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作者: エコエコかわえ
R-15
S11C4 プレイヤー

 暗号には解き方がある。

 例えば、文字を一定の規則で並べ替える。あいうえお表でひとつずらしたり、対応表を作れる形にしたり。例えば、特定の言葉を抜いたり足したり。たぬき、さぬき、レタス、トイレ。例えば、暗喩する言葉。パンダ、紙、風船、水。

 今回はそのどれでもない、単にど指す先を不透明にしただけの言い方だ。「イマスグ・ニヒャク・ミギ・ニジュウ・デル・ニジュウ・デル・ヒダリ・ヒャクニジュウ・ハイル」の数字と方向と行動をどこに当てはめるかだ。すなわち、今すぐ見つけられる範囲にあり、二百であるどれか。

 答えはすぐに見つけた。研究室の扉を出てから受付まで歩数が四百、メートル法に換算して二百だ。右は出口まで二十メートル、出てさらに二十メートルで門、ここから左へ百二十メートルの地点で入れるものを探す。

 兎田の歩幅は、足跡の右足から右足までがおよそ百センチメートルになる。少しだけ狭く意識したら歩数の半分がそのままメートルになると見ていい。横断歩道を渡り、道なりに曲がり、二百四十歩。

 それらしい場所に着いた。

 外見は倉庫だ。近くは塀なので間違えた可能性はない。誤差と呼べる範囲にはマンホールも鉤十字もHの字もない。ハイルは文字通り入ると解釈して、倉庫の外観を見た。

 スマホで住所から確認すると所有者がいない。地主も管理者も不明で、接収もできずに残っている。トラックかダンプで運び込むような空間がある。シャッターは降りているが奥に扉が見える。監視カメラはあるがご丁寧にもケーブルが切れている。いい予感はしないが、臼井を信じるなら入れば何かを得られる。経験ではないよう願う。

 敷地に踏み込む。

 すぐに情報を得た。車の轍、ただしタイヤの溝はかき消されている。太さだけは残っているあたり、タイヤの後ろに何かをぶら下げて隠したと見る。ダンプにしては細い。トラックだ。

 ではトラックで何を運び込むか。轍に近い入り口はこれ見よがしに浮いていた。少し訝しんだが、周囲にトラブルの元は見えない。

 入る。ただし、頭上と物陰には気をつけながら。

「ごめんください、こちらに呼ばれたのですが」

 申し訳程度に声をかけて、不法侵入ではないつもりだと示す。中は暗いが、扉を開ければ西陽が照らす。

 目の前には、脚が生えた麻袋が座っていた。

 靴は医療従事者風で磨かれていて、パンツスーツの体型からおそらく女性。腰で留める紐はご丁寧にも蝶々結びになっている。

 助け出したくなるから、背後へ蹴りを放つ。空振りだ。誰もいないし、隠れられる場所も塀の向こうだけだ。罠なら次は上と横、飛び出して明かりを準備し、照らす。スマホの頼りない光でも何もないと理解するには十分だった。ならば本当に、この女を見せたいだけか。

 紐を解く。袋を引き上げる。何者が出るか、長い黒髪を巻き込んで、振り払った顔は、兎田の初恋だった。

 彼女は蓮堂節子れんどう・せつこ、職業は探偵。兎田とは高校で二年半を連れ添ったが、卒業を前にして仲違いし、連絡できない期間が続いたあと、自然と関係が途絶えた。それ以降は一瞬だけ顔を見ただけで連絡先も互いに知らない。

 猿轡を外し、ティッシュに包まれだ石ころを吐き出させた。咽せる様子を見て、落ち着いたら話を始めた。後ろに回った腕はそのままで。

 服はいくらか乱れているが、揉み合った形跡はない。背後から一撃でと見るのが妥当だ。あの蓮堂が気を抜くとも思えないが、いくつもの手を絡ませれば不可能ではない。

「なぜ蓮堂がここに?」
「お前こそ、早すぎだろ。奴らとグルかよ」
「何者? 私はここを案内されたから来ただけ」

 蓮堂は睨むが、今の状況では信じるか、そうでなければ沈黙しかない。勝ち目がない者はされるがままだ。

「女一人と男一人だ。声の感じから、女は百五十くらいの冷血、男は百八十ほどの言いなりだ」

 体格は誰でも一致する。百五十ほどの女はいくらでもいて、兎田が知る範囲でもメイドの未来翔と、バニーガールの犬山成美やナンバースリーが当てはまる。他の女ならお手上げなので、暫定的にこの三人に当てはまらない要素を探す。百八十ほどの男はさらに難事で、兎田の客はほとんど全員だ。

「心当たりないわ」
「だろうな。情報が少なすぎた」
「助けが必要かしら」
「探偵を舐めるな。高い貸しは作らん」

 目線は扉の外へ、誰が来ても気付ける構えで頭を働かせた。腑が煮える。九年前の夜を昨日のように思い出す。

 新宿歌舞伎町の店を偵察した夜だった。

 兎田は竜胆の店で働いていた。高校の頃にいたメイド喫茶で噂を聞きつけた竜胆のスカウトに乗り、大学生活と並行してバニーガールを始めた。メインホールでゲストを盛り上げて、ドンペリとシャンパンを浴びせる。ナンバーワンの座を得るのは時間の問題だった。

