▼詳細検索を開く
作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
10.― DOUBLE KILLER ―
10.― DOUBLE KILLER ―
 敵の正体を知る事は、己の不足を知れる機会だ。
 傭兵時代に誰かが言った、印象深い言葉が頭を過る。誰が言ったかは、もう覚えていない。
 皮肉な言葉だ。敵を知る事は大切な事だが、同時に勝ち目の薄さを知る事にもなると言う意味だからだ。
 ウィンストン記念図書館の地下エリアは“組合”の人間達が利用する拠点となっている。情報や多少の武器、長期間、身を隠す為の施設も完備されていた。
 その多目的オフィスにあるデスクトップPCには、CrackerImpから手渡された情報が映し出されている。この一連の案件において“組合”は情報ゼロの状況から一気に前進したと言っても過言じゃない。有意義な情報が多く手に入った。そこで、例の言葉が過るのだ。
 敵の正体を知る事は、己の不足を知れる機会だ。
 まさか、ここまで大きな組織が絡んでいたとは、流石に誰も予想していなかったであろうから。

「災難だったな、鉄志」

「秋澄(あきずみ)……」

 河原崎の秘書を務める、秋澄が両手に持った紙コップのコーヒーの一つを、机に置く。
 災難か、確かに最近の俺を表現するなら、それが適切かもしれない。
 オーダー通りの仕事をこなしたのにも関わらず、ついでの様にトラブル処理までやらされた挙句に、そのやり方が荒っぽいと評価を落とされ、慣れない人探しをすれば、ヤクザと警察のオートマタと派手に撃ち合って。追い詰めたハッカーは男娼で、やたらと馴れ馴れしく、調子を崩され流される。この上なく厄介だ。

「ここ最近、大暴れじゃないか。爪と牙が生え変わったかな? 戦場のダブルキラー健在じゃないか」

 元々、爪も牙も生やした覚えもないし、かと言って丸くなったつもりもない。
 とは言え、ここ数年の仕事の中で、この短期間に、これだけの大勢を相手に、大量の弾丸を消費するような案件はなかった。暴れていると言われれば、暴れているのかもしれない。
 秋澄と俺は幼馴染である。俺達が――唯一の生き残りだ。
 傭兵時代に、同じ部隊で作戦に就いていたが、戦場で負傷した秋澄は右腕と右脚を失い、早々にリタイアした。
 それからはデスクワークメインで、情報関係や潜入型の任務でキャリアを積んでいき、今では組合長の河原崎の秘書と言うポジションにまで上り詰めた。
 そう言う器用さと幸運は時々、羨ましく思う。

「でも気を付けろよ、鉄志。輝紫桜町は特殊な、言わば別世界だ。昔は“ナバン”の独壇場だったが、今はあらゆる組織が独自のネットワークを共有し合って限りなく一枚岩の状態らしい。下手に目を付けられると“組合”と言えども対処が難しいぞ」

 輝紫桜町そのものが、一つの勢力。秋澄の言い振りからは、そう受け取れた。
 もう随分と無法地帯のまま、放置されてきた街だが、それが今だにまかり通るのも、確かに不自然な話だ。裏社会の様々な組織が根城としていて、トラブルがない方がおかしい。
 それが外に漏れないのは、街の中で完結できていると言う事か。あの街が何かと“地獄”と比喩され理由が多すぎる。
 不意にCrackerImpの事が頭を過る。そんな異様な別世界で、名の知れた男娼でありながら腕利きのハッカー。
 どんな理由があるにせよ、ヤツもまた、真っ当には程遠い――はぐれ者だ。

「ところで鉄志、サイボーグはどうだった?」

「どうって、何がだ?」

「最新式のサイボーグと戦ったんだろ? 機械部分の挙動とかどうだったのか、お前に会ったら、聞いておきたかったんだ」

 秋澄は近くにあった椅子を傍に置いて、食い付いてきた。戦闘型のサイボーグなど、特別珍しくもないのに。
 それとも、自分の手足よりも最新のパーツに興味でもあるのだろうか。今更、現場復帰を考えているとも思えないが。

