11.202号室、片恋応援 1
万屋荘に戻って、翌日。
改めて、方々に心配をかけてしまったことの謝罪とお礼に皓子は回っていた。
誰もが皓子の無事を喜び、気を遣ってくれた。そのことにさらに申し訳なくなって頭を下げれば、気にするなと暖かく言われ泣きそうになってしまいそうだった。
水茂は我がことのように皓子が拐かされたことを憤り、佐藤原はうちの関係者がご迷惑をとギフト券をくれた。田ノ嶋や世流一家はあのとき一人で帰してしまったことを逆に謝られた。
皓子のうかつさが祟ったのだと説明しても、それでもと皆からしきりに心配されて、気恥ずかしさを覚えたほどだ。
そして、群を抜いて飛鳥の謝りっぷりは凄かった。
今回の件で唯一その場に居られなかった飛鳥は、このことをひどく気に病んでいた。
飛鳥は己の情けなさに腹が立つと、潤んだ眼で皓子へ何度も大丈夫だったかと確認してきた。みんなのおかげで大丈夫だったと丁寧に伝えれば、ようやく勢いは落ち着いたほどである。
万屋荘のなかで、唯一身寄りがない飛鳥はここが故郷で実家と公言している。
そして、皓子を血の繋がらない兄妹と認識している。
皓子もまた、飛鳥を兄のような人だと思っているし、頼りにしていた。だからこそ、余計に悔いているのだろう。
(……もしかしなくても、翔くんが落ち込む一番の理由って、田ノ嶋さんが活躍するとき一緒にられなかったことかも)
ただいま皓子は、飛鳥の部屋に招かれていた。
謝罪行脚のあとで、改めて話を詳しく聞きたいと言われたためである。
田ノ嶋の大立ち回りを、お茶を飲みながら皓子が説明をすれば、飛鳥は机にうつぶせて撃沈した。か細い声が聞こえてくる。
「俺、ぜんぜん役立てなかった……」
「翔くん、そんなことないよ、大丈夫だよ。帰ってきてくれてから、万屋荘の細かいところの修繕とか見回りとかしてくれて助かったもの」
「こっこちゃんや麻穂さんが大変なときも現場に行けないし……共闘とかできなかったし……」
「過剰戦力だって判断されちゃったんだよ。あの戦い特番になるって佐藤原さん言ってたもん。ライバル会社の人が転移させたんでしょう? 翔くんのせいじゃないよ」
「……御束くんがこっこちゃんの彼氏になったっていうのも、俺、あとから聞いたし……ぜんぜん知らなかったし……」
「えっ、あっ、えと、それは」
お礼を言って回ったとき、アリヤは「お礼なら、俺をもっと意識してね」と、それはそれは綺麗な笑みで皓子に言ってのけた。
極上の容姿からくりだされる甘い言動も勿論強力だったが、自身の感情を包み隠さないことに、一瞬意識がくらっと遠ざかる心地がしたものだ。
ただ相変わらず、手出しはされない。
あのとき、皓子を連れて帰ってきたときに聞いた、皓子に関する契約を結ばれているかららしい。
アリヤ曰く、「俺が皓子ちゃんを好きだなあって思ったときに、管理人さんへ挨拶しに行ったんだけどね。そのとき、本気ならこの条件で節度を持って接するようにって契約結んだんだ。水茂様も居てさ、半ば脅しみたいにされちゃった」とのことだ。
なお、その件に関しては、アリヤは「腕が鳴るよね」くらいにしか感じてないらしい。
当の皓子を前に言ってきて、なんと反応したら良いかわからず赤面してしまった。
そんなこんなで、半ばお付き合いを前提にして口説かれ中という状態になっているのだった。
とはいえ、それを一から説明するには、うまく言える自信が無い。なにより、言うより先に飛鳥の意識は別の方向へ飛んでしまっていた。
「寂しいなあ……こっこちゃん、これから彼氏といるのかあ……いいなあ……恋人……」
