13.101号室、お招きにあずかる 1
何かあったら連絡をよこせ。
そう言う幼馴染たちと別れて、皓子は自転車を走らせる。夕下がりだが、むわっとするような熱と湿気が体にまとわりついていけない。
万屋荘の駐車場へと自転車をつけたところで、じんわりと汗が伝うのがわかった。
手で扇ぎながら鞄を肩に掛けて、家のドアへと移動して開ける。吉祥が紙袋を抱えて移動している姿が見えた。
「ただいま」
「おかえり」
皓子が帰宅を告げると、当然のように吉祥が返す。
靴を脱いで、台所へ向かう吉祥の後を追ってみる。なんとなく予想はついていたが、ロゴの文字から佐藤原関連の代物だとわかった。
万屋荘恒例となっている、佐藤原の会社によるサンプルばらまきである。
今回はカップ麺タイプであり、よく見れば、ごく普通に売り出されているカップ麺も台所の机に並べられている。比較でもするのだろうか。
「今日は、これ?」
「ああ。安く上がって何よりじゃないか」
返す言葉はどこか上機嫌だ。
それもそのはず。吉祥のささやかな趣味の一つは、期間限定品や新商品の味見である。
皓子もまた、ちょっと変わった味というのには興味がくすぐられる。わかったと返事をしてから、自分の部屋へと戻り、鞄を置く。
携帯を取り出して、着信がまだ来ていないことを確認してからべたつく体をさっぱりさせるべく、早めの風呂に入ることにした。
こざっぱりとしたところで、念のためと簡素なシャツとハーフパンツに着替える。何か問題が起きたとき外に出られるようにするためだ。
もっとも、ほぼ身内認定している万屋荘古参たち相手なら大して気にはしないのだが、今はそうもいかない。仲良くなってきたとはいえ同年代の異性、アリヤがいるのだ。さすがの皓子も申し訳ないと思うがゆえの気づかいだった。
吉祥とともにカップ麺の物色をしていたところで、パンツのポケットに入れていた端末へ着信が入った。
『今日のことなんだけど、ちょっと』
アリヤからのメッセージであったが、途中で送信してしまったのか途切れている。
その途端、チャイムが響いた。
ピンポン、ピンポーン。
急かすように二回。
吉祥は真剣にカップ麺を吟味しており、手だけでお前が行け、と指示を出してきた。
仕方なしに皓子が腰を上げて玄関スコープを覗けば制服姿のアリヤがいた。だがこちらのドアを見ておらず、何故か横を気にしている様子だった。
不思議に思いながらも、鍵を外してドアを開く。
「やあ、こんばんは」
皓子が話しかけるより先に割り込んできた声。思わずびくりと体が跳ねる。
アリヤが口を開きかけたが、それよりも早く、見事な筋肉美をもった腕がアリヤの頭を抱え込み黙らせた。そんなことができるのは、皓子が知る中では一人だ。
「皓子ちゃん、聞いたよ」
現われたのは、アリヤの父、マロスだった。
大仰な芝居じみた仕草で胸元へ片手をあててから、皓子の手をそっと取ってみせる。困惑する皓子をよそに、マロスは彫刻じみた美貌を憂いにかげらせて言った。
「風邪を引いたんだって? あの吉祥が、ちゃんと看病出来たのかい? いや、技術に関しては信頼しているんだが……どうにも想像ができなくてね。ああ、すまない。悪く言うつもりはないのだが、どうしても元は我が宿敵の種族だと思うと……こう、腑に落ちなくてならないんだ」
「マロスさん」
「父さん」
皓子とアリヤの声が被った。
もがもがとマロスの腕の中でもがいているアリヤにどうしても視線がいってしまう。美形が形無しだ。いや、案外抵抗する美形に需要を見出す層もいるのかもしれない。
余計なことを考えているうちに、マロスは「そこでね!」と勢いよく続けた。
「アリヤの部屋で、一緒に滋養の良いものを食べないかな? 母さんが張り切ってご馳走を作っていてねえ、そろそろ運んでくる手はずなんだ」
「は? 聞いてないんだけど」
「皓子ちゃんとご飯食べるのも久しぶりだから、嬉しいよ。ああ、いけない、先に母さんに伝えてこないといけないな」
