残酷な描写あり
R-15
3.― DOUBLE KILLER ―
3.― DOUBLE KILLER ―
左手の甲にはらりと落ちた、ほとんど吸われる事なく灰になった煙草の感触で我に返る。慢性的な不眠症、日増しにぼうとしてる時間が増えた気がする。年齢的な衰えなのかも知れない。二十代の頃はそれほど苦にも思ってなかったが。
ソファに深く沈み込んだまま、隣に置いた灰皿に吸い殻を捨て、二本目に火を着けた。自分でも信じられないくらい何も感じない。退屈とも思わないし、かと言って何かしたいと言う気も起きない。何時からこうなったのだろうか。
二十七で日本に戻ってきてからか、歳を重ねる毎に思い出すのは昔の事ばかり。
日本を出て、世界を巡った――世界中の戦場を。
巻き上がる砂埃、飛び散る泥水、漂う硝煙の匂い。そして言葉も分からない人々の殺意や恐怖の表情は今でも鮮明に覚えいる。それなのに、身近で共に戦ってきた戦友達との日々は年々ぼやけてきて、表情すらも曖昧になっていく。
思い出よりもフラッシュバックの方が勝ると言うのは、なんともやるせない。咥え煙草のまま煙を天井へ、溜息と共に吐き出した。
此処の暮らしは決して悪くないし、収入も戦場にいた頃より良い。お陰で一人では有り余る様な広い部屋で暮らし、昔から好きだったクラシックなスポーツカーだって手に入れた。何時も身体中をザラザラした砂が入り込む砂漠や、蒸し暑くて泥草が肌に張り付くジャングルなんかより、よっぽど良い。しかし、その差に始終、違和感が纏わり付いて今もリアルな感覚を持てないでいる、何年経っても抜け出せない。暮らしや物に満たされても、虚しさは消えない。
ガラス張りのテーブルから不快な振動音が響く。俺の携帯に入って来るメッセージは一つしかない。仕事のようだ。
此処で腐っているよりは、よっぽどマシか。だから俺は今でも此処にいるのだろう。テーブルに散らばった錠剤を飲み込んだ。――醜態は命取りだ。
都会のエリアを離れ、しばらくすると周囲は山に囲まれる。建物の密集率も下がり、人工的なケバケバしい色の間に、自然の枯草色を下地にした深緑が立ち並ぶ。
徐々にその色達の比率は増していき、平坦だった道も角度を上げていった。
十代の頃はそんな山間の景色など興味もなかったが、日本を離れてからは、そんな自然の形や色合いが、意外にも自分にしっくりとしている事に驚いたものだ。
亜細亜、欧州、中東、自然の風景は何処にでも存在しているが、日本のそれとは違うのだ。当然の事かもしれないが、自分が日本人であり、日本が故郷だと認識できる。何もかもが小さいただの島国に過ぎないが、その光景を見て、ありがたみに似た様なものを感じれるのは、悪くない気分だった。
車の方も快調だ、うるさいぐらいのダイレクトなエンジン音がいい。軽快に山道を走らせるが、昨日の夜に降った雨のせいで、少々ハンドルを取られてしまう。しかし、それ以上に気になるのは車を洗ったばかりだと言う事だ。タイミングが悪かったな。
そんな事を思っている間に目的地が見えてきた。――ウィンストン記念図書館。
親日家である欧米の資産家が建てた図書館。と、表向きはそうなっているが、実際は俺の属している組織が日本で最初に進出した拠点である。此処に設立されてから、じき半世紀になろうとする。
車を駐車場に止めて、図書館へ向かう。図書館と周囲の緑は雨粒に輝いていた。
対面を男女の学生達が、楽しそうに話しながら歩いて来る。山間にある図書館だが、間隔短く頻繁にシャトルバスを走らせていた。学生証があれば有料コンテンツも無料で利用できるそうだ。歳は十四、五の辺りか、丁度、俺がこの組織に入った頃だ。
国のほとんどが機能していない、荒廃と格差が目に見えて分かる中で、此処は数少ない文明的な空間と言えるだろう。とは言えドップリと裏社会が絡んだ物騒な処でもあるが。
図書館に入ると、五階建ての膨大な書庫が視界に広がり、壮大で解放感があるロビーがお目見えする。携帯のメッセージの主は、何時も通りなら屋上にでもいるだろう。
本来ならロビーの職員に話すのが決まりだが、俺はそれなりに信用されている。顔パスで館内へ進み、職員用のエレベーターのボタンを押す。屋上で止まっていたエレベーターが下りてきて、扉が開くと、知った顔が乗っていた。その相手も俺を見て驚いた様子だった。
