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作者: わやこな
6.201号室、見合いの小旅行 6

 翌朝。
 水茂の柏手一つでまた着替えをし、朝食を済ませた後。皓子は、なんでもない会話を装って昨夜起きたかをアリヤに聞いた。
 答えは当然、「寝てたけど」であった。つまり、あれはやはり狐に化かされたのだと皓子は改めて確信をもった。

 本日、水茂は池ノ田衛門と一対一で過ごす日だ。
 出かける前に、両手両足で皓子にしがみついてひとしきり抱きついた後で、未練がましく何度も振り返りながら出かけていった。帰宅は夕飯前になるらしい。
 散策をするにも、水茂がいないなかであちこち行く気もおきず、昨日渡された勉強道具一式を取り出した。
 次の授業に間違いなく回答の順番がくる古典の予習にと、教科書とノート、辞典を長机の上に置く。今の格好も古風であるし、この場の雰囲気からして、なんだかすらすらできそうな気がした。

「あ、教科書違う」

 ノートに本文を書き込み、現代語訳を分かる範囲で書きこんでいく。
 その途中で、アリヤがのぞき込んできて言った。

「でも、やってるとこは同じだ。真面目によくやるね、皓子ちゃん」
「今度、訳すところが当たるからねえ。期末もあるし。アリヤくんはしないの?」
「んー……期末対策だけするよ。あとは昼寝でもしようかな」
「いいねえ、贅沢だ。お昼になったら一度声をかけるね」
「わかった。じゃあ、また」

 ひらりと軽く手を上げて、アリヤは自分の小部屋に戻っていった。
 昼食は水茂が昨日使っていたあの鏡から用意する。皓子が使えるようにと置いていってくれたのだ。
 ただ、水茂のように顔をつっこんで、とはいかない。それをするには小さすぎる。
 だが、ノートを丸めて筒状にして差し込み声を届ければ話も可能だ。
 どうしてそうなるのかは皓子にはわからないが、そういうものらしい。
 詳しくは製造者である佐藤原が説明してくれたが、ところどころ母星語が出たため理解はよくできなかった。そのため、そういうものだからと皓子は自分を納得させている。
 黙々と取り組めば、時間はすぐに過ぎる。
 とはいえ、正確な時間はわからないので日の光だよりだ。部屋に差し掛かる陽光からなんとなくで判断する。
 予定より先へ先へと進んだ古典のノートを閉じて、皓子は吉祥へ連絡を取ることにした。
 ノートを丸めて「ばばちゃん」と声を送りこむ。
 それだけで「もう昼飯かい? 余計な物は飲み食いするんじゃないよ」とちょっとしたお小言つきの会話のあと、弁当が投げ込まれてきた。
 ついでに今の時間は、と聞けば佐藤原謹製の携帯ゲーム機が投げ込まれた。

(どうせなら、スマホが良かったんだけどなあ)

 そう思っていると、普通の機械じゃ此方と彼方では時間の流れが違うため故障の元になりかねない、壊れて買う羽目になったら損するだろ、とこちらを見通したかのように説明があった。
 それならば、しかたない。
 吉祥に礼を言って鏡を伏せる。
 携帯ゲーム機は横長の液晶画面を挟んでコントローラーがくっついているタイプのものだ。
 市場に流通している物を真似てみましたと、佐藤原に以前見せてもらった。ただ、スティックと十字キー、八つのボタンとあれこれ操作するキーが多い。

(これ、ちょっと使いづらいんだよねえ)

 なお、これは佐藤原の趣味の延長であり、且つ、母星でも流通を図ろうと企画しているそうだ。
 時折、改良した機体を持ってきて操作をしてみてくれと皓子たちに依頼しに来る。地球人の感性で面白いと感じるならいけると思います、とのことらしい。
 さらに付け加えるならば、モニタリング代金という名のお小遣いももらえるため、皓子の貴重な収入源の一つでもある。
 スタートボタンを押せば、機器の上空に映像が投射された。
 携帯の立ち上がりのように文字のような落書きのようなロゴが現われて、メニュー画面へと変わる。右上には時刻が数度ぶれた後に表示された。今の此方の時間に瞬時に合わせたのだろう。

(お、ちょうど十二時だ)

 良い時間だと、アリヤに声をかけることにした。
 小部屋のふすまを前に「お昼だよ」と呼びかける。
 ほどなくして返事があり、アリヤが出てきた。綺麗に整えた服装をくつろげて、緩く着こなしている姿から見るに、宣言通り昼寝でもしていたのだろう。

「おはよう、アリヤくん」
「……ん、おはよう。声かけありがとう」
「いえいえ」

 長机に置いていた弁当を取り分けて、席に着いたところで手を合わせて食事を始める。
 箸を動かして弁当の中身をつまみだしたところで、アリヤは佐藤原のゲーム機の存在に気づいたらしい。手を止めて皓子に聞いてきた。

