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作者: 鈴奈

 皇 秀英は、私の殺すべき標的である。
 そして、私の推しである。

***

 …………はぁ……。

 死女神として生まれて2000超年。
 標的に特別な感情など抱いたことはなかったのに……。

 まさか、推しになってしまうなんて……。

 だが、感情はそう簡単に変えられるものではない。
 推しだと思ってしまったら、もう推しなのだ。
 
 潔く、推そう。

 そう決心した私は、緋王様のポスターとグッズを並べていた場所の隣に、皇の写真を引き伸ばして貼りまくった。

 はぁ~~~~! 幸せ空間~~~~!
 推しだと認識したら、たとえ顔が見えない写真でも、美しく見えてきた!
 っていうか、後ろのこの角度から見た頬骨、綺麗すぎないか?
 はあ。いい。皇、萌え!

 緋王様の方が推し歴が長いから、バランスに差があるな。今度皇用のうちわをつくろう。
 文字は何にするか。やはり、「顔みせて」か? いっそ、学校でも使ってしまおうか。
 あとは、皇のグッズが欲しい。何かないものか。ぐるりと見渡し、二匹のネコマタスケの人形が目に入った。
 片方は、皇が取ってくれたものだった。どっちがどっちか忘れたが、ひとまず片方を飾っておこう。
 うん、いい感じだ。

 緋王様のコーナーをまじまじと見て考える。アクスタ、いろいろな衣装を纏ったブロマイド、雑誌、写真集、ぬいぐるみ、緋王様がプロデュースしたオリジナルグッズ……。

 ちなみに、緋王様もそのまま、私の推し継続である。
 よくよく考えたのだが、緋王様と皇は別物だ。
 緋王様は、アイドル。つまり、手の届かない夢の場所での推し。
 皇は、現実世界での推し。
 こう住み分ければ、どちらも平等に推せるというものだ。

 リン、と電話が鳴った。
 指で招き、受話器を取る。

「おはようございます、ハデス」

『おはよう、キル・リ・エルデ。今日は、皇 秀英の魂、持ってこられそう?』
 
「善処いたします」

『君なら、そろそろ持ってこられるよね?
 じゃないと、君が今まで積み上げてきたキャリアが総崩れだ。約束どころか、今までみたいな生活はもう……ねぇ?』

 クッソハデスが!!
 唇を噛んで、必死に舌先まで出かかった怒りの言葉を抑え込む。
 必死に、必死に喉の奥に押し込めて、やっとごくんと飲み込んだ。
 
「……私が、できないはずがありましょうか」

『そうだよね? じゃあ、待ってるよ。キル・リ・エルデ』

 ガッチャン! 思い切り受話器を叩きつける。
 クソクソクソクソ! 脅してくるなんて、なんって最低最悪な男……!
 ああ、腑が煮えくり返る!
 いっそもう、仕事を放りだしてやりたい! こんなクソ西洋支部なんて抜けて、「はぐれ死神」にでも堕ちてやろうか。
 いや、そうしたら処刑対象として西洋支部からも東洋支部からも追われる身となる。やはりそれは面倒だ。
 東洋支部へ部署移動できれば最高なのに……。そういうシステムさえないなんて、ブラックにも程がある。

 まあ、置かれた場所で咲くしかないか。悠々自適な生活のために……。

 黒いソファに寝そべり、ネコマタスケを抱きしめる。
 推しであっても、魂を狩らねばならない相手なのは変わりない。
 これまで通り萌えるときはとことん萌え、殺せるチャンスがあれば積極的に手を伸ばす。
 そして、一日最低一回は仕事をするスタンスを貫いていこう。
 言うなれば、「お仕事」と「推し事」の両立だ。
 ふふ、我ながらうまい。ジャパニーズ・掛詞!
 そうだ。これからは緋王様を愛する活動を「推し活」と呼び、皇に萌える活動を「推し事」と呼ぶことにしよう。
 
 とにかく、魂を狩るその時まで、たくさん萌えを摂取しておかなければ。

***


 そう決めて数日。なるべく顔が見えるように運命写真を撮り、一日一度はきちんと魂回収のために画策した。皇の体調が回復し、今日は久しぶりに授業中にファンサをもらうことができた。不思議なことに、これまでよりいっそう日々が潤ったように思えた。推しは偉大。
 
 推しだと自覚したために、自分の手で命を狩りたくないという感情が湧いたが、むしろよかった。
 いいアイディアを思いついたのだ。
 私以外の存在に、死神の鎌を持たせ、魂を狩らせる。
 実は日本で心中が流行した時、半分以上の遊女が東洋支部の死神長であるイザナミ様によってこの術にかかり、魂を狩ったのだとか。
 本来人間が認識しない死神の鎌を持たせるので、暗示よりも強い力を注がねばならず、普通の死神には難しいが、私ならその程度の芸当はできよう。
 あとは、誰にやらせるかを決めるだけである。標的の身近な存在がベストだが、皇はあまり特定の人といるわけではないから難しい。

