第六七話 中学時代
鷲頭は五条への思いを振り返りながら、苦しかった頃を思い出す。
鷲頭は中学二年生の頃、自分の性的嗜好が他者(ひと)とは異なると、自覚した。
背が高くて、運動ができる男など、特に魅力的には映らなかった。中学時代の成長期の男どもというのは、元より背が高かった鷲頭にとっては目線が同じくらいで、特に男らしさは感じなかった。
世間では、男性の魅力で最も大切とされるのは、経済力であるという。しかし、惟神学園に居る者は皆、財力に優れており、今更不自由をさせない程の巨万の富に、魅力など感じる筈もなかった。
だが自由には、恋焦がれた。舞楽や雅楽、浄瑠璃や歌舞伎。そういった伝統の保持にばかり拘り、多額の資金を投じ、新しいことを受け入れようとしない堅物の両親や祖父母に、彼女は嫌気がさしていた。
「報国精神とか……郷土愛とか……どうでもいい」
特に昭和気質な父親は、彼女に対し、折檻を厭わなかった。「女子供のくせに口答えをするな」という思考停止な言葉が口癖だった父親に対する怒りが、彼女を強くした。そして父親と同じ考えの親族連中や、思春期を迎えて、自身の胸や足をニヤニヤしながら見てくる男共に対する軽蔑と憎悪が、募っていった。
だが心の底から尊敬する男性が、一人だけいた。それは、惟神を離れて起業し、実業家として成功した親類の鷲頭啓示(わしずけいじ)だった。
ただ一人、常に新しいことを追求し、ビジネスを通して人と繋がり世界を広げている彼を、彼女は尊敬したのだ。
そして彼の秘書として、ビジネスの方法を学んでいった。それが彼女の青春だった。
しかしそうして大人の社交を学び、同級生よりも先に大人になっていく彼女を、同級生達は人は馬鹿にした。「惟神の道を逸れた」だとか「パパ活」などと、覚えたての価値観や言葉で馬鹿にしてくる同級生達を、彼女はより軽蔑する様になった。
ビジネスを学ぶ中で、セクハラや女という理由だけで馬鹿にしてくる人に出会うことも少なくなかった。失態を演じ、おじさんである鷲頭啓示から注意や指導を受けることも重なり、彼女の心は次第に摩耗して行った。彼女を慰め支える人は、居なかったのである。
だがそんな彼女にも、常に笑顔を向けてくれる人がいた。それが五条衣世梨であった。
「今度一緒に、スタバの新作飲み行かん! 鷲頭ちゃんお洒落さんやし、PARCO(パルコ)とか天神コアも行こう!」
「スタバの新作……私も飲みたい」
スタバは彼女にとって、初対面のビジネスパーソンと打ち合わせをする際に使う、カフェの一つだった。だから五条と二人で店に入った時、ストレスと緊張感を思い出した。
五条の真っ赤な唇がストローを咥え、液体が口に入る姿を、鷲頭はなぜか、じっと見つめて閉まった。
次の瞬間、五条はとびきりの笑顔を見せ、「美味(うん)まか!」といった。潤んだ大きな瞳は、笑顔になって細くなっているはずなのに、それでも尚大きかった。
膨らんだ涙袋と、二重から目尻に向かって伸びたアイラインが、美しかった。
「メイク、上手いんだね。学校じゃすっぴんなのに」
「学校厳しいやん? 私普段はめっちゃメイクするよ。鷲頭ちゃんのメイク、めっちゃ社会人みたい。カッコイイやん!」
そういって、五条はその大きな目で、鷲頭の目を真っ直ぐに見つめ、そして笑った。
その余りに優しくて、可愛くて、尊い笑顔に、鷲頭の心は疼(うず)いた。これがよく耳にする、恋というものなのだと、五条はすぐに悟った。
「私にも、教えてよ。その……可愛いメイク」
「今日のは地雷メイクっていうとよ〜印象バリ変わるけん、やってみよ!」
