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作者: 唯響-Ion
第七十話 ビジネスパーソンと田舎者
 渋川は五条を通し、少しだけ鷲頭と心を交わす。
 巳代から諫干問題の説明を受けた弥勒は、はしゃぐ気持ちが消え失せた。しかしそうでなければ、九州へ来た意味を忘れてしまうのだ。京楽に溺れてしまってはいけないと、また強く決意した。
「ねぇ巳代。伊東さんに日出町の墓地の件について尋ねた際に、はぐらかされたって話をしたよね。その時、伊東さんはここ諫干問題について話してた。確かに……政治家の悪政だねこれは」
 そういって海を眺める弥勒の目の先には、海に網を敷いたり、棍棒を突き刺す漁業者の姿が見えた。
「少ないね。目を凝らさないと、全然見つけられない」
 憔悴したような弱々しい弥勒の波長に気づいた厚東が近づき、巳代と弥勒のすぐ側に立った。
「あれがなんの漁師か分かる? 弥勒くん」
「分からないなぁ。棍棒を海に突き刺して、なにをしてるのかも分からない」
「あれは有明海苔の漁師だよ。海苔菌を着けて、それを海に刺すんだって。そして二〜三ヶ月放置して、真冬に取りに来ると、海苔が巻きついてるんだよ」
「へえ、詳しいんだね。どうして?」
「まぁ地元愛? 別に漁師の娘じゃないけど、ここら辺の漁師のおじさん達には可愛がられて育ったからさ」
「船に乗ったことはある?」
「勿論。先祖の神様は、あなたの先祖の神様の為に軍船を率いたんだからね。戦士は船酔いをしない為にも、船には乗り慣れてないと」
「巳代から聞いたよ。厚東家のこととか、厚東さんのこととか」
「へっ……? 巳代がうちのことを……? なんで」
 なぜか赤くなっている厚東に、巳代は少し照れながら微笑んだ。弥勒は意味が分からなかったが、誰とでも仲良くなれる巳代でもいままで見せたことの無いその表情に、なんとなく二人のあいだにある気持ちを察した。

 一方の五条は海を眺めながら、鷲頭と渋川の三人でおにぎりを食べていた。
「有明海の磯の香りなんか、口の中の海苔の香りなんかよぅわからんね」
 そういいながら、ばくばくとおにぎりを食べ続ける五条を、渋川は可愛いと思った。鮭や昆布が入ったおにぎり。そんな単純な食べ物ですら、ラーメンや高級イタリアンの様な手の込んだ料理と同じく美味しそう頬張る五条なら、園芸部で育てた野菜を、美味しそうに食べてくれるだろうと思ったのだ。
 そんな暖かい気持ちを抱く渋川を、鷲頭は不思議に思った。よくもそんなに小さなことで心を暖められるものだと、そう思ったのだ。
 五条の容姿の可愛らしさや、魅力の真価に触れずとも、どうしてそんな気持ちになれるのだろうかと、疑問で仕方がなかった。だがその答えは、彼女が自分で見つけた。
「そうか……田舎者(いなかもん)だからか」
 心の声だった。だがそれは強い波長として、五条や渋川へ伝わってしまったことを悟った。
 しかし言葉と違いその心の声は、本心として寸分の違(たが)いもなく、その意味が伝わった。
 彼女のいう田舎者(いなかもん)とは、悪意のある言葉ではなかった。それは、人の熾烈(しれつ)さや苛烈(かれつ)さ、理不尽さに満ちた都会の醜いビジネスの世界に身を投じて心がすり減り醜くなってしまった自分とは異なる人という意味だった。慈悲と思いやりを持った穏やかな世界で生きてきた、優しくて純粋な子だからこその感性を、彼女は褒めていた。
 その真意を理解した渋川は、悪意がないことを理解しつつも、やはり自分がシティガールではないことを理解した。そして、それでいいとも思った。親友の秋月の様に、一人で都会まで遊びに行ける女性になれたことで十分なのだと思った。
 それが、積み上げられてきた環境と、自分達で選択して作った新しい自分という、唯一無二の特別な存在になれたことを現していると腑に落ちたからだった。
 歩んできた歴史と歩みいく未来に一切の後悔も狂いもないと悟り、渋川は勇気を出して弥勒らに着いて来られたことを、誇らしく思った。
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