 昼休み、皇が持ってきたお茶をほっこりと飲んで、私はどうしようかとのんびり考えていた。
 
「お茶、どうですか」

「美味しいです。いつもより、味に深みがあります。ジャパニーズ・抹茶に近いですか?」

「そうなんです。抹茶の風味をより感じられる美味しいお茶を考えたくて、品種改良や他の茶葉との調合を試している最中で……。
 あ、本物の抹茶を飲んだことはありますか?」

「本物はないです。抹茶味のお菓子を数回食べたくらいです」

「そうですか。
 ところで、今日の一つ目の質問をさせてください。
 キルコさんは日本文化がお好きですが、特に興味のある日本文化はなんですか? やりたいことなどがあれば、教えてください」

「なんでもやりたいです。一番は日本の名所の観光ですが、ジャパニーズ・和歌が好きなので、百人一首とか、誰かとしてみたいです。さっき話に出た、抹茶も立ててみたいです。ジャパニーズ・茶道。道のつくものは少しでもやってみたいです。あと、着物や浴衣も着たいです」

「できますよ」

 皇が、私をするどく見つめた。
 
「うちに、全部あります。茶室もあります。着物も、母がたくさん持っているので、お貸しできます。母は着付けもできます。
 もしよければ、今度、テストが終わったら、うちに来ませんか」

 ……皇の、家に…………。
 
 あの大豪邸を思い出す。そして、浴衣姿の皇を思い出す。
 いい! 浴衣姿の皇を再び拝んで、写真を撮りたい!

 私は「ぜひ!」と頷いた。

***


 その話があった翌日の木曜日と翌々日の金曜日は定期テストというものがあった。
 なぜ神であるこの私が、人間に試されねばならないのか。筆記用具を持つのも面倒くさく、適当に念じて答えを浮かび上がらせ終わらせた。
 金曜日の朝、靴箱に皇からの手紙が入っていた。

『キルコさん

 テストお疲れ様です。また、明日は貴重な時間をいただきます。よろしくお願いします。
 明日は、10時に駅に車を迎えにいかせます。ナンバー「20―02」の黒い車に乗ってください。
 変更があればおっしゃってください。電話でも大丈夫です。下に書いた番号にかけてください。
 楽しみにしています。

 皇 秀英
 090ーXXXXーXXXX』

 土曜日。手紙の指示通りに、駅の車に乗りこんだ。
 正面玄関らしきところに停まり、扉が開いて、ぎょっとした。
 着物姿のオバサンたちが、道の両脇に四人ずつ並んでいたのだ。

「いらっしゃいませ」

 八人が声を揃えて美しく礼をする。私は、おおっと心が躍った。
 まるで、ジャパニーズ・旅館そのもの……! ジャパニーズ・女中! いや、家政婦か! 着物、可愛い!

 「キルコさん」
 
 広い石畳を歩む、カラコロとした草履の音。
 目を向けると、広い玄関から、紺色の着物を着た、皇が出てきた……!
 しかも、センター分けをしている……! メガネも外している! 緋王様!? 緋王様なのか!? 似ている! 違うけど! でも、どっちにしてもいい……! よすぎる……! 奇跡……っ!!

「うっ……」

「キルコさん!?」

 立っていられず、指を組んだまま膝をついた私に、着物の人々が集まってきた。
 ああ、ここはジャパニーズ・天国……?

「大丈夫ですか!? 体調、悪いですか!?」

 目の前に膝をついた皇が眩しすぎて……。
 しかも、近くなったから、鎖骨がよく見えて……!

 キュンッ!!!!!!
 
 私は目をつむり、天を仰いだ。

「キルコさん……?」

「写真、撮っていいですか?」

「え? 僕の、ですか?」

「ほら、その髪型でよかったでしょう? 秀ちゃん」

 奥から歩いてきたたおやかな女性に、私は目を奪われた。
 なんて美しい、ジャパニーズ・着物美人……。
 切れ長の細い目、すっと通った皇に似た鼻筋、薄い唇、きっちりとまとめたおだんごの髪。
 薄い黄色の着物と鮮やかな水色の帯に織り込まれた金の花の柄は、十分な知識のない私でも、一目見ただけで高級だと分かるほど美しかった。
 そして、まるでその着物と一体となっているかと思うほど、彼女にぴったりだった。
 家政婦たちが、「奥様」と頭を下げた。

「はじめまして。秀英の母です」

 美しく、彼女は一礼をした。私は、ますます見惚れた。
 だが、さっと立ち上がり、「この度は、お招きいただきありがとうございます」と礼を返した。

「まあ、美しい! 話に聞いていた通りね!」

 彼女は、口元を隠してくすくすと笑った。
 ああ、素晴らしきジャパニーズ・ビューティ!  ヤマトナデシコとはこのことか!

