第26話 慟哭
〜鈴代視点
香奈さんが丙型から落とされた?!
上空の輝甲兵から操者が大挙して飛び降りた。その情報だけで私はパニックになってしまう。
3071はようやく立ち上がったけれども、今はそれが精一杯で飛ぶどころか歩く事さえままならない。
それでも懸命に足を動かそうとする。意識ばかり先走って体感がついて来ない。
《おい、あれ…》
71の声に香奈さんの方を見やる。
落下しながらも縦横に回転していた。
あれは… あれはきっと『踊っている』のだろう。
あれはきっと香奈さんの夢、輝甲兵による空中ダンスチームの為の振り付けなんだ。
香奈さんらしいよ。こんな絶望しか無い状況で、明るい顔して踊れるなんて。私には絶対に真似出来ない……。
《踊ってるのか…?》
71の言葉に我に帰る。見惚れている場合じゃない。
「71!!」
《分かってる!!》
私はナナヒトと四文字しか発していない。それでも彼は『一刻も早く香奈さんを助けたい』という気持ちを読み取ってくれた。
ようやく重い身体に火が入る。即座に幽炉開放して、香奈さんの方向に飛ぶ。
頭では理解している……。
このタイミングではどんなに頑張っても『絶対に』間に合わない、と。
それでも、0.1%、いや万が一でも可能性があるのなら、と私は飛んだ。
「香奈さんーっ!!」
《間に合えーっ!!》
2人の声が重なる。香奈さんに手を伸ばす。
そして現実は残酷だ……。
私達の目の前で、香奈さんの体は眼下の森へと吸い込まれていった。
香奈さんはその最期、私達に向けて涼やかな笑顔で手を振っていた……。
「…………」
《…………》
私達は2人とも声が出せないでいた。
何故…?
何故香奈さんが死ななければならないの…?
私達は軍人だ。分かっている。
『戦場で死ぬるは武人の本懐』、それも分かっている。
でも… それでも… 香奈さんはこんな所で死んで良い人じゃ無かった。
もっと私達を… いや世界中を笑顔に出来る人だった。
どうせ死ぬなら戦う以外に能の無い、この私が死ぬべきだった……。
慚愧。
この一語が私の中の全てを満たす。
あと2秒、いや1秒半早く動けていたら香奈さんを助けられたかも知れない。
私が『鎌付き』にトドメを刺せていれば……。
突き飛ばされた時にもっと踏みとどまって居られれば……。
せめてもっと丙型から近い位置に着陸出来ていれば……。
そして現実は更なる残酷を用意する。
『鎌付き』に撃墜された輝甲兵のうち1機が地表で|虚空現象を起こしたのだ。
…涙を流す暇も無い。
ヴォイドのプラズマ球が格納庫の半分と基地棟の半分を飲み込んで消滅させた。
恐らくは基地内や地下のシェルターに避難していた人達、救難活動をしていた第2中隊の輝甲兵の何機かもまとめて飲み込んでだ。
…動きを止める訳にはいかない。
私達は軍人だ… 冷静に、速やかに、シンプルに行動しなければならない。
私の任務は『基地の防衛』と『敵の殲滅』だ。
私の敵は『鎌付き』。今は動きを止めているが撃墜された訳ではない。トドメを刺せるものならば刺してしまいたい。足元に落ちている誰が使った物とも知れない突撃銃を拾い上げ、弾倉を確認する。
新たな武器を得た私が『鎌付き』を見上げた時に、次の事件が起こった。
『鎌付き』が動き出したのだ。
先程までの雷を思わせる様な鋭く疾い動きでは無くて、ゆっくりと夢遊病者の様にふらつきながら、基地のシャトル発着場に向かって飛び始めたのだ。
シャトル発着場には高橋大尉達を乗せてきた輸送艦『はまゆり』が、次なる発進に備えて空に向けて直立していた。
その姿を追う様に丙型が続く。敵を追撃している風では無い。むしろ『鎌付き』に追従するかの様な動きだ。
香奈さんの居ない今、丙型を動かしているのはまどかさんなのだろうか?