 夜道で、殺し屋が来た。

 裏路地から兎田へ掴みかかった。間一髪で躱して、兎田は逃げる。

 大通りなら人が多くて紛れられるが、同時に追手の隠れ場所にもなる。この程度では隠れきれない。直観したので裏道を突っ切った。

 距離が縮む。逃げ切りは不可能とわかり、建物に飛び込んだ。扉と鍵を閉じてから中にいる別の誰かに気づいた。

 何を説明する余裕も警戒する間もなく銃声がふたつ。蝶番を失った扉はただの枠に成り下がる。

 建物は敵から守る城壁だったが、飛び込まれれば逃げ道を塞ぐ障壁になる。再び外を走る。ダメ元で大通りに混ざり、人を盾にして駅まで行ければ。

 その一歩目で遠くにいたのが蓮堂だった。彼女の満足そうな顔をよく覚えている。

 高校での蓮堂は孤立していたが、外部に頼れる大人がいるから気丈に振る舞っていた。その大人は兎田も一瞬だけ顔を見ていた。探偵の男と、自称殺し屋の男。より正確には、蓮堂によると自称殺し屋の男。

 仲違いの後は噂から探偵について行ったと聞いたが、その三年後に自称殺し屋が来て、蓮堂もその場にいた。考えてみれば探偵なら殺し屋との接点を作りようがある。両方の可能性は大いにある。これまでと同じ平和台の家には帰れない。竜胆に相談して、今のマンションに移り住んだ。

「蓮堂は覚えてる? 九年前の歌舞伎町を」
「覚えてるよ。本当に殺し屋だったんだな」

 他人事のように語るので、兎田は襟を掴んだ。

「けしかけたのは蓮堂でしょう!」

 空洞の倉庫が反響して声の出しすぎを教える。手首を捻り、服が蓮堂の首を絞めつける。体は無抵抗なままでも、目が口ほどに異論を語った。しばらくは絞めていたが、突発した怒りがわずかに鎮まると、その訴えを聞く気分にもなる。職業柄、言外の意図を敏感に見つけてしまう。

「違う」

 再び咽せて言った。

「私はあの自称殺し屋と関わりはない。あいつは卒業を間近にしてふらっと来なくなった。それに、わかるか。探偵の方がかっこいい。私が高校を出た後は探偵事務所の助手から始めて、そしたらお前があの自称殺し屋と一緒にいたって噂を聞いたんだよ」
「一緒になんて。最後に挨拶をしにきた程度よ、あいつは」
「律儀だよな。ならあの夜に走り回ってたのは、お前と一緒に誰かを殺すんじゃあなかったか」
「殺されかけたのは私。それで蓮堂、あの殺し屋が差金じゃないなら、なぜ笑ってたの?」

 蓮堂は自嘲するように肺の中身を捨てた。再び装填し直して「決まってるだろ」から続けた。

「また会えたから。こう見えて未練があったんだよ。お前にな」

 蓮堂はやけに満足げな顔をしている。蓮堂から兎田へは負の感情がなく、せいぜい連絡を取れなくなった程度だった。どこかでまた会えたら兎田次第でやり直せる、その準備がある。

「あらそう。私はもうないわよ、蓮堂には」

 一方で兎田から蓮堂へは、勘違いとはいえ殺されかけたと思っていた。日常に蓮堂の影はなくなり、別の相手を見つけている。兎田にとって蓮堂は懐かしい顔ぶれのひとつだ。

 蓮堂は正式に振られた。兎田が振った。

「仕方ないな。お前はお前の道を行けよ。他の誰の道でもなく、な」
「どこまで知ってる?」
「少し前に勤め先と住所を調べた。ただし部屋番まではわからん」
「一流ストーカーね」
「何とでも言え。お前が関わってる男、まずいぞ」
「名前が似てるからって妬いてる?」
「茶化すな。あの竜胆とか名乗る男は素性が知れん」

 知ってる。兎田が自分で調べたのと同じ結果だ。探偵にもわからない存在だが、兎田には船上での会話がある。竜胆が何を求めているか、自分が竜胆の何になれるか、兎田は知っている。

「彼についていくわ。理由はわかるでしょ?」
「兎に祭文か。自称サビオセクシャルが聞いて呆れる」
「何とでも言いなさい。邪魔はさせない」
「しねえっての。本気なら送り出すだけだ。帰る場所だけは残しといてやる」
「デッドスペースね。蓮堂らしい」

 喧嘩をしても、仲違いをしても、築いた信用だけは奥底に残る。二人はどこかが似ている。強欲なところか、負けず嫌いなところか、自分だけが秘密の情報を握る愉悦か。あるいは全て。

「本当に助けはいらない?」
「探偵を舐めるな。もうすぐ優秀な助手がパンダに乗って来る。逃げるなら二〇分以内に西側だ」
「忠告どうも。助手ちゃんにも挨拶したかったけど」
「知ってるってのか?」
「私の写真を見て逃げ帰る女の子。蓮堂が仕込んだでしょ」

 蓮堂は黙った。正解だ。嘘で誤魔化すにも備えが必要になる。

 散らばった麻袋や石ころは兎田が持ち帰る。半端に残っていたらこの場での出来事を勘繰られる。物が消えていれば蓮堂がうまく誤魔化す。

「私は行くから、蓮堂、早いとこいい人を見つけてね。ストーカーはしちゃだめよ」
「へいへい。どの口が言うかね」

 挑発を無視して、兎田は背中を見せた。
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