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作者: わやこな
7.穏やかな、かどわかし 3

 警戒はしていたが、皓子の敵意と害意を受けつけない力があるのだ。何かがあるなら食べさせようとはしないだろう。
 皓子は食事の様子を見て、そう判断した。
 結果的には大丈夫であったものの、吉祥がここに居たならば甘いと言うだろう。そんなことを考えながら、皓子は遠慮せずに口にした。
 味は大門の言ったとおり、悪くない。
 旅先のちょっとしたパーティーで食べるような料理の品々は十分に皓子の胃を満たした。こんなに暢気で良いのだろうかと思ってしまう。
 とはいえ、皓子に出来ることを考えると、相手の油断か懐柔の末に連絡を取ることだ。自分が持つ力を利用してどうにかできればと皓子は相手に話題を振ることにした。
 大門は吉祥譲りでアルコールが好きなのか、いかにも高そうなボトルワインを注いで空けている。皓子が食事を共にしたことで機嫌も上向いているのだろう。今なら適当な話でも気軽に答えてくれそうな雰囲気だった。

「あの、聞いてもいいですか」
「なんだい」
「私は、あなたの」
「お父さんと呼びなさい」
「……お父さんのことをよく知りません。自己紹介を、してくれませんか」

 呼び方を直せば、パッと嬉しそうに変えて大門は快くうなずいた。

「いいとも。では、そうだな、矢間。邪魔が入らないように警戒を。僕の部下を使ってくれてもかまわない」
「別料金でお願いいたしますわ」

 視線を皓子の後ろの矢間へと投げかけた大門は、スーツポケットから端末を取り出して操作した。それを見て、半音高く上げた猫なで声で「まいどでございます」と言い、矢間はリビングから外へ出て行った。
 玄関のドアが完全に閉まったことを見届けてから、大門はグラスを片手に話し始めた。

「改めて挨拶をしよう。僕は織本大門、四十歳。仕事は、小さいが商社を企業している。海外にも伝手があるから、ほしいものがあるなら言いなさい。ほかに聞きたいことは?」
「誕生日……とか?」
「五月十日だ」
「ええと、趣味は」
「ない。ああ、いや、昔はその、写真が好きだったんだ。だが、今はあまり」
「お母さんが亡くなったから?」

 大門は悲しそうに微笑んだ。肯定の言葉はなかったが、あっているのだろうとわかった。
 しんみりした空気になってしまった。皓子はそれを振り払うように質問を続けた。

「お母さんとの、出会いは? ばばちゃんからはあまり聞いたことがなくて」
「あ、ああ! いいとも。そうだな、何から話そうか」

 皓子の母、ひかりの話題となると、大門はことさらに雄弁になった。
 血のつながりはあるが知らない二人の話は、本の中の物語のように聞こえる。
 出会いは大学で、交際を経て卒業後しばらくして結婚。皓子が生まれたのは両親が二十四の時。産後の肥立ちが悪く、季節風邪をこじらせて入院後死没したという。
 大まかな経緯は吉祥から聞いていたが、父から語られる母との思い出は生々しく、情をありありと感じられた。
 どれほど深く愛していたのか、皓子が生まれてどれほど幸せだったか、死別してどんなに絶望したか。
 親からの愛情を直接向けられた覚えがなかった皓子にとって、大門の口から出る言葉は本当に自分に向けられてのものかと思ってしまったほどだ。
 だからだろうか。
 語りきった大門に、皓子は思わず呟いていた。

「どうして、今になって私に会おうとしたの」

 敬語を使うのも忘れて、ぽつりとこぼした言葉に、大門は困ったように眉を下げた。
 吉祥似の整った冷たい美貌がすると、聞き分けの無い子だと言われているようにも見える。