 一室分ありそうな玄関を通ると、まずは居間のようなところに通された。畳の上に小さないすと机が並んでいる。
 タイツ越しに、つま先で畳を触る。

「ジャパニーズ・畳……」

 つやつや、でこぼこして気持ちがいい。ああ、裸足で来ればよかった。
 椅子に座ると、家政婦がお茶を出してくれた。
 温かい薄めの緑茶にほっと一息つくと、目の前の大きな画面に、「本日の日程について」という字が映し出された。

「これから、本日の日程について、プレゼンテーションおよび検討会をさせていただきます」

 皇が、テレビの横に立っていた。リモコンをテーブル上に置かれたままのパソコンに向けると、画面が切り替わった。皇の母は、私の右隣のソファに座って背筋をピンと伸ばし、皇を見つめていた。

「まず、A案です。まず、午前のはじめに、着物に着替えていただきます。着物は、母のものから好きなものをお選びください。その後茶室にて、茶道体験を行います。昼食は12時に小和室に用意いたします。なにかアレルギーや苦手なものがありましたらおっしゃってください。午後は13時から、次のうち好きなものを選んで体験していただこうと思います」

 画面が切り替わった。
 百人一首、花道、書道、香道、琴。
 憧れの日本文化とその画像が並んでいる。

「ぜ、全部できるのですか」

「はい。ただ、時間が限られていますので、お好きなものを二つほど選んでいただけたらと思っています」

 全部やりたいところだが……!
 ここは、緋王様の得意とする書道をぜひとも選びたい!
 もう一つをどうしようか考えはじめたところで、画面が切り替わった。

「なお、おかえりはお夕食前の16時半を予定しています。お夕食もご一緒できるようであれば、ご用意します。
 次に、B案です。まずはじめに、先ほどお見せした物のどれかを体験していただきます。12時に昼食をとり、13時からもう一つ選択いただいた体験をしていただきます。その後、着物に着替えていただき、茶道体験を行います。
 A案ははじめに着物を着るパターン、B案は終わり頃に着るパターンです。着物を着るのがはじめてとのことでしたので、着物を着たまま食事をとるのが不安であればB案がおすすめです。ただ、今日は基本的に母がついているということですので、苦しければいつでも着替えられます。なので、A案を選んでいただいても構いません」

 考えるまでもない。

「すぐに着物を着たいです。A案で」

「分かりました」

「午後は、書道と、もう一つはお任せします。ただ、二つ、入れてほしい内容があります。
 一つは、写真を撮ることです。皇さんの」

 機会を逃してまだ撮っていなかったのだ。

「もう一つは、お庭を見ることです。午前午後どちらでも構いませんので、予定に入れてください」

 この豪邸には、立派なジャパニーズ・庭園が広がっていた。真ん中の池いた鯉たちもじっくり見てみたい。

「盲点でした。では、それは午後にいれます。16時半までの予定だと茶道、書道以外の体験を入れるのが難しい可能性がありますが、帰宅時間は延長されますか」

「とりあえず大丈夫です。写真が撮れれば、かなり満足ですので」

「決まりね! じゃあ早速、着替えに行きましょう!」

 皇の母が、明るい声で話を割った。

「写真を撮るにしても、2人並んで撮った方が記念になるし。ささっ、行きましょう」

皇の母に促されるまま、奥の和室に向かった。
 美しい花柄の、鮮やかな着物が五着ほど並んでいた。赤、濃いピンク、淡いピンク、橙、青。どれも可愛い……。

「せっかく若いんだし、日本文化を楽しみにきたんだし、鮮やかな色の方がいいかと思っていろいろ揃えて見たの。
 だけど、私の一押しはこれ! 秀ちゃんからお写真を見せてもらった時、この着物がぱっと浮かんだの!」

 家政婦たちがモノクロの着物を運んできた。
 左半分が白、右半分が白黒の花和柄。鱗のような上品な質感は、「しぼり」というものらしい。
 シックで美しい……。私好みだ。
 
「これがいいです」
 
「よかった! じゃあ、着替えていきましょう」

「その前に」

 私は、カバンから黒い包みを取り出し、彼女に手渡した。

「今日のお礼です」

「え? そんな、いいのよ」

「もらっていただきたいんです。開けてください」

 彼女が包みを開くと、黒い羽の髪飾りがあった。私がいつも身につけているもの――つまり、死神の鎌である。鎌には、標的が隙を見せたときに持ち主の意識と体を操り、魂を狩るよう、神力を込めている。
 家人――ことさら母親であれば、ある程度の時間はともにいる。これなら、きっと成功するだろう。

「綺麗。じゃあ、大切にするわね」

 彼女はそっと胸に抱く仕草をすると、そのまま懐にやさしくしまった。
 
 皇の母と家政婦3人が着付けをしてくれた。
 胸や腹の周りになぜかいくつもタオルを当てられ、何本もの紐でぐるぐる巻きにされていく。過程を見ていると、ワクワクしながらも目がまわりそうだった。

「キルコさんは秀ちゃんのこと、どう思ってるの?」

「推しだと思っています」

「推し……! 私と一緒ね! 私も秀ちゃんのこと、推しなの!」

 なんと……! こんなにたおやかなジャパニーズ・ヤマトナデシコが、推しという言葉を使うとは! 推しという言葉は日本のサブカル文化だと思っていたが、今や広く浸透しているようだ。

「同担拒否派?」

「同担歓迎です」

「じゃあ私たち、同担仲間ね!」

 同担仲間……! はじめて同担仲間ができた。嬉しい……!
 緋王様のライブに行って、仲間同士で参戦している周りのファンたちをみて、実は少し羨ましかったのだ。推しのいいところを語り合う仲間がいることが……。

