第21話 疑惑
~鈴代視点
戦闘から一夜明けた翌日、香奈さんから相談を受けた。
「まどかの様子がおかしい」と。
私はまどかさんと直接話をした事が無いので、彼女の変調に関して何かを言える立場では無い。
きっと香奈さんが本当に相談したいのは私ではなくて71なんだろう。
「…71と話をしてみます?」
「…頼めるかな?」
香奈さんの顔に悲しみともどかしさと憔悴が現れている。こんな悲しそうな香奈さんは初めて見る。
私は端末を取り出して顔を付ける。
「この通信も後で長谷川大尉に報告する必要がありますが構いませんか?」
無言で頷く香奈さん。
「71、まどかさんの事で香奈さんが貴方に相談があるらしいの。聞いてあげてくれる?」
すると即座に画面に《何事?》と返信が現れる。私は香奈さんに端末を渡し会話を続ける様に促す。
「…あのさ、まどかの様子がおかしいんだよ。戦闘中に頭痛が酷かったらしくて、それ以降も変な事を言ってるし…」
《変な事とは?》
「『虫は虫じゃない』とか何とか…」
《初めての戦闘で錯乱しちゃったんじゃないのか? あいつ只の高校生だし》
「…うん、それも考えたけど、よく見る新人症候群とは少し違う感じなんだよね…」
《うーん、それだけじゃ俺も何とも言えないな。高橋が帰ってくるのを待った方が良くないか? 俺が直接話しても良いけど、香奈さんにも話さない事を俺に話すかどうかは分からないよ?》
「…それでも良いよ、まどかと話してやってくれないか? なんか… あたしじゃダメなんだよ…」
香奈さんの目には涙が溢れていた…。
長谷川大尉は今日もまた模擬戦トーナメントをやりたがっていたが、私と香奈さんの両名が体調不良を申し出た(という体でまどかさんのカウンセリングをする)ので、私達を除いた中隊員でトーナメントを開催しているらしい。
て言うか大尉自身も昨日の戦いで機体は中破してて待機組じゃないんですか? また変な賭け事の胴元やる気満々と違いますか?
ちなみに高橋大尉は今日の夕方に基地に帰ってくる予定らしい。彼女を待った方が良かった気もするが、余計に拗れる可能性もあるので『早目にやりたい』という香奈さんの希望を優先させた。
もはや定位置となった格納庫の隅っこで私の3071と香奈さんの丙型が手を繋ぐように接触する。
「なぁまどか、71が話を聞いてくれるってさ。もしあたしに言いづらい事ならあたしは降りてるからさ…」
接触通信から香奈さんの声が聞こえてくる。言葉を探り探り繋げていく様が痛々しくてこちらまで辛くなってくる。
《うん… 大丈夫、かなねーにも聞いて欲しいから…》
初めてまどかさんの声を聞いた。元気な子と聞いていたから、その塞ぎ込んだ声に心労の深さが窺われる。
《まどか、俺だ。どうした、大丈夫か?》
71が声を掛ける。彼のこんな優しそうな声も初めて聞いた。何だろう? ちょっとイラッとする。
《みゃーもと… みゃーもとは大丈夫なの? 頭痛くなんないの?》
《俺? 俺は別に… お前が目覚める前にお前の『痛み』の思念で頭が真っ白になった事はあるけど…》
71も言葉を選んでいる感じだ。そこにまどかさんが食いついてきた。
《そう! 何かそんな感じ! 『痛い』とか『熱い』とか他の人の気持ちが全部あーしの頭に入ってくる様な感じなんだよ。いっぱい入ってきて頭が破裂しそうになるの。何なのこれ…? もぉヤダよぉ…》
《うーん、何なんだろうなぁ? なぁ、昨日の戦闘では味方の損害は無かったんだよな?》
この『だよな?』は、71は私に聞いてるんだよね? 「ええ、そうね」と返しておく。
《だとしたら輝甲兵の幽炉の痛みじゃないのかな…? 味方じゃ無いならまさか虫の…?》
しばしの沈黙。
にわかには納得し難いが、ありえない話ではない。虫に人間並みの知能があるのは周知の事なのだ。
虫も生物である以上、『痛み』や『苦しみ』の感覚が有っても何の不思議もない。
そして虫にも幽炉に似た器官がある事が予想される為に、それを通じて感情が拡散されている、と考えられはしないだろうか?
もし仮にそうだとしても何故まどかさんだけにそんな流入現象が起きるのか? 丙型の機能的な問題なのか、まどかさん本人の資質なのか…?