更に操者を吐き出したまま滞空していた輝甲兵達もそれに続く。そして地上に降りた(墜ちた)輝甲兵も、何機かが先程見た光景そのままに操者を吐き出して、操者不在のまま空へと昇っていった。
その中の1機に田中中尉の零式も混じっていた。
振り落とされた操者達は、その時の輝甲兵の体勢にもよるが凡そ5〜8メートルの高さから落下した事で幾人かは負傷した様に見えた。
田中中尉は、やはり輝甲兵から落とされた物の、くるりと受け身を取り無事な様子だった。
「これは… 何が起きているの…?」
思わず疑問が口を出た。
操者の居ない輝甲兵が自立行動をするなんて、71の様に覚醒したピュアワン個体でなければ無理なはず。
高橋大尉の言ではうちの中隊、いやうちの大隊には71とまどかさん以外にピュアワン幽炉は居ないと聞いている。
《多分だけど、これはまどかがやってるんだ。あいつ他の幽炉を、輝甲兵を遠隔で動かせるようになったんだ…》
「どういう事? この不気味な行列も、『鎌付き』に付いていくのも、……香奈さんや他の操者を殺したのも全部まどかさんの仕業なの…?」
《確証は無いけど…》
それから私は71から、『鎌付き』が叫び出してから香奈さんが落とされるまでの経緯を聞いた。
「そう… それで、『貴方は大丈夫』なの…?」
71も幽炉だ。彼がまどかさんに操られて私に反旗を翻す可能性があるのなら、今の関係を続ける訳にはいかなくなる。
《…ぶっちゃけさっきはヤバかった。俺も壊せだの殺せだのの意識が頭の中に溢れて鈴代ちゃんを殺しそうになった。地面に落ちたおかげで正気に戻ったけどな。もう大丈夫だ》
信じていいのかな…? 普段から友好的な関係を築けてこなかったが為に、いざという時に裏切られる状況しか見えないのだけれど……。
《そこで黙るなよ、俺が不安になるだろうが! ……二度は無い、約束するよ。俺は絶対に鈴代ちゃんを裏切らない! たとえ青い空や澄んだ風が裏切ってもな》
私の疑念を見透かした様な71の言葉が心に刺さる。後半何を言っているのか分からないけど。
どの道ここで私が彼を捨てて、輝甲兵操者から一兵士になった所で出来る事は何も無い。
ならばこの奇妙な相棒と、何があっても最後まで走り抜けるしか無いのだ。
「…分かったわ、私も貴方を信じる。だから香奈さんの仇を取りましょう。力を貸して…」
《ああ、分かった。ただ『鎌付き』はともかく、まどかについては少し待ってもらえないか? あいつも『鎌付き』の悪意の波動でおかしくなっちまってて、本気で香奈さんを殺そうとした訳じゃないんだ、だから…》
「…ええ、善処するわ」
私の冷たい答えに71が黙る。
71には悪いが私はまどかさんを、いや『角倉 円』を絶対に許すつもりは無い。その罪に見合った罰を受けさせて、丙型を香奈さんの墓前に供える事が香奈さんの供養になるはずだ。
《その… 何ていうか… まどかを止められなくて済まない… あそこであいつを止められるのはただ1人、俺だったのに…》
「…もう過ぎた事は仕方ないわ。今は彼らを追うわよ」
そうなのだ。『鎌付き』と丙型は発進準備中の『はまゆり』に乗り込んで宇宙へ飛ぼうとしている。
宇宙で何をするつもりなのか分からないけど、間違っても自ら警察に出頭する様な事は無いだろう。
空には1匹の虫と9機の輝甲兵が浮かんでいた。『鎌付き』以外は全てが反乱を起こした無人の輝甲兵だ。
まともに人が乗っていて動ける機体はどうやら私達だけらしい。
こちらの武器は弾倉に弾が半分入った突撃銃と、腰に装着された鉈だけだ。