「生身の腕と変わりない滑らかな動きだった。お前もそうすればいいじゃないか」

「残念ながら、俺のインプラント適合率は四〇パーセント未満で、神経や小脳へのインプラントは出来ないんだ……。この腕と脚も、筋肉の動きを外部デバイスが読み取って補正してるだけ、義手と義足の域を出ない物だ。僅かだが反応に遅れがある、慣れる為のリハビリは本当に苦労したよ」

 スーツの内ポケットから携帯端末の様なデバイスを取り出して見せた。その類いの物を身体に埋め込む事に、適合率と言う条件があったとは。
 秋澄とはそれなりに付き合いは長いが、彼がサイボーグではなく、義手と義足だった事は今知った。普段の振る舞いからは、何一つ違和感を感じていなかっただけに、内心驚いていた。

「大変だったな。サイボーグに適合率なんてものがあったのか」

「ほとんどの人間が、三〇から五〇パーセント内だそうだ。その範囲内で、どれだけサイボーグ化できるかを、世界中が競い合っている。稀に八〇パーセントを超える者もいるらしいが、そういう連中のほどんどは、無茶な試作品の餌食になっているなんて、えげつない話もある」

 容易に想像がつく酷い話だ。マッドサイエンスそのものじゃないか。
 林組の事務所で戦った様なサイボーグ達も、自分の適合率に合わせてアップグレードし続けていくのだろうか。――ゾッとする。

「お互い、戦場を離れられたのは正解だな。サイボーグなんて化物、生身で相手するもんじゃない」

 それでも、戦場から裏社会へ降りて来た印象はある。世の中に適合条件を満たす人間がどれほどいるのかは分からないが、今後の事を考えると、何か対処法を見つけておかないと。四六時中、ショットガンを持ち歩く訳にもいかない。

「夜の街で男娼を営み、時として凄腕のハッカーか……不思議な男だな」

 物思いにふける様に、秋澄が呟いた。確かに不思議だ、裏社会を相手取れるだけのスキルを持ったハッカーなのに、身体を売って生計を立てているなんて。
 尤も、赤の他人の事情に深入りする気もないが。所詮――輝紫桜町の貧乏人だ。

「ヤク中のイカれた男娼だよ。男だか女だか、あやふやな雰囲気で気色悪く色目を向けて来る……」

「でもポルノデーモンなんて言えば、あの街一番のべっぴんだって言うぞ」

 いやにあの男の事を評価するな。男にべっぴんなんて言葉を使うのもどうなんだ。まさか秋澄はと過るが、それはないか。任務地で娼婦と遊んでる秋澄を何度か見た事がある。
 若かったな、あの頃は。戦場から離れる僅か時には、どいつもコイツも女遊びに興じてバカ騒ぎばかりしていた――堕落だ。
 あの街にも同じ雰囲気がある。欲ボケした顔で道行く者も含めて、好きになれない所だった。

「男のクセに男に抱かれる、ただの変態だ……」

 昔を思い出すなら、良かった時だけに出来れば楽なのにな。
 軽い溜息を漏らしていると、秋澄が怪訝そうに見ている秋澄と目が合う。僅かに睨まれている様な気配もあった。

「鉄志って、もしかしてホモフォビアか?」

「何?」

「同性愛差別者かって聞いてんだよ」

 極端な奴だな。だったら何だと言い返したくもなるが、差別主義者なのかと聞かれて、そうだとも答える訳もないだろ。月並みの感覚じゃないかと思うが。

「別に差別する程じゃないが」

「なら、そういう言い方はやめろ。良くない……」

 御尤もだな。秋澄が意外にその手の事に敏感なタイプだったとは。長い付き合いでも分からない事がある物だ。
 了解と敬礼して見せる。考えてみれば“その類”の人間とあれだけ関わり、会話する事は今までなかった。既存の価値観では偏見が強いのかも知れない――どうでもいい事だが。