《…あとさぁ、その『虫』って言うのも意味わかんないんだけど…?》
??? …私にはまどかさんの言葉の意味が分からない。
《んん? どういう事だ? 虫が何なのか知らないって事は無いよな?》
訂正、『私達には』の様だ。
《虫が何なのかくらい知ってるよ! みんなが戦ってたのって虫とかじゃなくて、こっちと同じキラキラロボだったじゃんか! そういうアダ名とか暗号みたいな意味だと思ってたよ》
…え?
《…え?》
「…え?」
私と71と香奈さん、3人の気持ちが重なった。まどかさん、本当にどうにかしてしまったのかな…?
《ほらぁ、やっぱりあーしだけ違う物見てるよ。何か変だよ、おかしーよ! あーしの頭がおかしくなっちゃったのかな…? ねぇ、みゃーもと、かなねー… あーしどうすれば良いの…?》
《どうすれば、って… とりあえず俺らのガンカメラとかの記録映像と、まどかのそれを見比べて見たらどうかな? な?》
最後の『な?』は私と香奈さんへの確認だろう。
両機の記録映像を確認する。
結果から言うと、3071と丙型の機載カメラによる映像からは、虫は虫のままであり特に異常は見受けられなかった。
しかし、何だろう? うまく説明出来ないけれど違和感を感じたのは事実だ。
シーン毎の動きは何の問題も無い。しかし連続して見てみると何かがおかしいのは感じられる。
虫の動き、かな? …やっぱり分かんないや。
《…ちょっといいか?》
71がそう言って別の映像を映し出した。これは多分先週の、初めて71と飛んだ時の戦いの映像だね。
《映像単独で見ているうちは良いんだが、両方を見比べると少し違和感があるんだ…》
確かに妙な違和感を感じる。でもそれを言葉にして出せないもどかしさが募る。何だろうこの感じ……。
《2つの映像から検出された虫の動きのパターンは2516通り。でも改めて計算してみると2675通り無いと計算が合わないんだ…》
うんん? どういう事? 彼は何を言っているの…?
「それってどういう事なんだ? まどかの事と何か関係があるのか?」
香奈さんか質問する。香奈さんが訊いてくれて良かった。私が質問していたらきっと71に得意気にバカにされた事だろう。
《つまり本来あるべき159通りの動作パターンが、近似の別の動きで使い回されているって事なんだ》
違和感の正体が分かった。言われてみれば確かに既に見た映像が別の場面で使い回されているのが分かる。
だが、それが何だと言うのだろう? 71の言いたい事が分からない。
「それは分かったけど、それとまどかと何の関係があるんだ?」
香奈さんが質問を繰り返す。私も同じ気持ちだ。
《…考えられるのは、俺らの計器が何者かに細工されてて、実際の輝甲兵に既存の映像を被せて、虫と錯誤する様な仕掛けがしてあるとか…》
自分自身にも噛み締める様にわざとゆっくりと話す71、さすがにそれは承服出来ない。
「そんなバカな… じゃあ私達は今まで人間同士で争ってたとでも言うの? 何の為に?!」
「そうだよ、人類同士で争うなんて事はもう何百年もしてないんだぞ?」
私と香奈さんが同時に声を上げる。
《あれ? ここはなんか頭良さそうな発言をした俺に対して「さすが71さん、素敵!」とかなるパターンじゃないの…? お前らおかしいぞ?》
何を言っているの71は?
《…じゃあ聞くけど、香奈さんも鈴代ちゃんも『虫』を肉眼で見た事はあるか?》
?!
…確かにそれは無かった。輝甲兵に乗っている限り肉眼で何かを見ることは無い。常に機体のカメラを通して物を見る事になる。
そのカメラが何者かに細工されていたとしたら? 今まで私が何十と倒してきた虫達とは、一体…?
