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作者: わやこな
5.202号室、焼き肉を食べる会

 御束アリヤが101号室に入居してから、数日が経過した。
 無事に荷物も運び終わり、つつがなく過ごしているようだ。
 あれから大家部屋に数回暮らし周りのことについて聞かれただけで、基本的に部屋から出ての交流はない。
 アリヤも高校二年生。おそらく始業式が始まり、学校生活で忙しいのだろう。皓子だって、新学期で新たに始まった教科の予習復習で四苦八苦しているのだ。

(いやでも、御束くんは余裕そうだな)

 涼しい顔で文武両道ですけど、というアリヤの姿が浮かぶ。
 いやにリアルに想像できたのは、マロスが博識だったというのもある。ムキムキとしたマロスは運動ができる。作品作りに飽きたときには、皓子に勉強の手ほどきをしてくれたこともあった。祖母ほど悪知恵は働かないが、十分賢い人だった。

(そんな人の子どもだし。きっと、すっごくできるんだろうなあ)

 うんうんと一人納得して、皓子は今日の課題を机に置いて息を吐いた。
 皓子は勉強が嫌いなわけではないが、どうしても苦手な科目というものがある。
 現代文だ。とくに相手の心情を述べるだとか気持ちを表現するだとかの課題や作文が駄目だ。小論文なら、まだ出来るのだが。
 それもこれも、皓子に危害や害意を抱かれにくい能力があるせいなのだろう。
 そのおかげで、相手の悪感情をはじめとした気持ちの読み取りがいまいちな鈍感に育ってしまったに違いない。そう皓子は思っている。
 それに困って、図書室でたくさん本を借りて読んでみたり映画やドラマを見てみたりしたが、上手く適応できているか自信がない。
 とはいえ、読書は皓子の国語能力を上げるのに役立っている。苦手意識は抜けないが。
 今回もまた、A氏がB氏に抱いた気持ちや動機について原稿用紙一枚の文章にして述べよ、という課題を前に、皓子は唸っていた。

(世流さんに聞く……はズルかなあ)

 身近な作家に聞くということも浮かんだが、頭を振って、案を消す。
 それでは自分のためにはならない。最終案に留めておこう。
 そう決めて、また教科書とにらみ合いをしながらシャーペン片手に遊ばせる。これが終われば、あとは学校用タブレットから記入するだけだ。溜息を飲み込んで、皓子はノートに文字を書き始めた。


 苦しいながらも書き上げたところで、ポン、と気の抜けた音がした。
 皓子の携帯端末からだ。タッチパネルを操作すると、メッセージが届いたことを告げていた。
 飛鳥から「焼き肉会しよう!」という誘いであった。
 ちなみに、珍しいことではない。
 小学生くらいからの付き合いである飛鳥は、血の繋がらない兄弟みたいなもので、よくことあるごとに世話を焼いてくれる。
 物をたくさんもらったから、作りすぎたから。
 そう言って、家事能力の高い飛鳥がアパートの住人を不定期に誘ったりお裾分けをしてくれたりするのだ。ケチな祖母の吉祥も、ただ食いできるとご機嫌になるいいイベントだ。
 すかさず、「行きたい!」と返して、皓子は端末片手に立ち上がった。
 吉祥を探して居間に行けば、何やら外出準備をしているところに遭遇した。

「あれ、ばばちゃん、どっか行くの?」

 たずねると、吉祥は呆れた様子を隠すまでもなく溜息まじりに皓子に返した。

「アンタ、前から言ってただろ。今日、アタシは会食があるって。ちょっとしたディナーに呼ばれてくるのさ」
「あー……」

 そういえば、言っていたかもしれない。
 何せ、学校が始まってばたばたと過ごしていたので忘れていたのだ。

「帰りは遅い?」
「まあ、そこまで遅くはならないよ。なるようだったら、連絡を入れるから、先に寝てな。夜更かしはするんじゃないよ」
「はあい。じゃあ私、翔くんところで焼き肉会行っていい?」
「今日やるのかい。タイミングが悪いねえ……あっ、皓子、出た料理はなるべく持ち帰って冷蔵庫に詰めとくんだよ」
「わかってるって」

 ぐっと握りこぶしに親指を立てると、よし、と言って吉祥はテキパキと準備を済ませて玄関に歩いていった。

「いってらっしゃーい」
「いってきます」

 吉祥を見送って、さて、と皓子は台所からタッパーを取り出した。
 飛鳥主催の会は、ちょくちょく豪華な代物が並ぶのだ。勿体ない精神で持ち帰って損はない。

(あ、そうだ)