「キルコさんは、秀ちゃんのどこが好きなの?」

「やっぱり顔が最高です。もう、全部が好きすぎて……もう1人、アイドルで推しがいるんですが、もしかしたら皇さんの顔のほうが好きかもしれません。少し似てはいるのですが」

「掛け持ちなのね! 私もなの! 秀ちゃんと、秀ちゃんのお兄ちゃんと、パパ! みんな顔がいいのよねぇ。顔がいいって、それだけで最高よね~!」

「はい。それでいて萌えるような言動も時々するんです。普段とのギャップが大きくて、爆弾が投下されたような衝撃で、ドキドキが止まりません」

「萌える言動? 秀ちゃんが? なになに?」

「私の髪にサクラの枝を挿したり、『守らせてください』って言ったりしたときは最高に萌えました。ファンサも、指ハートや手を振ってくれるときがもう、たまらなく萌えて……」

「うそぉ! 誰それ知らない! 私の知ってる秀ちゃんじゃない! でも、ちょっと安心したわ! 秀ちゃん、小学校から中学校までずうっと男子校にいて、高校からは共学になったけど、クラスには男子しかいないみたいだから、女の子との関わり方が分からないんじゃないかって心配していたの。心配して損しちゃった! よかった……。ああ、でも、何か失礼なこととか、言ったりしたりしていないかしら?」

「まったくありません」

「よかったわ。まあ、顔がいいからなんでも許せちゃうのかもしれないけど。何かあったら言ってちょうだいね!
 他には? 他には秀ちゃんのどこが好き?」

 盛り上がっていたら、いつのまにか着付けが終わっていた。
 金色の帯がお洒落でいい。髪も一つにまとめて花飾りをつけてもらった。透明のサクラの花びらたちがしゃらりと垂れ下がるかんざしだった。
 
「秀ちゃん。キルコさんの着付け、終わったわよ」

 パソコンをカタカタしていた皇が、目を上げ、私を瞳に映すなり、固まった。

「どう〜? 可愛いでしょう?」

 皇は少しの間何も答えず固まっていたが、やがて、再びパソコンをカタカタと打ちはじめた。

「ちょっと秀ちゃん! 何も言わずにパソコンを打つなんて失礼よ! おやめなさい!」

「適当な言葉を調べてるから待って」

「そんな……! 可愛いって一言いえばいいじゃない!」

「それは妥当な言葉じゃない」

「ああ、もう……。やっぱり心配していた通りだったわ。一緒にいてよかった!
 いい? 秀ちゃん。こういうときは一言、可愛いって言えばいいの!
 ああ、やっぱり女の子との関わり方に難ありだったわ……。ごめんなさいね、キルコさん。キルコさんはとっても綺麗で可愛いからね!
 とにかく、写真を撮りましょう!」

 中庭に向かう。晴天の下の柳のような木の枝が、風を受けてそよそよと靡いていた。
 皇の母が、私に耳打ちした。

「あれ、枝垂れ桜なんだけど、もう葉桜になっちゃったの。また来年、ね」

 草履を穿いて、庭に出た。胸に抱いていた運命写真機を、先に出ていた皇に向ける。
 皇も私にスマホを向けていた。

「撮らせてください。私が先に撮りたいと言ったので」

「はい……」

 皇はスマホを帯に挟め、気をつけをした。

「硬い! もうちょっとキメたポーズとって! こう、こう、体を斜めに向けて、顎の向きを、こう!」

「何度くらいか指定して」

「知らないわよ、数字なんて! とりあえずカッコつけちゃえばいいじゃない! ああ、もう! はい、力抜いて! こう、こう、こう! どう? よくない!?」

 皇の母が皇の体の向きを手動で調整してくれたら、かなりよくなった……! う……よすぎる、ちょっと困った顔も、むしろセクシーに見える!
 確実に、持ってる中で一番いい写真だ。
 最高のブロマイド、ゲット……!
 ホクホクしていると、「次は僕が撮ります」と皇が言った。

「僕のスマホで撮って、あとで送ります」

「私、スマホは持っていません」

「えっ、そうなんですか」

「じゃあ、撮ったの、印刷してあげるわ」
 
 池の脇に立って、さっき皇がやったのと同じ角度に体を向けた。カシャ。体の向きを変えると、また、カシャッと鳴った。少し表情をかえると、それもまたカシャッと撮られた。
 いいな、スマホ。私の写真機は一日一枚しか撮れない。こんなに連続でカシャカシャと撮れたら、四六時中萌え放題じゃないか……。

「じゃあ、次、ツーショット!」

 皇が私の横に並んだ。見上げると……か、カッコよかった。至近距離の着物皇、尊すぎる……!
 皇が私の視線に気付いたのか、私を見下ろした。
 ひっ! し、し、至近距離で、好きすぎる顔に、見つめられている……っ!! しししし、心臓が、バクバクする……っ!
 カシャッ。

「キルコさん! これは撮影会よ! 好きなリクエストしていいのよ! 手をつないだり、腕組んだり!」

 撮影会……! 昔、ニッポンDANJIのファンクラブ限定イベントだったものだ。ファンクラブ加入者のうち、抽選で当たった数名が時々招待される推しのメンバーと一緒に写真が撮れる機会だ。今はもうあまりの人気にやめてしまったが。
 だが、たしかに推しとツーショットを撮れるというのは、そのくらい貴重な機会なのである。そんないい機会を逃すわけにはいかない。
 リクエスト……。何があるだろう。皇と――推しと二人でしたいポーズ……。

 「指ハートをお願いします。一緒に」

 カシャッ!

