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作者: エコエコかわえ
R-15
S04B2 サブ偽名

 イルミネーションは今日も変わらず輝いている。

 記号化したモミの木と五芒星が毎年こうして現れる。あっちを向いてもこっちを向いても、初めて見たように足を止める人がいる。恋愛を知らない者はインターネットで管を巻くが、大抵は本当に初めて見ている。心境が変われば受け取り方も変わる。一人で見るか、恋人と見るか。

 もちろん兎田も便利に使う。イルミネーションの話題が出るのは心境が変わった者だけだ。おそらく成功側に。これから会う相手も、これまで触れもしなかった話題にいきなり触れていた。工業系のホワイトカラーの男だ。

 乗せれば、崩せる。

 成功の時期には二種類にわかれる。行動の前か、行動の後か。後なら話は早いがホワイトカラーなら前が多い。これから動き始められる事業とは、これから必要になると見込んだ事業だ。防衛戦に必要な品物、一般層向けの防災や護身、社会活動の何かを掴んだか。早いうちに盗み出しておきたい。

 待ち合わせの五時、人形町駅。ヒールを入れたら一七六の身長は、まず頭の高さで目立ち、いくらかの男性と並べば今度は女性的な装飾で目立つ。見つけるに手間取るはずがない。まだ来ていないか、進めずにいるか。

 目の前にタクシーが止まった。扉が開き、中から待ち合わせの男が顔を出した。

 小山孝重こやま・たかしげ、いつものスリーピースに見えたがよく見るとベストに光る筋がある。よそ行きの服だ。

「さつきちゃん、おまたせ!」

 彼に教えたのはもちろん偽名とサブ偽名だ。

 名前は個人と強く結びつく情報として知られている。普段は源氏名で動き、仕事も忘れて恋愛感情を抱いてしまったと演出する。本名らしく見える偽名としてさつきと名乗り、偶然を装いサブ偽名が書かれたカードを見せる。まだ仲を深められる、そのために第一の偽名を本物と信じ込んだように振る舞う。

 恋は駆け引きだ。紛い物なら特に。

「ちょうどいい所。運転手さん、よろしくお願いします」

 いい女を装ってタクシーを走らせ、約束した料理店へ向かう。メーターから乗り始めてからの距離が透ける。彼の仕事なら新木場あたりだ。

「お腹の具合はどう?」
「ぺこぺこにしてきたわ。楽しみすぎて」
「いいねえ。きっと大満足になるぞ」

 第三者にやりとりを見せつけたいのだ。タクシー運転手から愚痴を聞いていた。そういう客がよく来る。若手にはトロフィーとして美人を見せつけ、擦れた同年代には美人を買える金を見せつける。転がしやすい男だ。

 目的地は近いのでそんな時間はすぐに終わる。支払いをクレジットカードで済ませて、店に入れば「お待ちしておりました」から案内が始まる。個室を広々と使い、目の前の鉄板で料理人が海の幸を捌いては焼き、配り、食べる。食材や産地の解説も交えて話題には事欠かない。

「私、アワビは初めて」
「気に入ってくれるといいな。似た貝のトコブシと食べ比べもしようか」

 小さな一言で小山は目を輝かせた。口に含むより口から吐くほうが笑顔になる。少しの知識でも語り口でさも一流のように見せかける。こういう男はハッタリの腕がいい。繕う技術があれば、多少の不足分は現場が助けてくれる。

「言われれば違いがわかる、わかるけどどっちもおいしいわね」
「結構な食べっぷりだよね。来た甲斐があったよ」

 その後も数々の豆知識を披露する中から傾向が見えた。産地の話が多く、小山の仕事に地域が関わったと見える。

 兎田は決して焦らない。優位にいるから、いつまででも待てる。

 探り合いはコイントスに似ている。コインを投げると平等に表か裏が出る。数回なら偏りも珍しくないが、投げた数が増えるほど半々に近づいていく。それが大数の法則だ。幸運は続かず、不運も続かない。

 平等なのは表か裏かまでで、それらが意味する結果は用意する技術が決める。

 優位な側は表なら大勝利で、裏なら次のゲームに進む。対する劣位な側はそうはいかない。表ならひとつ前進。裏なら脱落だ。コインは誰にでも平等に牙を剥く。勝つべき数が少なく負けていい数が多い側、有り体に言えば強い者が一方的に有利な戦場だ。