「安田じゃないか、どうしたんだ? こんな所で」
「鉄志さんの方は、また仕事ですか?」
この辺では老舗に当たる銃器店を営んでいる若頭の安田は、相変わらず野暮ったい容姿に経営者らしからぬ無精ひげと丸眼鏡で、ヘラヘラとしていた。
「どうかな? 正確には前の仕事も終わってない。で、お前は?」
「組合長様より大量注文を頂きまして」
安田は嬉しそうに話す。流石は悪名名高い“安田工業”の三代目――偽銃拡散事件の火付け役の一族。
俺のいる、この組織との信頼も厚い。実際、俺も安田の店には、かなり世話になっていた。
今の日本はセミオートの拳銃ぐらいなら、簡単な登録手続きだけで購入できるようになってる。太平洋戦争以降の武器と軍を捨て、平和を貫いてきた筈の日本も、ウイルスパンデミックによる経済崩壊によって、保証も将来も消えてしまえば、人間の醜い本性だけが残る。
それに対抗できるのは、個人が手にする武器のみ、日本人も身を守る為に武器を持たざるを得ない環境に激変した。更に関東を壊滅させた大震災が、それを加速させる。無政府状態で各自治体が独自政策を断行せざるを得ない状態で、海外からは支援の名目であらゆる組織や企業が利権を貪りに雪崩れ込み、治安はさらに悪化した。
そこに目を付けたのが、全国の小さな町工場や、辛うじて生き残っていた中小企業達だった。
武器を持って自衛しないとならない。誰もそう覚悟を決めていたその需要を狙い、全国で銃火器の密造が盛んに行われるようなったのだ。
限られた情報を元に、手探りの試行錯誤を繰り返した末に、古い型のコピー品ながら高品質な、通称“偽銃”が誕生した。
その売り方も大胆不敵だった。始めは安く、市民や各地で結成されていた自警団へ提供して、犯罪組織に対抗させた。
警察もほとんどのエリアでキャパオーバーを起こしていて、一市民の拳銃所持や、製造元の摘発もままならない状態だったと言う。寧ろ、警察組織も秘密裏に偽銃を手に入れ武装化していた。
日本のガンスミス達は自衛精神の高い者達へ武器を提供し続け、何時しか日本は、いや日本人は欧米に似た自衛精神を獲得し、既存の法律や認識を超えて行動する者が増えていった。
それから数年の間で、日本政府も張りぼてに過ぎないが新体制となり、銃刀法を始めとするその手の法律を緩くしていった。せざるを得なかったと言うべきか。
安田の祖父の代が、その偽銃拡散事件の中心メンバーだった。
「これから全国、彼方此方を工面してかき集めるって訳です」
安田のネットワーク。正確には安田の一族が築き上げたネットワークだが、全国のガンスミス達から製造した偽銃を一か所に集める。安田の経営してる店も、多種多様な偽銃を取り揃えているが、それでも足りないと言うのか。
「羽振りがいいじゃないか」
「お陰様で、でも結構な量で……軍隊でも呼ぶんスかね?」
安田は手にしたバインダーを見ながら、頭を搔き毟る。軍隊、確かにそんな印象を感じた。安田の店の在庫で足りないと言うのなら、おそらくは同じ型の装備で統一して、まとまった数を用意したいのだろう。
あまり深入りするつもりはないが、組織は何を企んでいるのだろうか。
「それじゃ、俺はこれで」
安田はそそくさと、手にしていたバインダーを眺めながら、その場を後にした。
アンティークな装飾が施されたエレベーターは古い見た目に反して、振動もなくスムーズに屋上へ辿り着く。
エレベーターの扉が開き、図書館の屋上からは雨上がりの澄んだ青空と、淀んだ街が視界を埋め尽くす。その側面から感じる静かな視線に目をやると、高級感が漂うダブルブレストを着こなした、河原崎(かわらざき)が手を組んで待ち構えている。
俺が十五の頃から世話になっている組織、世界各国の表から裏社会まで重宝されてきた、その道のプロを育生し、人材として斡旋する組織――通称“組合”
河原崎はその組合の組合長の一人として、日本を任されている男だった。
「久し振りだな、鉄志」
「そっちも元気そうで……」
久し振りの再開を握手で済ませた。河原崎に直接会うのは、一年半振りぐらいだろうか。