 いい……。推しの決めポーズを一緒にする感じ!
 推してます! って感じがする! 推し事をしている感じがする!
 ギャルピと2人でハートをつくるポーズをとって、撮影会は終わりになった。

「ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 お互いにお辞儀をしあい、離れの茶室に向かった。

中は、畳六つ分の部屋だった。ジャパニーズ・掛け軸がかかっていた。その下に、一輪の小さな白い花が渋いツボに入っている。皇の母が、「山芍薬よ」と教えてくれた。部屋の外では、家政婦たちが何やら支度をしてくれているようだった。
 私は部屋の右端に座るように促された。皇が私の前にお菓子を出した。緑の葉で巻かれた白いお餅――ジャパニーズ・柏餅だ。
 皇の母が、作法を耳打ちしてくれたので、言われた通りにした。懐紙に乗った柏餅の葉を開き、小さな竹で半分に割り、パクリと食べる。
 ジャパニーズ・あんこ、ジャパニーズ・もち……!
 なんで上品な甘み……! ふわりと香る、さわやかな葉の風味……!
 思わず、恍惚とした声がでかかった。しかし厳かな雰囲気を崩すわけにはいかない。私は餅とともに声を飲み込んだ。
 懐紙を畳んで懐に入れると、皇が奥の部屋から茶道具を持ってきた。小さな炉の前に座り、それらを並べる。帯から下げていた赤い布を畳み、小さな茶道具を拭く。これぞジャパニーズ! と思うような竹の柄杓でお椀に湯を入れ、茶道の象徴、茶筅をひたす。
 お湯が捨てられ、いよいよ、抹茶の粉が茶碗に入った。お湯を注ぎ、皇が、茶筅を回した。

 華麗……!
 というか、茶をたてる皇、美しすぎないか……!?
 手元だけでも筋だった大きな手が激しく動いている様に色気があるのに、全体をみると、伏目に見える顔の角度も涼やかな座り姿も、皇がいっそう端正に見える。
 やばい。こんな美しい男がたてた茶を体に流し込めるなんて、幸せすぎる――!

 皇が、できた茶を私の前に置いた。茶碗を覗くと、やわらかな緑色の泡がこんもりと立っていて、ひかえめな可愛さを感じた。
 私は皇の母が耳打ちしてくれる通りに動いた。
 一礼し、茶碗を手に取り、「失礼します」と皇に一礼する。
 そして、憧れていた茶碗まわし! 90度に2回回す。ほのかな感動とともに、器に唇をつけた。
 口に入れると、まろやかな泡と思いの外さわやかな抹茶の風味にほわんとした。
 
「結構なお手前で」

 言えた! 憧れていた茶道ワード!
 皇は、ふっとやさしく微笑んだ。
 胸に、ドキュンと何かが突き刺さった。ドクドクと体中が振動する。
 推しの微笑は攻撃力が高すぎる。

 一連の流れが終わった。皇に誘われて、茶をたててみた。思いの外簡単に茶筅を回せて楽しかった。
 
 12時、昼食会場へ向かった。皇と向かい合って座ると、家政婦たちがお膳を二つ持ってきて、私たちの前にそれぞれ置いた。
 こ、これは……ジャパニーズ・懐石料理!

「懐石料理も茶道の一部なんです。今日は茶道体験がメインだったので、母たちが張り切ってつくりました」

 料理はすべてで9つあった。刺身や煮物、焼き魚や一口大のお洒落な料理が少しずつ並んでいる。だか、一つ一つ上質な味で美味しかった。

「お口に合ってよかったです。母たちも喜びます」

「そういえば、お母様はどちらへ?」

「厨房かと。別の場所で食べて、13時にまた合流するとのことです。
 というか、すみません。母が隣にいて、嫌じゃないですか?」

「いえ。大変助かります」

「そうですか……」

 それにしても、一緒に食べるのははじめてじゃないのに――向かい合わせがはじめてだからだろうか、なんだか新鮮な感じがする。美味しい料理を堪能したいのに、扉が開放されていて中庭も観れるのに、目の前の皇から一瞬たりとも目を離したくない。
 もぐもぐと口を動かしながら、見つめ合う。静かな沈黙が続いた。

――と、後ろの襖が開いた。皇の母だ。分厚いアルバムらしきものを三つ抱えている。

「食事はお口に合ってる?」

「とても美味しいです。夢のような日本食です」

「あら。じゃあ、次は一緒につくりましょう!
 ところで、いいもの持ってきたから、食べながら見ない? 秀ちゃんの、小さい頃の写真!」

「この時間は、母さんは来ない予定だったはずだけど」

「だって、なんにも話してないんだもの。キルコさんには楽しんでいってほしいじゃない」

「話すタイミングを探してただけで」
 
「まずはこれだけどね、秀ちゃんが生まれたばかりの頃の写真! はふはふでしょう? ちょっとずつ大きくなってね、ほら、1歳や2歳のとき。この頃は今と違ってニコニコしてたのよ。ほら、可愛いでしょう!」

 満面の笑みの子どもの写真がずらりと並ぶ。
 私は子どもなどに可愛いと言う感情は浮かばない。。
 だが……。

 可愛いぃいいいいいい~~~~っ!
 はふはふの皇、可愛い~~~~っ!! そして尊い!!
 萌え! 萌え! 萌え~~~~っ!!

