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作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
13.― PORNO DEMON ―
13.― PORNO DEMON ―
 あのシャンデリア、何時になったら直すんだろう。何時ものホテルの、何時もの部屋で一通りヤり終わった後に気になるシャンデリアを見つめるルーティーンだ。蠟燭を模したライトが一つ切れたまま、ガラスの装飾も千切れていた。
 久し振りにマシなセックスをした様な気がするな。火照った身体も冷えてきて気怠さを楽しめる余裕。鈍っていく思考を放置する解放感。
 呼吸の乱れも収まり、無意識に吐息が漏れる。このお客はHOEとしては当たりだけど、俺の計画は失敗だった。一石二鳥とは中々いかないな。
 浴室のシャワーの音が止まった。もう少しボケていたかったけど、身体にブチ撒けられたもんをささっと拭いて、ベットブランケットを下半身に被せておく。
 お客が部屋に戻って来た。歳は四十の前半ぐらいだった。あまり遊び慣れた感じではなかった。それもあるのだろう。抱き方が恋人にする様な気遣いと緊張感を始終漂わせていた。多少荒っぽくても構わないぐらいだけど。楽に済んだと思えば、それもいい。
 そう言えば、このお客。会った時はツーブロックで髪を上げていたが、シャワーを浴びて、下ろした感じがどことなく、鉄志と少し似ていた。鉄志はツーブロックに中分け、長めの髪がどことなく影のある雰囲気を醸し出していて、とても様になっていた。
 つい馬鹿な事を想像してしまった。もし、鉄志が客だったら、こんな感じなのかなと。

「綺麗な髪だね」

 覆い被さって来て、シルバーアッシュに染めた髪に触れてきた。これは狙い通りだ。髪型や髪の色を頻繁に弄っていた時期で、似合う雰囲気と組み合わせを分かっていたのが大きい。

「ありがとう……」

 頬に手を添えて、そのまま口付けをしてあげる。終わった後だ、下手に刺激しない程度に舌を絡ませて軽く済ます。
 ベッドブランケットで上手く隠しながら身体を起こし、煙草の箱と買ったばかりのオイルライターに手を伸ばした。

「煙草、吸います?」

「もらうよ」

 煙草に火を着けてやり、ヘッドボードに凭れて自分の煙草にも火を着けた。客が喫煙者なら、先に煙草は吸ってはいけない。と言う先輩から教わった謎のルール。
 どうでもいいと思っていても、習慣は中々抜けない。

「何だか、凄く慣れてるって感じだね。本当に新人さんなの?」

「仕事はね、でも場数は多いから……」

 フィルターの中のカプセルを潰して煙草にハッカを加えて煙を一筋。煙草は気持ちのリセット、シャワーは身体のリセット。そして心を引きずって次へ行く。
 それが何時ものルーティーン。でも今夜はこれで終わりにする。

「結構、遊んでたんだ」

「そうでもないよ」

 ベットに置いてくれた灰皿に煙草を潰し、隣で凭れるお客の方を向く。しっかりこっちを向くまでは、何も話さない。

「お遊びじゃない本気だったら?」

 互いの視線が重なる。含みのある安っぽい言葉に、この目に、そして微笑とも挑発とも思える様なエロい表情ってヤツで、大半の連中は俺に釘付けになる。
 とは言え、ここでポルノデーモンを出し過ぎるのも良くない。あくまでも、今の俺は別人を演じている。遅咲きの新人ウリ専ボーイの体でいなくては。
 でも、中々難しいものだ。事前に設定した人物を演じると言うのは。ポルノムービーに出演していた時は、上手く演じられていたのに。勘が鈍ったかな。

「楽しんでもらえた?」

 返答に困る相手に助け船と言う名の誘導を促す。すると相手から来る返答は、俺の望むものになる。

「ああ、とても良かったよ」

 いいお客だ。こちらの言葉を否定する事もなく。遊び慣れしたタチ特有の自尊心もない、公平な応対。
 満たされた様な表情にも嘘を感じられない。――ちょろいよな。
 あと一言、付け加えれば、思いのままだ。