 ならば弱者の戦略はコイントスの拒否に収束する。投げなければ表も裏もない。勇気を振り絞って勝負を降り、勝てる場へ逃げ込んd格下を狙う。もしくは最初の一発に全てを賭ける。勝率は低いが、二連勝よりは勝ち目がある。

 ならば強者の戦略は、弱者を煽てて強者に仕立て上げる所から始まる。勝負をすれば勝てると考えればコインを投げる。勝負を降りるのは弱者の特権ではない。勝たせてやり、煽てる口実を作る。負けを恐れるのは弱者だけだ。勝ちが諸刃の剣なのも弱者だけだ。前進を重ねた先には狼の餌場がある。

 兎の顔をしていても、狼の牙は変わらず鋭い。

「お客様、デザートは杏仁豆腐でございます」

 味のおかげで満足はしているが、量はまだ腹八分目にも満たない。これも小山の図らいと考えて顔色を窺う。満足げで、しかし満腹の風ではない。続きがある。何を見せたがっているか、兎田は見る。

 その場では語らずにレンゲを取る。赤く光るクコの実から食べて、次いで白の本体へ。優しくほのかな甘みを口の中で溶かしていく。

 料理人が挨拶と共に離れる。去り際に小山はカードを預けた。土産の紙袋をと共に彼にカードを返す。何事もなかったように帰る話を始めて、兎田は会計をいつの間にか済ませていた事実に驚いて見せた。いい男を演出させる。

 帰りは大通りまでの少しを歩く。その時間に話をしたがる。

「さつきちゃん、少し足りないんじゃない?」
「少しね。でも美味しかったわ」
「近くで軽い社交会があるんだけど、どう?」
「私が行っても平気な場なの?」
「大歓迎だよ。持て余したらケータリングの色々を食べてるといい」
「では、お邪魔します」

 徒歩で三分、大ホールを優雅に使う、立食パーティの会場に来た。

 案内が不親切なので内輪を前提にした集まりだ。看板がないのでよそ者は興味を持たず、無作法に紛れ込んでもすぐに見つけて追い出せる。

 小山が名前を伝えて、ゲスト用の名札を受け取る。参加費は不釣り合いに安く、そんな場では参加者が商品だ。

 眺めればはっきり分かれている。買う側と買われる側に。

 新聞や講演会で見覚えある顔がちらほらいる。すでに話が佳境のグループは、政治家組とロビイストの縁談や、起業家の先輩後輩関係らしきゴマすりが飛び交う。中心にある食べ物は、申し訳程度の透明なカバーで飛び交う飛沫から守られていた。小さなサンドイッチを貫くピックの旗で誰が出資者かをアピールする。

 近寄り難い臭いだ。ひとつ前の夜に兎田が噴かせた汁さえマシに思える汚泥が所狭しと混ざり合う。

 政略結婚など表向きには強要できないとされているが、人の自由意思は言葉ほどの自由ではない。自由落下と同じく、大きい物に吸い寄せられる。年端もいかぬ男女がやっと親に恩返しできると信じて自らを道具にする。その決定こそが自分の意思だと信じ込んだままで。いずれ再発見するかもしれないが、二十年ばかりの時間を稼げば目的は済んでいるし、世論は強く気取りたい者が弱そうな中高年を殴りたがり、司法は証拠もなしには動けない。勝つのは強い者だ。そのついでに、大学生の駒も手に入る。