ぱちん、とウインクをしたマロスは、皓子の手を丁寧に下ろした後、呆然としているアリヤの頭を撫でる。
そして拘束していた片腕を離し、「チャオ!」と言って陽気に去って行った。
マロスはラテン出身だというが、実のところ出身国は不明だったりする。
吉祥曰く、その身一つで転生して現地で受肉したタイプ、らしい。大方育った地域の影響を濃く受けたんだろう、とのことだ。大らかだが、すこし強引なところがある気質もその地域で得たものなのだろうか。
「……っんの! あっ、ごめん、皓子ちゃん。待ってて」
は、と我に返ったアリヤは勢いよく振り返ると、足音荒く戻っていった。「父さん!」と苛立った声も聞こえる。仲の良い親子である。
どうしたものかと立ち尽くしていると、後ろから吉祥が声をかけてきた。
「皓子、行ってきな」
「え、でも」
「行かなきゃ行かないで、あいつはうるさいからねえ。あいつの嫁にも機嫌伺いもしておいてくれ」
ひょっこりと奥の居間から顔を出した吉祥が言う。
「それはいいけど……でもばばちゃん、味見するには人数いるんじゃない?」
「別に今すぐ全部する必要はないだろ。それに、人員はこれから確保するさね」
吉祥が言葉を途切れさせたと同時に、廊下の中空に暗い歪みができた。パッチワークみたいにひび割れた奥で、羽毛にまみれた白い手のようななにかが光を集めてこねている。
やがて光が集まりきると、光をこちらの廊下へと押し出した。
薄暗くなりはじめた辺りに、光輝が集まって人の形を作り、明滅する。青年ぐらいの立派な体格をしたと思えば、徐々に輪郭を露わにしていった。
コンクリートの地面をしっかりと踏みしめて、軽い音を立てて着地したのは、数日前に異世界へ旅立った飛鳥だ。
やや土汚れた服装に、鉱石を小脇に抱えている。これが今回の手土産なのだろう。そして、背中の身の丈ほどもある丈夫な棍棒が、今回の旅の相棒だったに違いない。
飛鳥はぼうっと辺りを見回してみて、皓子を見つけてにかっと笑った。
「ただいま!」
今回も無事の帰還を果たしたようだ。皓子もほっとして笑顔で迎える。
「おかえり、翔くん。今回もおつかれさま」
「ありがとう、こっこちゃん。それと、吉祥さんも」
部屋の奥にいる吉祥へ向かって飛鳥は頭を下げた。
「お迎えくださり、助かりましたっ!」
「ああ、いいよ。アンタにゃ手伝ってほしいことがあるからね。飯を食いながら仕事の話といこうじゃないか」
「仕事? はいっ、任せてください!」
ぱあっと顔を輝かせて飛鳥がうなずく。居間から出てきた吉祥は、皓子の背中を押して玄関から出した。
「それじゃ、皓子、アンタは行っといで」
「あれ、こっこちゃんはお出掛け? あ、吉祥さん、これ土産です。転送前に近くにあった稀少鉱石ぶんどってきました」
「マロスに呼ばれてるんだよ。でかした、飛鳥。上がりな」
「えっ、マロスさんいたんだ。挨拶したかったなあ」
ぽんぽんと進む会話に苦笑いで応える。
玄関で話していると、今度は万屋荘の入り口からよろよろ歩いて田ノ嶋が歩いてきた。田ノ嶋は、見るからに疲れた足取りであったが、玄関の外で待つ皓子とそこから顔を覗かせた飛鳥、その奥に立つ吉祥を見つけると、はっと血色良くさせた。
「ご、ご飯の気配!」
「おっ、おかえり! 久しぶり、麻穂さん」
「飛鳥くんも織本ちゃんもおかえり! で、で、ご飯? お呼ばれ会?」
「あーっと、その、ええと」
きらきらと期待の眼差しで皓子たちを見る田ノ嶋に、飛鳥が見るからにもじもじとし始めた。視線で皓子と吉祥に訴えが飛んでくる。
「……ばばちゃん」
思わず助け船を吉祥に求めれば、すこし考えたあとで「田ノ嶋」と名前を呼んだ。
「はーい、管理人さん、なになに」
すっかりもらえるものと思っている田ノ嶋が疲れた足取りを喜びのスキップに変えて近寄ってくる。揺れるビジネスバッグの中からは、キュンキュンと鳴き声がする。おそらくマスコットが入っているのだろう。
「佐藤原から商品を預かってる。アンタのとこの商品だろ。食わせてやるから、説明しな」