「嬉しい、また会ってくれる? 高田さん」

 お客の胸に手を添えて、寄り掛かり気味に上目遣いをする。

「敵わないな、君には……」

 完全に落ちたな。お客の心が流れ込んで来る様な感じがした。
 “ナバン”にいた頃、俺を好き勝手に抱いていたボスがよく言っていた、お前は人の心しか見ていないから――素質があると。
 その意味が何なのか、理解する間もなく望んでもない事を沢山仕込まれ、何時の間にか輝紫桜町のポルノデーモンさ。
 理解するのに結構な時間が経ったが、今ならよく分かる。確かに俺には素質があった。
 俺が相手に求めているものは、ただ一つだけ。人を構成してる情報を、まるで一足飛びで答えに辿り着く様な。距離感なんてものもない感覚なんだ。
 とりあえず、今夜はこれで終いだ。本来なら今夜の一回で終わらせてしまいたかったが。もうしばらく、このお客とは関係を続けていった方が、よさそうだ。次に繋げていく為に、心に入り込んでおく。
 ベットから降りて、テーブルに置かれたお客の携帯端末を手に取る。二つ置いてある。一方は、かなり古く使い込まれていて私物だとすぐ分かる。手に取った方の携帯端末は、今月発売されたばかりの最新の端末だった。

「これ、最新だね。中々手に入らないよね……」

「初めは企業が買い占めるからね。そういうの好きなの?」

 在り来りな米国のベストセラーな機種だ。確かに性能は申し分ないが本音を言うと、この機種は嫌いだった。
 例えるなら、オナホールに突っ込んで、自分はその時が来たら、相手を昇天させられるテクニシャンだとかほざく様な、独り善がりな製品の多いメーカーの物だ。

「支給品なんだ、どうりで……」

 たかが携帯と、甘く見ていたところはある。既存のプログラムでは対応しきれなかった。時間も充分にあったのに――悔しいな。
 これ以上、携帯を眺めていても不思議がられるだけか。客の方も調子に乗ってきてる。後ろから俺を抱き寄せて内股に手を這わせようとしてる。嗚呼、ウザい。
 携帯を手渡し、お客の頬を撫でてやる。

「シャワー浴びて、お店に帰らなきゃ。タイムオーバーはサービスしてあげる」

 これじゃ大して何時もと変わらないな、もっとウブな感じにならないと。こんなの新人さんが出せるような雰囲気じゃないだろ。
 一旦、間を置き、このお客とは、また相手する時間を作らないと。我ながら呆れてしまう。何時からこんな人間になってしまったのか。こんな風に仕上がるなんて想像していたか、想像できる訳もないよ。ホント、何やってるんだろうか俺は。





 やはり、異常だ。一企業がここまで徹底したセキュリティとプロテクトを末端にまで行き渡らせているなんて。
 この手の商売で儲けてるクソ企業なんて、この世界には五万といる。だとしても大袈裟だ。
 そうまでして、隠したい秘密。そして流出させる訳にはいかない情報があるって事か。
 こんな考え方は良くないけど、そこまでの価値があるのだろうか。各国から無作為に攫った人々に。そもそも何故、日本に数年も留めているのか。
 人身売買と言う胸糞悪い言葉が付き纏うが、本当の目的は売り買いではないのだろうか。まだ分からない事が多過ぎて推論も立てられない。
 必ず突き止めてやる。大丈夫、鉄志と上手くやっていくだけ。そっちの心配も大丈夫そうだ。
 まだ少しぎこちない所はあるし、変に気を遣い過ぎて逆に偏見を感じるけど、それも仕方ないと堪えている。
 どっか一緒に飲みにでも行けたら、もう少し距離を縮める事が出来るのだろうかと考えると、心が僅かばかり躍ってしまう。
 どうして鉄志の事がこんなにも気になるのか、惹かれる要素なんて、それほどない筈なのに。見えにくい心を探ろうとすればする程、入り込めない事がもどかくて、口惜しくて。

