた皿を置き、カウンター横を進むと一番奥にある椅子の『予約席』と貼り付けられた表示を外して「さあどうぞ」と席を勧めてくれる。
その場所は南側に面していて午後のこの時間にともなると道路に面した窓からの日差しは暖かく、春先や今の季節にはとても心地が良い場所だ。
その座席にはいつも彼女が座っていて、僕はその隣に座っては講義や週末の予定などを二人で相談しあっていたものだ。
今日もまたかつてのように彼女が一番奥の椅子に座り、僕はその隣に。 そしてメニュー表を見ることなく注文をする。
「ホットコーヒーを二つ。 僕はブラックで彼女は砂糖とミルクを二つ」
注文を聞いた店長はチラリと僕の隣を見るとすぐに豆をセットし、サーバーをセットする。
一拍置いて、
「今日はこの後病院に行くのかい?」
実は数ヶ月前に僕たちは事故にあって最近まで入院していた。 夏休みが始まって近くの観光地に向かっている最中に信号無視をしてきた車が左側から突っ込んできたのだ。
車が全損するくらいの大事故だった。
幸いなことに一ヵ月半の入院で退院できたのだが、事故による影響がまだあると医者は言うので周に二回は通院しなければいけない。
なので毎回僕は彼女との思い出が残るこの店を訪れているというわけだ。
「通院はしばらくは続くのかい?」
豆を挽くゴリゴリという音の後に細い帯状の黒色の液体は降り注ぐ。
瞬間香ばしい独特の香りがフワりと立ち昇り、サーバーの中をそれが満たしていく。
ぼうっと眺めながら僕は答える。
「ええ…何でもメンタル緬の影響まだあるらしくて、自分としては特に何にも不調はないんですけどね」
「それは彼女もなのかい?」
「ええ、カウンセリングって言うんですかね?その時には彼女も僕の横に居て一緒に受けています。今日もこれから一緒に病院に行かないとなんですよ。まあ質問されるのは主に僕なんですけどね」
「ああ……そうなんだね」
瞬間、店長の声色に変化が走ったことに気づいた。 なんだか落ち込むような、ショックを受けているような…うまくいえないけれど明らかに態度が変わったことに気づきながらも僕はボンヤリとコーヒーが満たされていくのを見つめていた。
どうも事故の後からこんな風になってしまうことは自覚している。
なんというか大事な事を忘れているような気もするけれど、同時にそのこと自体はどうでもいいようなことにも思える…なんだかそんなフワフワとした堂々巡りを繰り返しているのだ。
これが医者の言う事故の影響なんだろうか?
「はい、コーヒー二つお待たせ」
目の前に置かれたカップ。 その中にある黒色のそれを一口啜ると、キレのある苦味と懐かしい香りが頭蓋を刺激する。
「うん?飲まないのかい?」
隣の彼女はいつものように朗らかに笑うばかりで目の前のコーヒーに口をつけようとはしない。
「しょうがないな、入れてあげるよ」
包みを破り砂糖を注ぎ、一度スプーンでかき混ぜる。 ミルクをコーヒーに投入する。
ミルクは旋回する水面に沿ってグルグルと回り、白と黒の渦巻きを形成する。
それを見つめていると何かを思い出しそうでじっと見つめるが、途端に大粒の涙が出てきてしまった。
「…どうしたの?」
店長の声は優しかった。 唐突にコーヒーを見ていて泣くなんてことをしてしまったお客にポケットからハンカチを取り出して渡してくれた。
「なんででしょうかね?なんでだか悲しくなってしまって…何か大事なことを忘れているような気がして…」
店長が彼女の席に視線を移す。 彼女の前に置かれたコーヒーは未だ止まらず回転を維持している。
「うん、まあ…無理に思い出すこともないよ。思い出せないなら思い出すまで待てばいいんじゃないかな…いずれ思い出すよ……いずれ…ね」
噛み締めるような店長の言葉。 それは妙に意味深で、何かを知っているように見えてしまう。 けれどそれはきっと僕の気のせいだろう。
どうも事故の後から妙に心がざわめくというか、変に考え込んでしまうようになってしまった気がする。
こんなことではいけないな。 涙をふきとって彼女に向きなおると彼女はいつものように微笑んでいた。
「すいません…そうですよね…大事なことならいずれ思い出しますよね。たとえそれが辛くても…」
「……! うん、思い出せないならまだその時じゃないってことだよ」
なんだか湿っぽい雰囲気になってしまった。 二十歳を越えて泣いてしまうとは…。
気恥ずかしい気持ちを誤魔化す為に時計を見る。 病院の予約まであと30分ほどある。
街をブラブラするのには少し足りないな。
「もう少しだけここにいようか?」
気を取り直して店長に再度向き直ろうと思ったことでふと僕達の後ろに座っていた女性がこちらを見ていることに気づいた。
目が合うと、ぎょっとしたような顔で視線をそらす。
僕が急に泣き出したから思わず見てしまったのだろうか?