「おっと、組合長からだ、書斎へ」

「やっとか……」

 秋澄の携帯端末が震える。デスクトップの電源を落とし、CrackerImpのメモリーを取り外し。腰を上げる。
 メモリーの内容は既に報告済みだが、このメモリーは河原崎から返された。お前も目を通しておけ、と言う意味だった。予想していたが、俺はまだこの一件から降りれない。
 CrackerImpから手に入れた情報から、林組が裏切ると言う明白な理由を見出した事で、俺の行動は正当性があり、潰された面子はとりあえず回復できそうだったが、ここまで関わると引き継ぎよりも継続が合理的だった。
 今日、河原崎に呼び出されたのも、そのオーダーを正式に受け取る為なんだろうと、予想できていた。
 多目的オフィスを出て、秋澄と共にエレベーターに乗り込んで、河原崎の書斎に向かう。急な来客か、今日は珍しく待たされていた。
 書斎の扉を秋澄がノックすると、古めかしい扉には似合わない電子ロックの解除音が聞こえ扉が開いた。書斎は一面が本棚に囲まれ、ローズウッド調のアンティークな家具で統一し、落ち着きのある空間になっているが、窓のない部屋は俺にとっては息苦しく、重々しい印象だ。屋上に設けてある商談スペースの方が好きだった。
 正面の机の前に立つ河原崎はいやに神妙な表情を浮かべている上に、後ろには中国の“組合”から派遣された補佐役――ワン・ルオシーまでいた。
 相変わらず目付きの悪い女だ。河原崎と立場以上に親しい俺をルオシーは毛嫌いしている。

「久し振りだな、鉄志」

 声の先には、革張りのソファに腰かける男が一人いた。がっしりした肩幅、アッシュブロンドの髪。多少癖を感じる日本語。
 どこか聞き覚えのある声だった。それも、かなり昔にだ。男がソファから立ち上がる。こちらを振り向いたその顔を見た瞬間に、瓶から溢れる炭酸水の様に、記憶が一気に溢れ出した。

「イワン……。イワン・フランコ」

 何年振りだろうか、おそらく十三年ぐらいだ。米国の“組合”に属する傭兵。あの頃、イワンのいた部隊と俺のいた部隊がやたらと組まされていた。お互い、分隊長の役割で北米方面での作戦に従事していた。
 その当時の事で、この男も含めて思い出すものに――良いものはない。

「まだ生きてたんだな。くたばったのは右腕だけか……」

 十三年前のイワンとの違い。それは右肩から腕全てがサイボーグ化されていた部分だ。林組の用心棒とは形状が違う。左腕よりも少し大きく、真っ黒なカーボン素材を覆う様に、チタン合金と思われるシルバーのフレームが付いている。見た目には洗練され力強いデザインだった。

「くたばった? 相変わらず下手なジョークだな鉄志、これは、パワーだよ」

 鼻持ちならない。林組にいた用心棒もそうだったが、どことなく、自慢気に見せ付けて来る。パワーがある事は認める。しかし、俺の中では秋澄には悪いが、義手と同じで補う物と言うイメージが強かった。
 それとも、実際それを身に着けると、こんな優越感を抱けるものなのだろうか。
 数週間程前から“組合”の傭兵が日本に入ってきているのは知っていた。安田に大量発注があったのも、連中の為だろう。
 組合長の河原崎と会っていると言う事は、その部隊の指揮はイワンと言ったところか。コイツも出世したらしい。

「紹介する必要はなさそうだな。まずはご苦労様だったな、鉄志」

「これで終わりって事じゃないんだろ?」

 横目にイワンを睨みながら河原崎に言った。その後、河原崎が何を言うのかは分かっていた。憂鬱になる。
 荒神会が、ただのヤクザ組織ではないと思っていたが、外から傭兵を呼ぶ程の事なのか。
 兼ねてから気になっていた事だ。一体ここで何が起きているのか“組合”は何を企んでいるのだろうか。

「鉄志、今後はイワン主導の元で引き続き調査してもらいたい。例の企業と他国の組織との繋がりや流通ルート“組合”のお偉方が知りたがっているそうだ」

 この部屋に入って、河原崎の雰囲気と、イワンの態度を見て、大体の察しは付いていた。
 始めは林組との下らないギャラの揉め事だったのに、CrackerImpから手に入れた情報で一気に飛躍したな。
 日本の“組合”は、まだまだ歴史が浅い。今だに欧米、欧州、中東等の“組合”の支援で成り立っていて、肩を並べるレベルではない。
 粋がってみても、昔から変わらず、この島国は大陸の影響には頭が上がらない。
 イワンも“組合”の中では、かなり名の知れた男だ。優秀な兵士で、特に白兵戦においては、無敵と謳われている。
 河原崎の言う、お偉方の橋渡しがイワンの役割。俺と河原崎に任せずに、急に入り込んで来て、仕切って来るとは、余程の案件らしい。
 日本の“組合”は結局のところ下請け。この件を“組合”の望む結末に導けたとしても、手柄は全てイワンの物になるのか。
 秋澄がいやにこの一件に突っ込んでいたのも、イワンの圧か。一言でも相談してくれればいいものを。それとも俺の立場――レベルには話せなかったとでも言うのか。
 イワン・フランコ。戦場でもそうだったが、コイツとは対等な様で対等ではなかった。
 日本の“組合”の立場もあり、俺達の部隊は基本的にイワン達の指示を受ける側になっていた。
 無茶な斥候や囮役を押し付けられ、仲間も数人失った。