「喋りはじめたあたりから、なんでなんでってそればっかりだったわぁ。3歳の時から、ペラペラ喋り出してねぇ。どんどん自分の興味のあることに向かっていくようになって、幼稚園の3年間で私たちの知らないいろんなことを知るようになって、それを一生懸命わたしたちに説明するのが可愛くて~!」

 ああ、それは今の皇に少し近いかもしれない! いっそう萌える! かンわいい~っ!
 ページを捲るたびに今の皇に近づいていく。今の皇は黙々とご飯を食べていた。
 入学式の写真のページになった。

「7歳の時ね。小中高大一貫の男子校に入ったの。静かな校風が秀ちゃんに合うと思って。幼稚園でもさっさと課題を終わらせて、のびのびと好きなことを研究しているような子だったし。学校は合ってたわ。だけど……。
 あれは、秋と冬の狭間だったわ。秀ちゃんは、誘拐されてしまったの」

 知っている。引き続き資料で目にした。
 身代金目当てではない。ただ、皇 秀英を殺す――それだけを目的とした誘拐だった。
 そこで、皇は死ぬ運命だった。
 だが、皇は生還した。誰の力も借りず、自分一人の力で。

「あの時は……心配なんてものじゃない。体も心も引き裂かれそうだった。秀ちゃんが死んでしまったら、私も生きていけない……。神様、秀ちゃんを殺すなら私を殺してください。そう思ったわ……」

 皇の母の目から、涙が溢れた。懐から白いハンカチを出し、目元を拭う。

「生きて帰ってきてくれた、かすり傷だらけの秀ちゃんを見て、涙が止まらなくて……。神様に、たくさんたくさん、ありがとうって心の中で言ったわ。もう本当に、2度とあんな、秀ちゃんが死んでしまうかもしれないことになるのは嫌よ……。次にそんなことがあったり、秀ちゃんが死んでしまったりでもしたら、私は世界を壊してやるわ」

「分かったから向こうで泣いて。あと20分しかないから」

「はぁ、塩対応……。ああでも、お化粧直してこなきゃ。ごめんね、キルコさん。また今度、8歳からのことを話させてね。アルバムは好きに見ていいからね」

 皇の母が出ていってすぐ、皇が「すみません」と呟いた。

「母がうるさくてすみません。普段はこんなに干渉してこないのですが……」

「いえ」

 汁椀をことりと置いた皇と、久しぶりに真正面から目が合った。綺麗な顔に、どきりとする。
 はふはふのころの皇が、今、こんなに美しく成長していたら、推したい気持ちも一入かもしれない。
 母親の気持ちにはなれないが、なんだかいっそう、皇の存在が尊く思えた。

***


 13時ぴったりに、「行きましょう」と皇が立ち上がった。
 畳12枚ほどの書道の部屋に連れられた。真ん中にテーブルが置かれ、その周りに座布団が4枚敷いてある。
「どうぞ」と座布団に座るよう促されて座る。
 後ろの襖が開いて、化粧を直した皇の母が現れ、私の隣に座った。
 皇が私の前に黒い布を敷き、筆と墨の入った丸い器を置いた。
 ジャパニーズ・筆……! 私は手に取り、じっと眺めた。緋王様の愛用の筆に似ている。なんだかたちまち欲しくなってきた。推しとお揃いのものが欲しいというオタク心がくすぐられる……!

「何か書きたい字はありますか?」

「そうは言ってもはじめてなんだし、なるべく簡単な字がいいんじゃない?」

「皇で」

「え?」

 推しの名前を書く。それぞ、小さいながらも推し活の基礎基本! 「緋王」も書きたいところだが、今日はせっかくの皇dayなのだから、皇縛りでいこう。

「一字だし、簡単だし、いいアイディア! 秀ちゃん、お手本書いてきて」

 皇は困惑した顔のまま奥の机に正座した。そこは、皇の特等席らしかった。筆に力を込めながら書をしたためる皇の広い背中に、恍惚とした。
 皇が、書き上げた。私の横に置かれた皇の「皇」に、ドキッとした。あまりに均等で美しかったからではない。皇の字がデカデカと……! もはやこれは、サインでは……?