「温くなる前に飲みなよ」

「ん? あぁ、ごめん」

 ブルームーンが注がれたカクテルグラスは汗を流していた。ジンは冷えてる内に飲まないと。
 雑居ビルの地下にある小さなBAR“ETERNAL STAR”。この輝紫桜町に数多くある酒場の中で、一番のお気に入りだ。
 一旦、タスクの優先順位を落として、視界をフルカラーに戻す。綺麗な紫色のカクテルには、三日月型にカットされたレモンピールが浮いていた。
 可愛いけど、うっかり飲みそうになるのが難点だった。 

「何時も思うんだけど、痛くないのか? それ」

 マスターの永星(エボシ)が、コネクターを差し込んだ左腕を指差す。永星には全ては話してはいないが、俺がサイボーグである事はとりあえず話していた。
 確かに最初の頃は痛くないと分かっていても、差し込む時に強張っていた。傍から見れば尚更だ。鉄志もこれをやる時、何となく目を逸らしている。

「初めはね、先っぽだけでも痛かったよ。でも慣れてくると奥まで欲しくなっちゃうもんさ……」

 案の定、きょとんとしていた。永星相手に、この手のからかいは良くないのかも知れないけど。

「ここ笑うとこだよ」

「ああ、なるほどね……ドン引きすればよかった」

 永星はアセクシャルだ。店の扉にもアセクシャルのフラッグを飾って公言している。恋愛感情や性的感情をほとんど抱く事がないらしいが。永星はそれに少々の天然な要素もあった。そう言う所が気に入っている。
 一部周りからは、パンセクシュアルの俺と相性が良くないんじゃないかと言われていたが、不思議と永星とは反りが合った。歳が近いせいもあるのか、とりあえずセックスの話以外なら、大体気が合うし話していて楽しい。
 今年で五年目になるこの店の合わせ木のバーカウンターやレンガ造りの壁も味わいが出てきて、益々落ち着ける空間になっていた。
 気兼ねない永星と、美味い酒。終電も終わった客のいない真夜中。プログラミングをするには最高の環境だ。今回の反省点を踏まえて、色々仕込んでいかないと。
 外を監視する“エイトアイズ”が、このビルの地下を下る人間を捕捉していた。映像を見る限りでは、怪しい感じではなさそうだ。ただの客だろう。
 店のドアが開き、小気味良い振り子ベルが鳴る。永星の独り占めは終わりか。

「あ! いたいた。やっぱり此処だった!」

 振り向くまでもなく、ドカドカと床を歩く音と馬鹿そうな声。春斗だ。一応振り向いてやるが。

「お久し振りです、蓮夢さん!」

 春斗の後ろからひょこッと笑顔を見せたのは、確かに久し振りで意外な相手だった。

「琥蘭(クラン)……」

 腕に刺さってるコネクターをそれとなく外して、補助端末を閉じた。あの二人がいては、とても作業ができない。優先順位を一番下まで落とす。
 琥蘭とはおそらく一年半振りぐらいになるだろうか。本当に久し振りだった。
 長めのマッシュヘアーとゴシックパンクな服はいずれもジェンダーレスで控え目だが印象深く似合っていた。

「いやぁ、今日も忙しかった。それイメチェン?」

「今日だけだよ、帰ったら戻す……」

 すっかり忘れていた。髪の色もそうだったが、左目に付けた偽装用のカラーコンタクトもそのままだった。
 カラーコンタクトを外して、ケースに浸し、手櫛で髪型も大雑把に戻した。同時に、永星の方を見る。不意を突かれた永星はまた視線を逸らして、奥まった厨房の方へ移動する。
 どうやらこのタイミングで春斗がこの店に来たのは、永星の差し金で、春斗が琥蘭を引っ張り出して連れて来た。と言ったところかな。
 何故そんな事をするのか――大体察しは付いてるけど。

「てか、春斗は向こう座れよ。隣は琥蘭がいい」

 春斗は一瞬、ムッとした顔になるが、それを飲み込んで、琥蘭を俺の右側に座らせると、自分は左側に座った。
 正面にはちゃっかり永星が戻って来て立っている。何、この状況。囲まれている、妙な圧を感じた。