1人静かに上昇する3071を迎撃するかの様に、上空の輝甲兵が5機(全て24式)こちらに向かってくる。
その動きは遅く、まるでゾンビ映画の如くゆっくりとした機動だった。
やがて手に持った銃を構え、こちらに向けて撃ってきた。
威嚇なのか本気なのかは計り知れないが、回避をするまでも無い下手くそな射撃だ。
『彼らもまどかが動かしているの?』
もはや考えるまでもあるまい。話は簡単だ。明確な反逆、そして利敵行為。角倉まどか三等兵は軍規に従い、この場で処刑させて頂く。
私は突撃銃の発射レートを単発に設定し、スコープの照準倍率を上げ狙撃モードにする。
『はまゆり』に着艦しようとしている丙型は完全に無防備だ。周りを守護するゾンビ輝甲兵の隙間から余裕で狙える位置にいる。
そこから幽炉の位置(人間で言う肩甲骨の中心)に狙いを絞る。
後は冷徹に引き金を引くだけだ。
途端にライフルの照準が上に大きくずれた。
71が副腕で私の構えたライフルの銃身を掴んで上に持ち上げていたのだ。
「ちょっと、邪魔しないでよ…」
私の静かな怒り声に一瞬息を呑む71。
《…いやそっちこそ待てって。今まどかを殺して香奈さんが喜ぶと思うか?》
…香奈さんは本当の妹の様にまどかを可愛がっていた。あの人の事だ、この戦いから帰ったら、是が非でもまどかを元の世界に帰そうと行動した事だろう。
ここの所の香奈さんの話題はいつも『まどかが』『まどかが』ばかりだった。
それだけ香奈さんに愛されていたのに、まどかは香奈さんを裏切った。
その事だけを考えても情状酌量の余地は無い。加えて反逆行為の現行犯だ。
でも……。
まどかを殺したいのは『私』の意思だ。でも『香奈さん』は…?
今私の目の前に香奈さんがいたなら、きっとこう言うに違いない。
「ごめん鈴代、まどかを頼むよ。あいつを元の世界に帰してやってくれ」と……。
「…分かったわ、今回は見逃す。手を放して」
興が削がれた。私はライフルを通常モードに戻し、彼らの後を追いシャトルへ向かう。
『鎌付き』と丙型、零式、第3中隊の小林隊長の乗機と思われる30式、そして誰の物だか分からない24式の合計5機が『はまゆり』に乗り込んだ。
恐らくは『はまゆり』側の操作もまどかがやったのか、間を置かずにシャトルのエンジンに火が入る。
まどかへの狙撃こそ断念したが、『はまゆり』をこのまま宇宙に行かせるわけにはいかない。それとこれとは話が別だ。
『はまゆり』は船体の周囲に4基のエンジンが取り付けられている。その内の1基だけでも使用不能にすれば、彼らの企みを挫けるはずだ。
尤も簡単にはいかない、『はまゆり』に乗らなかった5機のゾンビ輝甲兵は護衛の為に残ったのだ。
まだ調子の戻らない30式1機で、素人扱いとは言え5機を相手にするのは骨が折れる。
しかし、彼らを阻止しないと事件に、それも人類全体を巻き込むような大事件に発展しそうな気がして、私の胃がキリリと痛んだ。
5機が私を囲む様に移動してくる。『連携が取れている』とはまだまだ言えないが、これを1人で同時に動かしているのなら、その集中力には目を見張るものがあるだろう。
どうせならすり抜けてやり過ごしたいが、そこまでの穴は見せてもらえないらしい。
ゾンビ輝甲兵5機の呼称を便宜上敵ABCDEとさせて頂く。
敵AとBが私を挟撃すべく左右に展開する。
ありがたい事に攻撃を仕掛けてくるのは、2機同時が精一杯の様だ。
敵CDEを陽動に使う事も無く、単に私の進む道を塞いでくるだけの戦術らしい。
ならばこの場合の最適解は『押し通る』事だ。
私は敵ABを無視して壁を作っている敵CDEに突っ込む。