「納得出来ませんね……この案件は俺達の物だ。途中から割り込んで来て、とやかく言われる筋合いはない。それも貴様の様な人を消耗品にする奴の指示で……」

 見たくもない目を睨み付ける。イワンが現れたのは予想外だったが、大した事はない。俺のやる事は何ら変わらない。冷静だよ、殺意も行くとこまで行き着くと、驚く程に冷静だ。
 胸糞悪い昔の記憶が頭の中で噴き出して、グラグラと揺らぎ、吐き気すら覚えているのに、不思議と冷静なのだ。

「貴様、立場をまるで理解していないな。亡国の傭兵崩れが少々の功労如きでいい気になるなよ! 我等は新月の闇、厳正なる掟と忠誠を以て粛々と実行するだけだ。野垂れ死にする筈だった命を拾われた恩を忘れるな」

 ルオシーめ、今更な話をして俺と河原崎の間に割り込んでくる。コイツは何時もそうだ。これでは河原崎と目を合わせる事も出来ない――もう此処にいる必要はない。
 しかし、部屋を出ようとすると、今度はイワンが立ちはだかった。これは、いよいよ自制心が崩れていきそうな予感がしてきた。グツグツと胸の裏側から込み上げて来る。

「相変わらずだな、鉄志。そうだ、俺達は消耗品だ……それに気付けなかった奴、考えもなく抗う奴から消費されていく。お前は“堕落”しなかった。ここで選択を誤るな」

 俺達のせいだと言うのか、俺のせいだと言うのか。
 確かに堕落していた。戦場の異常な緊張感と恐怖、終わりの見えない毎日。みんなが僅かばかりの逃げ場を求めていた。何時しか歯止めが利かなくなった。俺は、止める事が出来なかった。
 不味い、息が詰まりそうだ。この部屋を出ないと。醜態を曝す事になるぞ。

「どけよ、ブチ殺すぞ……」

 絞り出す様にガキ臭い言葉と睨み。自制している本質が漏れる――情けない。
 
「鉄志……」

「本音を言っただけだ、実行する訳じゃない。詳細は携帯にでも送ってくれ。定期報告は三日に一度だ、催促の連絡はするな」

 秋澄が俺の名を呼ぶと同時に、ヒリ付いた雰囲気を笑い飛ばして、イワンに要点を伝えた。視線はイワンから外さない。
 そして避けて部屋を出る気もない。何時間かかろうが、イワンがどくまで俺は部屋を出ない。
 それを察したか、イワンは身体を逸らして道を譲る。

「二日に一度だ。四日に一度、直接報告に来い」

 大人しく引き下がる訳もなく、イワンは背後から力関係を示してきた。何も言わずに部屋を出る。
 頭の中で仲間達の堕落した姿が浮かび上がる。アルコール漬け、ドラッグにセックス、最後には――空っぽになった。
 眩暈にフラついて壁に寄り掛かると、一気に力が抜けた。体勢を直そうにも身体が言う事を利かなかった。俺の頭がどうかしてるのか、思い出してるのかフラッシュバックなのかすらも分からない。
 スーツのポケットから、効いているのかどうかも分からない、錠剤を一つ取り出し、口に放り込んだ。忘れたい、忘れてはいけない。早く過ぎ去ってくれ。





