9.201号室、見合いの小旅行 9
「あなたは、なんなのでしょう」
まるで自問自答するかのように、穂灯が続ける。
「わたくしは、あの場で己の過去を和気藹々と話すつもりなどなかった。夜に……もうご存知でしょうが、あなたを利用するつもりで近づいた。いざとなれば脅そうとも。しかし、ならなかった。今だって」
穂灯は身を強張らせて皓子を見ている。
昂ぶった声は、次第に落ち着き、自身の両手を見つめていた。
「火の術でさえ、放つ気にならない。それが、とても恐ろしいのに、安堵を覚えるわたくしがいるのです。あなたをひとたび視界におさめた、それだけなのに……己がなそうとしたことに、後悔が浮かぶのです」
「後悔をするのは、穂灯様が思っていたからですよ」
皓子の力は敵意や害意から自身の身を守ること、相手の緊張を和らげることだ。
人に後悔を植え付けるなんてことはできない。もとから本人になければそんな気持ちは起こりはしない。
過去に何度か相手が豹変する様を見ている皓子だから、よく分かる。
また、穂灯は沈黙した。
気が動揺しているのか、人の形がぶれては赤毛の大きな狐が見える。二足歩行で立つ狐は、やがて静かに聞いてきた。
「わたくしのことを、水茂様におっしゃいましたね」
アリヤに穂灯と皓子が会っているところを見つかった日のことだ。
それを恨まれているのだろうか。だが、その割にはあからさまに豹変した様子でもなく、ただ事実を確認しただけのようにも見える。
皓子は様子をうかがってから、うなずいた。
「はい。気をつけろと、再三言われましたので」
「……ええ、そうでしょうとも。わたくしは最初から信用されませんでしたから。昨日、直々にお断りをもらいました。わたくしだけでしょうね、早々に答えをもらえたのは。散々にこき下ろされお怒りを受けましたよ。水茂様の友に迫るなと」
「それは……ご愁傷様です」
水茂は好悪がはっきりしているため、ずばずばと言葉を放つ。もとより気に入らなかった見合い相手を断る絶好の口実にしたに違いない。きっと嬉々として突いてまわったのだろう。
だが、自業自得だった。
夜に訪れるなんてことは、穂灯しかしていない。それも騙し討ちのように、皓子に近づいたのも。
田衛門もいきなり訪れはしたが、日中であったし、強引なりとも伺いも立てていた。
きゅうん、と鼻をならした穂灯が尻尾を揺らす。まじまじと狐を見る機会なんてなかったが、寂しがる犬のように見えた。最初にあったときの自信満々ぶりが嘘のようだ。
「穂灯様は、地位が欲しかったのですか? 最初、婿に立候補したときのお話を聞きましたが、そう聞こえました」
「名誉や地位は確かに欲しくはあります。ただ、その先にあることがしたかったのですよ」
(その先のこと……)
それは、左兵衛狸とのことだろうか。土地を追われたと言っていたから、それを取り戻したかった、かもしれない。皓子が考えていると、穂灯は吐き出すように言った。
「狸をぎゃふんと言わせるのです。いつかその日のために、わたくしは力を溜めておきたかった。富も地位も、なんでも使って、やりとげるためですな」
「ぎゃふんと」
復讐目的だが、言い方が軽い。オウム返しをすると、穂灯は何度もうなずいた。
「悪かった、さすがは狐、と言わしめたいので。何も殺すまではいたしませんよ! 仮にも化け狐となり神に成った身。穢れを受ければ今まで努力した日々が水の泡ですからね」
「そう、なんですか」
「土地を追われ思うことは多々ありますが、いつまでも恨み憎しみは抱えておりません。今に見てろと常々腹立たしく思っているだけですよ。いわゆる対抗心ですな。わたくしはそこまで堕ちておりませんから、失礼な想像はしないでいただけますか」
「はあ……」
意外と平和だ。
殺伐としたことを言われるかと思ったが、なんだか力が抜けた。抜けたついでに、皓子は縁側に座って、穂灯を招いてみることにした。
今のこの状態が皓子の力なのか、本来の穂灯がこうなのかは判断しかねるが、大丈夫であると確信がもてたからだ。
「穂灯様。まだ私が恐ろしいですか?」
ぴたりと止まった穂灯は皓子を見る。しばらく見合って、溜息かなんなのか一声鳴いてから穂灯は優雅に歩いてきた。気取った二足歩行で進んでくると、庭に小さな足跡がついた。
「あなたの力は未知で恐ろしいと感じますが、あなた自身は清らかで無害だ」
「それは、よかったです」
近くまで来た穂灯に、隣の席を勧める。「では」と言うと、狐の姿のまま穂灯は腰掛けた。
人の姿よりもずいぶんと愛嬌があるので、皓子としてもこの姿の方が好ましい。
こちらの表情は見えないが、お見通しだったのか穂灯が狐の顔のまま喉を鳴らして笑った。
