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作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
2.― KOGA LIU ―
2.― KOGA LIU ―

 どうして……どうして解ってくれないんだ……猿也、お前だけには……

 黙れよホモ野郎が! 俺の方が優れてる! お前なんかより! 俺の方が!

 腹の底に溜まった息を全て吐き出し、ゆっくりと吸い込んでいく。これ以上はよそう、気を落ち着けるどころか――悪い事を深く、もっと思い出す事になる。
 それでは瞑想の意味がない。両目を開き、カーテンの隙間から差し掛かる鋭い朝日を見つめた。
 五時五十五分。思っていたより長く瞑想していた様だ。夜明け前に始めて夜明け頃に終えるのが日課である。
 組んだ足を解き、畳に身を放る。“里”にいた頃の習慣は中々抜けない。不規則な生活であっても、四時ぐらいには目が覚めてしまう。
 一世紀前なら、俗世に紛れて生活していた各流派の忍者だったが、混乱の世に紛れ、各地に隔離されたコミュニティを形成して生活している。
 それ以降の世代の忍者達は、あらゆる実戦にも耐え得るだけの業と技術こそ持っているが、浮世離れは免れなかった。
 俺もその中の一人で、未だに苦戦している。特に他人との関り合いが、これ程にも難しく煩わしい。一欠けらも共感できない相手の価値観と、何よりも自分の話が出来ないと言うもどかしさ。
 これだけ情報化された世の中で、充分な対策も用意していたのに、いざ実践してみると、人付き合いと言う物がこんなにも複雑な物だったと痛感していた。
 特に最近は、思う所が多い。輝紫桜町に出入りしているせいもある。
 変に意識し過ぎているのもあるが、人間の種類が多過ぎる。人種の坩堝、あやふやな性別。浮ついた顔が溢れるその奥で、鋭く強張った顔がいる。そして常に何かに見られている様な感覚。
 定期的に氷野さんに連絡をするのも憂鬱だった。自分の失言とやらのせいもあるが、普通じゃない性癖を持っていると知ってしまうと、この先どんな顔で会えばいいのか、まともなコミュニケーションだって、ままならないと言うのに。
 それを忘れようと仕事に集中しようとしても、その仕事先が輝紫桜町。悪循環から抜け出せない。鼻持ちならないクソ兄貴の事を思い出し、氷野さん事を考え、混沌と猥雑が混じり合う輝紫桜町。
 起き上がって台所にある炊飯器のスイッチを入れる。流し台の傍に置いている木製ケースから、甲賀の妙薬を一粒、口に含み、水道の水を手の平にすくって一口飲んだ。
 古くから伝わる甲賀流の筋肉増強剤である。化学合成した薬品に匹敵する程の効果を誇るが、こちらの方が身体への負担は少ない。一時間ほどロードワークをこなして朝飯を済まそう。
 部屋のドアを開き、静かに鍵を閉める。壁の薄いオンボロの団地、この時間帯はほとんどがまだ寝ている。つまらない苦情は御免だ。
 氷野さんからは、もう少し小ざっぱりした市営マンションも提案されたが、此処は全体的に和室が多いので、気に入っていた。それに貯金も貯まる。
 便利な物は身に付ける物で充分に足りる。身の回りは、古風な方が落ち着く。 
 今夜もまた、それとは無縁のあの街へ赴く事になる。やはり気が重い。





