残酷な描写あり
R-15
1.― KOGA LIU ―
――もう普通に戻れないのかも これから始まる普通に堪えられない――
二〇二五年 某SNSの投稿より抜粋
ダイバーシティパンク~はぐれ者達のアッセンブル~
第一章
1.― KOGA LIU ―
「ちょっと鵜飼君! 鵜飼君!」
椅子から尻が浮く。目の前にいたのは確か、庶務課に勤めている佐々木さんだった筈。まったく気配を感じなかった。
音も立てずに、ここまで近づいてきたとは。このおばさんも案外――才能があるかもしれないな。
「会議用のダブレットの用意はしてくれたの?」
「え? あぁ、ハイ。 えーと、用意はしてあるんで、お昼前には持って行きますよ」
緊張感のない時間と空間で気が緩んでいたとは言え、何て事ないおばさんに隙を突かれたと言う困惑から未だ立ち直れず、自分でも情けない位の慌てた返答をしてしまった。
「まったくもう、若いんだからもっとシャキッとなさい! と言うか若いのに何でこんな課にいるの?」
お偉いさんにでも聞いてくれと言ってやりたいところだが、押し殺す。佐々木さんの言う事にも一理あると言う事は自分自身認めている部分もあるからだ。
齢二十三で市役所の備品管理なんて言う、あってもなくてもいいような部署にポツンと一人いると言うのは、どうにも違和感だ。
こういう時はとりあえず苦笑いと言うヤツで凌いでおく。呆れた調子の佐々木さんが部屋から出て行ったのを見て、軽い溜息をついた。
壁の時計に目をやると、十一時五十分を過ぎていた。昼前には用意すると言ったが、ほぼ昼前である事に気付く。早々に準備した方が良さそうだな。
三〇台のタブレットは、動作確認と充電を済ませて業務用コンテナに詰めて手押し台車に積んである。
目の前にある古臭いデスクトップパソコンのネットブラウザを消して、社内用のソフトを立ち上げる。これが立ち上がるのがおそろしく遅い。
やっとこさ立ち上がった味気ないメイン画面の備品管理の項目を選ぶ。教わった手順ををなぞるだけの単純作業。
オフィスなのか物置なのかも分からない部屋から、手押し台車を引っ張りながら出て、ドアに鍵をかける。一応、貴重品の様な物があるので、無人になる時は必ず鍵をかけるのが決まりだ。
薄っぺらいタブレットでも三〇台ともなると、それなりにズッシリしている。腰を入れて台車を押していると、今度は向こう側から男が近寄ってくる。名前は忘れたが、庶務課の課長だった筈。
「鵜飼君、気を悪くしないで欲しいんだが、ロビーの方は使わず裏から運んでもらえるかな。表は人の出入りも多いし……ね」
庶務課の課長はそう言って、右目から頬を縦になぞって見せた。俺の顔に刻まれている縦傷がヤクザっぽいだとか、やんちゃだとか、市民の皆さんには何たらかんたらとでも言いたいのだろう。とは言え、愛想も目付きも悪いのは自覚している。――本来の俺には不要なものだ。
無言のまま台車をUターンさせて裏からエレベーターへ向かう事にする。
無駄な遠回りを経て、エレベーターに乗り込んで四階のボタンを押す。つくづく居心地が悪いな。この職場も、この街も。
“里”を出て、外で働く様になってから四年程経つ。本当の俺はそれなりの評価を手にしてこそいるが、里にいた頃よりは勿論、満足のいくところではない。
全国各地が混沌としている。優先して手助けすべき処は他にもある筈だったが、俺の様な群れる事を嫌うはぐれ者には、こんな癖の強い地での任務ぐらいしかなかった。
四階に降りて会議室の端の方へ台車を置いてストッパーをかけた。後は勝手にやってくれ。
一段落した辺りのタイミングでふと視界を前にすると、今度は秘書の鷹野が立ち塞がっていた。この雰囲気は、いよいよ本職の方の話が舞い込んで来そうな予感がした。
「何時もの場所で……あと、ネクタイぐらいちゃんと締めなさい」
鷹野は無表情且つ冷淡な目で言うと、そのまま立ち去った。ハイヒールのカツカツと規則正しい足音が廊下に響いている。あの女、顔は良いのに間違いなくロボットだ。
再びエレベーターに乗り十階へ向かう。俺が雇い主と会う場所は普段は閉鎖されている屋上だった。この時だけ密かに電子ロックが解除されているのだ。
窓もない薄暗い建物の端の扉を開けると、そこから溢れる様に光が入り込んでくる。
一瞬目が眩み、慣れてくるとその先に雇い主の氷野市長が待っていた。霜月の空はいわし雲が埋め尽くし、少々肌寒かった。