そのわりにはその視線には妙な恐れと驚きが含まれていた気がする。
まあいい、気にしてもしょうがない。
僅かに残った疑問をコーヒーで流しこむ。 店長は別の客の注文を受けに行ってしまったので、彼女との会話を楽しむことにする。
けれど10分ほど立ったところで見られているような気がして再度振り返る。
まただ。 件の女性がこちらを見ている。 気にせずに会話を続けようとするが、ことあるごとに目を丸く開かせながら、途中、何度か「えっ?」という驚くような声を上げている。
どうしたんだろうか? そんなに僕達は変に見えるんだろうか?
気になって視線を下げて自身の服装を確認する。
別段、変だとは思えない。 厚手の灰色パーカーに履きなれたジーンズ。
センスが抜群だとは言わないが、ことさら変な格好だとは思えない。 彼女の方だって薄青色のキャミソールに薄い白色の上掛けという代物で違和感のあるものだとは思えない。
いったいどうしてなのだろう?
女性と同じようにチラチラと僕が振り返っていることに店長も気づいたのか、彼女と店長の視線が交差するのを感じた。
店長がすっとカウンターから出て行こうとするので、
「ああ僕達のことなら大丈夫ですから」
声をかけたが、「ああ大丈夫だから」と爽やかに返すと店長はその女性の所まで歩いていった。
じっと見つめているわけにもいかないので前を向きながらも耳をそばだててみる。
店長は小声で何か女性に言っていた。
注意をしているのだろうか? 確かにあまりジロジロみられることには良い気持ちはしないけれど、わざわざ注意してもらうことではないと思うのだけれど。
「やあ、お待たせ」
店長は怒っている風にも見えず、いつもどおりだ。
「君がいきなり泣いたから驚いたみたいなんだよね…悪気は無いみたいだから許してあげてくれるかな?」
「許すも何もそれくらいで怒りなんてしないですよ」
「そうか…ありがとう。コーヒー冷めたでしょ?新しいのを入れるよ」
そういうと僕のカップに手を伸ばそうとする。
「いえ…もう行きますから」
「そうかい?それじゃ病院頑張ってね」
会計を済まし、立ち上がる僕の背中に店長が声をかけてくれる。 先程の女性は気まずそうにはしていたけれど一瞬だけ目があうと少しだけ頭を下げてくれた。
僕も会釈をして軽く返す。
店の扉を開けて出ようとしたところで僕は一度振り向く、
「また来ますね」
と声をかけた。 店長はちょうど僕の飲みかけのカップと一口も飲まれていないコーヒーを片付けているところだった。
彼女は椅子に座ってニコニコとそれを見ている。
「ああ…またのご来店を」
扉を閉めて外に出ると、日は少しだけ陰ってかすかに薄暗くなりつつある。
「さあそれじゃ行こうか」
声をかけると彼女は僕の前に立っていて笑いかけてくれた。
心は未だざわついているけれど、何故なのかはまだわからない。 けれど乗り越えていけると思うんだ。
僕に微笑む彼女がここにいるだけで…。
ふと街中を一陣の風が吹いた。 もう木枯らしと言ってもいいくらいに空気は乾燥していて肌寒い。
「もう冬が近いんだね」
独り言を呟く僕の横でやはり彼女は変わらず笑っていてくれた。
※よかったら感想・レビューをお願い致します。
「今日は晴れてよかったね」
見上げながら話しかけると隣の彼女はにかむ様に笑った。
秋も大分深まった街の中には夏の残滓はすっかりと消え果てていて冬の香りがすでに混じり始めている。
この場所を歩く人々の服装も暖色系が目立ち始め、紅葉のように季節ごとの色合いをかもし出す。
その喫茶店の名前は『ロワンディシー』という名で、フランス語で『この世の果て』という意味なのだそうだ。
学生街にあるこの店にはよく彼女と学校帰りや待ち合わせとしてよく利用していて、名前の由来も彼女の講義が終わるのを手持ち無沙汰で待っていた折りに店長が教えてくれた。
見慣れた店の扉を開くと、カウンター越しに店長と目があう。
「やあ…田崎君、いらっしゃい」
そう言うと拭いていた皿を置き、カウンター横を進むと一番奥にある椅子の『予約席』と貼り付けられた表示を外して「さあどうぞ」と席を勧めてくれる。
その場所は南側に面していて午後のこの時間にともなると道路に面した窓からの日差しは暖かく、春先や今の季節にはとても心地が良い場所だ。
その座席にはいつも彼女が座っていて、僕はその隣に座っては講義や週末の予定などを二人で相談しあっていたものだ。