《撃墜された虫の死体も直接見た事は無いんじゃないのか?》
…その通りだ。『虚空現象を引き起こす可能性のある虫の死骸には近寄るな』というのは、操者訓練校でしつこいくらいに聞かされ叩き込まれる。
更に『虚空現象を逃れた死体にも未知のウイルスが付着している可能性が高いから、時間経過した死体にも決して近寄るな』とも教わっていた。
…今の今まで何の疑問にも思っていなかった。
《『虫が実は別の勢力の輝甲兵で、実は人間同士で戦ってました』なんていうのが真実かどうかは俺には分からんよ? でもまどかの言葉やその他の状況証拠から、まるっきり頓珍漢な推論って訳でも無いと思う。何か裏がある世界だとは思ってたけど、そういう事なのかねぇ…》
71の言葉にショックを受けて、私と香奈さんはしばらく声を出せないでいた。
…とてもじゃないが信じられない、信じたくない。でも状況を整理すればする程、その信じられない結果に近づいて行く。
もし仮に虫=輝甲兵であるのならば、虫に関する調査資料が余りにも少なすぎたり、虫が戦術的な機動をしてきたり、幽炉開放を行ってきたり、被撃墜時に虚空現象を起こす事も全てに説明がつく。
「それじゃあ私は…」
私は… 私は人類の為だと信じて今まで戦ってきた。数えきれない程の虫を殺してきた。それが国の為、家族の為であると思ってきたし、軍人の誉れでもあると思っていた。
でももし私が屠ってきた虫に… 輝甲兵に人間が乗っていたのなら、たとえそれが軍務だったとは言え、私は稀代の殺人者という事になる……。
己の恐ろしい業を直視したせいか体が震えだす。涙が溢れる。震えを止めようとして自分の体を抱きしめる。…でも止まらない。
今までの私は… これからの私は… 一体どうやって生きていけば良いのだろう? どうやってその罪を贖っていけば良いのだろう…?
「鈴代…」
香奈さんの丙型が3071の手を握る。その手から香奈さんの優しさが伝わってくる。
「大丈夫… 鈴代は悪くないよ… だから大丈夫…」
陳腐な慰めセリフ。でもその陳腐さが今はとても心に染みる。私が今の状況から抜け出す、いや逃げ出す為の卑怯な言葉だと思う。でも今一番欲しい言葉でもあった。
《ねぇみゃーもと、あの人なんで泣いてんの?》
《…お前、ちょっと黙ってろ》
そんなやり取りも聞こえてきたけど、我儘でほんの2分ほど泣かせてもらった。
「…みんなゴメンね。もう大丈夫だから」
とりあえず今は、だ。後でまた部屋で1人になったら泣いてしまうかも知れない。でも今は会議(?)に集中しよう。
「でももし仮に虫の正体が輝甲兵だとして、あいつらは何者なんだ? それに誰があたし達の輝甲兵に細工してるんだ?」
香奈さんが問題を提起する。もちろんその答えを知っている人はここには居ない。だが推測は出来る。
《虫の正体は誰か? ってのは何も手掛かりが無いけど、輝甲兵に細工できる奴ってのは限られてるぜ?》
それなら私も分かる、他ならぬ『縞原重工』だろう。丑尾さんや田宮さんは、そして高橋大尉は何かを、軍の在り方その物を再考せざるを得ないような何かを知っているのだろうか? それを隠したまま今まで私達と一緒に戦ってきたのだろうか?
「とりあえずシナモン姉さんが帰ってきたら速攻で拉致って話を聞かないとだね」
《だな》
香奈さんと71でまた悪い事を考えている様だ。
《そんな事よりあーしはどうなるの? また頭痛いのとかイヤなんですけど…?》
まどかさんが最初の話題に戻す。虫の正体が輝甲兵ならば、まどかさんが受け取っていたのは『撃墜された敵機の幽炉の痛み』で間違いないだろう。
《うーん、どうなんだろう? 距離を離せば解消できる問題なのかどうかだよな。香奈さんどう思う?》
「全然わかんないよ。離れてどうとか検証すらしてないし。かと言ってあんまり離れ過ぎたらあたしも仕事が出来なくなっちゃうしねぇ」
この件に関しては私も全く知恵が働かない。まぁ聞かれてもいないけど。
「まどかの件はちょっと保留だね。姉さんが戻ってきたらそっちも相談してみよう」
香奈さんが言うが、高橋大尉も現段階で味方なのか敵なのかがハッキリしない。もし彼女が敵方に属する人物だった場合、機密を含めてこちらの全ての情報が握られている事になる。
《高橋もどこまで信用できるか分からなくなってきたからな、今までの態度が全部偽装の可能性もある…》
私も71の意見に賛成だ。高橋大尉は普通に顔とお腹で別の事を考える事が出来る人だ。少し慎重になった方が良い。
《まぁあいつは頭は良いんだろうけどアホだから、そんな小細工が出来るとも思えないけどな》
71が冗談めかして言う、どっちなのよ?!