 ビニール袋に何個か入れたところで、皓子はふと思い立った。
 それから、おもむろに端末を取り出すと画面を操作して、飛鳥に向けてメッセージを送った。
 送った内容は簡単だ。
 アリヤも誘って良いか、というものである。
 飛鳥から万屋荘の住人にはメッセージがおそらく飛んでいる。だが、アリヤはまだ届いていないだろう。なにせ、入居して挨拶回りして以来交流がなかったから。他の住民が騒ぐなら、一応声を掛けておいたほうがいいと思ったのだ。
 間もなく、飛鳥からスタンプで了解が送られてきた。

(まあ、誘いに乗ってくれるかはわからないけれど)

 社交辞令として付き合ってはくれるかもしれない。
 ただ、万屋荘は楽しいところだと少しでも思ってくれるといいなという下心がある。
 それに、食べ盛りの男の子だ。きっとよく食べてくれるだろう。皓子の幼馴染の友人もよく食べるし、と馴染みの顔を浮かべて言い聞かせる。
 ビニール片手に立ち、端末は七分丈のパンツのポケットにしまう。シャツの上からオーバーサイズのパーカーを着込んでおく。春とはいえ、夜はまだ少し冷えるのだ。
 履き慣れたスニーカーに足を入れて紐を軽く結び直して、皓子は部屋のドアをくぐって外に出た。



 今日は曇り空のようで、早くも宵の口に入り辺りは暗がりになっている。
 片田舎の光景に、ぼんやりと外套がぽつぽつと浮かんでいるばかりで、人気は無い。かわりに虫の声は賑やかで、チリチリと鳴く音が響いていた。
 101号室の前に向かって、チャイムを押す。
 それほど間を置かず、静かにチェーン越しにドアが開いた。

「はい……織本さん? 何かあった?」

 着崩した制服のアリヤが、目を瞬かせている。ふわりと鼻腔をくすぐるのは香水だろうか。
 さすが都会っ子、お洒落、と頭で思いながら、皓子は無害そうに見える笑みを浮かべた。

「翔くんから、焼き肉会のお知らせがあって。もしよければだけど、お誘いにきたんだ」
「翔? ああ、飛鳥さん。ええと、それって、俺も行っても良いやつ?」
「うん、住民全員に連絡飛ばしてるだろうし、いつものことだから」
「へえ、そうなんだ。あー……ちょっと待って」

 そう言うと、にこっと笑ったアリヤが引っ込んでドアが閉じた。
 やがて、チェーンを外したドアを開いて、着替えたアリヤが出てきた。
 ゆるめのカットソーにGパンのなんてことないシンプルな格好だが、素材が良ければ一際良く見えるらしい。思わず感心してしまう。手には紙袋を持っている。皓子と同じタッパーを入れているのかと思ったが、それにしては高級そうだ。
 アリヤはスポーツシューズを履いたつま先をコンクリートの床で数回叩いて、皓子の横に並んだ。

「お待たせ。焼き肉、楽しみだな」
「今回はすごく豪華なんだって。期待大だねえ」

 アリヤを伴って階段を上がり、202号室の飛鳥の部屋へと向かう。
 次第に鼻先をくすぐるものが、アリヤの甘い香りから肉を焼く匂いに塗り変わっていく。食欲が減る香りに、お腹が鳴りそうだ。
 わくわくとした心地で皓子がチャイムを鳴らすと、軽い足音がした。はっとして、後ろに下がれば勢いよく部屋のドアが開け放たれた。

「こっこ! 良く来たのじゃ! ささ、入るがよい。わしの隣が空いているのじゃ」

 弾丸のように飛び出してきた着物の童女、水茂が皓子に飛びつくと、腕を取って中へと引っ張る。
 皓子はつんのめりそうになってたたらを踏んで、どうにかこらえた。

「水茂、転んじゃうよ。あと、私以外にもいるから」
「お? それはすまなんだ。こっこと……アリヤといったか。こっこが連れてきたのじゃな? うむ、翔の馳走は美味ゆえな、お前もたんと食すがよいぞ」

 それからひょこっと皓子の後ろを確認すると、ついでだとばかりに付け足した。アリヤの苦笑が聞こえる。
 ぐいぐいと引っ張られるがまま、スニーカーを玄関で脱いでどうにか整えてから部屋へと入り込む。
 スライドドアが開けられると、ダイニングキッチンに立つ飛鳥がにこやかに出迎えた。

「いらっしゃい! まあ座ってくれ」
「翔! わしはたんと食すぞ! たくさん焼くのじゃ! 焼けたら一番にわしが味見をしてやるからに……ほれ、ここに寄越すが良いぞ。もそっと、ほれほれ寄越すのじゃ」
「わーかってるって」