「えーと、それ、佐藤原さんの?」

 万屋荘に住み始めて二ヶ月目ともなれば、誰が作った物か察しがつくようだ。

「うん。こっちでもちゃんと使える時計がわりってばばちゃんから。これ、ゲームのテストプレイ依頼を受けるときによく受け取るやつなんだ」
「なんでもありだな、佐藤原さん……ゲームって、どんなの?」
「基本的にはレトロで簡単なゲームみたい。あんまりリアルだと向こうじゃ流行らないんだって」

 へえ、とも、ふうん、とも聞こえる相槌をうったアリヤは、興味深そうに空中に投影されている映像を眺めている。

「やってみる?」
「いいの?」

 若干嬉しそうな様子に、皓子はうなずいた。

「テストプレイヤーは多いにこしたことはないって、佐藤原さんがよく言うし。それに、他の人にもできれば勧めてほしいとも頼まれてるから、大丈夫だよ」
「それなら、させてもらおうかな」

 やはり暇だったのだろう。食事に向き合う姿もどこかうきうきした風に見えた。
 食事を済まして鏡へと戻し、遅れて運ばれてきた昼餉も受け取ってから昨日と同じように鏡の向こうの吉祥へ譲渡する。
 腹ごなしが終われば、楽しみに待っていたアリヤにゲームの説明をしてゲーム機を託した。それを横目に本でも読んでいれば、一日はあっという間だった。







 夕方になると共に、水茂が戻ってきた。
 昨日と同様に、皓子にしがみついて甘え、夕ご飯を食べて身ぎれいにした後で、着替えをしてすやすやと眠り落ちた。
 人懐こいわりに、人見知りの気がある水茂のことだから、きっと気疲れしたのだろうと、労りをこめて頭を撫でておいた。
 アリヤはといえば、佐藤原謹製のゲームが楽しかったようで、また明日もさせてね、と部屋に引っ込んでいった。持っていてもいいのにとも言ったが、時計代わりならここに置いておいたほうがいいでしょうと返された。


 そして就寝した、夜のこと。
 なんとなく目が冴えて寝付けず、皓子は昨日と同じく布団から起き出して障子戸の外を見ようと思った。
 また明日と狐が言っていたことがよぎって、気になってしまったというのもある。それに、昨日はあまり話せなかった。
 話を聞くことによって、情報が少しでも得られるならいいとも思えたのだ。
 縁側へと出て外を見れば、本日の庭の景色は昨日とは異なる秋模様だった。
 虫の合唱が響きわたり、黄金の草葉が擦れてさらさらと鳴る。
 空を見上げれば満月に細長い雲がかかっていた。煌々と明るい月夜だ。そのため、星は暗く身を潜めている。
 秋風は寒さを感じるものだが、昨日と同じく過ごしやすい快適な気温で、見ている光景だけ変わっているようだった。庭の木々の赤々とした紅葉が風に吹かれて皓子の近くに飛んでくる。
 手を伸ばせばしっかりとした葉の感触がした。

(明日の夜は冬だったりして)

 この満月もさえざえとした寒空に変わるのだろうか。
 そうして空を眺めていれば、近寄る足音が聞こえた。
 庭の玉砂利を踏む音に、その方向を見ればアリヤの姿を借りた狐が立っていた。
 昨日よりも完成度が高い。影に尻尾も見えない。
 ただ、足早に詰めてきて「どうも、こうこちゃん」という妙な抑揚をつけての名呼びに、偽物だとすぐにわかる。
 今日の狐は機嫌があまり良さそうではなかった。それは、本日が水茂と田衛門が一対一で過ごしたからだろうか。それとも、昨日すぐに皓子に見抜かれたからだろうか。
 だがあえて知らないふりをして、皓子は縁側に腰掛けたまま座るように勧めた。

「こんばんは。よければ、座る?」
「……こんばんは。御言葉に甘えまして」

 アリヤらしからぬ言葉で返して、狐は落ち着きなく座った。実にわかりやすい。
 一人分ほど開けているのは、遠慮か警戒かどちらかだろうか。

「今夜は、どうしたの?」
「明日うかがうと話したので」
「それで来たんだ。律儀だねえ」

 そういう気質は吉祥のようで、なんとなく親しみを覚える。約束をきっちり守る相手は好印象だ。ただ、姿を偽るのはいただけないが。

「こうこちゃんは、水茂様と仲が良いようで。何か秘訣でも?」

(わっかりやすい、素直な質問が来たなあ……)

 自分の力もあるのかもしれないが、存外素直な性格なのかもしれない。皓子は隣に座る狐を見るが、そのたたずまいはアリヤそっくりだ。
 もっと正確にいうなら、顔合わせの時に座って控えていたアリヤにだ。
 なお、皓子の記憶する最新のアリヤ像は、佐藤原のゲーム機を抱えて「どんな頭してたら、こんなひどい設定を?」とぼやきながら躍起になってプレイしている姿である。普段のスマートさはなく、思い切り気楽にくつろいでいた。