俺がこの組織に身を寄せたのは十五の時、その頃から河原崎とはもう二十年以上の付き合いだ。
傭兵部隊に配属される為の見習い兵士が、俺の始まりだった。そんなちっぽけな俺の様な者達にでも、河原崎は裏表なく接してくれた。厳格だが、頼れる大人だった。
傭兵を辞めて別の道を模索していた時も、河原崎が相談に乗ってくれて、根回しをしてくれた。
日本に戻ってからは、河原崎とは変わらず良き理解者であり、良き友人だ。
“組合”と言う組織は、世界中に点在している。俺の様な行き場のない者達の人生を担保に所謂、特殊技能を仕込んで、その傘下で活動させる。
本当はセキュリティ系の楽な仕事が欲しかったが、俺の実力では釣り合わず、殺し屋稼業に落ち着いている。
図書館の屋上は、河原崎と“組合”の関係者のみが利用できる商談スペースの様になっている。
大理石を敷き、透明度の高いガラス張りの屋根の下には、毛皮調の絨毯に、革張りの黒いソファと、黒い石造りのテーブルが配置されている。俺は河原崎の手招きに従い、ソファへ腰を下ろした。
「前回の仕事の報酬が未払いのままだ、何かトラブルでも?」
河原崎が俺を呼んだ理由は察しが付いていたので、俺の方から話を切り出した。
この街で最も勢力がある荒神会と、それとは比べ物にならない程小さな林組。ヤクザ共のいざこざの代理が仕事だった。
俺の仕事は標的を仕留める。ただそれだけで、仕留める理由を考える必要はないが、荒神会の幹部なんかを殺して、ケンカを売るには、林組は小規模で無謀な事をしている様にも思えた。
「催促に使いを送ったが、その使いも今、行方不明だ」
「穏やかじゃないな」
殺し屋の報酬は前金なしの完全後払い。失敗のリスクもあるからだ。しかし、林組のヤクザと言えど、“組合”がどんな組織かは分かっている筈だ。荒神会どころか、“組合”は軍隊だって持ってる。踏み倒すなんて、馬鹿な真似をするとも思えないが。
「今度は俺を使いに?」
「林組には三日猶予を与えている、やるだけ無駄だろうが、催促して応じないようなら……」
何故、俺がケツ持ちなんかと不満もあるが、此処で揉めるのも野暮だ。
小さいとは言え、ヤクザの事務所だ。弾は多めに用意すべきか。輝柴桜町のケチなヤクザぐらい相手じゃないが、こういう時に常々思う――ツーマンセルで行動できる者が欲しいと。
傭兵時代は常に団体行動の中で生きてきた。今の仕事も十年を超えたが、単独行動の不効率さは好きになれない。かと言って俺と釣り合える様な相手と言うのを見つけるのも難しいが。
何より、今の俺は誰かと時間をかけて信頼関係を築こうなんて気力もなかった。殺し屋の基本に沿って、ただ淡々と――見つけ出し、追い詰め、実行する。
ない物ねだりだな。相棒になりうる者達はみんな逝ってしまった。守れなかったんだ、この孤独も壊れていくこの過程も、全ては――報いなのだろう。
「三日後、林組のとこに行ってくる」
ソファから腰を上げて河原崎を見る。初めて会った時は十代と三十代ぐらいか。
今の俺はその頃の河原崎に近い年齢になっているが、あの頃の河原崎の様な貫禄をまるで持ってないなと、不意に思い知らされる。
住む世界も違うから、仕方ないのだろうけど、河原崎は六十二にもなるのに、衰えなど微塵も見せず、年々その密度を高めている様にすら思える。
一方の俺は年々、くたびれて来てると言うのに。そんな事を考えながら河原崎の元を後にする。
「それともう一つ、最近、林組が用心棒を数人雇ったと言う情報がある。人か機械か、そう言う連中だそうだ」
含みを持たせた河原崎の言葉。素直に――サイボーグ、と言えばいいのに。
小脳と神経に連結した装置で正確に動く機械の義手や義足。それだけには止まらず、骨格や筋肉も人工物で強化され、人間を超えた耐久性と機動性を獲得した戦闘型サイボーグか。ここ数年、その手の連中を相手する事も増えてきた様な気がする。そのほとんどが手強い相手だった。
先ずは三日後、そこに集中して備えておこう。十中八九、これは銃弾の雨が降る案件だ。その時の緊張感と集中力が俺の正気を保っている。
壊れるまで戦い続けねばならない。手厚い豊かさを保証する“組合”が俺達に求めるものはただ一つ、忠誠心。