「人の姿より獣の姿がお好みですか」
「すみません、物珍しくて」
「いえ。好意の視線は歓迎いたしますよ。美しいと評されることは、わたくしは好きですからな」
「え、と。はい。毛並みがとっても綺麗です」
ゆらりと尻尾が揺れる。それを思わず視線で追えば、また笑われてしまった。
「ほほ、こうこちゃんは大変に素直な御方のようで。松葉殿は苦労をなされるでしょうな」
なぜそこでアリヤが出てくるのだろう。もしや夜に注意されたときの様子を見ていたのかもしれない。
ともあれ、穂灯は穏やかに会話をしてくれる。様子も落ち着いており、時間つぶしに最適の相手であった。水茂も不在で、アリヤも不在の今、手持ち無沙汰の皓子にはありがたい相手だった。
言葉を重ねれば人となり、いや、化生となりも分かる。
最初のプライド高く相手を威圧したりマウントを取ろうとする姿は、あえてそうしていた、というのが本当なのだろう。ほんのすこしの地でもあるのだろうが。そう皓子は結論づけた。
穂灯の諸国修行を聞いたり、対狸を想定して心がけていることなどと、いくつか話を聞けば時間はあっという間であった。
「穂灯様が、一生懸命努力をされて力をつけていることはよく分かりました」
「ええ、ええ。わたくしは並々ならぬ力を持つ神となる身ですので。まあ、その、泉源様には劣りますがね」
冗談交じりに言ってみせる穂灯に、皓子は少しは仲良くなれたし、とふと思いついたことがあった。
「力には、他人の力、というのもあると思いますが、穂灯様、協力者を持つつもりは?」
「協力者、ですか。此度の儀で得るつもりでしたが」
(ああ……水茂かあ……それは難しそう)
一度嫌だと決めたら、水茂はなかなか主張を曲げない頑固なところがある。
皓子が取りなせばなんとかなるかもしれないが、それをすれば水茂は拗ねてしまうだろうと予想できた。
「……少々、お待ちいただけますか」
「ええ。なんでしょう」
皓子はぺこりと礼をして立ち上がる。ちらと佐藤原のゲーム機に表示された時間を確認する。今ならいけそうだ。
立て鏡に向かって、放置したままだったノートを丸めると、それを突っ込んで皓子は声を飛ばした。
「ばばちゃーん。特別契約のお客様をご案内したいんだけど」
『――誰だい、相手は』
「水茂の見合いで知り合った、火の神様」
『代わりな』
即座にビジネスモードになった吉祥の声はやる気だ。
相手が誰だろうとむしり取る気概を持つ吉祥のことだ、対価さえ払えばしっかりばっちりサポートだってしてくれる。なお、その手伝いはまだまだ未熟者だからと爪の先ほどの仕事……今のような取り次ぎや紹介しかさせてもらえないのが不満なところである。
立て鏡から丸めたノートをつっこんだまま、皓子は縁側へと戻った。
「穂灯様、異国由来のお力添えでよければ、こちらにお声かけください」
「こちら……ですか? もうし」
立て鏡と丸めたノートを渡せば、穂灯が肉球の手で器用に持って話しかけた。
途端、鏡の向こうから愛想の良い吉祥の声が響く。いつ聞いても実に軽妙で見事な営業トークであった。
親身に語りかけ、相手を乗せ、自尊心をくすぐる。その様はまさしく悪魔の業だ。ただ、内容は幾分か良心的である。亡き皓子の祖父と約束したためだそうだが、吉祥は話したがらない。
『では、わたくしが責任をもって相応しい人材を必要なときにお届けしましょう。もちろん、道具も。心配はございません。なに、対価は……――』
「おお、そんなにお安く? よろしいので?」
(元とは言え悪魔と取引だけど、ばばちゃんが相手を失墜させて自分の利益を損ねるなんてことはしないだろうし……神様あいてにぼらないでね、ばばちゃん……)
目をつぶって、大人しく待ちながら皓子はひっそりと祈っておいた。
やがて、円満に取引が完了したのだろう。にこにこと立て鏡とノートを返却してきた穂灯はそのまま、皓子の手をとって上下に揺らした。肉球がふにふにとあたる。
「こうこちゃん、この場に来てよかった。有意義なお話でございました」
「それはよかったです」
内容を漏れ聞いたところによれば、飛鳥が派遣されるようである。
飛鳥は、何でも屋として吉祥からの依頼の下請けに回されることがこれまでにもあった。実にオールマイティな能力を持っているため、とりあえずどうすればいいか不明なときは尖兵として送っておくか、と吉祥は考えているに違いない。
吉祥の前でそう思ったり言ったりしたら、尻か腿を間違いなく叩かれるので口を閉じるのみである。
立て鏡とノートを机に戻して縁側に戻れば、昼時。
それと同時に、どういうわけか、水茂が戻ってきた。今朝出て行ったときに宣言したとおりの早帰りだった。