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作者: 鈴奈
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「推す」ということ。
 それは、最も深く、確かな愛である。
 何をしていても尊く思える、無償の愛である。
 この世界で一番確かな愛。愛することで幸福になる愛。
 私がこの世で一番信じられる愛である。

         ✦ ✦ ✦

 白百合と黒百合が浮かぶ風呂に浸かりながら、私はぼんやり物思いに浸っていた。
 
 ……推しじゃない。
 皇が……。

 そんなことがあるだろうか。
 こんなに尊く思っているのに……。
 
 それにしても……。
 今日のビジュ、よすぎた……! 着物、前髪センター分け……好みの真ん中に突き刺さっている。
 しかも、手までつないでしまった……。緋王様の握手会の握手だってたった三秒くらいだと聞いたのに!
 ああ、推しに触れる幸せ……プライスレス。
 また触れられたらいいが。

「よぉ、キリィ!」
 
 真後ろから、暑苦しく、いやらしい顔が私を覗き込んできた。
 おえっ。
 はぐれ死神のジャックだ。約2000年間、私にアプローチし続けてくるしつこい男。

「死んでなかったの?」

「しばらく来られなかったからって怒るなよぉ! お前を悦ばせるための筋肉をつけるのに夢中になっててよぉ。どうだ? たくましいだろ? 抱かれたいだろ⁉」

 ジャックは服を開いて胸を見せ、ひくひくと筋肉を動かした。
おえっ! 気持ち悪い!

「死んで」

「素直じゃねぇなぁ。本当は抱かれたいくせによぉ!
 鍛えてる間も、キリィのことを考えない日はなかったぜ?
 あぁ、今日も百合の花より綺麗だぜ、キリィ!」

 胸ポケットから取り出したくしゃくしゃの野花を差し伸べられる。くさい言葉と不潔な花にイラッとした。
 東洋支部にも西洋支部にも属さないはぐれ死神は、はぐれ死神を処刑する役割の死神に追われている。自分勝手に人々に死をもたらし、死の秩序を乱す存在だからだ。
 こいつは西洋支部に所属していたが、はぐれ死神に堕ち、2000年近くも逃げ延びている。こんな筋肉馬鹿を捕えられない無能な追手たちには、呆れのため息しか出ない。

「出ていって。それか死んで」

「そう言うなよぉ。今日もキリィの好きなもん、持ってきてやったんだぜ?
 ジャジャーン! 日本酒100本! ニッポンDANJI最新アルバムの初回限定緋王グッズ付き! 細心の日本観光パンフレット10冊! キリィが好きそうな日本文学と日本漫画ざっと100冊! 最新日本映画のDVD20枚!」

「遅い。もう自分で調達した」

「は? どうやって?」

「日本で仕事してるから」

「マジかよ! じゃあ、日本デートしようぜ、キリィ!」

「死んで」

「ま、それはおいおい頷かせるとして……。
 調達してきてやったんだ。礼はしてくれるよなぁ?」

 いらないものでもないし、やむを得ないか。
 私は、湯船から右足のつま先を出した。

「ほら」

 ジャックは、餌を見た大型犬のように舌を出して喜ぶと、私の足に飛びついた。しっぽのような金の一つ髷が、パタンと揺れる。
 私のつま先に、やつの唇が触れる。
 ……………………長い。

「終わり」

 足からバチッと稲妻を散らす。
 
「イッテ! ちぇっ。ま、キスさせてもらえるだけまだいいけどよ。昔なんて、なーんもなかったもんなぁ。
 あー、日本をキリィに薦めてよかったぜ!」

 おぉ、気持ち悪い。私はつま先を湯に沈め、ゴシゴシとこすった。
 悔しいが、私が日本文化にはまったのも、緋王様と出会ったのも、この男が日本から様々なものを調達してきたおかげだった。緋王様を崇めるためのテレビもこの男が調達して設置した。私の部屋にある緋王様のグッズも、全部こいつが見繕ってきた。
 日本文化に触れ、礼儀の美しさを知ってから、さすがにこれだけ私の悠々自適な推し活生活に貢献しているのだからと考えるようになり、つま先に触れることだけ許したのだ。
 それ以外の部分に触れられるのは無理。
 堀の深い顔、破裂しそうな筋肉、下品で直接的な言葉、脳みそまで筋肉に埋め尽くされた馬鹿。
 ジャックは私の好みと真反対の男。吐き気を催す。
 