「話は変わるけどさ、あたしに執着してた敵ボスって2段階目の幽炉開放してたよな? あれってさ…」
「…ええ、敵にも我軍の零式に相当する特機があるって事でしょうね」
香奈さんの不安げな声に私が答える。
《あぁ、例の幽炉を2機積んでいるって言う主人公機ね。あの敵ボスめちゃくちゃ速かったけど、俺達に対抗手段はあるのか?》
「…無いわね」
71の不安げな声に私が答える。
《いや即答すんなよ。少しは考えようぜ!》
71はそう言うけど、こればかりは努力や根性や小手先の技術でカバーできる問題ではない。
「充分考えたから言ってるの。幽炉開放した香奈さんでも逃げ切れない相手よ? それこそ零式の田中中尉にでも対応してもらうしか…」
《あっさり諦めるなよ、鈴代ちゃんらしくないぞ?》
「そうだぞ! 鈴代らしくないぞ?」
2人で歩調を合わせて私を責める。何で私が悪いみたいな流れになっているのよ?
しかし、現実問題として対処方法は思いつかない。香奈さんよりも速い相手にどう戦えと言うのだ?
私は現実主義者だ。出来ない事はちゃんと出来ないと言う。
「せいぜいが敵の幽炉の開放が切れるまで、回避や防御に徹して時間を稼ぐくらいしか思いつきませんよ…」
私の如何にもな消極案に71と香奈さん両名が溜息をつく。
《例えば更なる機体のパワーアップは出来ないのか?》
71が聞いてくるが、明るい返事は出来ない。
「簡単に言わないで。そりゃ30式はとても纏まってて良い機体よ? でも前線基地で出来る事は限られるし、更なる強化って言っても難しいでしょうね」
《装甲板を付け足すとか防御力を上げても、機動力が犠牲になるんじゃ意味無いしなぁ。もっと腕を増やすとか?》
「増やしたとして貴方動かせる?」
《多分無理…》
でしょ?
「じゃああの敵ボスには打つ手無しか? それも面白くないよなぁ」
無茶言わないで下さい香奈さん。まぁでもアイデアが全く無い訳でも無い。
「あの巨体が自由に動けない程の狭いスペースに誘い込めれば、何らかの打つ手はあると思います。ただ…」
「広い空の下、そんな狭いスペースはどこにも無い、と」
そういう事。暗くなるだけだから、もうこの話題はやめましょうか。
「とりあえずさ、今日のこの話を誰に教える? 下手に広めると軍全体がパニックになっちゃうぞ?」
「長谷川大尉に相談するにしても、もう少し証拠を固めたい所ですね」
《そうだなぁ…》
71が考えをまとめる為に数秒間置く。
《まずは高橋の口を割らせて、もっとしっかりとした情報を集めときたいよな。仮に高橋が何も知らないとしても、縞原重工が黒幕なのは間違い無いだろうしな》
「んじゃあ姉さんの帰りを待とうかね。帰るの夕方って言ってたからまだ少し時間があるな。鈴代、飯でも食いに行こうぜ」
香奈さんの明るい誘いに私も「はい、香奈さん」と応えた。
どうやら本日の会議はここまでのようだ。まどかさんは途中から無言だったけど、香奈さんの方はいつもの元気を取り戻してくれたみたいで少し安心した。
問題解決に至らなかったまどかさんの件は心配だけど、私が出しゃばっても良い事にはならないだろう。香奈さんや71に任せるしか無い。
あと71は『鈴代ちゃん』連発しすぎ! 失礼すぎる。
この分のペナルティは… ってもう良いかなぁ? いちいち訂正していくのにも疲れたし飽きた。
このまましばらく放置して、彼をからかう時とか虐めたい時に蒸し返す事としよう。
…それにしても縞原重工は一体何を考えているのだろう?
軍の上層部はこの件に関して何を知っているのだろう?
そしてこの戦争の行方はどうなるのだろう…?