結局のところ、俺と“組合”は――相性がいい。
左手の甲にはらりと落ちた、ほとんど吸われる事なく灰になった煙草の感触で我に返る。慢性的な不眠症、日増しにぼうとしてる時間が増えた気がする。年齢的な衰えなのかも知れない。二十代の頃はそれほど苦にも思ってなかったが。
ソファに深く沈み込んだまま、隣に置いた灰皿に吸い殻を捨て、二本目に火を着けた。自分でも信じられないくらい何も感じない。退屈とも思わないし、かと言って何かしたいと言う気も起きない。何時からこうなったのだろうか。
二十七で日本に戻ってきてからか、歳を重ねる毎に思い出すのは昔の事ばかり。
日本を出て、世界を巡った――世界中の戦場を。
巻き上がる砂埃、飛び散る泥水、漂う硝煙の匂い。そして言葉も分からない人々の殺意や恐怖の表情は今でも鮮明に覚えいる。それなのに、身近で共に戦ってきた戦友達との日々は年々ぼやけてきて、表情すらも曖昧になっていく。
思い出よりもフラッシュバックの方が勝ると言うのは、なんともやるせない。咥え煙草のまま煙を天井へ、溜息と共に吐き出した。
此処の暮らしは決して悪くないし、収入も戦場にいた頃より良い。お陰で一人では有り余る様な広い部屋で暮らし、昔から好きだったクラシックなスポーツカーだって手に入れた。何時も身体中をザラザラした砂が入り込む砂漠や、蒸し暑くて泥草が肌に張り付くジャングルなんかより、よっぽど良い。しかし、その差に始終、違和感が纏わり付いて今もリアルな感覚を持てないでいる、何年経っても抜け出せない。暮らしや物に満たされても、虚しさは消えない。
ガラス張りのテーブルから不快な振動音が響く。俺の携帯に入って来るメッセージは一つしかない。仕事のようだ。
此処で腐っているよりは、よっぽどマシか。だから俺は今でも此処にいるのだろう。テーブルに散らばった錠剤を飲み込んだ。――醜態は命取りだ。
都会のエリアを離れ、しばらくすると周囲は山に囲まれる。建物の密集率も下がり、人工的なケバケバしい色の間に、自然の枯草色を下地にした深緑が立ち並ぶ。
徐々にその色達の比率は増していき、平坦だった道も角度を上げていった。
十代の頃はそんな山間の景色など興味もなかったが、日本を離れてからは、そんな自然の形や色合いが、意外にも自分にしっくりとしている事に驚いたものだ。
亜細亜、欧州、中東、自然の風景は何処にでも存在しているが、日本のそれとは違うのだ。当然の事かもしれないが、自分が日本人であり、日本が故郷だと認識できる。何もかもが小さいただの島国に過ぎないが、その光景を見て、ありがたみに似た様なものを感じれるのは、悪くない気分だった。
車の方も快調だ、うるさいぐらいのダイレクトなエンジン音がいい。軽快に山道を走らせるが、昨日の夜に降った雨のせいで、少々ハンドルを取られてしまう。しかし、それ以上に気になるのは車を洗ったばかりだと言う事だ。タイミングが悪かったな。
そんな事を思っている間に目的地が見えてきた。――ウィンストン記念図書館。
親日家である欧米の資産家が建てた図書館。と、表向きはそうなっているが、実際は俺の属している組織が日本で最初に進出した拠点である。此処に設立されてから、じき半世紀になろうとする。
車を駐車場に止めて、図書館へ向かう。図書館と周囲の緑は雨粒に輝いていた。
対面を男女の学生達が、楽しそうに話しながら歩いて来る。山間にある図書館だが、間隔短く頻繁にシャトルバスを走らせていた。学生証があれば有料コンテンツも無料で利用できるそうだ。歳は十四、五の辺りか、丁度、俺がこの組織に入った頃だ。
国のほとんどが機能していない、荒廃と格差が目に見えて分かる中で、此処は数少ない文明的な空間と言えるだろう。とは言えドップリと裏社会が絡んだ物騒な処でもあるが。
図書館に入ると、五階建ての膨大な書庫が視界に広がり、壮大で解放感があるロビーがお目見えする。携帯のメッセージの主は、何時も通りなら屋上にでもいるだろう。
本来ならロビーの職員に話すのが決まりだが、俺はそれなりに信用されている。顔パスで館内へ進み、職員用のエレベーターのボタンを押す。屋上で止まっていたエレベーターが下りてきて、扉が開くと、知った顔が乗っていた。その相手も俺を見て驚いた様子だった。