 ずいっと、嫌いな顔が耳元に近づいた。黄緑色の目がいやらしく私を見つめた。

「日本の礼儀だなんだ言って、本当は俺にキスされてぇんだろ? 分かってるぜ。キリィが本当は俺を好きだってことくらい。
 お前の望むものを調達するためだけにはぐれ死神に堕ちるような男、俺くらいしかいねぇ。つまり、お前をこんなに愛せるのは俺だけ! だからキリィは俺が好きで、キリィは俺の女! なぁ、そうだろ? いい加減素直になって、ヤらせろよ……――」

 ジャックの手が、私の胸に伸びる。

 バチバチッ!

 体から、雷を放電する。ジャックは「イッテ!」とすっ転んだ。

「素直になりましたけど、なにか。
 日本の鍵は手に入れたし、あなたはもう用済み。二度と来ないで。さもなくば死んで」

「そんなぁ……。
 はぁ、ひでぇ女だぜ。でも、最高にいい女なんだよなぁ」

 ジャックは立ち上がった。逆三角形の筋肉質な体型の全景が見える。とことん好みじゃない。

「欲しいもんあるか? キリィ」

 考えるまでもなく、脳裏に、ポンと浮かんだ。

「スマホ。日本製の」

「オッケー。じゃ、また来るぜ! 愛してるぜ、キリィ!」

 ジャックは煙のように消えた。

 はぁ……。
 なんであいつはこうも、私があいつを好きなどと言う意味不明な勘違いを永遠にし続けているのだろう。
 本当に意味が分からない。このまま存在ごと消滅しろ。
 
 こうやって言い寄られると、つくづく嫌気がさす。
 恋ほど軽薄なものはない。
 好きだの愛してるだのと言って、結局は体目当てなだけなのだ。ジャックはもちろん、これまで寄ってきたどの男たちもそうだった。
 
「面白いものを持ってきて。そうしたら考えてあげましょう」
 
 そう言って、男たちが持ってきたものを「面白くない」と突き返していたら、いつのまにかジャック以外のやつはいなくなっていた。どいつもこいつも、この私を簡単に手に入るような存在だと軽んじていたのだ。不快にもほどがある。
 私にとって、恋は最も信用ならない下賎なものである。
 そんな感情が向けられたと思ったら、体が汚れてしまったように感じた。ぬるくなった湯の中で、体をこすった。
 
 はぁ。せっかくたくさん萌えてきたのに興醒めしてしまった。
 早く上がって日本酒を飲みながら緋王様の「ひおさんぽ」を観て気分を上げるとしよう。

 推しへの愛は、私のすべてを輝きに変える。

        ✦ ✦ ✦

 1限から、先週受けたテストが一気に帰ってきた。

「エ、エルデさん、オール満点⁉」
「どうなってるんだ! 美しい上に運動神経抜群な上に分からないことなどない⁉」
「人を超越している! 女神以外の何者でもない!」
「皇もまたオール満点か……」
「あいつ、どのテストでも満点以外とったことないからな……」
「あいつも人間を超越してるよな……」

 豚どもがざわざわしていると、いつのまにか皇が教壇に立っていた。

「これから二週間後にある文化祭の話し合いをはじめます」

 今日もメガネと前髪で顔を隠していて残念。だが、目の前の手の届かないところにいると思うと、あのライブでのステージに立つ緋王様との距離感を思い出して、グッと来た。
 私は萌えを求めて、両手で握りしめていたうちわを掲げた。

『しゅうえい』
『顔みせて』

 昨日つくったオリジナルうちわである。まずは、名前と、よく使う『顔みせて』のうちわをつくってみた。
 ライブの時で学んだことを活かし、名前のうちわは皇のイメージカラーである青緑にし、文字は見やすいようにひらがなにした。『顔みせて』の方は目に入りやすいよう、明るいオレンジとピンクで統一した。
 文字の切り貼りに手間取って一つ二時間かかったが、推し事してる感じ、いい! こうやって掲げているだけで楽しい!

 皇は、私のうちわを静かに見つめた。
 そして、メガネを取り、前髪を掻き上げた。

 う、嬉しい〜〜〜〜!

 ちょうどステージと観客の距離感だから、見つけてもらえた感がある! たまらない〜〜〜〜!