「これ、もらってもいいですか……?」

「こんなものでよければ……。いや、もう少し書いてみます」

「待って! まずは持ち方とか、書き方とか、そういうのを教えてあげて」

「すみません。では、まずは持ち方ですが、右手首を28度ほど曲げ、中指、人差し指を10度ほど曲げで……」

「ああもう! そうじゃなくて、手取り足取りすればいいの!! キルコさん、こう! こう持つ! 姿勢はこう! こぶし一つ分! で、いい? 秀ちゃん。こうやって、手を握って、一緒に書いてあげるの。力加減とかも分かるし、一石二鳥でしょう!?」

「大丈夫です。そこまでしなくても、書けると思います」

 私は、墨で筆を整え、筆先をそっと紙に乗せた。筆の三分の一ほどを紙に沈めて、ゆっくり手首を上げながら下に描く。皇の一番上の点ができた。同じようにして、四角や横線を、手首を回しながら書いていく。

「あら……上手だわ……」

「さすがです」

 当たり前だ。私は神。できないことなどない。

「じゃあ、秀英まで書いちゃう?」

「え?」

「書きます」

「え?」

 困惑する皇に「秀英」を書かせ、私はそれを模して書いた。
 私が遊ぶ間に、皇に、色紙に名前を書いて欲しいとお願いした。皇の色紙サイン……それぞ、最高の推しグッズ!
 
 皇は黙々と自分の名前を練習していた。わたしたちに背を向けたまま、じっと集中していた。

 皇の母がすっと立ち上がった。
 彼女が、懐に指を入れた。黒い羽を出す。そしてそれは、鎌に変わった。
 虚になった彼女の瞳に、皇の背中が映っていた。
 私が渡した鎌の力が皇の隙に反応し、皇の母を操りはじめたのだ。
 彼女が立ち上がった。足音を消しながら、ゆっくりと皇の背後に近づいていく。
 真後ろに立っても、皇は気付かない。
 皇の母が鎌を上げ、勢いよく振り下ろした!

 ――だが。
 鎌は、皇の背中に触れる寸前で止まっていた。
 鎌の切っ先が、震えていた。

「うっ………………うぅ………………っ」

 ぽたり、ぽたりと、彼女の足元に雫が落ちる。
 私の鎌によって、意識も体も操られているはずなのに……。

 ――秀ちゃんが死んでしまったら、私も生きていけない……。
 ――神様、秀ちゃんを殺すなら私を殺してください……。

 彼女の言葉が、脳裏に浮かんだ。
 私は、彼女の後ろから、彼女の手にある鎌を奪った。
 ふっと、彼女の力が抜けた。片手で受け止め、いっしょにゆっくり膝をつく。

「大丈夫ですか」

「あら? 私、どうしたのかしら。なんだか涙も出ているし……。変ね。
 キルコさんが助けてくれたのね。ありがとう、キルコさん」

 皇が、キョトンとした顔で後ろを向いた。

「どうかしましたか?」
 
「大丈夫、なんでもないわ。色紙、書けた?」
 
「こんな感じでどうでしょう」
 
 皇 秀英――。
 
 本人直筆サイン色紙……! かっちりした楷書! 皇って感じ……!
 胸の奥が、ぐっと盛り上がるような気持ちになった。
 両手で恭しく受け取る。と、尊い……。家宝だ……。

「いいじゃない! よかったわね、キルコさん」
 
 天に掲げて、光に透かす。
 キラキラ輝いて見えて、涙が出そうになった。

***


 書道部屋から出ると、皇の母が私に向き直った。
 
「私はここで失礼するわ。なんだか体調がよくないみたいだから……。はしゃぎすぎちゃっただけだと思うけどね。
 ま、あとは若いお二人で、ね。
 でも、お部屋はだめですからね、秀ちゃん!
 どうかまたきてくださいね、キルコさん。次はちゃんと、2人の関係に名前がついていたら嬉しいわ」

 きゅっと、やさしく手を握られる。
 皇の母は廊下の向こうに消えてしまった。

 ……もう、同担仲間には任せまい。
 他の手を考えるとしよう。
 
 最後は、待ちに待った中庭散歩である。
 縁側で草履を履く。
 皇が、すっと手を差し伸べた。

「よければ。歩きなれない履き物で、大変だと思いますので」

 ――くぅ〜〜〜〜っ!!!! かっこいぃ~~~~!
 顔、言葉、手の角度、完璧!!
 何より、皇の手、綺麗すぎる〜〜〜〜!!!!
 いいのか……!? 推しと、手なんかつないで、いいのか……っ!?
 罪悪感の混じる幸福感が胸に渦巻く。
 心臓がキュンキュンして、うまく息ができない!
 だが、こんな最高の機会、掴まなくてはもったいない!
胸を握りながら、私は手を伸ばした。
 皇の大きな手が、ぎこちなく、私の手を包んだ。

 私たちは、歩き出した。一歩一歩、小さな小石の道を踏む。この世界の存在を確かめるように、時間が永く続くように、ゆっくり、やさしく。
 念願の池の近くに来て、私は、感動した。
 ジャパニーズ・錦鯉! 白地に赤のまだら模様がたまらなく日本的! 透き通った水の中で美しく泳ぐ姿に、私は見惚れた。

「エサ、ありますよ」

 手のひらに餌をもらい、ぱっと池に撒く。鯉たちは元気に泳ぎ、餌を奪い合うと、私のところに集まってきて、パクパクと口を開けた。
 なんだろう、この既視感。二のAの男たちか?
 まあ、比べ物にならないくらい錦鯉の方が美しいけれど。

