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作者: こばん
残酷な描写あり
2-1
 部屋は簡素な間取りで、中央にテーブルがおかれ奥と手前に一人がけの、左右に二~三人座れるソファが置いてある。応接室といったところだろうか。
 先導していた女性は全員が部屋に入ると、振り返りカナタ達に向かい名乗った。

 「申し遅れました、私は会長の補佐をしております橘という者です。この度は会長がお世話になったようで、大変ありがとうございました」

 そう言うと橘はカナタ達に向かって整った所作で深くお辞儀をした。胡散臭そうに見ていたさっきの守衛や指示を受け走って行った男性とは扱いが雲泥の差だ。

「い、いえそんな。当然の事っていうか、その、ありがとうございます」

 逆に慇懃に対応され慣れないカナタやスバルはドギマギしながら答え、お互いに頭を下げあうという謎の事態に陥っている。
それを横目にダイゴは松柴を奥のソファーに降ろし、ようやく解放された。降りる時に松柴がすこし残念そうな顔をしていたのは気のせいに違いない。

 ダイゴがそのまま左側のソファに座り、橘に促されてカナタ達も隣に並んで腰掛けた。すぐに橘は会釈して部屋を出ると、カナタ達が部屋を眺めているうちにお盆を持って戻ってきた。
 それぞれの前にお茶を置くと、自分も手前のソファに腰かけ姿勢を正す。

「会長、その。報告をしたいのですが彼らは他の避難してきた方々とゆっくり休憩していただいたほうが良いのでは?」

 橘はカナタ達を見回してから松柴にたずねた。

「ああ、それでもいいんだけどねぇ……ついでだ一緒に聞いていきな。ただしあまり言いふらしてくれるんじゃないよ?」

「あの、お邪魔なら僕たち席を外します」

 後半どこか面白そうに言う松柴に対して、完全に雰囲気に飲まれているカナタ達を代表して恐る恐る手を挙げながらダイゴが退席の意志を伝えるも、松柴も橘さえもそっちを見ることはなかった。
 
「よろしいのですか?…………では報告いたします。ここまでに分かったことですが、正直な所わからない事の方が多いです。まずは事の起こりですが……」

 それから橘は手元の資料を見ながら淡々と進めていった。松柴は時折相槌を打つくらいで口を挟むことはない。カナタ達に至っては邪魔をすることがないように、身じろぎひとつしないようにして呼吸すら最低限にとどめていた。それでも交わされる信じられないような話にただ耳を傾けていた。

 事の発端はカナタ達が行こうとしていたゲームセンターの先にあるショッピングモールの近く、そこの大きい交差点昨日の昼間に起きた。いつものようにモールに向かう多くの人が横断歩道を渡っていたが、歩行者信号が点滅に変わり赤になっても横断歩道の真ん中をふらふらと歩く男がいたらしい。当然進めない車からクラクションが鳴らされ、中には窓を開け文句を言う者もいたのだが男は急ぐこともなく歩いていたらしい。
 業を煮やした先頭の車両から降りた二人の若者が、激しい口調でなじり男の襟をつかんで強引に自分に向けた。瞬間、男はためらいなく若者に噛みついたのだという。噛みつかれた男は苦痛の声をあげて、それを見ていた周りには静寂が広がる。焦ったもう一人の若者は何とか引き剥がそうとしていたがびくともしないまま、やがて噛みつかれ激しく叫んでいた若者の悲鳴は段々と小さくなっていき、力なく地面に倒れてしまった。もう片方の若者も腰が抜けたのか地面に座りこんでしまい、必死に後ずさり始めた。
 動かなくなった若者に覆いかぶさるようにしていた男がゆっくりと立ち上がり、そして振り返る。
 その口周りと胸元まで鮮血で染め、後ずさりする若者を次の獲物とばかりに一歩踏み出したところで、あたりは阿鼻叫喚となった。
 悲鳴をあげ逃げ惑う人々、急いでその場を離れんとして接触事故を起こす車。中には車を放置して逃げ出す者もいたという。

 その頃になると警察と救急が到着して、まずは原因である血まみれの男を複数人で後ろから組み伏せ、その隙に別の警官がもう動かなくなっている噛まれた若者を離れた場所に連れて行こうと二人がかりで肩を抱えた時だった。誰もがもう死んでいるだろうと思っていた噛まれた若者が突然暴れだし、救助している警官の首に噛みついた。