 豚どもは、「なんでいきなり……?」「エルデさんにいいとこ見せようとしてるな?」「許さんぞ!」などとブヒブヒ言っていたが、皇は何も言い返さない。
 私も気にせず、ノートに思いついたことを書いた。『顔みせて』以外はうちわがないので、引き続きノートで要求する。

「演目は去年と同じ、サイエンスショーでいいよね」

「意義なし」

「役割分担も同じでいいかな」

「意義なし」

「じゃあ……」

 私は、パッとノートを上げた。

『こっちみて!』

 皇が、私の方を見た。
 うっ…………! たまらなく嬉しい……っ!

「キルコさん。役割、なにがやりたいですか」

 な、名前を呼ばれた?
 推しから完全に認知された!! 幸せ~~~~!

「エルデさん! ぜひ我々と買い出しを!」
「ずるいぞ! それなら僕らとカンペづくりを!」
「いやいや! 準備係を我々とともに!」
「衣装調達がいいでしょうっ!」

「僕と、全体のプロデュースをしてもいいですよ」

 ニコ、と皇が笑った。いつもと違う、どことなく勝ち誇ったような顔。
 萌え……っ!

「では、それで……」

「えっ!」
「そんな!」
「皇ぃいい!」

 豚どもがブヒブヒと敗北の鳴き声をあげた。

        ✦ ✦ ✦

 昼休み。
 皇が大きな弁当を広げ、私に赤い箸を渡した。
 皇の弁当をつまみながら話をすることが続いたからか、皇の弁当には二人分のおかずがぎっしり詰まっていた。

「先ほどの、あのうちわは一体……。いえ、それよりも、土曜日はありがとうございました。母も大変喜んでいました。お茶、どうぞ」

 取っ手のない湯呑みを受け取ると、指先が触れた。
 どきりと胸が鳴った。嬉しい……! これだけでこんなにドキドキするのに、あの時手をつないだなんて……。ああ、最高のファンサだった!
 どうにかまた触れられないだろうか……。
 熟考しながら茶をすする。
 今日の茶はとても濃い真緑色の煎茶だった。一口飲んでみると、思ったより渋みがなく、すっきりとしていた。

「あの時お話ししましたが、今後僕は、キルコさんの僕への気持ちが推しではないことを証明していきたいと思っています。それができるような質問をする予定です。またいろいろとデータ収集や検証にお付き合いいただくと思いますので、ご協力お願いします」

 皇は礼儀正しく頭を下げた。
 顔を上げ、私を上目で見上げた皇は、いつもの三割増しで美しかった……。
 推しじゃないことを検証しようなんて……と少し不満に思っていた私だったが、その気持ちもすっかり消え失せ、もう好きにして……と思ったのであった。完全なる敗北。もはや悔しくもない。
 だが、ただホイホイと聞いてやるだけでは神の威厳に関わる。日本の神のように、賽銭はもらわねば。

「では、質問以外で協力することができたら、その都度、私のお願いを一つ叶えてください」

「分かりました」

 やった。握手券ゲット……!

「それで、今日の質問なのですが、はじめに、検証したいこととは違うことを質問させてください。
 文化祭の日ですが、キルコさんは、誰かとまわる予定はありますか」

「いいえ」

 豚どもがこぞって誘って来たが、ことごとく無視した。

「もし、一緒にまわりたい方がいなければ、僕とまわりませんか?」

 この顔に誘われて断る方がおかしい。
 私は、「はい」と頷いた。皇が、ほっと小さな息を吐いた。
 それにしても、ジャパニーズ・文化祭……!
 ジャックが持ってきた青春映画に文化祭のシーンがあったから知っている。ジャパニーズ・夏祭りなどとはまた違う雰囲気で、学生の手作り感が可愛らしいイベントだ。参加できるなんて、嬉しすぎる!

「ザ・文化祭なものが見たいし、食べたいです」

「文化祭らしいもの……。調べて、当日のプランをいくつか考えておきますね」

 楽しみだ。
 私はウキウキした気持ちでジャパニーズ・唐揚げを頬張った。醤油と生姜の風味が日本らしく、恍惚とした。
 ああ、日本酒をくいっと飲みたい。

「では、あと三問は、キルコさんの僕への気持ちが推しではないことを証明するための質問をさせてもらいます。
 一問目です。キルコさんの推しの定義を教えてください」

 皇は、真剣そのものだった。鋭い眼光、かっこいい……。
 とろけそうになる心を、お茶を飲んで元に戻した。
 定義、か……。ちょうどこの前、緋王様と皇を比較して、推しとはなにかを考えたばかりだ。それを少しばかり整理してみると、ちょうど定義らしくなった。

「推しとは、外見が最も好きか、内面が尊敬するほど好きか、応援したい気持ちがあるかといった項目にあてはまる存在であると考えています」

 皇は、唇に人差し指を添え、目を伏せた。
 考える人のポーズ! 知的でいいっ!

