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作者: 神無城 衛
*セシリアの場合*
携帯端末にセットしたアラームが鳴る3秒前にセシリアは目を覚ました。東京時刻の6時だった。別段起床と就寝の時間は決まっておらず、先の救助活動のように寝ているところを起こされることもあれば、まとまった時間の睡眠がとれることもある。そうした不規則な生活も訓練で慣らしているので、セシリアには特に苦痛に感じることはない。
ぼさぼさの肩甲骨のあたりまでかかる、自分では綺麗な発色ではないと思っている金髪を櫛でいて頭の後ろでまとめると、共用の洗面台に向かう。寝ぼけた頭で今度寄港するときには髪を切ろうかなどと考えながら顔を洗って歯を磨くと、食堂を通り過ぎてブリッジへ向かった。
朝食の前に日勤要員との交代に立ち合い、夜勤のクルーにねぎらいの言葉をかけると、下番かばんしたクルーとともに食堂へ向かう。
幼い頃から船に乗る父の後についてやっていたルーティーンを、今度は自分が責任者としてやっている。
軽い朝食を済ませるとユカがココアを淹れてくれる。特に異常がなければ艦橋は上番したクルーに任せているので、こうして食堂でまったりホットココアを飲むのも大事な日課の一つにしている。
猫舌なセシリアが熱いココアを少しずつ飲んでマグカップの四分の一ほど飲んだところで昨日の来客が食堂に来た。食堂への行き方をクルーに聞いたようで、食堂の前で案内したクルーと別れて食堂に入ってきた。ちょうど話したいこともあったのでそれぞれがテーブルに着いたところで話題を切り出した。
話とは今後のことについてで、ルイーサは連れている子供たちが寂しがるのと、その子たちについて責任をもって面倒を見たいので、子供たちが船に残るというのなら同行したいとも言った。
アウレリオは熱心で律儀な男で、短く刈った栗色の癖っ毛をいじりながら少し考えて、恩人であるルイーサについていくこと、シリウスに着くまで船内の手伝いをしたいと言ってきた。加えて、できれば読み書きや計算も教わりたいと話した。
3人の子供たちは男の子がそれぞれユックとナック、4歳の双子で、二人より1個年上の女の子のジーナがいて、三人も船を手伝いたいと言った。
そうしてそれぞれの希望をまとめると、彼女らはしばらくナイアガラ号でクルーとして働くこととなった。
ルイーサは逃げ出すときに行っていた研究のレポートをまとめるために船の手伝いは半分程度しかできないと申し出たのでそちらに専念してもらうことにして、アウレリオはヤマモト機関長の下でライフラインの管理を任せることにした。
子供たちはユカが引継ぎ、主計部として船内の家事の手伝いの他、ルイーサの指導のもとアウレリオとともに勉強に励むこととなった。
子供たちを含めて乗船中の賃金の支払いなどをひととおり話し終える頃にはココアはちょうどいい温度になった。

携帯端末も館内放送も連絡がないので、セシリアは喫煙所に向かうことにした。
セシリア自身は年齢的なことも含めて煙草は吸わないし、仕事着ににおいが付くのを嫌って普段は行かないが、今回は船長として改めてクルーの普段の暮らし向きなどを把握する意図もあって訪ねてみることにした。
船尾の方にある喫煙所にはお土産で持ってきたカートンの煙草がパッケージをはがして籠に入れられていて、すでに四分の一ほどが無くなっていた。クルーには経費で購入して無料で提供する代わりに喫煙所以外では吸わないように徹底している。
喫煙所には何人かのクルーが紙巻きたばこをくゆらせながら談笑している。
「お邪魔します」
喫煙所の手動のスライド式の扉を開けるとクルーが姿勢を正した。彼らは私が士官学校に通っている間に増員したクルーで、船に乗って日が浅いので礼儀作法に緊張感がある。
「お疲れ様です、船長」
「そのままで構いません、お話ししたくて来ました」
「そういうことですか、そしたら俺たちにそんなかしこまった話し方をしないでください」
「お気遣いありがとうございます、けれど私はまだ初仕事を終えていません、仕事をして、実力を量ってもらってから考えます。それまでそのお気遣いは大切に預からせてもらいます」
 思いがけない決意表明に申し出たクルーは少し渋い顔をしたが、気持ちは伝わったようで、少し考えこむと、笑顔を向けてくれた。
「分かりました、それじゃあ失礼しますよ」
クルーたちは煙草を灰皿にもみ消して喫煙所を後にした。出ていくのと同時にヤマモト機関長が入ってきた。機関長も非喫煙者だが、休憩をとる時には艦の情報交換のためにここに来る習慣がある。
「見てたぞセシリア、お前がこの船が好きで、クルーのことを信頼して、ちゃんとした形で認められたい気持ちはわかる。だがあんまり頑なになるな、船はお前ひとりで回しているわけじゃない、みんなの気持ちにも寄り添ってやってくれ」
機関長は機関部の激しい轟音がある特性上、唇の動きを見て誰が何を言っているのが分かるので、会話を聞かなくても話が分かるのだ。
「そんなに意固地になったつもりはないのです、士官学校を出たのも船とクルーの命を預かるに足りる能力を身に着けるためで…」
 ヤマモト機関長は腕を組んで考えた。
「それじゃあ、さっきのクルーのこと、お前はどのくらい知っている?」
「砲雷科で観測員のウィリアムです。観測手としては優秀だと聞いています」
「彼の家族については知っているか?」
「家族ですか?」
改めて聞かれると分からない。
「そういうことだ、あいつにはお前と同じくらいの歳の妹さんがいてな、妹さんはシリウスの大店の服屋で売り子として働き始めたらしい。だからお前のことが妹さんと重なるんだろうな…」
 セシリアはうつむいて考えた。
数日前に父に言われたことの意味、走り出しでうまく運んでいる自分の状況、完璧でなければという思い込み、いつしかが強くなってしまった自分の態度…
「セシリアが頑張ってるのはみんなよくわかってる。だがお前はもう少しみんなによっかかっていいんだ。間違えそうならみんなが助ける。駆け出しのお前が無理に肩肘張ることはないんだ。もっとみんなを頼ってくれ」
 ヤマモト機関長の言葉にセシリアの中で張りつめていた気持ちが解けた、こんな時に涙があふれてくる。父の同僚の古株で家族みたいなものだと言ってもクルーの前で泣くのはだめだ、頭ではわかっているのに涙があふれて止まらない。
「おっと、俺はそろそろ戻らないとな。それじゃあセシリア、落ち着いたら食堂に行くといい、ユカがココアを淹れてくれるだろう」
 ヤマモト機関長はそう言い残すと喫煙所を後にした。セシリアのプライドを守ってくれたのだろう。今のセシリアにはその気遣いがありがたかった。
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