 小山は取引先らしき集団との話を始めた。兎田は一歩引いてかしずき、小難しい話には興味がないような顔で、口を食べ物で塞ぐ。耳だけは立てておく。

 兎田は買われる側になる。誰が買いたがるかを見る術であり、ライバル視から逃れられる。買う者同士の牽制合戦に巻き込まれれば面倒だ。

 ただでさえ牽制に見えた品がある。

 入場に際し受け取った名札にある謎の番号が目を引く。赤の印字で四番、思い出す先に巨大なひとつがある。入場順ではない。女性はすぐ近くだけで六人もいる。

 話しかける口実を絞り、乗った者を警戒する。

「来場の皆様、演者の到着が遅れまして、大変お待たせしております。そのため、順番を前後しまして、余興のマジック・ショウを先に執り行わせていただきます」

 もちろん建前かもしれないが、後にSNSでお礼の言葉をアピールする連中を探す手がかりになる。

 放送が続く。詳しい話を求めて周囲に耳を立てるが、大勢の目がある場だ。誰もの守りが固くなる。

 どこにも気を抜けない場だが、一人だけ見知った顔が現れた。彼は奇術師アンノウン、青のタキシードは本業で使うものだ。

「お集まりの皆々様、大切な時間を彩るため、ワタシも協力させていただきましょう」

 仰々しい語り口で頭を下げる。大きく回したシルクハットは中身がないと見せたのに、再び頭上に戻すとモゾモゾと動き、改めて持ち上げると白い鳩が飛び出した。

 会場はお約束がわかっている連中だ。兎田も例外ではない。拍手で期待を示す。

 手品とは芸のみでは成り立たず、観客との対話が必要になる。予想もつかない出来事を起こしてはいけない。予想できたはずなのに何故か予想せずにいた出来事を起こす。後から見れば違和感を持って然るべき点を見過ごしていた、コロンブスの卵のように次は自力で見つけられるぞと決心させる。敗因を明らかにして、気持ちよく負けさせる。

 成功者は自らを負かす逸材を待ち侘びる。弱者が勝てる相手を探すのと同じく、馴染みが浅いほうに価値を見出す。

 アンノウンはケータリングの棚からひとつを開けた。真上からひとつに手を伸ばす。サンドイッチのひとつ、左奥の半端な位置のピックを掴み、持ち上げると底が競り上がり、細長い空間からステッキを取り出した。

 と思えば舞台に戻る頃にはステッキがなくなっていた。どこかへ隠すには物陰がない。袖やポケットに入れれば服が崩れるはずでも、最初と同じく整った青のままだ。

「道具はこれにて揃いましたら、あとは本日の助手を任命いたしましょう。お手元の名札をどうぞご確認あれ」

 一斉に目線が下がる。ポケットから、ハンドバッグから、どこかに置いたからとテーブルから。謎の数字がついに意味を持つ。

「こちら皆様ご存知のトランプ、買ったままの未開封でございます。すぐ向かいのセブンイレブンのレシートもあり、日付も中身も誤魔化しようがありませんとも」

 封を切り、中身を確認させる。スート四種類に数字と絵札が十三枚ずつ、ジョーカーが二枚。順番通りに並んでいるので見間違えるはずがない。合計五十四枚のカードをシャッフルしていく。誰もが経験するヒンズーシャッフルと、手品師のイメージが濃いリフルシャッフルや連なるブリッジを交互に繰り返す。どちらも単体ではイカサマをやり放題だが、組み合わせればどのカードがどこにあるか誰にも予想できなくなる。しかも、短時間で。

 手品にあるまじき手つきだ。兎田の目にはそう映った。きっと集まった何人かも同じ理由で同じ考えに至る。アンノウンの狙いはきっとそれだ。相手に合わせて水準を切り替える。カードの扱いに長けた人が集まるなら、相応の扱いで初めて説得力が生まれる。

「ではこちらのカードに、助手を選んでいただきましょう。お連れがいらっしゃるなら、その方もどうぞご一緒に」

 アンノウンがカードを捲る。出た数字は、ハートの四。

「ワタシの助手は、赤の文字で四が書かれたお方、もしおられないなら次のカードに尋ねますが――」

 見渡すので、兎田は小さく手を挙げた。入場証にある赤の四を見せたら、示しあわせたように周囲からの拍手が降り注いだ。

「素敵な女性が助手になってくださいました。お名前を拝借、早川皐月様、お連れの方は」

 目で小山を指し示す。

「ナイスミドルもご一緒に。さて来ていただいた助手が美男美女のため名残惜しいですが、お二人にはこちらの箱に入っていただきましょう」

 どの箱に? 会場の疑問はアンノウンが向かうテーブルに集まった。さっきまで誰かが食べていた皿や食器に、飲みかけのグラスもある。中央の花瓶は紙のように薄い焼き物で、縁に触るだけでも欠けそうで誰も近くには置かなかった。

 そのテーブルクロスを惜しげもなく引き、飲み物がわずかに揺れて、下に隠れていた箱を露わにした。片手で引き出せる軽さを示し、置き直して人が立ったままで入れる高さにする。

「お二人で入るには少し窮屈ですがどうかご安心を。この場での不埒な行いはただちに衆目に晒されてしまいます」

 笑いが起こる。手品よりも大道芸と語りを買われたか。
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