「最近、仕事どうなの? 柚月(ユズキ)とは仲良くやってる?」

 圧力に負けず、残りのブルームーンを飲み干して、在りがちな質問を琥蘭に向けた。

「お陰様で楽しくやってます。昼のダンススクールも軌道に乗ったし、柚月の方もボチボチってとこです。試合に負けた時は、アタシがしっかり慰めてますから」

 初めて会ったのは六年前。ナイトクラブの売れっ子ポールダンサーだった。セクシーな胸と尻が踊っている中で、細身で筋肉質な琥蘭は中央で圧倒的な踊りの技術と表現力で客のセクシュアルもジェンダーもお構いなしに魅了していた。俺も一目見た時から――惚れ込んだものだ。
 琥蘭は性別が揺れ動き、変わる事があった。その不思議な個性の中にでも、変わらない確かなもの、強くていじらしい心。それが魅力的で大好きだった。
 そして、同じ時期に柚月とも出会った。当時、自分が何者かと悩んでいた琥蘭の相談によく乗っていた俺と、琥蘭と同じ様にジェンダーの悩みを持っていた柚月と三人でよくつるんでいた。
 輝紫桜町お得意のトラブルが二人に降りかかった時、CrackerImpの初仕事が始まった。この街を相手取って、あらゆる情報にアクセスして、奪い取り、破壊して書き換えて。手の平で転がしてやった。
 二人がガヤガヤと永星に酒とつまみを注文してるついでに、俺もキツめのバーボンを注文した。

「最近、俺等の事避けてますよね? 蓮夢さん」

 春斗が唐突に尋ねて来た。

「別に避けてなんかないよ。ちょっと忙しかっただけさ」

 永星が三人分の酒を差し出す。春斗はきめ細かい泡が沸き立つスタウト、琥蘭は鮮やで透き通った赤いカンパリビア早速、俺はバーボンのダブルを半分ほど流し込んだ、力強くて荒っぽい味わい。香りや余韻なんかも悪くはないが、こういう解かり易くてガツンと来るお酒が好きだった。
 よく分からないのは、そう言う酒が好みと言うと、大半は意外だと言い、イメージと違うと言われる事だった。そういうものなのか。
 
「こういう時、大体“副業”やってますよね?」

「何か問題でも?」

「大有りだろ、ヤクザっぽいのに追われて、ドンパチに巻き込まれてたって噂になってますよ。一体、何やってるんですか?」

 語気を強める春斗を横目に見る。噂が絶えない輝紫桜町。少し目立つだけで直ぐこれだ。その原因の一つが俺の作ったアプリ“ヘルアイズ”のせいもある。とんだ弊害だ。
 情報投稿アプリ“ヘルアイズ”の管理は俺でも出来る様にしてあるが、数分おきに雪崩れ込んで来る膨大なデータを完全に把握するのは不可能だ。特に大事な情報は溢れ返って塞ぎ切れない。

「そうやって蓮夢さんは何時も、自分独りで抱え込んで、危険な事にどんどん深入りして、消耗して潰れてを繰り返して。いい加減、見てられないんだよ」

「春斗……」

「ぶっちゃけ、ハッカーなんて危険な事、止めて欲しいって思ってる」

 腐っても、悪い世界には行かないでくれ。それが春斗の願いだった。両脚を突っ込めば、二度と引き返せなくなるからだ。
 今更じゃないか。この輝紫桜町と言う地獄の様な街で生きていて、堅気も無頼もあったもんじゃない。
 根本的に俺と春斗は生まれも育ちも違い過ぎる。春斗の理屈が正しいのかも知れないが、俺はこの街に流れ着いた時点で――既に罪人だ。

「悪いけど春斗、それは出来ない相談だよ。一度関わった以上、今更、引く訳には行かない。助けたら終いまで。だろ?」

 残りのバーボンを飲み干して、指の間でとっくに消えてしまった煙草を灰皿に押し付けた。
 元々、成り行きで始まったハッカー業に大した意味はない。それでも俺には、これ以上ないってぐらいの最強の環境が脳内に組み込まれているんだ。義手や義足の様な補助や、生きる為の延命装置として使い果たす訳にはいかない。
 これは意地であり、そして――義務だ。