 簡素なデザインのエプロンをかけた飛鳥は、フライパンと網で次々に出来上がった肉を大皿に積み上げていく。それをはしゃぎながら水茂が自分の皿にねだるのを横目に、席へ着く。
 長方形の座卓にはすでにいくつかの皿と箸、コップが並べられている。
 飛鳥の部屋は整理整頓が行き届いた部屋だ。
 壁には飾りのようにドライフラワーの花束が掛けられていたり、戸棚に装飾品や液体の入った硝子瓶が置かれていたりと、皓子の部屋よりも女子力が高い。
 そして最も特徴的なのは、飛鳥の部屋には特別な物置部屋がついている。本来壁だけの所にスライド式のドアがある、その先だ。
 開ければすぐ隣の部屋ではと思うが、実は違う。

「とっておきを出すか」

 そう言った飛鳥が、そのドアを開くと、広い部屋がお目見えした。
 明らかに、空間を無視した部屋が広がる光景に、相変わらず不思議だなあと思わずにはいられない。
 この物置、基本的に飛鳥しか入ることができない。見ることはできるのだが、まるで透明な壁ができたように阻まれてしまう。
 物にあふれた光景は、ちょっとした博物館のようだ。皓子はこの物置を見るのが好きだった。
 飛鳥はたくさんある物の中の一角に行くと、やがて大きな革袋を持ち上げた。がたいのいい飛鳥が両手で抱えるほどだ、おそらく20キログラムの米袋より大きいくらいだろうか。それを持って戻ってきた飛鳥は、肘で器用にスライドドアを閉じると、台所へと運び込んだ。
 床に置いて飛鳥が一息ついたところで、あの、とアリヤが声をかけた。

「お、どうした御束くん」
「えーと、今更ながらご挨拶の品を渡していなかったので」
「えっ、俺に?」

 ぱあっと顔を明るくした飛鳥に、アリヤは紙袋から包装された四角い箱を渡した。

「いやあ、悪いなあ」
「本当はここに来たときに渡せばよかったんですが、生憎ばたばたしてて」
「やー、全然気にしなくて良いのに! 御束くんマメだなあ!」
「いえいえ」

 にこ、と笑うとアリヤは振り返って今度は水茂へと紙袋から同じ箱を差し出した。

「どうぞ」
「貢ぎ物じゃな? よきにはからえ」

 ご機嫌に水茂が受け取ると、アリヤは皓子の元に来て隣に腰掛けた。

「織本さんも、はい」
「あっ、ありがとう」

 気安い仕草で差し出されて、受け取る。
 片手くらいの大きさの、淡い青色の包装紙が可愛い。このあたりじゃあまり見ない洒落たものに、そわそわしてしまう。

「うわあ、都会って感じがする」
「なにそれ。普通の店のだよ」

 小さく笑うアリヤの横で、さっそく包みを開けた水茂が歓声を上げた。

「おおっ、これは! こ、ここ金平糖じゃな!? アリヤ、お前、わかっておるではないか! こっこ! 見てたも、見てたも。キラキラじゃぞ」

 包みを持ったまま、ぴょんこぴょんこと跳ねた水茂は大層嬉しかったようである。光り物が好きなのだ。
 よかったねえと言えば、うむうむ、とさらにはしゃいで転げ回る。
 そしてそのまま、童女の姿からカワウソに戻った。黒々としたツヤのカワウソが床をころころ回って、走り回る。なお、まだきゃらきゃらと笑っているので、興奮冷めやらぬ様子のままだ。
 それを見たアリヤは、わずかに驚いた顔をしたが、一呼吸置いてからまたいつものようにすました顔に戻った。

「慣れてきた?」

 こそっと声をかければ、アリヤは曖昧に頷いた。

「まだ驚くけど、まあ、そういうものって思うことにした」
「おお、御束くん、素質あるね」
「それ、褒め言葉?」
「褒めてる褒めてる」

 実際、すごいものだ。
 過去の一番拒否というか現実逃避が激しかったのは、田ノ嶋だった。それに比べれば実に素直に受け止めていると皓子は感心した。

(天使の息子だから、度量が生まれつき広いのかも)

 そうこうしているうちに、焼き上げた肉がドン、と音を立てて座卓の中心に置かれた。山盛りと称するにふさわしい、盛り上げた肉の山である。
 思わず、「おお」と皓子は感嘆の声が出てしまった。自慢気に飛鳥が笑った。
 そのままエプロンを外した飛鳥が向かいに腰掛ける。

「あれ、翔くん、他の人は?」

 皓子がたずねると、飛鳥はすでに置いてあったヤカンからお茶をコップに注ぎながら答えた。

「麻穂さんは仕事で無理。世流さんとこはノルハーンさんがもう少ししたら来て、佐藤原さんも遅れてくるってさ」
「食べてよいか? 食べてよいな?」
「というわけで、先に食べる権利は俺たちにある」

 水茂のそわそわした言葉に、飛鳥は重々しく頷くとすっと両手を合わせた。皓子もつられて合わせれば、遅れてアリヤと水茂も手を合わせた。

「実食! いっただっきまーす」

 飛鳥の唱和のあとに、それぞれがいただきますを言うと我先にと箸先が動いた。

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