不安だけが募っていく……。
食事を終えて格納庫に戻ると帰還していた高橋大尉が誰かと話をしていた。お相手は男性で操者の様だが、中肉中背で顔付きも普通、特徴らしい特徴が無い人だ。少なくともうちの中隊の人では無い。うーん、どこかで見た事がある様な、無い様な……。
「おい鈴代、あの人…」
「…えーっと、どなたでしたっけ? 何か見覚えがある様な気がするんですけど…」
「あたしも自信無いけど、多分あの人だよ『天使』」
「え? あんな人でしたっけ?」
「多分ね。戦果の割に地味な顔だったのは確かだよ…」
そう、高橋大尉が連れ立っていたのは我が軍のトップエース、零式の操者、田中天使中尉だった。
戦闘から一夜明けた翌日、香奈さんから相談を受けた。
「まどかの様子がおかしい」と。
私はまどかさんと直接話をした事が無いので、彼女の変調に関して何かを言える立場では無い。
きっと香奈さんが本当に相談したいのは私ではなくて71なんだろう。
「…71と話をしてみます?」
「…頼めるかな?」
香奈さんの顔に悲しみともどかしさと憔悴が現れている。こんな悲しそうな香奈さんは初めて見る。
私は端末を取り出して顔を付ける。
「この通信も後で長谷川大尉に報告する必要がありますが構いませんか?」
無言で頷く香奈さん。
「71、まどかさんの事で香奈さんが貴方に相談があるらしいの。聞いてあげてくれる?」
すると即座に画面に《何事?》と返信が現れる。私は香奈さんに端末を渡し会話を続ける様に促す。
「…あのさ、まどかの様子がおかしいんだよ。戦闘中に頭痛が酷かったらしくて、それ以降も変な事を言ってるし…」
《変な事とは?》
「『虫は虫じゃない』とか何とか…」
《初めての戦闘で錯乱しちゃったんじゃないのか? あいつ只の高校生だし》
「…うん、それも考えたけど、よく見る新人症候群とは少し違う感じなんだよね…」
《うーん、それだけじゃ俺も何とも言えないな。高橋が帰ってくるのを待った方が良くないか? 俺が直接話しても良いけど、香奈さんにも話さない事を俺に話すかどうかは分からないよ?》
「…それでも良いよ、まどかと話してやってくれないか? なんか… あたしじゃダメなんだよ…」
香奈さんの目には涙が溢れていた…。
長谷川大尉は今日もまた模擬戦トーナメントをやりたがっていたが、私と香奈さんの両名が体調不良を申し出た(という体でまどかさんのカウンセリングをする)ので、私達を除いた中隊員でトーナメントを開催しているらしい。
て言うか大尉自身も昨日の戦いで機体は中破してて待機組じゃないんですか? また変な賭け事の胴元やる気満々と違いますか?
ちなみに高橋大尉は今日の夕方に基地に帰ってくる予定らしい。彼女を待った方が良かった気もするが、余計に拗れる可能性もあるので『早目にやりたい』という香奈さんの希望を優先させた。
もはや定位置となった格納庫の隅っこで私の3071と香奈さんの丙型が手を繋ぐように接触する。
「なぁまどか、71が話を聞いてくれるってさ。もしあたしに言いづらい事ならあたしは降りてるからさ…」
接触通信から香奈さんの声が聞こえてくる。言葉を探り探り繋げていく様が痛々しくてこちらまで辛くなってくる。
《うん… 大丈夫、かなねーにも聞いて欲しいから…》
初めてまどかさんの声を聞いた。元気な子と聞いていたから、その塞ぎ込んだ声に心労の深さが窺われる。
《まどか、俺だ。どうした、大丈夫か?》
71が声を掛ける。彼のこんな優しそうな声も初めて聞いた。何だろう? ちょっとイラッとする。
《みゃーもと… みゃーもとは大丈夫なの? 頭痛くなんないの?》
《俺? 俺は別に… お前が目覚める前にお前の『痛み』の思念で頭が真っ白になった事はあるけど…》
71も言葉を選んでいる感じだ。そこにまどかさんが食いついてきた。
《そう! 何かそんな感じ! 『痛い』とか『熱い』とか他の人の気持ちが全部あーしの頭に入ってくる様な感じなんだよ。いっぱい入ってきて頭が破裂しそうになるの。何なのこれ…? もぉヤダよぉ…》
《うーん、何なんだろうなぁ? なぁ、昨日の戦闘では味方の損害は無かったんだよな?》
この『だよな?』は、71は私に聞いてるんだよね? 「ええ、そうね」と返しておく。
《だとしたら輝甲兵の幽炉の痛みじゃないのかな…? 味方じゃ無いならまさか虫の…?》
しばしの沈黙。
にわかには納得し難いが、ありえない話ではない。虫に人間並みの知能があるのは周知の事なのだ。
虫も生物である以上、『痛み』や『苦しみ』の感覚が有っても何の不思議もない。
そして虫にも幽炉に似た器官がある事が予想される為に、それを通じて感情が拡散されている、と考えられはしないだろうか?
もし仮にそうだとしても何故まどかさんだけにそんな流入現象が起きるのか? 丙型の機能的な問題なのか、まどかさん本人の資質なのか…?