「俺にとってハッカーってスキルは唯一、俺だけの意思で運命を切り開いてきたものなんだ。バカみたいだけど、俺はヒロイックなハッカーである事を誇りたいんだ。だから、立ち止まる訳にはいかない。つまらない意地もあるかも知れない。それでも……」

 七年前、自分が招いた結果だけど、俺は違法サイボーグになった。そして今も変わらず、この輝紫桜町のHOEだ。
 自分がどうあるべきか、何者であるべきなのか、どうすれば満たされる。その答えを求めていないと正気を保てそうになかった。今だった何処かで混乱してる。

「アタシも柚月も蓮夢さんがいなかったら、今頃生きてなかった。だから止めて欲しいって言える立場じゃない。でも……だからこそ、みんな蓮夢さんの助けになりたいって思ってる。辛かったり大変な時は、もっと頼って欲しいんです」

 分かってる。春斗の気持ちも、蒼夢の気持ちも。この場を密かに設けた永星にも。

「全く……そのお気遣いに感動して涙でも流せと? 悪いけど俺は、そんな出来た人間じゃないぜ。知ってるだろ?」

 三人の優しさは充分、心に沁み渡っている。素直に受け取りたかったけど、自分の意地でやってる闘争に巻き込む訳にはいかない――孤独が最良だ。

「知ってる。お前は滅茶苦茶だし、カオスな奴だよ。それでもこの二人も僕も、頼って欲しいって思ってるんだ。お前の心に及ばないって分かっていてもね。その気持ちぐらいは汲んでくれてもいいんじゃないか?」

 永星が料理を持ってきながら、会話に混ざる。春斗は厚切りのベーコン、琥蘭はパスタフリット、俺には柔らか目のジャーキー。
 龍岡の言葉を思い出す、俺は他人の心は敏感に感じ取るのに、自分の心は隠したり、はぐらかしてばかりだ。捻くれてるし、素直じゃないよな。
 でも、頼るって、何をどうすればいいんだろうか。そもそも、自分のやるべき事は自分にしか出来ない事だし、それをどうにか、無い知恵を絞って、四苦八苦しながらやっていくものじゃないのか。
 ガキの頃、俺の周りにいた豚みたいな大人達やクソな父親、役に立たない学校や役所の人間共、何もかも期待するだけ時間の無駄でリスキーでしかなかった。
 そう、俺はずっと――独りだった。
 そう言う性分なんだ、どうしようもない。本来なら、周りから心配されないぐらい、しっかり者であるべきだけど、そんな強さも持ってない。
 鉄志は、強い弱いで考えるべきじゃないと言っていたが、それに代替えできる様な考え方を俺は持っていなかった。

「何言ったって、アンタが簡単に諦める質じゃないのは知ってる。だから俺も何度も言い続けるぜ、無茶するなってな」

 春斗も“ナバン”のHOEだった。俺の安い手は分かっているから、通じない。
 適当にはぐらかす事が出来ない連中。この地獄の大歓楽街で得た大切な人達。こんな世界、こんな自分でも、捨てたもんじゃないなって思える瞬間が時折押し寄せる。
 孤独であるべきなのに、素直に喜べない自分がもどかしい。

「春斗、ありがとう……琥蘭もね」

「マジ、無茶するなよ。さ! 乾杯でもしますか!」

 カウンターを賑わす酒と料理。永星は頼んでもいない、バーボンおかわりを目分量でグラスに注ぐと、冷凍庫から銀細工に包まれたショットグラスを取り出して、テキーラをなみなみと注いだ。上等な銘柄のテキーラだった。