「二問目です。僕の外見以外の部分で、どういった点がキルコさんの推しの定義にあてはまるかを教えてください」

「人間的魅力の塊である点です。私のファンサのために努力してくれますし。何より、銃撃を受けた後、自分の怪我を差し置いて私や襲撃犯の怪我を心配したり、ずっと1人で誰かを巻き込まないようにしてきたりしたという底知れぬやさしさは感動しました。私を守ると約束し、それを必ず達成しようとする誠実さ、礼儀正しさなど、人間的魅力である点も大変推せます」

 皇が、「ありがとうございます……」とお辞儀をした。耳の先が赤いのが、細い髪から覗いて見える。
 なんだ⁉ 照れているのか⁉ 喜んでいるのか⁉ くっ……! 可愛い……尊い…………っ!

「では、最後です。僕に対して、推しの定義にあてはまるもの以外の感情はありますか?」

「どうでしょう……」

 今度は私が考える人のポーズをとった。あるような、でも、定義に入るような……。

「では、後日また教えていただいていいですか? これをお渡ししておくので、記入してください」

「推しの定義以外にあてはまる皇 秀英への感情一覧」という題だけが書かれた紙を手渡された。

「質問以外の協力、ですね。では、私のお願いも叶えてください」

「はい。どうぞ」

「握手してください」

 皇はきょとんとしたが、「はい……」と、左手を出した。
 ふおぉっ……! 綺麗な手……! ……ごくり。
 ドキドキしながら、皇の手に右手を近づける。
 かすかに触れた時、力を感じないほどやさしく、皇の手が私の手を握った。
 わぁ――――! あ、握手――――!!
 推しと握手――――! う、嬉しい…………っ!
 でも、土曜日に手をつないだ時の方が幸福感が高かった。
 でも、満足だ。触れただけでも嬉しい。緋王様はもう握手会をしていないから、一生触れないのだし……。それを考えれば、この上ない贅沢だ。

「ありがとうございました」と手を離すと、皇が「こちらこそ、ありがとうございました」と礼をした。

「明日から昼休みも文化祭に関する集まりや準備が詰まってしまい、なかなか質問の時間がつくれないんです。なので、今日の放課後も少し時間をいただいてもいいですか? はじめにサイエンスショーの演目を一緒に決め、それが終わったら、午後の授業で顔を見せた分の質問をさせてください」

 文化祭の準備……。幸い私は皇と同じ、全体をプロデュースする係になった。今日の放課後に演目を決めてしまえば、あとは豚どもがきちんと働くよう、ムチを叩きに行くだけである。つまり、今日の放課後で二人での仕事は終わり。あとはくさい豚どもが必ず付きまとう。最悪すぎる。

 だが、もしかすると、魂を狩るチャンスになるかもしれない。
 クラスメイトと過ごす時間が増えるということは、やつらのうちの誰かに鎌を持たせれば、いけるかもしれない。
 前回は同担仲間に同情してしまったが、豚どもには心を馳せることはない。成功の確率は、以前より高い。
 正直やつらに私の愛用の鎌を持たせるのはいやだが、背に腹はかえられない。
 豚どもを使ってみよう。

        ✦ ✦ ✦


 放課後。サイエンスショーの打ち合わせは「小実験室」というところでやるとのことで、皇に連れられ、そこに向かった。皇は、前髪は無造作に分けていたものの、メガネのままだった。「外してください」と言ったが、「薬品を扱うので、このままで許してください」と断られた。なんという男だ。私の願いを断るとは……。

 実験室の扉を開けると――。

「エルデさーん!!」
「皇ぃ! お前にばっかりエルデさんを独り占めさせねぇぞ!」
「お前がエルデさんに手出ししないか、俺たちが見張ってやる!!」

 五匹の豚どもがいた。くさい。

「部活は?」

「今日は休みだ」

「そっか。じゃあ手伝ってよ」

 皇は豚どもに指示を出し、器具や物の準備をはじめた。ビーカーやフラスコ、電流系、薬品、化学物質が並ぶ。
 私は豚の用意した椅子に座り眺めていた。
 パフォーマンスは、四部に分けて行う。演目はそれぞれ別のものを行う。