今日もまたかつてのように彼女が一番奥の椅子に座り、僕はその隣に。 そしてメニュー表を見ることなく注文をする。
「ホットコーヒーを二つ。 僕はブラックで彼女は砂糖とミルクを二つ」
注文を聞いた店長はチラリと僕の隣を見るとすぐに豆をセットし、サーバーをセットする。
一拍置いて、
「今日はこの後病院に行くのかい?」
実は数ヶ月前に僕たちは事故にあって最近まで入院していた。 夏休みが始まって近くの観光地に向かっている最中に信号無視をしてきた車が左側から突っ込んできたのだ。
車が全損するくらいの大事故だった。
幸いなことに一ヵ月半の入院で退院できたのだが、事故による影響がまだあると医者は言うので周に二回は通院しなければいけない。
なので毎回僕は彼女との思い出が残るこの店を訪れているというわけだ。
「通院はしばらくは続くのかい?」
豆を挽くゴリゴリという音の後に細い帯状の黒色の液体は降り注ぐ。
瞬間香ばしい独特の香りがフワりと立ち昇り、サーバーの中をそれが満たしていく。
ぼうっと眺めながら僕は答える。
「ええ…何でもメンタル緬の影響まだあるらしくて、自分としては特に何にも不調はないんですけどね」
「それは彼女もなのかい?」
「ええ、カウンセリングって言うんですかね?その時には彼女も僕の横に居て一緒に受けています。今日もこれから一緒に病院に行かないとなんですよ。まあ質問されるのは主に僕なんですけどね」
「ああ……そうなんだね」
瞬間、店長の声色に変化が走ったことに気づいた。 なんだか落ち込むような、ショックを受けているような…うまくいえないけれど明らかに態度が変わったことに気づきながらも僕はボンヤリとコーヒーが満たされていくのを見つめていた。
どうも事故の後からこんな風になってしまうことは自覚している。
なんというか大事な事を忘れているような気もするけれど、同時にそのこと自体はどうでもいいようなことにも思える…なんだかそんなフワフワとした堂々巡りを繰り返しているのだ。
これが医者の言う事故の影響なんだろうか?
「はい、コーヒー二つお待たせ」
目の前に置かれたカップ。 その中にある黒色のそれを一口啜ると、キレのある苦味と懐かしい香りが頭蓋を刺激する。
「うん?飲まないのかい?」
隣の彼女はいつものように朗らかに笑うばかりで目の前のコーヒーに口をつけようとはしない。
「しょうがないな、入れてあげるよ」
包みを破り砂糖を注ぎ、一度スプーンでかき混ぜる。 ミルクをコーヒーに投入する。
ミルクは旋回する水面に沿ってグルグルと回り、白と黒の渦巻きを形成する。
それを見つめていると何かを思い出しそうでじっと見つめるが、途端に大粒の涙が出てきてしまった。
「…どうしたの?」
店長の声は優しかった。 唐突にコーヒーを見ていて泣くなんてことをしてしまったお客にポケットからハンカチを取り出して渡してくれた。
「なんででしょうかね?なんでだか悲しくなってしまって…何か大事なことを忘れているような気がして…」
店長が彼女の席に視線を移す。 彼女の前に置かれたコーヒーは未だ止まらず回転を維持している。
「うん、まあ…無理に思い出すこともないよ。思い出せないなら思い出すまで待てばいいんじゃないかな…いずれ思い出すよ……いずれ…ね」
噛み締めるような店長の言葉。 それは妙に意味深で、何かを知っているように見えてしまう。 けれどそれはきっと僕の気のせいだろう。
どうも事故の後から妙に心がざわめくというか、変に考え込んでしまうようになってしまった気がする。
こんなことではいけないな。 涙をふきとって彼女に向きなおると彼女はいつものように微笑んでいた。
「すいません…そうですよね…大事なことならいずれ思い出しますよね。たとえそれが辛くても…」
「……! うん、思い出せないならまだその時じゃないってことだよ」
なんだか湿っぽい雰囲気になってしまった。 二十歳を越えて泣いてしまうとは…。
気恥ずかしい気持ちを誤魔化す為に時計を見る。 病院の予約まであと30分ほどある。
街をブラブラするのには少し足りないな。
「もう少しだけここにいようか?」
気を取り直して店長に再度向き直ろうと思ったことでふと僕達の後ろに座っていた女性がこちらを見ていることに気づいた。
目が合うと、ぎょっとしたような顔で視線をそらす。
僕が急に泣き出したから思わず見てしまったのだろうか?