そうして鷲頭は、五条から女の子らしさを学んでいった。そうして親交を深めていく中で、鷲頭は五条に興味を持った。
「そしてホクロとかはコンシーラーで隠すったい? そしたら、その上からファンデーションを塗って」
「ねぇ衣世梨ちゃん」
「なにー?」
「衣世梨ちゃんってどうやってメイクを覚えたん? 私は社会人のマナーとして、講師から教わった」
「独学だよ〜でも五条家ってお堅いけんさ〜両親を説得するの大変やったっちゃん。でも愚かな両親ではなかったから、分かってくれた」
「衣世梨ちゃんって、凄く……その、普通の女子高生みたいな雰囲気なのに、時々、五条家らしい品性を感じさせるよね。ほらメイク道具だって汚くなりがちなのに、色とかサイズ別に分けられてるし、その……普段の言動でも少しだけ品性が現れてるっていうか」
鷲頭がそういうと、五条は鷲頭が感じている疑問に対し、簡潔に答えた。
「五条家は、元を辿れば菅原家、もっといえば古代の土師氏(はじうじし)にまで遡る、千年以上続く名家だからね。まぁ源平藤橘(げんぺいとうきつ)みたいに皇族と深い関わりがある家々と比べちゃうとアレやけど、やっぱり威厳が大事っちゃん。やけん……プライドも私にはある。でも、鷲頭ちゃんみたいに、新しい価値観とか同年代の流行……ニーズだっけ? そういうのも大切にしたいから、私はこういう性格になったと」
五条は、自らの家を、九州一の名家だと感じていると語った。だからこそ、方言を矯正しないのだとも語った。
自分の家の尊厳を守りながらも、時代に適応して前へ進もうとする五条。そんな五条を鷲頭は、尊敬した。自分にないものを持つ五条衣世梨という人物に、性的、女性的な魅力以上に、人間的な魅力を見出し、沼にハマった。
背が高くて、運動ができる男など、特に魅力的には映らなかった。中学時代の成長期の男どもというのは、元より背が高かった鷲頭にとっては目線が同じくらいで、特に男らしさは感じなかった。
世間では、男性の魅力で最も大切とされるのは、経済力であるという。しかし、惟神学園に居る者は皆、財力に優れており、今更不自由をさせない程の巨万の富に、魅力など感じる筈もなかった。
だが自由には、恋焦がれた。舞楽や雅楽、浄瑠璃や歌舞伎。そういった伝統の保持にばかり拘り、多額の資金を投じ、新しいことを受け入れようとしない堅物の両親や祖父母に、彼女は嫌気がさしていた。
「報国精神とか……郷土愛とか……どうでもいい」
特に昭和気質な父親は、彼女に対し、折檻を厭わなかった。「女子供のくせに口答えをするな」という思考停止な言葉が口癖だった父親に対する怒りが、彼女を強くした。そして父親と同じ考えの親族連中や、思春期を迎えて、自身の胸や足をニヤニヤしながら見てくる男共に対する軽蔑と憎悪が、募っていった。
だが心の底から尊敬する男性が、一人だけいた。それは、惟神を離れて起業し、実業家として成功した親類の鷲頭啓示(わしずけいじ)だった。
ただ一人、常に新しいことを追求し、ビジネスを通して人と繋がり世界を広げている彼を、彼女は尊敬したのだ。
そして彼の秘書として、ビジネスの方法を学んでいった。それが彼女の青春だった。
しかしそうして大人の社交を学び、同級生よりも先に大人になっていく彼女を、同級生達は人は馬鹿にした。「惟神の道を逸れた」だとか「パパ活」などと、覚えたての価値観や言葉で馬鹿にしてくる同級生達を、彼女はより軽蔑する様になった。