もたもたと銃を構え直そうとする敵Cに突撃銃を10発ほど撃ち込んだ。敵C撃墜。
次に今撃った突撃銃を逆に持ち替えて銃身を両手で握り敵Dに向かって渾身の力で振り下ろす。
どうせあと何発も撃てなかったのだから、この際別途有効利用させてもらう。
頭部に銃床を叩き込まれた敵Dは、事切れた様に動きを止めて落下した。敵D撃墜。
返す刀で敵Eの頭部にも銃身が曲がり、かつて突撃銃という名前だった棍棒を叩き込む。
《後ろの2機が撃ってくるぞ!》
71の声にも体が自然に反応する。目の前の体勢を大きく崩した敵Eを掴み、並列して射撃をしてきた敵ABに対する盾とする。
そのまま敵ABに向けて、穴だらけのボロ雑巾と化した敵Eを蹴り出してやる。
3体が衝突し敵Eはそのまま落下していった。敵E撃墜。
敵ABのバランスが崩れた事を幸いに、私はブースターが点火され、今にも離陸しそうな勢いの『はまゆり』に急行した。
腰に据え付けられていた鉈を両手で構え、一番近いエンジンブースターに突き立て、一気呵成に下方向に斬り広げた。
私が破壊したブースターは小さな誘爆を続けながら段々と火を落としていった。
よし、これで離陸は食い止めた。ブースターが揃わなければ『はまゆり』の離床は不可能だ。
むしろこの場に留まっていては、もし船体全体が誘爆した際に巻き込まれる可能性がある。
一旦離れた方が良いかもしれない、そう思い『はまゆり』から距離を取る。
敵Aの1機だけが私への追撃を試みる。敵Bは姿が見えない。
《おい、さっきの奴が…》
姿の見えなかった敵Bが、私の破壊したブースター部分に取り付いて、輝甲兵の推力で『はまゆり』を押し上げようとしていたのだ。
輸送船から離れたのは失敗だった……。
再び『はまゆり』に接近しようとした私を、敵Aが抱きついてきて止めた。
幽炉開放は機体の筋力も上げる。開放している24式と開放していない30式なら前者の方が力は強い。
拘束され、動けなくなった私の視界の隅にプラズマ光が走った。
『この敵、自爆して虚空を起こすつもり?!』
まどかという子は、他人を自爆させてまで自らの目的を果たそうとする子なのね。理解したわ…。
いつぞやの虫も、いや見知らぬ操者さんも私諸共消えようとした事があった。
それが自分の意志による特攻ならば『崇高な自己犠牲精神』と思えなくもないが、今回の様な他人に操作や強要されての物ならば、それはもう嫌悪感しか無い。
元よりゾンビなんかと心中する気はさらさら無い。
私も敵Aの腕を振りほどくべく幽炉をかいほ……。
《うっとぉしいんじゃボケェっ!!》
71の叫びと共に私の背中の副腕の拳が敵Aの顔面に食い込んだ。そのまま両副腕の高速連打で十数発ほど殴られた敵Aは力尽きたように手を放し、空中で消滅した。
《うらぁっ! 初撃墜!!》
71の満足気な雄叫びを背にシャトルに注意を戻す。
…そして私の目の前では『はまゆり』が遥か上空へと飛び立っていく所だった。
阻止できなかった……。
香奈さんや基地の犠牲者の仇も取れなかった……。
眼下に大きく削られて無残な姿を晒す基地を見下ろす。
大規模火災は虚空現象に巻き込まれたのか鳴りを潜め、小さな火が散発的に見えるだけだ。
これからどうなってしまうのだろう…?
失った物の大きさに胸が押しつぶされそうになる。
私は大きく息を吸って、そしてやり場の無い思いの全てを込めて叫んだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
星のまたたく夜空に、私の叫び声だけが虚しく響き渡った。
香奈さんが丙型から落とされた?!