《…あとさぁ、その『虫』って言うのも意味わかんないんだけど…?》
??? …私にはまどかさんの言葉の意味が分からない。
《んん? どういう事だ? 虫が何なのか知らないって事は無いよな?》
訂正、『私達には』の様だ。
《虫が何なのかくらい知ってるよ! みんなが戦ってたのって虫とかじゃなくて、こっちと同じキラキラロボだったじゃんか! そういうアダ名とか暗号みたいな意味だと思ってたよ》
…え?
《…え?》
「…え?」
私と71と香奈さん、3人の気持ちが重なった。まどかさん、本当にどうにかしてしまったのかな…?
《ほらぁ、やっぱりあーしだけ違う物見てるよ。何か変だよ、おかしーよ! あーしの頭がおかしくなっちゃったのかな…? ねぇ、みゃーもと、かなねー… あーしどうすれば良いの…?》
《どうすれば、って… とりあえず俺らのガンカメラとかの記録映像と、まどかのそれを見比べて見たらどうかな? な?》
最後の『な?』は私と香奈さんへの確認だろう。
両機の記録映像を確認する。
結果から言うと、3071と丙型の機載カメラによる映像からは、虫は虫のままであり特に異常は見受けられなかった。
しかし、何だろう? うまく説明出来ないけれど違和感を感じたのは事実だ。
シーン毎の動きは何の問題も無い。しかし連続して見てみると何かがおかしいのは感じられる。
虫の動き、かな? …やっぱり分かんないや。
《…ちょっといいか?》
71がそう言って別の映像を映し出した。これは多分先週の、初めて71と飛んだ時の戦いの映像だね。
《映像単独で見ているうちは良いんだが、両方を見比べると少し違和感があるんだ…》
確かに妙な違和感を感じる。でもそれを言葉にして出せないもどかしさが募る。何だろうこの感じ……。
《2つの映像から検出された虫の動きのパターンは2516通り。でも改めて計算してみると2675通り無いと計算が合わないんだ…》
うんん? どういう事? 彼は何を言っているの…?
「それってどういう事なんだ? まどかの事と何か関係があるのか?」
香奈さんか質問する。香奈さんが訊いてくれて良かった。私が質問していたらきっと71に得意気にバカにされた事だろう。
《つまり本来あるべき159通りの動作パターンが、近似の別の動きで使い回されているって事なんだ》
違和感の正体が分かった。言われてみれば確かに既に見た映像が別の場面で使い回されているのが分かる。
だが、それが何だと言うのだろう? 71の言いたい事が分からない。
「それは分かったけど、それとまどかと何の関係があるんだ?」
香奈さんが質問を繰り返す。私も同じ気持ちだ。
《…考えられるのは、俺らの計器が何者かに細工されてて、実際の輝甲兵に既存の映像を被せて、虫と錯誤する様な仕掛けがしてあるとか…》
自分自身にも噛み締める様にわざとゆっくりと話す71、さすがにそれは承服出来ない。
「そんなバカな… じゃあ私達は今まで人間同士で争ってたとでも言うの? 何の為に?!」
「そうだよ、人類同士で争うなんて事はもう何百年もしてないんだぞ?」
私と香奈さんが同時に声を上げる。
《あれ? ここはなんか頭良さそうな発言をした俺に対して「さすが71さん、素敵!」とかなるパターンじゃないの…? お前らおかしいぞ?》
何を言っているの71は?
《…じゃあ聞くけど、香奈さんも鈴代ちゃんも『虫』を肉眼で見た事はあるか?》
?!
…確かにそれは無かった。輝甲兵に乗っている限り肉眼で何かを見ることは無い。常に機体のカメラを通して物を見る事になる。
そのカメラが何者かに細工されていたとしたら? 今まで私が何十と倒してきた虫達とは、一体…?
