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作者: 古城ろっく
R-15
第3話 クロスバイクの選び方って?
「なあ、そのたまに挟む茶番は何なんだ」
「茶番……といいますと?」
「さっきの、『日常を、ほんの少し冒険に変える自転車です』とか言ってただろう?」
 ルリは首を傾げ、当然と言わんばかりに答えた。
「ああ、私のお気に入りです」
「あのセリフが?」
「いえ、そのキャラが」
「……」
 よく分からないけど、分かったことにしておいた方がよさそうだ。そう判断したアキラは、気になっていた自転車を指さして訊く。
「この、クロスバイクってのはどんな車体なんだ?」
「それはオンロード用のマウンテンバイクです」
 その言葉で、大体わかった。
 マウンテンバイクと言えば、山道をガタガタと走るものだ。それを舗装路用にすることで、さらなるスピードを求めたものだろう。
「つまり、お前が乗っているようなロードバイクに、フラットバーハンドルを取り付けたものか」
 と、さっそく覚えたての用語を使い始めるアキラ。ちょっとドヤ顔である。
 しかし……
「少し違います」
 と、答えられてしまった。
「え?そうなの?」
「歴史的に言うと、ロードバイクにマウンテンバイクのハンドルをつけたものではなく、マウンテンバイクにロードバイクの足回りをつけたものになります。まあ、ジオメトリの違いとでも言いましょうか」
 ジオメトリ……また知らない単語が出てきた。
「ジオメトリってなんだ?」
「失礼しました。自転車のプロポーションバランスのようなものです。基本的に、ロードバイクは前輪と後輪の間が短いですね。そのせいでサドルが後ろに寄っているように見えますし、ハンドルは前に突き出しているように見えます」
「ああ、確かに……タイヤがフレームに擦りそうなほど近いな」
「一方、マウンテンバイクはタイヤとフレームの間が長く、ホイールベースも長いです。これはオフロードで車体を安定させるためとも言われていますし、サスペンションをつける都合で隙間を開けたとも言われています」
 そう言われてみれば、ロードバイクが全体的に窮屈に見えるのに対して、マウンテンバイクはゆったり設計されている気がする。そして、目の前のクロスバイクはその中間。いや、少しだけマウンテンバイク寄りだ。
 サスペンションはついていない。タイヤも細い。とどめにフレームには目立たないところに『舗装路専用です。オフロードを走行しないでください』とまで書かれている。それがクロスバイクだった。
「これって、砂利道とか走ったらどうなるの?」
「壊れます。と、一概には言えませんが、あまりお勧めは出来ませんね。自転車のタイヤの太さは、段差に対抗する力と比例すると思ってください。太ければ太いほど安定しますし、細ければ細いほど衝撃を受けます」
「つまり、細いとガタガタして乗り心地が悪い、ってこと?」
「いえ、それ以上に、パンクの危険が高まります。最悪の場合、車体に衝撃が行ってしまう可能性もあります。すると、先ほど修理のご依頼をされた、アキラ様のママチャリのように……」
 アキラはぞくっとした。あのママチャリ……原価を超える修理代の見積もりと、使い物にならないとまで言われたホイール。
「どの程度まで耐えられるのかは、様々なファクターによって決まります。車体性能や、走行速度、砂利道のきめ細かさ、本人の体重、運……などもありますね。なので当店では、砂利道を走行したら必ず壊れるとは言いません。ただ、大丈夫とも言いません」
 つまり、砂利道を走って壊すのは自己責任。店側は一切を保証しないということだ。
「まあ、この辺は砂利道とか無いし、別にクロスバイクでもいいのかな……」
 アキラが言うと、ルリは少しだけ微笑んだ。
(――可愛い)
 ほんの少し、小さく口の端を吊り上げただけ。それだけの事なのに、なんだかすごくいいものを見た気がした。
「では、この辺に置いてあるのがクロスバイクとなります。どの車体も素敵ですが、あとはごゆっくり、お選びください」
 深く礼をして、その場を立ち去ろうとするルリ。あとはアキラだけでも選べると思ったのだろう。しかしアキラは、もう一度ルリを呼び止める。
「待ってくれ。俺にはどの自転車がいいかなんて解らねぇよ」
「……そうですか。では、選び方を教えます」
 そう言ったルリは、しかし悩んだ。