上空の輝甲兵から操者が大挙して飛び降りた。その情報だけで私はパニックになってしまう。
3071はようやく立ち上がったけれども、今はそれが精一杯で飛ぶどころか歩く事さえままならない。
それでも懸命に足を動かそうとする。意識ばかり先走って体感がついて来ない。
《おい、あれ…》
71の声に香奈さんの方を見やる。
落下しながらも縦横に回転していた。
あれは… あれはきっと『踊っている』のだろう。
あれはきっと香奈さんの夢、輝甲兵による空中ダンスチームの為の振り付けなんだ。
香奈さんらしいよ。こんな絶望しか無い状況で、明るい顔して踊れるなんて。私には絶対に真似出来ない……。
《踊ってるのか…?》
71の言葉に我に帰る。見惚れている場合じゃない。
「71!!」
《分かってる!!》
私はナナヒトと四文字しか発していない。それでも彼は『一刻も早く香奈さんを助けたい』という気持ちを読み取ってくれた。
ようやく重い身体に火が入る。即座に幽炉開放して、香奈さんの方向に飛ぶ。
頭では理解している……。
このタイミングではどんなに頑張っても『絶対に』間に合わない、と。
それでも、0.1%、いや万が一でも可能性があるのなら、と私は飛んだ。
「香奈さんーっ!!」
《間に合えーっ!!》
2人の声が重なる。香奈さんに手を伸ばす。
そして現実は残酷だ……。
私達の目の前で、香奈さんの体は眼下の森へと吸い込まれていった。
香奈さんはその最期、私達に向けて涼やかな笑顔で手を振っていた……。
「…………」
《…………》
私達は2人とも声が出せないでいた。
何故…?
何故香奈さんが死ななければならないの…?
私達は軍人だ。分かっている。
『戦場で死ぬるは武人の本懐』、それも分かっている。
でも… それでも… 香奈さんはこんな所で死んで良い人じゃ無かった。
もっと私達を… いや世界中を笑顔に出来る人だった。
どうせ死ぬなら戦う以外に能の無い、この私が死ぬべきだった……。
慚愧。
この一語が私の中の全てを満たす。
あと2秒、いや1秒半早く動けていたら香奈さんを助けられたかも知れない。
私が『鎌付き』にトドメを刺せていれば……。
突き飛ばされた時にもっと踏みとどまって居られれば……。
せめてもっと丙型から近い位置に着陸出来ていれば……。
そして現実は更なる残酷を用意する。
『鎌付き』に撃墜された輝甲兵のうち1機が地表で|虚空現象を起こしたのだ。
…涙を流す暇も無い。
ヴォイドのプラズマ球が格納庫の半分と基地棟の半分を飲み込んで消滅させた。
恐らくは基地内や地下のシェルターに避難していた人達、救難活動をしていた第2中隊の輝甲兵の何機かもまとめて飲み込んでだ。
…動きを止める訳にはいかない。
私達は軍人だ… 冷静に、速やかに、シンプルに行動しなければならない。
私の任務は『基地の防衛』と『敵の殲滅』だ。
私の敵は『鎌付き』。今は動きを止めているが撃墜された訳ではない。トドメを刺せるものならば刺してしまいたい。足元に落ちている誰が使った物とも知れない突撃銃を拾い上げ、弾倉を確認する。
新たな武器を得た私が『鎌付き』を見上げた時に、次の事件が起こった。
『鎌付き』が動き出したのだ。
先程までの雷を思わせる様な鋭く疾い動きでは無くて、ゆっくりと夢遊病者の様にふらつきながら、基地のシャトル発着場に向かって飛び始めたのだ。
シャトル発着場には高橋大尉達を乗せてきた輸送艦『はまゆり』が、次なる発進に備えて空に向けて直立していた。
その姿を追う様に丙型が続く。敵を追撃している風では無い。むしろ『鎌付き』に追従するかの様な動きだ。
香奈さんの居ない今、丙型を動かしているのはまどかさんなのだろうか?