「キルコさん。質問してもいいですか」

「はい。今日はずっと顔を見せてくれていましたから、一つだけですが」

「それだと、足りないかもしれません。追質問がいくつかあるので。質問数を追加していただけませんか」

 条件なんて決めなくても、どんどん質問をすればいいのに。そう思いながら、ただで私の情報を明け渡すような安売りをしたくはないという女神らしい気持ちが湧き上がった。

「では、鯉を集めましょう。より多く鯉を集めた方が勝ち。皇さんが勝ったら、質問数を好きなだけ追加して構いません」

「キルコさんが勝ったら、どうしますか?」

「では後日、また撮影会をお願いします」

「それは、いつでも」

 私はその場にしゃがんだ。皇は私の対局にある、池の上にかかる赤い橋に立った。

「いきます。スタート」

 皇がスマホのタイマーを押した。30秒経ち音が鳴った時点で、多くの鯉を周りに集めていたものの勝ちだ。
 私は念じた。

 ――来なさい。

 吸い込まれるように、池中の錦鯉が私の元に寄ってきた。皇側には1匹もいない。
 神である私の思念に従わない生き物などない。
 ふっ。この勝負、勝ったな。

 ――パンッ。

 高らかな音にはっとする。皇が両手を合わせていた。
 その時だった。鯉たちが一斉に、一目散に、皇のもとに泳いだのだ!

 ――戻りなさい、私の元に!

 そう念じるのに、1匹たりとも戻ってこない。

「申し訳ありません、キル・リ・エルデ様!」
「この音を聞くと、体が勝手にあの男の元に向かうのです!」
「この音を聞いて、餌を食べるまでは、体の自由が効かぬのです!」

 鯉たちの声に、は? と思っていたその時。
 リリリリ、とタイマーが鳴った。
 鯉たちはすべて、皇の方にいた。皇のほうに口を向け、必死にパクパクと口を動かす。皇が餌を撒くと、死に物狂いで餌を食べ、広い池に散っていった。

「条件反射です。音が鳴るとエサがもらえると思い、本能でこちらに寄ってくるようになっていて」

「ずるいです」

「すみません。写真はいつでも撮りますので」

 じっと皇を睨む。
 ……顔がいい。悔しいが、なんでも許せてしまう。

「では、お好きにどうぞ」

「ありがとうございます。では、歩きながらで」

 皇がまた手を差し伸べる。手のひらに触れてぎゅっと握られたら、胸がきゅんとして、たちまちムッとしていた心が消え去った。
 私たちはゆっくりと、赤い橋の上を歩いた。
 
「一つ目です。キルコさんは僕に、好感を持ってくれていますか」

「はい」
 
「よかったです。
 では、僕の顔を好きだと言ってくれますが、それ以外で、気に入ってくれているところはありますか」

「あります。
 言動や表情のギャップ。私の要求に答えるために努力をしてくれるところ。自分より誰かを優先するやさしさ。誠実さや礼儀正しさも。人間的魅力の塊です」

「ありがとうございます……」

 幸福感が満ちた。推し本人に推しの好きなところを語り、感謝を伝えることは、幸せなことなのだと実感する。
 橋の真ん中で、皇は止まった。色とりどりの鯉たちが泳ぐ音を耳にしながら、私は、皇を見上げた。
 何度見ても顔がいい……。

「では、あの時……あの日の帰り道で、キルコさんが、好き、とおっしゃったのは……。
 あれは、どういう『好き』ですか?
 キルコさんにとって、僕は、どういう存在だと定義づけられていますか?」

 この際だから、はっきり言おう。
 私は、立ち止まった。
 私たちは、まっすぐに見つめ合った。

「あなたは、私の推しです」

「…………………………。
 
 …………………………推し?」

「この世界で最も私を萌えさせ、私を幸せにする、私の生きる糧です。あなたは、私の推しです」
 
 皇は、口を開けて固まっていた。
 皇の手からは力が抜けていた。私は、語っているうちに熱が入っていたのか、いつのまにか皇の手を強く握っていた。私が握っていなければ、私たちの手は、するりと解けていただろう。
 そして、しばらく経った時。スマホを手にし、ババっと打ち込んだ。

「……推し。アイドルやキャラクター、俳優など特定の相手について人に勧めたいと思うような好感を抱くこと。また、その相手…………。

 ……違うと、思います」
 
 皇が、目をあげる。
 息が、止まった。
 皇は、本気の顔をしていた。そして、つないでいた手にグッと力を込めると、私の手を、自分の胸元に引き寄せた!

「キルコさんも、様々な検討を通し、この結論に至ったのだとおもいます。ですが、僕は、キルコさんの結論に意義を唱えます。
 キルコさんの僕への気持ちは、推しではありません。
 僕が必ず、証明します」

 手の甲が、皇の熱い胸に触れている。
 皇の体温が、心臓の音が、流れてくる。
 
 こんなに胸がばくばくする相手、推しでなければ、なんと定義づけるというのだ……!
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