「僕とひかりの、たった一人の娘に会いたくないわけがないだろう。今までだって、会おうとした。だが、僕に勇気が足りなかった」
「勇気?」

 大門は逡巡したが、アルコールの力か、それとも皓子の力か、やがて懺悔するように言った。
 テーブルの上にグラスを置いて、両手の指を組んで祈る仕草をしている。

「向き合う勇気だ。皓子の成長を見る度にひかりが亡くなったことを思い知らされて、つらく当たってしまうのではないかと恐れた。そんな中で真っ当に育てられるかわからなかった。だから、離れることを選んだんだ……やっと落ちついて、婆さんの契約を外して一緒に住めるはずだと思って……」

(勝手な人だ)

 浮かんだ感想が、表情に出てしまったのだろうか。皓子を見て、大門は目を伏せた。

「皓子のためだというより、僕のためだった。すまなかった……ここで謝れば、皓子は溜飲を下げてくれるかい」
「……わからないよ。じゃあ、今はどうして連れてきたの」
「単純に一目、皓子を見て……また会いたくなった。それに、その」

 大門が言いよどむ。深刻そうな様子に、皓子もわずかに身じろぎをして姿勢を正した。
 じっと相手の言葉を待っていれば、やがて観念したように吐き出した。

「最近……皓子に男が近づいたと、何度も迫られていると、聞いて」
「え?」

 ぽかんとしてしまった。
 大門はいたって真剣そうだ。

「矢間は、婆さんに縁のある人で、報酬さえ支払えば確かな情報を僕にくれる。そこで聞いたんだ。御束有乃先輩の子に言い寄られていると」
「あ」

(そういえば、アリヤくんのお母さんがそんなこと言っていたっけ。写真を見せてくれて、仲良くしていたって)

 皓子の反応を図星と受け取ったのか、大門は苦々しく続けた。

「聞けば、相手をとっかえひっかえの軽薄な軟派じゃないか。有乃先輩譲りの強引さで寄ってこられて、ひかりみたいに優しいお前は、つい受け入れてあげているんだろう」
「そんなこと」
「身近に獣がいるのも同然じゃないか。どうしてばあさんは許したんだ。周りの彼らも彼らだ。皓子は、僕らの娘はもっと」

 皓子を見る瞳はひたすらに真っ直ぐだ。強い視線で皓子のほうを射貫いて、はっきりと口にした。

「もっとまともで、素晴らしい相手でなければならない。皓子、考え直しなさい」

 咄嗟に怒りの声を上げなかったことを、皓子は自分で褒めてやりたいと思った。
 カッと腹の奥底にふつふつと煮える怒りの種が落ちたようだった。
 勝手に連れ去られた理由の大部分がこれだと思うと、しょうもないやら腹立たしいやらでたまらない。
 何より、皓子の知るアリヤはそうではない。万屋荘のみんなは、素晴らしい人たちだと皓子は知っている。
 聞いた情報だけで知った気になって、本人を知らないで好き勝手に言うことが、皓子には信じられないくらい許せなかった。
 だが、ここで激して言ったところで大門はきっと受け付けないだろうとも思えた。
 簡単に皓子が言ったことで覆すような相手なら、皓子を無理矢理誘拐まがいに連れてこないはずだ。むしろ、騙されているのだと言われるのが予想できた。
 だから、皓子は静かにカラトリーを置き、合掌をして席を立った。

「ごちそうさまでした。もう、帰らせて。ここに居たくないの」
「……皓子、やり直す機会なんだ」
「お父さん。やり直すには、方法が違うよ」

 ボタンを掛け違ったまま、やり通そうとしている。それでは、歩み寄りどころではない。

「わからないお父さんなんか、嫌い」

 静かに言って、皓子は自分に充てられた部屋へと戻った。戻る間に荷物はないかと視線を巡らせたが、皓子の物らしきものは見当たらなかった。

(どうにかして、連絡をして、帰らなきゃ)

 親子の喧嘩だ。
 こうなればやってやると内心で息巻いて、皓子は部屋のドアを握りしめて開いた。
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