更に操者を吐き出したまま滞空していた輝甲兵達もそれに続く。そして地上に降りた(墜ちた)輝甲兵も、何機かが先程見た光景そのままに操者を吐き出して、操者不在のまま空へと昇っていった。
その中の1機に田中中尉の零式も混じっていた。
振り落とされた操者達は、その時の輝甲兵の体勢にもよるが凡そ5〜8メートルの高さから落下した事で幾人かは負傷した様に見えた。
田中中尉は、やはり輝甲兵から落とされた物の、くるりと受け身を取り無事な様子だった。
「これは… 何が起きているの…?」
思わず疑問が口を出た。
操者の居ない輝甲兵が自立行動をするなんて、71の様に覚醒したピュアワン個体でなければ無理なはず。
高橋大尉の言ではうちの中隊、いやうちの大隊には71とまどかさん以外にピュアワン幽炉は居ないと聞いている。
《多分だけど、これはまどかがやってるんだ。あいつ他の幽炉を、輝甲兵を遠隔で動かせるようになったんだ…》
「どういう事? この不気味な行列も、『鎌付き』に付いていくのも、……香奈さんや他の操者を殺したのも全部まどかさんの仕業なの…?」
《確証は無いけど…》
それから私は71から、『鎌付き』が叫び出してから香奈さんが落とされるまでの経緯を聞いた。
「そう… それで、『貴方は大丈夫』なの…?」
71も幽炉だ。彼がまどかさんに操られて私に反旗を翻す可能性があるのなら、今の関係を続ける訳にはいかなくなる。
《…ぶっちゃけさっきはヤバかった。俺も壊せだの殺せだのの意識が頭の中に溢れて鈴代ちゃんを殺しそうになった。地面に落ちたおかげで正気に戻ったけどな。もう大丈夫だ》
信じていいのかな…? 普段から友好的な関係を築けてこなかったが為に、いざという時に裏切られる状況しか見えないのだけれど……。
《そこで黙るなよ、俺が不安になるだろうが! ……二度は無い、約束するよ。俺は絶対に鈴代ちゃんを裏切らない! たとえ青い空や澄んだ風が裏切ってもな》
私の疑念を見透かした様な71の言葉が心に刺さる。後半何を言っているのか分からないけど。
どの道ここで私が彼を捨てて、輝甲兵操者から一兵士になった所で出来る事は何も無い。
ならばこの奇妙な相棒と、何があっても最後まで走り抜けるしか無いのだ。
「…分かったわ、私も貴方を信じる。だから香奈さんの仇を取りましょう。力を貸して…」
《ああ、分かった。ただ『鎌付き』はともかく、まどかについては少し待ってもらえないか? あいつも『鎌付き』の悪意の波動でおかしくなっちまってて、本気で香奈さんを殺そうとした訳じゃないんだ、だから…》
「…ええ、善処するわ」
私の冷たい答えに71が黙る。
71には悪いが私はまどかさんを、いや『角倉 円』を絶対に許すつもりは無い。その罪に見合った罰を受けさせて、丙型を香奈さんの墓前に供える事が香奈さんの供養になるはずだ。
《その… 何ていうか… まどかを止められなくて済まない… あそこであいつを止められるのはただ1人、俺だったのに…》
「…もう過ぎた事は仕方ないわ。今は彼らを追うわよ」
そうなのだ。『鎌付き』と丙型は発進準備中の『はまゆり』に乗り込んで宇宙へ飛ぼうとしている。
宇宙で何をするつもりなのか分からないけど、間違っても自ら警察に出頭する様な事は無いだろう。
空には1匹の虫と9機の輝甲兵が浮かんでいた。『鎌付き』以外は全てが反乱を起こした無人の輝甲兵だ。
まともに人が乗っていて動ける機体はどうやら私達だけらしい。
こちらの武器は弾倉に弾が半分入った突撃銃と、腰に装着された鉈だけだ。