「キルコさんは、どれが一番見応えがあるか教えてください」

 正直、科学に興味がないからどれでもいいのだが。
 それより、皇と一緒に支度をする豚どもが使えるか、試してみるか。
 私は羽の髪飾りに力を込め、皇の隣にいる目の小さな白豚のポケットにそれを飛ばした。

「まずは、火のパフォーマンスから行きましょう。準備できた。電気、お願い」

 パチリと電気が消えた。窓は黒いカーテンで閉ざされ、研究室はすっかり暗くなった。皇がなにかをピンセットで掴み、そこに薬品を吹きかけているのがうっすらと見える。
 皇が集中している、暗がりの中――。
 そのチャンスを、私の羽は逃さなかった。実験を手伝っていた豚の白いポケットからふわりと漂い、豚の手に近づくと、鎌の形に変わった。そして豚の意識を乗っ取った。
 豚は、ふらりと半歩後ろに下がった。
 皇は「よし」とピンセットでなにかを掴んだ。すっかり集中しているのか、背後に注意を向ける様子はない。
 ――今だ。
 豚の手の鎌が、皇の背後を襲った!

 ――パシッ。

 鎌が皇の背中に突き刺さろうとした瞬間。
 皇が、豚の手を掴んだ。後ろ手のまま、豚を見ることもせず。

「どうした?」

「……ん? あれ? 俺、なんかしたか?」

「実験中は腕を振りまわさないこと」

「すまん」

 豚の意識も戻ってしまい、結局、私の実験は失敗に終わった。まあ、皇のことだから、こうなるだろうとは思っていたが。
やはり一番油断していたのは身内、または私か……。とはいえ、この豚が無能だっただけで、チャンスがあるかもしれない。数日はこの作戦で粘ってみるか。

「点火します」

 皇の声の直後、暗闇の中に、激しい火飛沫が浮かび上がった。
 とても美しい橙の光。
 まるで、ジャパニーズ・花火……。たしか、手で持つタイプの花火がこんなふうだった。
 皇が火に、霧吹きのようなものでなにかを吹きかける。花火の色が変わった。美しい黄緑色。なぜ? 魔法のようだ……。すぐにまた、霧吹きによって色が変わった。赤。どうなっているのだ……!

「花火の原理を使ったパフォーマンスです。日本文化の一つなので、キルコさんが好きかと思って」

 電気がつく。
 皇の唇が、やわらかく微笑んでいた。
 
 ――私が、好きだと思って……?
 キュン、と胸が鳴る。
 
 私のために、なんて……。
 なんて最高なファンサ!!
 
 メガネをかけていても、前髪で顔が隠れていても、推しからの供給はすべて幸福!
 ああ、ますます推しになる……!
 
 推し事、最高! 推し事、楽しい――っ!

        ✦ ✦ ✦


 実験を十ほどし、ようやく解散となった。
 下駄箱に行くまでの道は、窓から夕陽の光が差し込んでいた。
 豚どもがもぞもぞと話をしている後ろで、私の隣にいた皇がひそりと話しかけてきた。

「すみません、彼らがいることを想定していなくて。今、少し質問してもいいですか」

「いいですが、メガネは外してください」

 皇は、おとなしくメガネを外した。
 キュン……。
 もう、ずっと外していればいいのに……!

「では、一つだけお願いします。
 キルコさんは、アイドルで推しはいますか?
 以前キルコさんは、アイドルが好きだとおっしゃいました。推しという概念も、そのアイドルから来ているのではないかと思い、可能であればそのアイドルへの感情との比較検討ができればと思い、聞かせていただきました」

「います。ニッポンDANJIの、緋王様です」

 皇の足が止まった。
 振り返って見ると、凍りついたような顔で立ち尽くしている。
 少しすると、唇をきゅっと結んだ。

「……分かりました。後日、具体的な感情を聞かせていただきたいと思いますので、準備の方をよろしくお願いします。

 絶対に、彼への気持ちとは違うと、証明しますので」

 皇の瞳に炎が灯った。
 最高温度の、青い炎が。
 
 かっこいいぃ…………っ!
 キュンキュンしながらドキドキする。心臓が、幸せで満ち溢れる。

 やはり推しへの愛こそ、最も深く、確かな愛である。

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