 薬が効いてると認識できるのは、何時も副作用だけだな。猛烈な眠気に襲われている。
 あれからなんとか、車まで辿り着き、落ち着くのを待っていた。車の中で数時間やり過ごして、ようやく運転できるようなった頃には日も暮れていた。
 発作の様に所構わずフラッシュバックを起こす様になったのは、去年ぐらいからだった。手の震えも酷くなってきてる。
 心的外傷後ストレス障害。そうハッキリと診断されたのは、三十を過ぎた頃だった。元々その気がある事は、二十代後半の頃ぐらいから分かっていたけど。だからって、どうする事も出来なかった。
 撃ち殺すか、撃ち殺されるか。俺の人生にはそれしかない。年々、自分が不利になって行くだけの事だ。
 どうしようもない。これが自分で選んだ道、軽率に楽な道を選んだ結果なのだ。
 イワンは初めて会った時よりも、また一回り体格が大きくなっていた。腕を失っても、戦場で戦い続けている。兵士ではなく、戦士と呼ぶに相応しい出で立ちだった。迷いや葛藤など微塵も存在しない、圧倒的な自尊の心を俺に見せ付けて来た。
 同い年なのに、随分な差がついてしまった。一方の俺は、本質的にあの頃と変わってない。イワンに食って掛かる、亜細亜のクソガキのままだった。
 一気に噴き出してしまった、様々な感情がない交ぜになった溜息を一つ、車のエンジンを止めて、外へ出た。
 もう、現状を考えるのはよそう。考えたところで良くなるとも思えない。今の状況下で出来る事と、やるべき事に集中した方がいい。
 高層ビル前の広場は、帰宅者で賑わっていた。近くの駅へ続く地下通路の出入口に人々が吸い寄せられている。さて、何処から着手するべきか。
 個人を標的に身辺調査、追跡するのとは訳が違う。標的は組織だ、狙うのはその中、一点の情報と言う事になるが、的が多い。的絞りだけでも容易い事ではない。
 本来なら、畑違いな仕事だ。一体どのタイミングで拒めばよかったのか。なし崩しのまま、ここまで来てもう引き返す事は出来ない。
 この手のリサーチを得意とする者の手助けが必要だろう。俺一人では効率が悪過ぎる。日本の“組合”内のツテを頼るしかないが、適任と言える者がいるかどうか。
 広場の中央辺りで立ち止まり、内ポケットにある煙草を取り出し、火を着けた。
 目の前には三十階建ての高層ビルが堂々とそびえ立っている。このアクアセンタービルを所有するのは、日本でトップクラスの貿易企業――海楼商事。
 現存する日本の港で手広く事業を展開している大企業が、世界中の犯罪組織と繋がって人身売買に手を出していたとは。
 表社会では絶大な影響力を持っているが、果たして裏社会においては、どれほどのものか。“組合”のネットワークでも把握されてなかった。
 強大故に、巧妙に隠れていたのだろう。小規模で知るに値しないと言う線もあるが、異様に執着する他国の“組合”の雰囲気から、それは在り得ないだろう。
 日本に戻り、殺し屋になってからは、何時も多勢に無勢の状況だった。一度に武装した数十人を相手にする事も、ざらにあった。しかし、今回は余りにも規模が大き過ぎる。これだけの大企業なんだ、手下がヤクザだけなんて事は絶対にない。
 どう考えても、殺し屋一人でどうにか出来るレベルなんかじゃない。
 気が滅入る。咥え煙草から煙を吐き出し、アクアセンタービルを見上げる。そう言えば、一人の殺し屋には荷が重いと言うのなら、一人のハッカーならば、どうなのだろうかと、不意に奴の姿が頭を過った。CrackerImp。
 奴は早い段階から黒幕が海桜商事だと突き止めていた訳だが、どうするつもりなのか。
 あの夜、奴の言い振りでは、まだこの件に関わり続けると言っていた。今、この瞬間にもパソコンのモニターと睨み合っているのだろうか。歓楽街で男相手に、色目を使っている可能性もあるが。
 “俺達はもう、同じ方向を向いてしまってる”あの時の、CrackerImpの言葉を思い返す。その時は何を言っているか、全く関心はなかったが、今になれば、よく理解できた。
 黒幕は海桜商事。そして全ての情報が、答えが集約されているのが、このアクアセンタービルだ。
 まさに、同じ方向を向いていまった様だ。そして、その先に続いた言葉も既に思い返していた。
 “案外、横を向いたら傍に居たりして”そんな事をほざいていたな。全く、大した伏線だよ。数秒前から視線を感じていた先、右側に視線を移した。

「言ったろ? 同じ方向を向いてるって。また会ったね、殺し屋さん」
Twitter