「ああ……」
その言葉で、飛鳥の恋の進展はこれっぽっちも進んでいないのだと悟る。
ユアラクで田ノ嶋が「飛鳥くんは救世主だから」と言っていたが、恋愛方面には発展していないのだろう。
「あの、その、応援するねえ。翔くんとお似合いだと思うし、大丈夫だよ。いけるいける!」
「そうかな……宇江下さんっていう男の人とこの間話してたし……」
「あれは佐藤原さん関係で、田ノ嶋さんのお仕事に関することだよ」
その場面は皓子も見た。というよりも、お礼に言ったときに居合わせたのだ。
佐藤原が特番を使うならと口を挟み、喧々諤々と番組構成について企画会議をしていた。
皓子も関係者であったので、番組で映像を使って良いかの相談をされた。ただし、佐藤原の星の技術で顔や声を変えるため、安心して欲しいと言われたので、それならと許可をした。
そのときに聞いたのだが、今回の特番で田ノ嶋はしばらくのお休みをもぎ取ったという。
佐藤原が出来が良かったので特別報酬として差し上げたと言っていた。となると良い機会だとも思える。
「ね、翔くん。田ノ嶋さんに今から会いに行ってみようよ。今日からしばらくお休みだから、お家にいるはず。ご飯のこととか、聞いたりしてもいいんじゃないかな」
「あっ、そ、そうだな!」
ぱあっと表情を明るくさせて飛鳥はうなずいた。もっともらしい理由ができたことに安心したのだろう。
軽く身なりを姿鏡で整えて、一緒に出る。
一階へと移動したところで、計ったかのようなタイミングでアリヤと居合わせた。
101号室から出てきたアリヤは、皓子と飛鳥が揃って階下に降りてきたのを見て、にこりと微笑んだ。
「……皓子ちゃん?」
「え、あっ、はい」
つかつかと長いコンパスで詰めてきたアリヤは、笑っている。
だというのに詰問をされているかのような気持ちにさせる。実際、目が笑っていない。
「皓子ちゃんに会いたいなあと思って運良く会えたのは嬉しいんだけど……飛鳥さんと一緒に居たんだ?」
「うん。お礼ついでにお部屋で話を聞いてたの」
「こっこちゃん……!」
後ろから咎める飛鳥の声がして、皓子は振り向く。だがすぐに手を取られてアリヤの方に向き直させられた。
「へえ、二人で部屋にいたんだ。皓子ちゃんは律儀で真面目だから……しかたないとは思うけど、思ったよりもやもやするかも」
アリヤの面白くなさそうな声音に、皓子は間を置いて気づいた。
(……は!? し、嫉妬とか、そういう……!?)
あのアリヤが、自分に。
いや、しかし、と頭で考えて動揺する。
自然と熱くなる頬を自覚しながら、飛鳥の前だとたしなめるべく言葉を探す。
「翔くんは、なんというか、万屋荘のお兄ちゃんみたいな人で。それに、アリヤくんだって、友だちや大人の人とも遊んだり話したりするでしょう? そういうものだから、その、アリヤくんが思うようなものじゃ」
口に出せば思ったよりも言い訳じみたものになってしまった。
浮気を言及されるような感じになっていることに、余計に焦ってしまう。後ろで「あー」と残念そうに言うのは飛鳥だろう。
アリヤは皓子の言い分を完璧な微笑みをたたえて聞いて、捕まえていた手を両手で重ねて包み込んだ。
「言っておくけど。皓子ちゃん」
「はいっ」
思わず背筋をぴんとして返す。
「もう遊んでないよ。誘われても、好きな人がいるからって断ってる。それでも、俺のことが信じられないなら、これから先ずっと見張ってて。皓子ちゃんだけって、信じられるまで、ずっと。一生」
真っ直ぐに言われた。
ぽかんとしてしまった皓子を見るアリヤは、ひとまずそれで溜飲を下げたらしい。