 コンポーネントの話……はさすがに解らないだろう。今から難しいことを言っても理解できるか不明だし、乗り比べないと解らない程度の違いも多い。
 ブレーキに至っては、あるグレードに達するまであまり利き具合が変わらない。さすがにリムブレーキとハブブレーキでは違いも出るが、それこそ競技でもしなければ気にならないだろう。
 変速ギアも、段数を比べるだけなら簡単だが、実際にはそう簡単ではない。例えばマウンテンバイクのプロ仕様なら11~12段が主流だが、初心者向けは21~24段がメインになってくる。
 どうしてプロの方が段数が少ないのか。それを素人であるアキラに説明するのは時間がかかる。それこそ閉店時間までかかるかもしれない。
 フレームの材質で決める手もあるが、この店にあるクロスバイクは全てアルミだ。比較対象がいないのでは説明しにくいし、する意味もない。
「クロスバイクの選び方。それは――」
 ルリは唯一絶対の、いい選び方をようやく決めた。少なくとも、この店で買う分にはいい方法だ。

「気に入った色で選ぶのはいかがでしょう?」

「は?」
 てっきり『変速ギアが多い方がいいです』とか言われると思っていたので、予想の斜め上に振り切った回答に、アキラは驚いた。いや、呆れたというか、拍子抜けしたというか……
「マジか?」
「大マジです。たとえば、あちらのつや消し黒の車体はいかがでしょう?アメリカのcannondaleキャノンデールというブランドの車体ですが、BAD BOYバッドボーイという名前と、いかにも悪っぽい影のような見た目から、男の子たちに人気です」
 大真面目に、ルリは語る。
「いいのかよ?色なんかで決めて……」
「はい。部品に至っては、乗っているうちに好みが分かれて来ると思います。逆に言えば、素人が好みだ何だを品質に求めても仕方がありません」
「それで、乗っているうちに不満が出たらどうするんだ?」
「そうですね。今は違いが判らなくとも、1年後には欲しい車体が変わることもあります。その時は改造すればいいんですよ。部品なんて、ある程度は自由に組み替えられますから」
 まっすぐにアキラの目を見たルリは、まったく目をそらさずに言い切る。

「自転車の上達は、乗ってみないとあり得ません。勉強してから買おうと思っていると、一生を素人のまま終えます。まずは乗ってみることからスタートです」

 その視線に貫かれている間、アキラは息ができなかった。ようやくルリが視線を外してくれたので、アキラは大きく息を吐く。
 心臓がバクバクする。ルリは自分が美女である自覚を持っているのだろうか? もし自覚したうえでやっているなら、罪作りな女である。ただ、本当は自覚なんてないのだろう。今も自転車を指さして、
「あれはどうです?GIOSジオスMISTRALミストラルというのですが、私とおそろいのメーカーです。色も私と同じ瑠璃色ジオスブルーですね」
 などと言っている。
「瑠璃色か……ん?そういえば、ルリの自転車って、色で選んだのか?」
 そう訊くと、ルリは――



「そんなわけないでしょう!た、たしかに可愛いって思ったのは事実ですが……私は性能を重視した結果、あの車体にたどり着いただけです。色だとか見た目だとか、そんなミーハーじゃありません。あのAIRONEのしなやかなクロモリフレーム。ロードのエントリーモデルとしては珍しい車体ですからね。もちろんBMCやデローザやチネリも素敵なのですが、やはり入手困難な車体を探すのは大変ですから。ああ、ここで言う大変とは、修理や整備が――という意味ですよ。そういう意味ではShimano Tiagraで完成車になっているのもポイントが高いですね。スラムやカンパより手に入りやすいですから。まあ、本音を言えばシマニョーロとか使ってみたくもありましたが、メーカー曰く互換性のないパーツです。調整する自信は無くて……それに、見慣れてくるとシマノもかっこいいのですよね。見た目はカンパが可愛いですけど……あ、違いますよ。見た目で買ったわけではありません。厳正に、今の私が街で使うにあたって、最も向いている車体を探しただけです。荷物を積んでも壊れないであろう剛性と、狭い日本の車道を走れる速さが欲しかったんです。そのうえ瑠璃色でしょう?私の名前が瑠璃だから、ちょっと運命を感じちゃって、ですね。あ、色はオマケです。別にそれが決め手じゃないですけど、ちょっと可愛いって思っただけです。まあ、確かに在庫の少ないモデルだったので、サイズが合ってない感じもしますけど、その大きな車体を無理して扱うのがカッコイイと思います。女の子がホリゾンタルフレームなんて、と思うかもしれませんが、案外足つきは良いんですよ。そもそもオンロードしか走らないなら、あまり足つきを気にする意味もありませんし……とにかくアイちゃん――コホンッ!……アイローネは見た目で買ったわけじゃないんです。性能です。性能なんです」



「わ、分かったよ。俺が悪かった。だからその専門用語たっぷり使って説教するのは勘弁してくれ。怖いっつの」
「はぁ――はぁ――っくは……わ、解ればいいんです。私の方こそ、失礼しました」
 ルリは顔を真っ赤にして、少し息が切れる程まくしたてていた。先ほどロードバイクを競輪用と間違った時は、もっと機械的で冷たい反応だった気がする。なぜ今度は熱く反応したのだろう。まるで照れ隠しだ。