《撃墜された虫の死体も直接見た事は無いんじゃないのか?》
…その通りだ。『虚空現象を引き起こす可能性のある虫の死骸には近寄るな』というのは、操者訓練校でしつこいくらいに聞かされ叩き込まれる。
更に『虚空現象を逃れた死体にも未知のウイルスが付着している可能性が高いから、時間経過した死体にも決して近寄るな』とも教わっていた。
…今の今まで何の疑問にも思っていなかった。
《『虫が実は別の勢力の輝甲兵で、実は人間同士で戦ってました』なんていうのが真実かどうかは俺には分からんよ? でもまどかの言葉やその他の状況証拠から、まるっきり頓珍漢な推論って訳でも無いと思う。何か裏がある世界だとは思ってたけど、そういう事なのかねぇ…》
71の言葉にショックを受けて、私と香奈さんはしばらく声を出せないでいた。
…とてもじゃないが信じられない、信じたくない。でも状況を整理すればする程、その信じられない結果に近づいて行く。
もし仮に虫=輝甲兵であるのならば、虫に関する調査資料が余りにも少なすぎたり、虫が戦術的な機動をしてきたり、幽炉開放を行ってきたり、被撃墜時に虚空現象を起こす事も全てに説明がつく。
「それじゃあ私は…」
私は… 私は人類の為だと信じて今まで戦ってきた。数えきれない程の虫を殺してきた。それが国の為、家族の為であると思ってきたし、軍人の誉れでもあると思っていた。
でももし私が屠ってきた虫に… 輝甲兵に人間が乗っていたのなら、たとえそれが軍務だったとは言え、私は稀代の殺人者という事になる……。
己の恐ろしい業を直視したせいか体が震えだす。涙が溢れる。震えを止めようとして自分の体を抱きしめる。…でも止まらない。
今までの私は… これからの私は… 一体どうやって生きていけば良いのだろう? どうやってその罪を贖っていけば良いのだろう…?
「鈴代…」
香奈さんの丙型が3071の手を握る。その手から香奈さんの優しさが伝わってくる。
「大丈夫… 鈴代は悪くないよ… だから大丈夫…」
陳腐な慰めセリフ。でもその陳腐さが今はとても心に染みる。私が今の状況から抜け出す、いや逃げ出す為の卑怯な言葉だと思う。でも今一番欲しい言葉でもあった。
《ねぇみゃーもと、あの人なんで泣いてんの?》
《…お前、ちょっと黙ってろ》
そんなやり取りも聞こえてきたけど、我儘でほんの2分ほど泣かせてもらった。
「…みんなゴメンね。もう大丈夫だから」
とりあえず今は、だ。後でまた部屋で1人になったら泣いてしまうかも知れない。でも今は会議(?)に集中しよう。
「でももし仮に虫の正体が輝甲兵だとして、あいつらは何者なんだ? それに誰があたし達の輝甲兵に細工してるんだ?」
香奈さんが問題を提起する。もちろんその答えを知っている人はここには居ない。だが推測は出来る。
《虫の正体は誰か? ってのは何も手掛かりが無いけど、輝甲兵に細工できる奴ってのは限られてるぜ?》
それなら私も分かる、他ならぬ『縞原重工』だろう。丑尾さんや田宮さんは、そして高橋大尉は何かを、軍の在り方その物を再考せざるを得ないような何かを知っているのだろうか? それを隠したまま今まで私達と一緒に戦ってきたのだろうか?
「とりあえずシナモン姉さんが帰ってきたら速攻で拉致って話を聞かないとだね」
《だな》
香奈さんと71でまた悪い事を考えている様だ。
《そんな事よりあーしはどうなるの? また頭痛いのとかイヤなんですけど…?》
まどかさんが最初の話題に戻す。虫の正体が輝甲兵ならば、まどかさんが受け取っていたのは『撃墜された敵機の幽炉の痛み』で間違いないだろう。
《うーん、どうなんだろう? 距離を離せば解消できる問題なのかどうかだよな。香奈さんどう思う?》
「全然わかんないよ。離れてどうとか検証すらしてないし。かと言ってあんまり離れ過ぎたらあたしも仕事が出来なくなっちゃうしねぇ」
この件に関しては私も全く知恵が働かない。まぁ聞かれてもいないけど。
「まどかの件はちょっと保留だね。姉さんが戻ってきたらそっちも相談してみよう」
香奈さんが言うが、高橋大尉も現段階で味方なのか敵なのかがハッキリしない。もし彼女が敵方に属する人物だった場合、機密を含めてこちらの全ての情報が握られている事になる。
《高橋もどこまで信用できるか分からなくなってきたからな、今までの態度が全部偽装の可能性もある…》
私も71の意見に賛成だ。高橋大尉は普通に顔とお腹で別の事を考える事が出来る人だ。少し慎重になった方が良い。
《まぁあいつは頭は良いんだろうけどアホだから、そんな小細工が出来るとも思えないけどな》
71が冗談めかして言う、どっちなのよ?!