アリヤは緩く手を引いて皓子を傍に置くと「それで」と皓子たちに向かってたずねた。
「二人でどこ行くの? 俺も行く」
「……都会の男子高校生ってこうなんだ……こわ……すご……」
皓子だけでなく、飛鳥まで赤面しておののいている。呟かれた飛鳥の感想に、皓子も首を上下に振って同意した。
経緯を話したところ、アリヤはあっさりと策を披露してくれた。
「なんだ。それなら、ダブルデートすればいいじゃん。俺も嬉しいし、飛鳥さんも嬉しいし、いいんじゃない? 場所は……皓子ちゃん、山荘連れて行かれたんだよね? それで、ちゃんと楽しい思い出を皓子ちゃんに作ってもらいたいからって、山に誘えば?」
「ダブルデート……! せ、先生……!」
キラキラと目を輝かせた飛鳥が敬意を露わに言えば、アリヤは機嫌良く皓子に目配せした。
「俺としては、海の皓子ちゃんも見たいけど。あんまりがっつくと格好悪いし、名目は皓子ちゃんの療養だし」
「それ、私に言っちゃうんだね」
「んー……見た目で神聖視してほしくないってのと、俺けっこう下心あるよっていう意思表明しておこうかと思って。まだ手は出せないからね」
「……あのう、それは、契約とかなかったら出してたという……?」
皓子の疑問には、わざとらしいくらい輝かしい笑みで返された。
俗世から離れた高貴ささえ感じる容姿なのに、会話の内容はあけっぴろげだ。人は見た目によらないというが、本当だとまざまざと実感させられる。
アリヤはにこやかな表情を浮かべたまま、飛鳥のほうへ顔を向けると続けた。
「ちょうど運良く、アウトドア施設の優待券が当たったのがあるから、それも説得に使おっか。飛鳥さんはそれでいいです?」
「それでいいです」
「じゃあ、早速」
かしこまった飛鳥が返事をすると、アリヤはスタスタと歩いて102号室のチャイムを押した。
そして「心の準備が!?」と小声で緊張を伝える飛鳥を笑顔で無視して、無慈悲にドアの前に押し出した。
その後ろに皓子を並ばせて、自分も隣に立つと時間つぶしなのか皓子の手を取って指を絡ませて遊んでいる。
さほど時間をおかずに、田ノ嶋の返事がスピーカーからあった。普段よりも五割増しくらいに機嫌が良い声は晴れやかだ。
『はーい! 飛鳥くんだ、どしたの?』
「あっ、あ、あの、今日はお誘いを……!」
カチカチに固まりながら用件を告げる飛鳥を前に、声をひそめてアリヤにたずねてみる。
「アリヤくんからは言わないでよかったの?」
「俺が言っても構わないけど、飛鳥さんが誘いたいなら本人にさせるほうが良くない?」
「あ、そっか。そうだよね」
納得してうなずく。
そうこうしている間に、田ノ嶋が現われた。いつもの疲れ切った姿はない。
こざっぱりとしたノースリーブのワンピースは、以前欲しかった夏服がと万屋荘女子トークで皓子が聞いた覚えがあるものだった。
仕事が忙しくてなかなかオフの日に着られないとぼやいていたので、今日はその機会に恵まれたのだろう。
「お誘いって何? あ、織本ちゃんたちも。なんかあったの?」
きょとんとした田ノ嶋を前に、皓子は何か言うべきかと口を開こうとした。すると、アリヤに手を握り込まれた。しゃべるな、ということらしい。
皓子は口を閉じたかわりに、飛鳥へ頑張れとお祈りを込めて見つめておいた。
「実は、ですね――」
たどたどしいが、アリヤが出した作戦の通りに飛鳥が口にする。
ふんふんと相槌を打ちながら田ノ嶋は聞き終えると、感心した風にこぼした。
「はああ、なるほどねえ。飛鳥くん考えたのね! それで織本ちゃんがいるわけだ。御束くんは……いや、みなまで言わないでもわかるわ、織本ちゃん。そういうことね!」