「ところで、俺の名前、あきらっていうんだけどさ」
「ええ。存じていますよ。不知火 翠様」
 難しい方のみどりという字でアキラと読む。ほとんどの人が読めないのだが、特別キラキラネームなわけでもない……はずだ。
「その名前に合うような、緑色つーか、翡翠色みたいな自転車ってないか?」
 あるかもしれない。そう思って聞いてみると、ルリはすぐに一台の自転車を取り出した。
 その車体は、翡翠色のフレームを持つクロスバイクだった。カラフルな自転車の中に埋もれて気付かなかったが、意外と派手な色だ。それでいて下品さはない。美しく、いい意味で目立つ。

Bianchiビアンキ ROMAローマです」
「え?これでビアンキって読むの?ビアンチじゃなくて?」
「ええ。英語ではなく、イタリア語の読み方になります。もちろん、そちらのメーカーですから」
「へぇ……」
 外国産、と言われると、急に高級感が上がる気がする。その辺は自動車とあまり変わらないのかもしれない。何より、ギラギラしない落ち着いた塗装は、高級車のそれであった。
 アキラがその魅力に目を奪われていると、ルリは解説を始める。
「クロスバイクでありながら、ロードバイクのような設計を取り入れているのが特徴です。お値段は11万……少し高価ですけど、本格的なライダーにも満足いただける性能と、初心者でも楽しめるデザインの良さを両立する車体です」
「11万……」
 値段は、少しどころではなく高価だった。アキラの金銭感覚で言えば、自転車なんて1万円で買えていたもの。たとえスポーツバイクでも、10万を超えるとは思っていなかった。
 事実、周囲を見れば5~6万円の車体が大半で、たまに8万するのがある程度だ。このクロスバイク売り場に置いて、ローマは圧倒的に高級だった。
「欲しいが――しかし金額がな」
 とはいえ、一度見れば心を奪うほどの美しさが、その車体にはある。いくつもの塗料を混ぜて作られたカラーリングは、見れば見る程に吸い込まれそうになる。

(待てよ……もしかして、中古ならもっと安く手に入るんじゃないか?)
 そう閃いたアキラは、少し迷う。
「――どうか、なさいましたか?」
「いや、ああ……えっと」
 今まで熱心に自転車選びに付き合ってくれたルリ。もちろん、店員としての業務上の事だろう。ここまで説明させておいて「じゃあ他の店で買うわ」と言えるほど、アキラも恩知らずじゃない。
 とはいえ、この車体は欲しい。どうするか迷った挙句、とりあえず――
「――いったん帰って考えるわ。俺、いま10万も金もってないし」
 などという言い訳をしてしまった。まあ、キャッシュがないのは本当だ。
「ああ、そうですね。たしかに即決するほど安い金額ではないと思います。ご満足いただけるまで、じっくりご考慮ください」
 ルリは気を悪くするでもなく言う。それから、エプロンのポケットに手を入れた。取り出したのは『ご予約済み』と書かれたタグ。
「もしよろしければ、こちらをつけておきましょうか?このブランドは人気なので、すぐに売れてしまうこともあります。もちろん、お考えの上でのキャンセルも可能です」
「いや――」
 正直に言えばこの店で買う気がなくなってしまっているのに、そのタグまで付けてもらうのは失礼だろう。店にも、ルリにも、そして真面目に購入するつもりだった人にも。
「いいや。もし売れちまったら、その時は俺が乗る運命じゃなかったって事だろう」
 なにやら格好つけた言い回しになってしまったが、アキラはそう言って店を出ようとする。このまま中古屋に向かおうという魂胆だ。あっちは夜遅くまでやっている。

「お待ちください」
 ルリが少し、声を張る。
「な、なんだ?」
「まさかとは思いますが、このままリサイクルショップやフリマアプリに頼ろうと考えていませんか?」
 見透かされた。そう思ったアキラは、目を見開いてしまった。それを見たルリは、少しだけ瞼を落とす。
「いいですか。当店の利益を抜きにして言いますが、中古で自転車を買うのは危険です。まして、アキラ様のような素人が……」
 ルリはアキラに詰め寄る。


「別に当店で買っていただかなくても結構です。他のお店を紹介するのも、やぶさかではありません。ですが、必ず新品で、それも専門店で購入してください。
 私は、自分自身の損益を考慮していません。私が望むのは、アキラ様の幸せだけです。アキラ様が幸せであれば、私はどうなってもいい。だからこそ、中古品だけは勧められません。

 たとえ私がこのお店をクビにされたとしても、私はアキラ様を止めます。法に反して、力づくでも――」
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