そのわりにはその視線には妙な恐れと驚きが含まれていた気がする。
まあいい、気にしてもしょうがない。
僅かに残った疑問をコーヒーで流しこむ。 店長は別の客の注文を受けに行ってしまったので、彼女との会話を楽しむことにする。
けれど10分ほど立ったところで見られているような気がして再度振り返る。
まただ。 件の女性がこちらを見ている。 気にせずに会話を続けようとするが、ことあるごとに目を丸く開かせながら、途中、何度か「えっ?」という驚くような声を上げている。
どうしたんだろうか? そんなに僕達は変に見えるんだろうか?
気になって視線を下げて自身の服装を確認する。
別段、変だとは思えない。 厚手の灰色パーカーに履きなれたジーンズ。
センスが抜群だとは言わないが、ことさら変な格好だとは思えない。 彼女の方だって薄青色のキャミソールに薄い白色の上掛けという代物で違和感のあるものだとは思えない。
いったいどうしてなのだろう?
女性と同じようにチラチラと僕が振り返っていることに店長も気づいたのか、彼女と店長の視線が交差するのを感じた。
店長がすっとカウンターから出て行こうとするので、
「ああ僕達のことなら大丈夫ですから」
声をかけたが、「ああ大丈夫だから」と爽やかに返すと店長はその女性の所まで歩いていった。
じっと見つめているわけにもいかないので前を向きながらも耳をそばだててみる。
店長は小声で何か女性に言っていた。
注意をしているのだろうか? 確かにあまりジロジロみられることには良い気持ちはしないけれど、わざわざ注意してもらうことではないと思うのだけれど。
「やあ、お待たせ」
店長は怒っている風にも見えず、いつもどおりだ。
「君がいきなり泣いたから驚いたみたいなんだよね…悪気は無いみたいだから許してあげてくれるかな?」
「許すも何もそれくらいで怒りなんてしないですよ」
「そうか…ありがとう。コーヒー冷めたでしょ?新しいのを入れるよ」
そういうと僕のカップに手を伸ばそうとする。
「いえ…もう行きますから」
「そうかい?それじゃ病院頑張ってね」
会計を済まし、立ち上がる僕の背中に店長が声をかけてくれる。 先程の女性は気まずそうにはしていたけれど一瞬だけ目があうと少しだけ頭を下げてくれた。
僕も会釈をして軽く返す。
店の扉を開けて出ようとしたところで僕は一度振り向く、
「また来ますね」
と声をかけた。 店長はちょうど僕の飲みかけのカップと一口も飲まれていないコーヒーを片付けているところだった。
彼女は椅子に座ってニコニコとそれを見ている。
「ああ…またのご来店を」
扉を閉めて外に出ると、日は少しだけ陰ってかすかに薄暗くなりつつある。
「さあそれじゃ行こうか」
声をかけると彼女は僕の前に立っていて笑いかけてくれた。
心は未だざわついているけれど、何故なのかはまだわからない。 けれど乗り越えていけると思うんだ。
僕に微笑む彼女がここにいるだけで…。
ふと街中を一陣の風が吹いた。 もう木枯らしと言ってもいいくらいに空気は乾燥していて肌寒い。
「もう冬が近いんだね」
独り言を呟く僕の横でやはり彼女は変わらず笑っていてくれた。
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