ウインクを向けられた。田ノ嶋の中で、皓子に関する物語が出来上がっているのかもしれない。
大方、出かけるが二人きりでのアウトドア施設の使用は出来ない。それなら関係をわかっている人に付き添ってもらいたいと思っている……と考えたのだろう。
なんとはなしに予想はできたが、今の田ノ嶋を見るに結構な乗り気だ。
否定の声を上げることは躊躇われて、気恥ずかしさを我慢する。アリヤはこれを見越していたのだろうか。
ちらりと見れば、目が合ってにこやかに微笑み返された。
「ふふん。そういうことなら、万屋荘のお姉様とお兄様に任せなさいな! 美味しい焼き肉食べれるコテージでしょ? 行く行く! 車だって出しちゃうわよ。今の私は、無敵の私……特別連休という鎧を身に纏っているもの。あ、飛鳥くんは助手席でナビしてね」
「はいっ、任せてください!」
「そうね、今日いきなりってのは難だし、明日でいーい? 楽しみに準備するわ」
「はい!」
何度もうなずく飛鳥の後ろで皓子もうなずいて「大丈夫です」と返事をする。それを見た田ノ嶋は、軽い調子で「おっけー。また明日」と引っ込んだ。
そして静かになった廊下で、感極まったように天を仰いだ飛鳥は、静かにアリヤに向かって手を合わせて拝んだ。
「御束先生、大変、大変ありがとうございます」
「どういたしまして」
「お礼はまた、いずれ、必ず」
「うん、それは期待してます」
「こっこちゃんも、ありがとうな! こうしちゃいられない。俺、準備してくる!」
尻尾があるならはち切れんばかりに振っているだろう興奮した様子で、飛鳥は手を大ぶりに振って廊下から階段へ駆け上がっていった。
「皓子ちゃん、明日楽しみだね」
「そうだねえ」
あれよあれよと決まったが、みんなでいくお出掛けは皓子も楽しみに思えた。
「ありがとう、アリヤくん。気をつかってくれて。翔くんのことも」
「いえいえ。皓子ちゃんと出かけたかったのは本当のことだよ。それに」
距離を詰めたアリヤがこちらを流し見る。とろりと溶けたみたいに細めた眼差しの甘さに固まってしまう。
そんな皓子の様子が面白かったのか、アリヤに小さく笑われた。さらには、内緒話をするみたいに皓子の耳もとへ手を当てて囁かれた。
「……ちょっとしたトラブルが起きたら、もっと近づけるから。キスくらいは覚悟しててほしいな」
「ひっ! えっ、あ、えっと」
「ふ、ははっ、あは……ふっ、く……! やだな、ちょっとした冗談だって。身構えないでよ。可愛いなあ」
皓子が思わず体を跳ねさせて距離を取れば、けらけらと声に出してアリヤが笑う。
(声がぜんぜん冗談じゃなかったんですが!)
囁かれた耳が熱くて、手を当てる。
「でも、ずっと意識されるようになったみたいで、よかった……今はここまでかな。これ以上、ここでやっちゃうと怖い人がきちゃうし」
「うう……ずるい、アリヤくん」
「いや、俺からすると皓子ちゃんのほうがずるいからね」
心臓がうるさい。
アリヤが、余裕綽々に見えて悔しい。
恨めしく、つい見てしまったが、アリヤもまた目尻の辺りや耳が赤いのがわかると、余計に動悸が速まった気がした。自分に対して照れているのだといやでも察してしまう。
皓子の視線に気づいたのか、「あー」と意味も無い声を上げて、頭を掻いている。
「まずった。ちょっと、頭冷やしてくる。じゃあ、また」
「あっ、うん。また」
名残惜しそうに別れたアリヤは、そのまま出かけるようだ。
軽やかな足取りで万屋荘の入り口から走っていくのを見送って、皓子はようやく一息ついた。