 役所のつまらない備品管理の日々と、歓楽街で遊びながら情報を掻き集める日々と。どっちが楽しいと問えば、多くの場合は後者になるのだろうけど。俺は相も変わらず、この街の雰囲気に慣れる事が出来なかった。ケバケバしい赤紫の光と、感覚を麻痺させる程の喧騒。いるだけで疲れてくる。
 しかし、そうも言っていられない。この街には確実にお目当ての目標が存在している。“組合”の殺し屋、そしてハッカーのクラッカーインプと言う奴だ。
 数日前の夜、無人となった林組の事務所を探っていた荒神会のヤクザ共。尾行して泳がせてみれば、次々と想定外の事が巻き起こった。
 クラッカーインプの別の姿は、この輝紫桜町で男娼を営むゲテモノだった。
 機会を伺い、ヤクザ共から男娼ハッカーを奪い取り、そいつを詰めようと企んだが、先を越されてしまった。
 荒神会のヤクザ共を強襲し、更に騒ぎに駆け付けた警察のロボットまで加わって混戦状態に陥った。
 その立ち回りを見て、すぐに理解した。“組合”の殺し屋だと。
 手練れとは分かっていたが、圧倒された。武装したヤクザも防弾仕様のロボットもお構いなしで、蹴散らしていった。その正確無比な射撃と身のこなしには見惚れるばかりであった。
 その後、その場を逃走したクラッカーインプの追跡も見事だった。しかし、殺し屋はクラッカーインプを追い詰めた所で、また想定外の事が起こる。
 予定では、俺が間に入って双方を制しようと思っていたが、殺し屋はクラッカーインプを見逃し、その場を去ったのだ。
 一体どんな会話をしていたのか、遠目にもクラッカーインプがよく喋っている様に見えたが、たかが男娼ごときがプロの殺し屋を上手く丸め込んだとでもいうのだろうか。
 それからは、流石の警察も動かざるを得なかったようで、街中大騒ぎになってしまった。俺の出る幕はなかった。
 的を絞り、男娼ハッカーの情報を輝紫桜町で探っている。容姿や雰囲気を訪ねれば意外にあっさりと答えに辿り着いた――輝紫桜町で一番と謡われる“ポルノデーモン”
 男娼なんかを追いかけ回すのは趣味じゃないが、この街ではかなり名の知れた存在らしい。軽く聞き回るだけで、結構な情報が手に入った。この目の前の無料案内所も、その一つだ。如何にもな雰囲気、品のない店構えをしている。
 意を決して店の中に入ると、店内は意外にも落ち着いた雰囲気だった。入口の辺りは飲み屋や飲食店、そして奥に進むにつれて風俗店とそこで働く連中の顔写真がお目見えする。男女問わず色気に富んだ写真の数々、目のやり場に困るキツい空間だった。
 店の更に奥に、ポルノデーモンの写真が他より大きく飾ってあった。悪魔の名に相応しい、ゴシックでグロテスクな額縁には、豪華絢爛な背景の中央で裸同然の男がポーズを決めて写っていた。下には筆記体でポルノデーモンと綴られている。
 その身体は滑らかな曲線で華奢ではあるが、紛れもなく男の身体だった。人気と言われるだけあって、顔立ちは美形と言う表現が一番合う。化粧っけのある目に特徴がある。暗紫色の中でもハッキリした真っ赤な瞳孔の左目。義眼かカラーコンタクトか。男とも女とも違う独特な妖艶さ。
 それにしても、気に食わない表情をしている。薄ら笑を浮かべ、愛想など欠片もなく、挑発的で小生意気に思えた。俺よりも年上だろうが、不相応に思える。
 つくづく理解できない、それに尽きる。

「いらっしゃい。何かお探しのものがあれば……」

 ようやく店員が話しかけてきた。このままポルノデーモンや風俗店の写真を眺めているのも辛い。
 早いところ本題に入ろう。

「綺麗でしょ? ポルノデーモン。もう七年前の写真ですけど、年々、色気が増して、実物はもっとヤバいんですよ。輝紫桜町じゃ伝説のナンタラ、なんて言われたセックスワーカーや、ホストやホステスは星の数ほどですが、ポルノデーモンは群を抜いてハマりますよ。極上の麻薬なんかより遥かに中毒性の高いHOEですから」

 店員の雰囲気からは誇張したり、出来合いの営業トークではない。本心から発している言葉に思えた。
 これが女に向けて言った言葉なら、それなりに受け入れられるが、対象が男なだけに、げんなりする。この店員もよくそこまで言えるものだ。

「あぁ、失礼。そっちは駄目でしたか?」

 神妙な顔持ちで気を遣わせてしまった。本心がつい表情に出てしまったのかも知れない。落ち着け、この男娼に興味がある風を装わねば。

「いや……こいつには会えるのか?」

「生憎、彼はこの街で唯一“フリー”で働いていてましてね。こちからは紹介出来ないんですよ、この街を歩いていれば、会えるかもしれませんよ」

「らしいな、それでも“地獄の沙汰も金次第”ってよく言うだろ?」

 それらしく、マネークリップに留めた札束を、ズボンのポケットから取り出して店員に手渡した。
 街の人間の話によると、ここの無料案内所は金と交渉次第で、店などに所属していない、路上売春をしている連中も呼び出せるそうだ。
 訳有りの多い連中にも仕事の伝や機会を提供する、良心的な案内所だそうだ。