 さらに混乱が広がる現場。首から大量の出血をしながら後退し、救急隊員が応急手当をするため走り寄ったが手当されながらその警官も救急隊員に噛みついたのだ。そうなるともう収集がつかなくなり、どんどん拡がっていった。
 
ここまでの流れを通りがかりの人がスマホで撮影して、ネットにあげていた。しかし数時間でその動画は削除され、そのページは一時閉鎖されたという。
 しかしアクセスできるうちに、その動画をコピーしたものが多数いたらしくあちこちの動画共有掲示板でその映像がアップされた。しかし今度はより短時間で削除、ページは閉鎖される。しかもその頃海外でも同じような動画が出回っていて、それもアップされるようになった。
 するとアクセスが集中しすぎたか、どこかの権力が動いたかしてネット自体が繋がらなくなったという。
 
「やはり、人から人にうつるんだね。アタシがさっき見た奴らもそうだった。噛みつかれて、ものの数分で起き上がって噛みつく側に回っていたからね。これに対してどこからか公式の見解はでてるのかい」

 あの状況でも松柴は意外としっかり観察していたらしい。カナタ達にはとてもそこまでの余裕はなかった。

 話を聞いた松柴はおそらく先ほど遭遇した出来事を思い返しているのか、うなづいている。その後の公式の見解については橘が重い雰囲気で首を振った。

「すぐに連絡網が途絶えたのもありますが……電話やインターネットが通じているうちには報じられませんでした。さらに色々調べているうちにわかったのですが、今回のような事件、日本国内でもほぼ同じくらいに7~8カ所。さらに世界各国でも起きたようです。インターネットの動画サイトではそれらを撮った動画が溢れ、すぐにサーバーがパンクしたようですので……そして共通しているのはやはり噛みつかれた人が凶暴化してさらに別の人に噛みつく、という事と、どこの場合でも最初の感染者は、どこから来たのか、いつ現れたのか分からないという事です。」

 そばで聞いていたカナタ達も思わず顔を見合わせる。まるで映画の世界の話を聞いているようだ。しかし先ほど自分の目でその一端を見てきたばかりなのだ。

「そうかい……こいつは思ったよりまずいね。」

 腕を組み考え出す松柴に、今度は橘がたずねた。

「この辺りでも危険と思われますか?」

「危険だね。そして時間もないようだ。さっきアタシらが遭遇した時、まだぎりぎり警察は機能しているようだった。しかしそんな化け物相手に拳銃も使えず、警棒とサスマタで立ち向かってたよ。見ていた限りあれじゃ止められない。それが病気なのか呪いなのかわからないけど、感染はあっという間に拡がるだろうね。」

それを聞いた橘は唇を噛みしめて何かをこらえるような表情をしている。

「とにかく予定を前倒しにして、資材や物資を現地に運ぶよ。積み込みが終わったトラックから先にだしな。それと……なるべくいろんなルートを通って行くようにしな。途中で避難する人を拾う事もあるかもしれないからその分は考慮するんだよ。移動できる準備ができた社員も同乗させて……家や大事な人がいるところを通りがかるくらいはできるだろう?」

 その松柴の言葉に、はじかれたように橘は顔を上げる。

「よろしいのですか?実のところ社員の多くから、家族や恋人を助けに行きたいから暇をくれと言われてまして……一刻を争う状況でしたし、単独で動いてどうにかなるような状況ではないと、何とか抑えて準備を急がせていたのですが……できれば……その、公私混同とはわかっているのですが」

「こんなことになってしまっては公私も何もあったもんかい!それに心配事を抱えてはいい仕事ができないだろうからね。現地でバリバリ働いてもらうための投資とでも思っておくさ。まあ、時間に余裕があるわけじゃないし化け物たちもいるだろう。それぞれの家と、最寄りの避難しているであろう場所を回るくらいしかできないと思うが……」

 男前な事を言う松柴に橘は深く、深く一礼して部屋を退室した。冷静を装い静かに扉を閉めた後、勢いよく走るヒールの音が廊下を遠ざかって行った。
 それを聞きながらカナタ達もそれぞれの家や家族の事を思い、無事を願うのであった。
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