「話は変わるけどさ、あたしに執着してた敵ボスって2段階目の幽炉開放してたよな? あれってさ…」
「…ええ、敵にも我軍の零式に相当する特機があるって事でしょうね」
香奈さんの不安げな声に私が答える。
《あぁ、例の幽炉を2機積んでいるって言う主人公機ね。あの敵ボスめちゃくちゃ速かったけど、俺達に対抗手段はあるのか?》
「…無いわね」
71の不安げな声に私が答える。
《いや即答すんなよ。少しは考えようぜ!》
71はそう言うけど、こればかりは努力や根性や小手先の技術でカバーできる問題ではない。
「充分考えたから言ってるの。幽炉開放した香奈さんでも逃げ切れない相手よ? それこそ零式の田中中尉にでも対応してもらうしか…」
《あっさり諦めるなよ、鈴代ちゃんらしくないぞ?》
「そうだぞ! 鈴代らしくないぞ?」
2人で歩調を合わせて私を責める。何で私が悪いみたいな流れになっているのよ?
しかし、現実問題として対処方法は思いつかない。香奈さんよりも速い相手にどう戦えと言うのだ?
私は現実主義者だ。出来ない事はちゃんと出来ないと言う。
「せいぜいが敵の幽炉の開放が切れるまで、回避や防御に徹して時間を稼ぐくらいしか思いつきませんよ…」
私の如何にもな消極案に71と香奈さん両名が溜息をつく。
《例えば更なる機体のパワーアップは出来ないのか?》
71が聞いてくるが、明るい返事は出来ない。
「簡単に言わないで。そりゃ30式はとても纏まってて良い機体よ? でも前線基地で出来る事は限られるし、更なる強化って言っても難しいでしょうね」
《装甲板を付け足すとか防御力を上げても、機動力が犠牲になるんじゃ意味無いしなぁ。もっと腕を増やすとか?》
「増やしたとして貴方動かせる?」
《多分無理…》
でしょ?
「じゃああの敵ボスには打つ手無しか? それも面白くないよなぁ」
無茶言わないで下さい香奈さん。まぁでもアイデアが全く無い訳でも無い。
「あの巨体が自由に動けない程の狭いスペースに誘い込めれば、何らかの打つ手はあると思います。ただ…」
「広い空の下、そんな狭いスペースはどこにも無い、と」
そういう事。暗くなるだけだから、もうこの話題はやめましょうか。
「とりあえずさ、今日のこの話を誰に教える? 下手に広めると軍全体がパニックになっちゃうぞ?」
「長谷川大尉に相談するにしても、もう少し証拠を固めたい所ですね」
《そうだなぁ…》
71が考えをまとめる為に数秒間置く。
《まずは高橋の口を割らせて、もっとしっかりとした情報を集めときたいよな。仮に高橋が何も知らないとしても、縞原重工が黒幕なのは間違い無いだろうしな》
「んじゃあ姉さんの帰りを待とうかね。帰るの夕方って言ってたからまだ少し時間があるな。鈴代、飯でも食いに行こうぜ」
香奈さんの明るい誘いに私も「はい、香奈さん」と応えた。
どうやら本日の会議はここまでのようだ。まどかさんは途中から無言だったけど、香奈さんの方はいつもの元気を取り戻してくれたみたいで少し安心した。
問題解決に至らなかったまどかさんの件は心配だけど、私が出しゃばっても良い事にはならないだろう。香奈さんや71に任せるしか無い。
あと71は『鈴代ちゃん』連発しすぎ! 失礼すぎる。
この分のペナルティは… ってもう良いかなぁ? いちいち訂正していくのにも疲れたし飽きた。
このまましばらく放置して、彼をからかう時とか虐めたい時に蒸し返す事としよう。
…それにしても縞原重工は一体何を考えているのだろう?
軍の上層部はこの件に関して何を知っているのだろう?
そしてこの戦争の行方はどうなるのだろう…?
不安だけが募っていく……。
食事を終えて格納庫に戻ると帰還していた高橋大尉が誰かと話をしていた。お相手は男性で操者の様だが、中肉中背で顔付きも普通、特徴らしい特徴が無い人だ。少なくともうちの中隊の人では無い。うーん、どこかで見た事がある様な、無い様な……。
「おい鈴代、あの人…」
「…えーっと、どなたでしたっけ? 何か見覚えがある様な気がするんですけど…」
「あたしも自信無いけど、多分あの人だよ『天使』」
「え? あんな人でしたっけ?」
「多分ね。戦果の割に地味な顔だったのは確かだよ…」
そう、高橋大尉が連れ立っていたのは我が軍のトップエース、零式の操者、田中天使中尉だった。