「前回はご苦労だったね」労いの言葉に対し、軽い会釈でもしようとしたが「ただね…」
氷野さんから手渡されたのはタブレットだった。画面からは動画が流れている。
それがなんの動画か分かった時、またかとげんなりする。動画には忍び装束を身に纏った俺がしっかりと映っていた。
前回の仕事は港区方面を縄張りにしていたギャング共の一掃だった。警察がちょこまかと動いてコツコツやるよりも、俺が動けば手っ取り早く済む。世直しと言う名の汚れ仕事こそ、この俺――忍者の十八番と言うものだ。
動画の中の俺は四方を囲まれながらも、攻防一体からの小太刀の一太刀。鎖と刃の縄鏢(じょうひょう)に似た得物“大蛇”を、しなやかな蛇の様なうねりから豹変して一直線に相手の頭蓋を貫抜く。
「我ながら良い動きをしてる」
氷野さんが何が言いたいのかは分かっている。が、ここまで来たらこちらも開き直るしかない。そこら中に防犯カメラ、誰でも持ってるカメラ付きの携帯端末。忍びようがない。
忍者が一目つかずに蠢くには、このご時世は闇も影も少ない。しかしながら、この一世紀の間で、忍者の需要は右肩上がりになっている。
古くは室町時代に産声を上げた乱破者達は、消滅する事なく常に存在している。存続の為、地域や流派の隔たりを捨て、技と知識を磨き続けて忍者は存在してきた。
戦後の日本は太平が長く続き、忍者の出る幕はほとんどなかったが、彼の世界的なウイルスパンデミックで経済崩壊を起こし、不安定になった日本で、忍者の需要は年々増えていったのだ。
「忍ぶ者と書いて忍者。もう少し目立たずに行動してもらいたいね」
「ギャング共を生かさず殺さずで殲滅するのは隠密の域を出てる。目立つなと言われてもな。それに、この程度ならSNSでテキトーに流れてくレベルだろ?」
言い訳がましいのは承知で氷野さんに反論しておく。
忍者の需要が上がる一方で、俺の様な不可抗力な事態もあるが、ここ数十年の間で露出が増えてきているのも事実だ。インターネットやSNSなど意外に溢れている。そのお陰もあって表立って騒がれる事はない。所謂、インターネットミームと言われる一ジャンルに過ぎない。
ただ問題なのは、その露出の中には全国各地に点在する里の与り知らぬ者も紛れている事だった。
この辺は氷野さんを含めて、忍者のクライアント達にはどうでもいい話だが、明らかに忍びの技や知識が外部に漏れ出している証拠だった。
「港区の再開発の為には、先ずは無法者達の排除が必要だからね。荒療治だが、正常に機能する港を増やして利益を生まないと、此処の維持も厳しくなってくる」
氷野さんは容易く譲らない俺に根負けしたのか、軽い溜息と共に話を進めた。
この国がまだ日本と辛うじて名乗れるのは、とりあえずの政府と呼ばれる張りぼての機関が残っているからだが、実際のところは全国の彼方此方で――無法状態である。
関東は大震災の崩壊から未だに立ち直れず放置され、移行された首都機能が存在する関西では、反政府派で溢れて内戦状態。それ以外は自治体レベルで独自の政策を強行して、生き永らえている。
この東北地方旧六県を解体、再編成された“六連合特別自治区”もその一つだった。
見て見ぬふりの丸投げ状態。今の日本政府には全国へ、国民へ秩序を発信する力はない。自衛に委ねるのみと言うヤツだ。
忌まわしいウイルスパンデミックと、東京を崩壊させた大震災から一〇〇年かけて政府黙認の元、どうにか人々が生活できるレベルを保っている。それも――あと何年続けられるか。
ある時代には世界一の経済大国と謳われていたそうだが、その名残など微塵も感じられない、何とも惨めな状況である。だが、そのお陰で皮肉にも忍者は潤っている。
氷野さんは今年で五十になるが、精神的にも若く情熱と野心を抱いている男だ。その点に関しては、俺は嫌いじゃない。
一体どこまで成り上りたいのか知らないが、少なくとも自分の管轄する場所を純粋に良くしたいという思いで俺を雇っている。俺のいた“里”からも信頼されている人だった。
「俺を呼んだと言う事は、その雑魚共からいよいよ黒幕を聞き出せた。と言う所かな」
港区はここ数年、大きな犯罪組織が牛耳っている状態だった。アジア圏の犯罪組織の入り口にもなり、密輸の温床である。
日本がこんな状態である事を良い事に裏社会も表社会も外資系の進出に歯止めが利かない。
前回の仕事はその下っ端にあたる連中から詳しい組織図を聞き出すのが目的だった。