「安田じゃないか、どうしたんだ? こんな所で」
「鉄志さんの方は、また仕事ですか?」
この辺では老舗に当たる銃器店を営んでいる若頭の安田は、相変わらず野暮ったい容姿に経営者らしからぬ無精ひげと丸眼鏡で、ヘラヘラとしていた。
「どうかな? 正確には前の仕事も終わってない。で、お前は?」
「組合長様より大量注文を頂きまして」
安田は嬉しそうに話す。流石は悪名名高い“安田工業”の三代目――偽銃拡散事件の火付け役の一族。
俺のいる、この組織との信頼も厚い。実際、俺も安田の店には、かなり世話になっていた。
今の日本はセミオートの拳銃ぐらいなら、簡単な登録手続きだけで購入できるようになってる。太平洋戦争以降の武器と軍を捨て、平和を貫いてきた筈の日本も、ウイルスパンデミックによる経済崩壊によって、保証も将来も消えてしまえば、人間の醜い本性だけが残る。
それに対抗できるのは、個人が手にする武器のみ、日本人も身を守る為に武器を持たざるを得ない環境に激変した。更に関東を壊滅させた大震災が、それを加速させる。無政府状態で各自治体が独自政策を断行せざるを得ない状態で、海外からは支援の名目であらゆる組織や企業が利権を貪りに雪崩れ込み、治安はさらに悪化した。
そこに目を付けたのが、全国の小さな町工場や、辛うじて生き残っていた中小企業達だった。
武器を持って自衛しないとならない。誰もそう覚悟を決めていたその需要を狙い、全国で銃火器の密造が盛んに行われるようなったのだ。
限られた情報を元に、手探りの試行錯誤を繰り返した末に、古い型のコピー品ながら高品質な、通称“偽銃”が誕生した。
その売り方も大胆不敵だった。始めは安く、市民や各地で結成されていた自警団へ提供して、犯罪組織に対抗させた。
警察もほとんどのエリアでキャパオーバーを起こしていて、一市民の拳銃所持や、製造元の摘発もままならない状態だったと言う。寧ろ、警察組織も秘密裏に偽銃を手に入れ武装化していた。
日本のガンスミス達は自衛精神の高い者達へ武器を提供し続け、何時しか日本は、いや日本人は欧米に似た自衛精神を獲得し、既存の法律や認識を超えて行動する者が増えていった。
それから数年の間で、日本政府も張りぼてに過ぎないが新体制となり、銃刀法を始めとするその手の法律を緩くしていった。せざるを得なかったと言うべきか。
安田の祖父の代が、その偽銃拡散事件の中心メンバーだった。
「これから全国、彼方此方を工面してかき集めるって訳です」
安田のネットワーク。正確には安田の一族が築き上げたネットワークだが、全国のガンスミス達から製造した偽銃を一か所に集める。安田の経営してる店も、多種多様な偽銃を取り揃えているが、それでも足りないと言うのか。
「羽振りがいいじゃないか」
「お陰様で、でも結構な量で……軍隊でも呼ぶんスかね?」
安田は手にしたバインダーを見ながら、頭を搔き毟る。軍隊、確かにそんな印象を感じた。安田の店の在庫で足りないと言うのなら、おそらくは同じ型の装備で統一して、まとまった数を用意したいのだろう。
あまり深入りするつもりはないが、組織は何を企んでいるのだろうか。
「それじゃ、俺はこれで」
安田はそそくさと、手にしていたバインダーを眺めながら、その場を後にした。
アンティークな装飾が施されたエレベーターは古い見た目に反して、振動もなくスムーズに屋上へ辿り着く。
エレベーターの扉が開き、図書館の屋上からは雨上がりの澄んだ青空と、淀んだ街が視界を埋め尽くす。その側面から感じる静かな視線に目をやると、高級感が漂うダブルブレストを着こなした、河原崎(かわらざき)が手を組んで待ち構えている。
俺が十五の頃から世話になっている組織、世界各国の表から裏社会まで重宝されてきた、その道のプロを育生し、人材として斡旋する組織――通称“組合”
河原崎はその組合の組合長の一人として、日本を任されている男だった。
「久し振りだな、鉄志」
「そっちも元気そうで……」
久し振りの再開を握手で済ませた。河原崎に直接会うのは、一年半振りぐらいだろうか。
俺がこの組織に身を寄せたのは十五の時、その頃から河原崎とはもう二十年以上の付き合いだ。