(さて、なんて答えようかな)

 とはいえ、嘘をつく必要性も感じない。
 特段秘訣なんて、皓子が思うになかった。ちょっとした経緯で出会って、偶然互いに一緒に楽しく遊んで仲良くなっただけだ。
 しかし、そんな答えを求めているわけではないのだろう。

「ね、教えて」

 じり、とにじりよられた。手と手が触れるくらいに近づかれ、囁かれる。
 ひょっとしなくても、この狐は皓子とアリヤの関係を誤解しているのだなと考えられる。泉源に説明した通りの相手だと考えて、皓子をだまそうとしている可能性が高い。
 相手を見返してみる。紙の面の下はどんな顔をしているのだろう。にんまりと笑みを浮かべているのだろうか。

(御しやすいって思われるのは、ちょっと、癪かも)

 それならば。

「嘘をつかないで、ちゃんと自分自身で相手をしてみたら良いよ」

 しっかりと相手の顔を見据えて言ってみた。それと同時に、固い声がした。

「なに、してるの。それに、誰」

 慌てた狐が、かき消えた。アニメでみたような、どろんと煙が広がり霧散する。
 その後、遠くで駆ける足音がしたので、そちらへ逃げていったのだろう。
 皓子が振り向けば、障子戸を開けたアリヤが見下ろしていた。

「さっきの。俺に見えたけど」
「うん。昨日から化けて来てるんだ。もしかしてアリヤくん、起こしちゃった?」
「いや、単純に目が冴えただけ。というか、なに? 昨日からってどういうこと?」

 後ろ手で障子戸を閉めて、アリヤが隣にしゃがみこむ。「あのさあ」と不機嫌そうに続けて言った。

「皓子ちゃんが害とか縁遠いってのは、聞いているけどさ。危ないとか思わなかったの?」
「いや、とくに。それに何か聞いて水茂の役に立つかなって」
「簡単に考えすぎ。それにそういう気遣いは余計なことになりかねないから、やめときなよ」

 呆れたような声音だ。折りたたんだ膝の上に、腕が組まれて顎を乗せている。アリヤの、見えないはずの視線が、じっと皓子を刺している気がした。

「水茂様は知らないけど、俺は嫌い」
「きらい……」

 初めて言われた。
 驚いて、反芻するみたいに呟き返せば、ばつが悪そうにアリヤは続けた。
 おそらく、傷つけたとでも思ったのかもしれない。
 だが、そうではない。

「勝手に俺が思ったことだけどさ。ただ、自分の知らないところで勝手に動かれるのって、腹立つものだよ」

 怒りや嫌悪とは縁遠いなかで、叱咤されたのは祖母の吉祥や幼馴染の忍原たち以外になかった。
 少しでも害意があれば、すぐにその気は皓子の力によって消されてしまう。だから、そう言ってくれる存在は、貴重なのだ。
 アリヤが心配から忠告してくれていると、理解した。
 理解して、皓子は単純に嬉しくなった。それと同時に、申し訳なく思った。
 皓子の行動がいかに軽率で、水茂に礼を失していたとじわじわと認識できてきたからだ。

「皓子ちゃん、聞いてる?」
「あ、うん。聞いてるよ。あの、あのね、アリヤくん」
「なに」

 皓子の言葉を急かすでもなく、じっと待ってくれる。

(なんて言えばいいんだろう。でも、とりあえずは、感謝の気持ちを伝えるのが正しいはず。それから……それから)

 どうにかこうにか頭の中で考えをまとめて、皓子は体をアリヤのほうへ向けた。

「ありがとう、そう言って教えてくれて」
「お礼を言われる筋合いはないけど」
「嬉しくて」

 そわそわと落ち着かない気持ちだ。指先を組んで、それを見下ろす。

「明日、水茂にちゃんと言うから。だから、ありがとう。次は気をつけるね」
「次はないほうがいいんじゃないの、そこは」

 冷静なつっこみに、皓子は笑ってしまった。

「そう、そうだね。本当に、そう」
「なに。そんな笑うことだった?」
「んふふ、うん。ありがとう」
「……どういたしまして、って返しとくね。じゃ、俺、寝るから」

 なおも笑い混じりに返していれば、アリヤは小さく息を吐いて立ち上がり背を向けた。

「おやすみ、アリヤくん」
「おやすみ。皓子ちゃんも早く寝なよ」

(アリヤくん、いい人だあ……)

 何度目かわからない、同じ感想を抱く。
 自他ともに遊んでいるというわりに、そういうところがちぐはぐだ。余裕をもった男性としての顔とまだ大人になりきれない少年の顔がある。
 障子戸を開けて戻っていった背を見送って、皓子もゆっくりと立ち上がって部屋の中へと戻ることにした。
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