ビジネスを学ぶ中で、セクハラや女という理由だけで馬鹿にしてくる人に出会うことも少なくなかった。失態を演じ、おじさんである鷲頭啓示から注意や指導を受けることも重なり、彼女の心は次第に摩耗して行った。彼女を慰め支える人は、居なかったのである。
だがそんな彼女にも、常に笑顔を向けてくれる人がいた。それが五条衣世梨であった。
「今度一緒に、スタバの新作飲み行かん! 鷲頭ちゃんお洒落さんやし、PARCO(パルコ)とか天神コアも行こう!」
「スタバの新作……私も飲みたい」
スタバは彼女にとって、初対面のビジネスパーソンと打ち合わせをする際に使う、カフェの一つだった。だから五条と二人で店に入った時、ストレスと緊張感を思い出した。
五条の真っ赤な唇がストローを咥え、液体が口に入る姿を、鷲頭はなぜか、じっと見つめて閉まった。
次の瞬間、五条はとびきりの笑顔を見せ、「美味(うん)まか!」といった。潤んだ大きな瞳は、笑顔になって細くなっているはずなのに、それでも尚大きかった。
膨らんだ涙袋と、二重から目尻に向かって伸びたアイラインが、美しかった。
「メイク、上手いんだね。学校じゃすっぴんなのに」
「学校厳しいやん? 私普段はめっちゃメイクするよ。鷲頭ちゃんのメイク、めっちゃ社会人みたい。カッコイイやん!」
そういって、五条はその大きな目で、鷲頭の目を真っ直ぐに見つめ、そして笑った。
その余りに優しくて、可愛くて、尊い笑顔に、鷲頭の心は疼(うず)いた。これがよく耳にする、恋というものなのだと、五条はすぐに悟った。
「私にも、教えてよ。その……可愛いメイク」
「今日のは地雷メイクっていうとよ〜印象バリ変わるけん、やってみよ!」
そうして鷲頭は、五条から女の子らしさを学んでいった。そうして親交を深めていく中で、鷲頭は五条に興味を持った。
「そしてホクロとかはコンシーラーで隠すったい? そしたら、その上からファンデーションを塗って」
「ねぇ衣世梨ちゃん」
「なにー?」
「衣世梨ちゃんってどうやってメイクを覚えたん? 私は社会人のマナーとして、講師から教わった」
「独学だよ〜でも五条家ってお堅いけんさ〜両親を説得するの大変やったっちゃん。でも愚かな両親ではなかったから、分かってくれた」
「衣世梨ちゃんって、凄く……その、普通の女子高生みたいな雰囲気なのに、時々、五条家らしい品性を感じさせるよね。ほらメイク道具だって汚くなりがちなのに、色とかサイズ別に分けられてるし、その……普段の言動でも少しだけ品性が現れてるっていうか」
鷲頭がそういうと、五条は鷲頭が感じている疑問に対し、簡潔に答えた。
「五条家は、元を辿れば菅原家、もっといえば古代の土師氏(はじうじし)にまで遡る、千年以上続く名家だからね。まぁ源平藤橘(げんぺいとうきつ)みたいに皇族と深い関わりがある家々と比べちゃうとアレやけど、やっぱり威厳が大事っちゃん。やけん……プライドも私にはある。でも、鷲頭ちゃんみたいに、新しい価値観とか同年代の流行……ニーズだっけ? そういうのも大切にしたいから、私はこういう性格になったと」
五条は、自らの家を、九州一の名家だと感じていると語った。だからこそ、方言を矯正しないのだとも語った。
自分の家の尊厳を守りながらも、時代に適応して前へ進もうとする五条。そんな五条を鷲頭は、尊敬した。自分にないものを持つ五条衣世梨という人物に、性的、女性的な魅力以上に、人間的な魅力を見出し、沼にハマった。
天神コア……福岡市天神にあったデパート。現在は閉館し、その他複数の商業施設跡地を含めた巨大商業施設である天神ビッグバンが建設中。