「うえっ……食い飽きてるやつじゃん……」
「麻穂さん、あの、よければ他におかずを作るから」
「えっ、まじ? じゃあ喜んで!」
いーれーて。
ご機嫌で歌うように言いながら、田ノ嶋はスレンダーな体を隙間へねじ込ませて大家部屋に入り込んでいった。部屋の中を見れば、うきうきと居間に向かう田ノ嶋の後ろ姿が見える。
飛鳥が吉祥を拝んでいる。口パクで「貸しだよ」と言って中へと引っ込んでいった。こうして吉祥への借りが増えていくのだが、本人は幸せそうなので深くは言うまい。皓子はにこやかに見守るだけに留めておいた。
「じゃあ、マロスさんたちによろしく。あー……俺が言うのも変だけど」
「ううん。またみんなで騒げるといいね。こっちこそ、ばばちゃんをよろしくね」
「おっけ。任せて」
飛鳥がドアを閉めてしばらく。
タイミング良く、入れ替わり立ち替わりのように101号室からアリヤが出てきた。
「ごめん、待たせちゃったね。皓子ちゃん、こっち」
「あの、本当にお邪魔していいの?」
「俺はいいけど……うちの父さんが無理に誘って、断れなかったよね」
「ううん。私は気にしてないよ。でも、いいのかなって」
「いい、いい。言ったって、ああいうときは聞かないから」
軽く手を投げやりに振って、アリヤは手招きした。
誘いを受けるがまま、皓子はアリヤの部屋へとお邪魔することとなった。
アリヤの部屋には二度目の訪問となる。
物は多くはないけれど、お洒落な部屋だった。だが、どういうわけだか、ダイニングが飾り付けられている。ローテーブルとソファは避けられて、足の高いテーブルと椅子が四脚運ばれていた。
そして、ちょっとしたパーティーのような内装に変わったなかで、何故かパーティー帽を被ったマロスと両手鍋をテーブルに置いている女性がいる。
小柄で活発そうな雰囲気のショートヘアが印象的な女性は、ぱっちりとした瞳を丸くして皓子を見た。
短い前髪からのぞく整えられた細い眉が驚きに上がり、両手で口を押さえて声を呑んでいるようだ。派手な美しさではないが、洗練とした美しさがあった。
それをにやっとしたマロスがしたり顔で見ている。
今日見たアリヤの情報から、一人っ子で兄弟姉妹はいない。ということは母親なのだろう。そう予想立てて見ないと考えが及ばないほど、年若く映る。
(……ご両親がいるってことは、家族団らんだったんじゃ? ほ、本当に来てよかったやつ?)
途端、服装もこんなラフなものでよかったのかと気になってしまった。
ちら、とアリヤを見てそれから何やらキラキラとした眼差しを向けてくるアリヤの父母に向かって皓子は唾を飲み込む。
(ええい、度胸。ご挨拶は、しっかりと! 万屋荘の面子のためにも!)
愛想笑いを浮かべて、礼をする。
「お邪魔します。ご招待、ありがとうございます。万屋荘管理人の孫で、補佐をしています。織本皓子です」
返事はない。
失敗したのだろうか。恐る恐る顔を上げると、なにやら感極まっている様子で目を潤ませている。
「あ、アリヤが……まともな女の子とお知り合いになっているなんて」
どういうことだ。
さっとアリヤを見れば、視線は逸らしはされなかったが誤魔化すような全力の微笑みが返ってきた。
「お父さんに似て緩い子だから、心配だったけれど、よかった……ほんっとうに、よかった……!」
(マロスさんに似て……?)
マロスを見れば、同じようにピカピカの笑顔を返してくれた。
「ええ、歓迎するわ。かねてから、吉祥さんにはうちのお父さんもお世話になっていましたから。貴女も、息子の面倒を見てくださっているのね、ありがとう」
「え、いえ、そんな」
「さあ、座ってちょうだい。聞いたわ、病み上がりだそうね。だというのにうちの考えなし野郎共が無理言って連れてきちゃって……そういうところがほんと気が回らないの、ごめんなさいね」
今、なにやら慈愛あふれる表情からそぐわぬ言葉が飛び出した気がする。
皓子の周りにはまたいないタイプの女性だ。
優しく促されるまま、皓子は席に着いた。