1人静かに上昇する3071を迎撃するかの様に、上空の輝甲兵が5機(全て24式)こちらに向かってくる。
その動きは遅く、まるでゾンビ映画の如くゆっくりとした機動だった。
やがて手に持った銃を構え、こちらに向けて撃ってきた。
威嚇なのか本気なのかは計り知れないが、回避をするまでも無い下手くそな射撃だ。
『彼らもまどかが動かしているの?』
もはや考えるまでもあるまい。話は簡単だ。明確な反逆、そして利敵行為。角倉まどか三等兵は軍規に従い、この場で処刑させて頂く。
私は突撃銃の発射レートを単発に設定し、スコープの照準倍率を上げ狙撃モードにする。
『はまゆり』に着艦しようとしている丙型は完全に無防備だ。周りを守護するゾンビ輝甲兵の隙間から余裕で狙える位置にいる。
そこから幽炉の位置(人間で言う肩甲骨の中心)に狙いを絞る。
後は冷徹に引き金を引くだけだ。
途端にライフルの照準が上に大きくずれた。
71が副腕で私の構えたライフルの銃身を掴んで上に持ち上げていたのだ。
「ちょっと、邪魔しないでよ…」
私の静かな怒り声に一瞬息を呑む71。
《…いやそっちこそ待てって。今まどかを殺して香奈さんが喜ぶと思うか?》
…香奈さんは本当の妹の様にまどかを可愛がっていた。あの人の事だ、この戦いから帰ったら、是が非でもまどかを元の世界に帰そうと行動した事だろう。
ここの所の香奈さんの話題はいつも『まどかが』『まどかが』ばかりだった。
それだけ香奈さんに愛されていたのに、まどかは香奈さんを裏切った。
その事だけを考えても情状酌量の余地は無い。加えて反逆行為の現行犯だ。
でも……。
まどかを殺したいのは『私』の意思だ。でも『香奈さん』は…?
今私の目の前に香奈さんがいたなら、きっとこう言うに違いない。
「ごめん鈴代、まどかを頼むよ。あいつを元の世界に帰してやってくれ」と……。
「…分かったわ、今回は見逃す。手を放して」
興が削がれた。私はライフルを通常モードに戻し、彼らの後を追いシャトルへ向かう。
『鎌付き』と丙型、零式、第3中隊の小林隊長の乗機と思われる30式、そして誰の物だか分からない24式の合計5機が『はまゆり』に乗り込んだ。
恐らくは『はまゆり』側の操作もまどかがやったのか、間を置かずにシャトルのエンジンに火が入る。
まどかへの狙撃こそ断念したが、『はまゆり』をこのまま宇宙に行かせるわけにはいかない。それとこれとは話が別だ。
『はまゆり』は船体の周囲に4基のエンジンが取り付けられている。その内の1基だけでも使用不能にすれば、彼らの企みを挫けるはずだ。
尤も簡単にはいかない、『はまゆり』に乗らなかった5機のゾンビ輝甲兵は護衛の為に残ったのだ。
まだ調子の戻らない30式1機で、素人扱いとは言え5機を相手にするのは骨が折れる。
しかし、彼らを阻止しないと事件に、それも人類全体を巻き込むような大事件に発展しそうな気がして、私の胃がキリリと痛んだ。
5機が私を囲む様に移動してくる。『連携が取れている』とはまだまだ言えないが、これを1人で同時に動かしているのなら、その集中力には目を見張るものがあるだろう。
どうせならすり抜けてやり過ごしたいが、そこまでの穴は見せてもらえないらしい。
ゾンビ輝甲兵5機の呼称を便宜上敵ABCDEとさせて頂く。
敵AとBが私を挟撃すべく左右に展開する。
ありがたい事に攻撃を仕掛けてくるのは、2機同時が精一杯の様だ。
敵CDEを陽動に使う事も無く、単に私の進む道を塞いでくるだけの戦術らしい。
ならばこの場合の最適解は『押し通る』事だ。
私は敵ABを無視して壁を作っている敵CDEに突っ込む。