「僕も付き合うよ、どうせ今日はもう客来ないだろうし……」

「おい、テメェで払えよ! なんでまた俺の伝票に書くんだよ!」

 永星はお構いなしに、春斗達の伝票に自分の一杯を書き足した。このやり取りはお決まりだった。時々俺の伝票でもやるから質が悪い。それも必ず高い酒でやる。

「さてと、何に乾杯する? 地獄の住人さん達……」

「あ、久し振りに“アレ”やりません?」

 何でもいいよと言おうとするよりも早く、琥蘭が“アレ”を提案してきた。横目に見る琥蘭の楽しそうな雰囲気を見る限りでは“アレ”と言うのは“アレ”なんだろうな。

「えぇ、ヤダよ、あんなダサいの……」

「そうですか? 結構好きなんだけどなぁ。丁度条件も揃ってるし」

「そう言えばそうだな。パンセクシュアル、アセクシャル、Xジェンダー。そして最強のゲイ!」

 春斗が一人づつ指差して最後に最も得意げに自分を指差した。この流れで琥蘭のに同調されると“アレ”をやる雰囲気になるのに。永星も満更じゃない顔をしているし。
 一体、誰が考えたのか。ずっと昔から輝紫桜町に住んでる人間達だけで広く使われている乾杯の音頭だった。
 条件は輝紫桜町の外に住む者がその場にいない事と、異なるセクシュアルやジェンダーの者が、三人以上いると言う物だった。本当、どうでもいい事だよ。

「最強っている?」琥蘭が春斗に指摘する。 

「当たり前だろ? 俺はガキの頃から、真っ向勝負でゲイやってんだ。天下無双だぞ」

「春斗は一度もセクシュアルを隠した事ないんだよな。鋼鉄のメンタル」

 春斗の十代の頃の話を聞いた時は、軽いショックを受けたものだ。こんな奴が存在するとは、と。
 俺は必死に隠していたクチだった。始まりが虐待と売春だったせいもあるが、自分でも周りとの感覚や雰囲気にズレがあるのは感じていた。それを周囲に悟られない様に身構える最良の選択、それは――孤独だった。

「おうよ! てか、これが俺の普通ですから、ゴチャゴチャいうヤツなんて、嗚呼何か言ってる、何処の星の生物だろう? ぐらいのもんですよ。または徹底的にブチのめす」

 そう、それぞれの普通がある。つまり普通なんてない。それがこの大歓楽街、輝紫桜町の価値観だった。故に、分からぬなら聞け、自ら語れ、そして受け入れよ。
 ワケ有りの人間が、最後に流れ着く掃き溜めだからこそ。この価値観は何よりも尊重され、共有されていた。
 ありとあらゆる複雑な要素を内包した上で成立するシンプルな価値観。あとは死ぬも生きるも自分次第って街。えげつなさと居心地の良さが混ざり合ったクソみたいな街さ。


「じゃあ、締めは蓮夢さんで」

 そうなる気はしていたが、乗り気じゃないって言ってるのに、なんで俺が締めなきゃいけないんだ。
 春斗、琥蘭、永星の順番だろうな。締めの言葉には何種類かあるが、大体はこの街の事を指す言葉なので、俺はそれは使わない。
 この街がなければ俺は生きてないが、かと言って感謝はしないし、好きにはならない。憎みはしないが、嫌いだと思う事は多々ある。
 だから俺が使う言葉は何時も一つだけだった。それがとてもダサい。グラスを掲げる腕が重かった。

「では俺から。セクシュアルに」

「ジェンダーに!」

「ダイバーシティに」

「……パンクな我等に」

「「カンパーイ!!」」

 息抜きのつもりが、妙な飲み会に変わっていた。三人とも裏表のない笑顔で酒を煽っていた。勿論、俺もそれに合わせるけど。
 数年の内に何度かこの街の事を、地獄の様な大歓楽街を、好きになりそうになる瞬間があるんだ。丁度、今の様な時に。俺はそれがたまらなく嫌だった。
 孤独こそが最良と、分かっているのに、触れてしまいたく様な沢山の心に、自分の心までもが流されてしまいそうで、それが恐かった。
 まったく厄介な話さ、独りじゃどうにもできないデカい仕事を抱えて。この街の人情に駆り立てられ、魅力的で危うい相棒と共にタスクを進めていく。
 まだまだこれからだ、必ず海楼商事を攻略してみせる。
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