傭兵部隊に配属される為の見習い兵士が、俺の始まりだった。そんなちっぽけな俺の様な者達にでも、河原崎は裏表なく接してくれた。厳格だが、頼れる大人だった。
傭兵を辞めて別の道を模索していた時も、河原崎が相談に乗ってくれて、根回しをしてくれた。
日本に戻ってからは、河原崎とは変わらず良き理解者であり、良き友人だ。
“組合”と言う組織は、世界中に点在している。俺の様な行き場のない者達の人生を担保に所謂、特殊技能を仕込んで、その傘下で活動させる。
本当はセキュリティ系の楽な仕事が欲しかったが、俺の実力では釣り合わず、殺し屋稼業に落ち着いている。
図書館の屋上は、河原崎と“組合”の関係者のみが利用できる商談スペースの様になっている。
大理石を敷き、透明度の高いガラス張りの屋根の下には、毛皮調の絨毯に、革張りの黒いソファと、黒い石造りのテーブルが配置されている。俺は河原崎の手招きに従い、ソファへ腰を下ろした。
「前回の仕事の報酬が未払いのままだ、何かトラブルでも?」
河原崎が俺を呼んだ理由は察しが付いていたので、俺の方から話を切り出した。
この街で最も勢力がある荒神会と、それとは比べ物にならない程小さな林組。ヤクザ共のいざこざの代理が仕事だった。
俺の仕事は標的を仕留める。ただそれだけで、仕留める理由を考える必要はないが、荒神会の幹部なんかを殺して、ケンカを売るには、林組は小規模で無謀な事をしている様にも思えた。
「催促に使いを送ったが、その使いも今、行方不明だ」
「穏やかじゃないな」
殺し屋の報酬は前金なしの完全後払い。失敗のリスクもあるからだ。しかし、林組のヤクザと言えど、“組合”がどんな組織かは分かっている筈だ。荒神会どころか、“組合”は軍隊だって持ってる。踏み倒すなんて、馬鹿な真似をするとも思えないが。
「今度は俺を使いに?」
「林組には三日猶予を与えている、やるだけ無駄だろうが、催促して応じないようなら……」
何故、俺がケツ持ちなんかと不満もあるが、此処で揉めるのも野暮だ。
小さいとは言え、ヤクザの事務所だ。弾は多めに用意すべきか。輝柴桜町のケチなヤクザぐらい相手じゃないが、こういう時に常々思う――ツーマンセルで行動できる者が欲しいと。
傭兵時代は常に団体行動の中で生きてきた。今の仕事も十年を超えたが、単独行動の不効率さは好きになれない。かと言って俺と釣り合える様な相手と言うのを見つけるのも難しいが。
何より、今の俺は誰かと時間をかけて信頼関係を築こうなんて気力もなかった。殺し屋の基本に沿って、ただ淡々と――見つけ出し、追い詰め、実行する。
ない物ねだりだな。相棒になりうる者達はみんな逝ってしまった。守れなかったんだ、この孤独も壊れていくこの過程も、全ては――報いなのだろう。
「三日後、林組のとこに行ってくる」
ソファから腰を上げて河原崎を見る。初めて会った時は十代と三十代ぐらいか。
今の俺はその頃の河原崎に近い年齢になっているが、あの頃の河原崎の様な貫禄をまるで持ってないなと、不意に思い知らされる。
住む世界も違うから、仕方ないのだろうけど、河原崎は六十二にもなるのに、衰えなど微塵も見せず、年々その密度を高めている様にすら思える。
一方の俺は年々、くたびれて来てると言うのに。そんな事を考えながら河原崎の元を後にする。
「それともう一つ、最近、林組が用心棒を数人雇ったと言う情報がある。人か機械か、そう言う連中だそうだ」
含みを持たせた河原崎の言葉。素直に――サイボーグ、と言えばいいのに。
小脳と神経に連結した装置で正確に動く機械の義手や義足。それだけには止まらず、骨格や筋肉も人工物で強化され、人間を超えた耐久性と機動性を獲得した戦闘型サイボーグか。ここ数年、その手の連中を相手する事も増えてきた様な気がする。そのほとんどが手強い相手だった。
先ずは三日後、そこに集中して備えておこう。十中八九、これは銃弾の雨が降る案件だ。その時の緊張感と集中力が俺の正気を保っている。
壊れるまで戦い続けねばならない。手厚い豊かさを保証する“組合”が俺達に求めるものはただ一つ、忠誠心。
結局のところ、俺と“組合”は――相性がいい。