もたもたと銃を構え直そうとする敵Cに突撃銃を10発ほど撃ち込んだ。敵C撃墜。
次に今撃った突撃銃を逆に持ち替えて銃身を両手で握り敵Dに向かって渾身の力で振り下ろす。
どうせあと何発も撃てなかったのだから、この際別途有効利用させてもらう。
頭部に銃床を叩き込まれた敵Dは、事切れた様に動きを止めて落下した。敵D撃墜。
返す刀で敵Eの頭部にも銃身が曲がり、かつて突撃銃という名前だった棍棒を叩き込む。
《後ろの2機が撃ってくるぞ!》
71の声にも体が自然に反応する。目の前の体勢を大きく崩した敵Eを掴み、並列して射撃をしてきた敵ABに対する盾とする。
そのまま敵ABに向けて、穴だらけのボロ雑巾と化した敵Eを蹴り出してやる。
3体が衝突し敵Eはそのまま落下していった。敵E撃墜。
敵ABのバランスが崩れた事を幸いに、私はブースターが点火され、今にも離陸しそうな勢いの『はまゆり』に急行した。
腰に据え付けられていた鉈を両手で構え、一番近いエンジンブースターに突き立て、一気呵成に下方向に斬り広げた。
私が破壊したブースターは小さな誘爆を続けながら段々と火を落としていった。
よし、これで離陸は食い止めた。ブースターが揃わなければ『はまゆり』の離床は不可能だ。
むしろこの場に留まっていては、もし船体全体が誘爆した際に巻き込まれる可能性がある。
一旦離れた方が良いかもしれない、そう思い『はまゆり』から距離を取る。
敵Aの1機だけが私への追撃を試みる。敵Bは姿が見えない。
《おい、さっきの奴が…》
姿の見えなかった敵Bが、私の破壊したブースター部分に取り付いて、輝甲兵の推力で『はまゆり』を押し上げようとしていたのだ。
輸送船から離れたのは失敗だった……。
再び『はまゆり』に接近しようとした私を、敵Aが抱きついてきて止めた。
幽炉開放は機体の筋力も上げる。開放している24式と開放していない30式なら前者の方が力は強い。
拘束され、動けなくなった私の視界の隅にプラズマ光が走った。
『この敵、自爆して虚空を起こすつもり?!』
まどかという子は、他人を自爆させてまで自らの目的を果たそうとする子なのね。理解したわ…。
いつぞやの虫も、いや見知らぬ操者さんも私諸共消えようとした事があった。
それが自分の意志による特攻ならば『崇高な自己犠牲精神』と思えなくもないが、今回の様な他人に操作や強要されての物ならば、それはもう嫌悪感しか無い。
元よりゾンビなんかと心中する気はさらさら無い。
私も敵Aの腕を振りほどくべく幽炉をかいほ……。
《うっとぉしいんじゃボケェっ!!》
71の叫びと共に私の背中の副腕の拳が敵Aの顔面に食い込んだ。そのまま両副腕の高速連打で十数発ほど殴られた敵Aは力尽きたように手を放し、空中で消滅した。
《うらぁっ! 初撃墜!!》
71の満足気な雄叫びを背にシャトルに注意を戻す。
…そして私の目の前では『はまゆり』が遥か上空へと飛び立っていく所だった。
阻止できなかった……。
香奈さんや基地の犠牲者の仇も取れなかった……。
眼下に大きく削られて無残な姿を晒す基地を見下ろす。
大規模火災は虚空現象に巻き込まれたのか鳴りを潜め、小さな火が散発的に見えるだけだ。
これからどうなってしまうのだろう…?
失った物の大きさに胸が押しつぶされそうになる。
私は大きく息を吸って、そしてやり場の無い思いの全てを込めて叫んだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
星のまたたく夜空に、私の叫び声だけが虚しく響き渡った。