「ああ、なるほど。それでは、あちらにお掛けなって、しばらくお待ちください」

 金を受け取った店員は、店の中央にあるソファに案内し、いそいそと奥の部屋へ入って行った。
 一先ずソファに腰を下ろして待つ事にする。それにしても芝居と言え、まさかこの俺が風俗を利用するとは。フワフワとした妙な緊張を感じる。
 やれやれ、修行や鍛錬では得られない、人生経験とやらが足りてないのだろう。
 氷野さんは多少、羽目を外しても構わないと言っていたが、肝心の俺はこの手の事に全く無関心だった。何が楽しいのか、煩わしさ、面倒臭さしか感じない。
 そう思ってしまうのは、きっと“里”のせいだろう。閉鎖的で隔離された村社会の中で――陰鬱な欲望が猛威を振るっているのだ。
 俺には多分、早過ぎたんだろう。見たくもないものも見て来たし、知りたくもない事も沢山あった。
 溜息が漏れた。この街の下衆な雰囲気は、ガキの頃に味わった嫌な事を思い出させる。
 それもこれも、この数日、ポルノデーモンが悉く俺の尾行をかわすせいだ。殺し屋やヤクザに狙われる立場で、よく売春なんかやれるなと、呆れていたが、恐ろしく勘が鋭く用心深い。この街の裏路地や、裏口の類いを熟知しているのだろう、姿を眩ますのが上手かった。まるで――幾つもの目と耳を持っているかの様だった。
 さっさと終わらせてしまいたい。この街にいると嫌な事ばかり思い出す。
 この案内所を利用するのは、痕跡を残す事になってしまうが、一番確実にポルノデーモンを、クラッカーインプを抑える事が出来る。密室であるホテルにまで連れ込めば、締め上げて好きなだけ情報を絞り出せる。
 それにしても、何時まで待たせるのか、苛立ち始めてたところで、案内所の入口付近が騒がしくなっているのに気付く。
 男が三人、ズカズカと肩を揺らして入って来た。先頭の男と目が合った瞬間に悟った――こいつ等の狙いは俺だと。

「こいつか?」

「間違いないだろう……」

 先頭の男とは既に睨み合っている状態だった。結構ガタイが良い、金髪のツーブロックの髪型に黒のダウンジャケット。チンピラな風体だが、相当喧嘩慣れしている雰囲気があった。
 後ろにいる二人も、近い雰囲気がある。しきりに携帯端末を確認しながら話していた。一体、どんな理由で俺に絡んできているんだ。

「何か用か?」

「まあ、いいから、ちょっと表出ろ……」

 こちらの問いには答えずに、気怠そうに言うと、右腕をグッと掴んで乱暴に立たされる。落ち着け、まだだ、ギリギリまで様子を見ようと、自分の闘争本能に言い聞かせた。
 案内所の店員が姿を見せないところを見ると、こいつ等を呼んだのは、あの店員で間違いないだろう。グルか。
 ポルノデーモンを尋ねる事が、何か不味かったのだろうか、身に覚えのある事なんて、それぐらいしかないが。

「最近、毎日の様に輝紫桜町に来て、コソコソ嗅ぎ回ってんだろ? てめぇ、何処の犬だ?」

 後ろの男も凄んできた。見た目からすると、荒神会の人間ではなさそうだが、何故、そんな事まで知っているんだ。
 この街に来ると、何時も誰かの視線を感じていが、どうやら気のせいではなかったようだ。

「人違いだ、俺は今日、初めて輝紫桜町に来たんだ!」

 この状態では、しらを切っても意味がないは分かっているが、複数を相手に立ち回るなら、段取りは必要だった。その為に時間稼ぎである。
 それにしても解せない。毎日、外から沢山の人間が出入りしてるのに、その中で俺を見つけ出すなんて。
 こうなってしまっては、密偵も隠密もあったものじゃない。ここで騒ぎを起こした時点で相当目立つ。つくづく思う――輝紫桜町は嫌いだ。

「そう、まあそれも、どうでもいいんだわ……」

 男が掴んだ右腕を引っ張り、外へ連れ出そうとするが、俺の身体の軸は既に固定している。微動だしない俺を男が見る。こっちの力が予想外だったのか、面食らった腑抜け面をしていた。
 逆にこっちが男の腕を引っ張り、真っ直ぐに伸びた腕に掌底打ちでへし折る。ジャケットの袖が尖り、折れた骨が腕の肉を突破る。
 激痛に叫ぶのは分かってる。拳で喉を潰し、肘を振り下ろし顎を砕く。髪を掴んで、後ろのソファへ放り、その勢いを活かして後ろの一人に回し蹴りをくらわす。
 最後の一人が背後からヘッドロックを仕掛けて来るが、右腕を首筋に当てて阻止する。後頭部で鼻っ柱を潰すと、すぐにヘッドロックが解ける。右肘で腹部と顔面を潰して振り向く。潰れた顔からボタボタと血が滴っている。逃げる素振りを見せ
たので、すかさず掴み掛って、背負い投げで床へ叩き付け、仕上げに顔を踏み付ける。チンピラ風情が。
 ジャケットのポケットからバンダナを取り出して一先ず口元を隠し、チンピラ共の携帯端末を奪っておく。
 案内所の中と外で、けたたましい警報音が鳴り響く。全く情けない。忍べない忍者など忍者とは呼べないぞ。とんだ失態だ。
 ここから立ち去らねば、出来るだけ一目を避けて街を出なくては。案内所の入り口から、更に数人が入り込んで来る。仲間がいたらしい。
 壁を勢いよく二段蹴り上げて、入口に向かって跳躍する。入り込んで来た連中の頭上で身体を捻って飛び越えて店の外へ飛び出すが、外にもヤバそうなのがズラリと並んでいた。丈の短い真っ黒な特攻服を着込んだ連中が木刀や警棒を持って待ち構えていた。統一感のある出立ち、何処の組織だ。右腕の真っ赤な腕章には自警団と刺繍されていた――コイツ等が“輝紫桜愚連隊”か。
 事前調査で輝紫桜町を根城にする組織を二、三調べたが、自警団紛いの活動をしつつ、どの組織を相手にも中立の立場を守る、暴力組織だった筈だ。
 どうしてこんな奴等に狙われないとならないんだ。これ以上目立つのは不味い、公僕の立場にある物が、こんな所で捕まる訳にはいかない。
 出鱈目に振り上げられる木刀と警棒を躱していくが捌き切れない。堪らず隠し持っていたカランビットナイフを手にして数人を切り付けて、振り回してきた木刀を切り落とす。
 真っ二つになって宙を舞う木刀に怯んだ隙に狭い裏路地に逃げ込む。壁を蹴り上がり、パイプ伝いに行き止まりを乗り越えてひたすら真っ直ぐに突き進んでいく。曲がる引き返すは逃走において相手との距離が縮まらない。理想的な逃走は直進のみ。障害物や行き止まりを無視してひたすら直進した。
 かなり離れた筈だが、息切れを起こすのが早い。思っている以上に精神が動揺している。
 一体何処で間違えた。輝紫桜町に数回訪れただけだぞ。
 林組の事務所に忍び込んだからか、あの夜に何かしくじったのか。ポルノデーモンの事を尋ねたせいか、ただの客として尋ねただけなのに。何故、俺が愚連隊に因縁を付けられないとならないんだ。
 迂闊に表通りには出れない。どことなく表は騒がしい。全方向に気を張り詰めていると、聞き慣れない通知音とバイブレーションがポケットから響く。さっき連中から奪った携帯端末。
 取り出すと真っ赤な画面に黒字で警戒と表示されていた。その下のテキストを読んで愕然とする。
 俺の見た目や背丈、服装の詳細に加えて、セックスワーカーへのストーカー行為、無料案内所での暴力行為、現在逃走中――拳銃所持の疑いまでかかってる。
 更に情報が更新されていく。俺が逃げた方面から予測される裏通りと表通りの警戒図。こんなに速く情報更新されては、逃げても逃げても追いつかれる。一体何なんだ、このアプリは。
 同じアプリを持つ者からの情報も次々に投稿されていき、警戒情報も更新されていく。尋常じゃない速さだ――高性能なAIを使っているらしい。
 逃走経路の予測まで表示され始めて来た。こうなったら、とことんやるしかないようだな。後ろから人の気配を感じる。ガチャガチャと身体をぶつけながら向かっているのだろう。
 この下らない地獄の様な歓楽街から何として逃げ切ってやる。この屈辱、絶対に忘れるものか。
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