俺が程よく連中を弱らせたタイミングで警察が残りを一網打尽にする。後はあの手この手で情報を聞き出す。
「詳細はそのタブレットに入っている。目を通したら処分するように」
処分するようにと簡単に言ってくれるが、紙を燃やすのとは訳が違う。
面倒だなと、眉を顰めるながら資料を流し見していると、気になる言葉が目に留まった。
「荒神会……中々の大物組織だ」
おそらく、この界隈では一番巨大な組織だ。反社会的な組織やコミュニティーは多種多様に混在しているが、この組織はヤクザ系ではかなりの老舗だ。この組織が幅を利かせているが為に、その他のヤクザ系はチンケな歓楽街で鳴りをひそめていると言われている。
悪くない、こう言う大物が相手となると、やり甲斐が沸き上がる。俺のスキルは、こう言う奴等の為にあるのだ。
「海外の人身売買を主とした組織と深く繋がっているようだな」
「えげつない話だ」
人の売り買いがまかり通る世界がある。外道以外の何物でない所業に強烈な嫌悪感が襲ってきて、吐き気がする。
正義感、など言う大それた想いではないが、それが本当なら、俺は喜んで荒神会を屠ってやろうじゃないかと、奮い立っていた。
「数日前、荒神会の幹部の一人が輝紫桜町で殺された」
こっちの気持ちの高ぶりを他所に、氷野さんは話を続けた。
「クラブで九人があっという間にやられたって話か」
その場に居合わせた連中が、警察の聴取では皆口を揃えて刹那の出来事だったと言ったそうだ。
そのクラブの中にいた荒神会のヤクザ共六人が、一分と経たずに正確に二発づつ撃たれて殺されていったそうだ。それも必ず頭部を撃ち抜いている。残りの三人も成す術なく一瞬で蜂の巣だったらしい。正に必殺だ。
規則的な様で、臨機応変に相手の動きを読み、即座に行動できる技術を持っている、紛れもない百戦錬磨のプロの仕業だろう。
飛び道具を使う相手の対処法は幾つもあるが、この殺し屋は苦戦しそうだ。だからこそ一度手合わせしたいものだと、興味が沸いてくる。
「何かが動き始めている。その先をまずは調べてほしい」
「暗殺でねじ伏せるって話では済まないのか?」
「荒神会のバックにも何かがいるかもしれない。先ずは慎重に調べてもらいたい」
確かに氷野さんの話には一理ある。荒神会の規模は老舗の暴力団を優に超えているが。組織の維持を単独で持続させるの難しい。
氷野さんは“かもしれない”と言っているが、俺に求めているのは、間違いなくその黒幕なのだろう。
「了解」
窮屈な役所勤務の冴えない俺、と言うのは仮の姿。此処の職員連中にも見せ付けてやりたくもなるが、そうもいくまい。
正当な甲賀流、鵜飼猿也(ウカイエンヤ)の本分を。
早速、今夜から調べてみる事にしよう。
「それともう一つ……」その場を去ろうとすると、氷野さんが呼び止めた。自分の首元を指差していた。「ネクタイぐらいちゃんと締めなさい」
窮屈だな、役人と言うのは。それとも俗世間が窮屈なのか。隔離された狭い世界で業を磨いて生きて来た俺には未だに分からない。分かりたくもないが。
「乱破者にそんな事を要求されてもなぁ……」
目の前まで近付いて来た氷野さんが、俺のワイシャツのボタンと緩めたネクタイを素早く直してきた。
「此処に来た頃の、十九のお前は、もう少し素直だったのになぁ。可愛げのない……」
肩をポンと叩かれ、氷野さんはその場を後にした。主君と忍者の関係にしては、氷野さんの距離感は近いと度々思う。
可愛げだとか素直だとか、その頃を思い出すと不慣れな自分に腹が立ってくるな。この四年ですっかり慣れてしまった。――この島国の現実に
純情など、数年で消え失せてしまう。俺達が人生を賭けて成った忍者の力を以てしても、収拾が着かない程に混沌とした、この国の暗雲に呑まれかけているかも知れないな。
二〇二五年 某SNSの投稿より抜粋
ダイバーシティパンク~はぐれ者達のアッセンブル~
第一章
1.― KOGA LIU ―
「ちょっと鵜飼君! 鵜飼君!」
椅子から尻が浮く。目の前にいたのは確か、庶務課に勤めている佐々木さんだった筈。まったく気配を感じなかった。
音も立てずに、ここまで近づいてきたとは。このおばさんも案外――才能があるかもしれないな。
「会議用のダブレットの用意はしてくれたの?」
「え? あぁ、ハイ。 えーと、用意はしてあるんで、お昼前には持って行きますよ」
緊張感のない時間と空間で気が緩んでいたとは言え、何て事ないおばさんに隙を突かれたと言う困惑から未だ立ち直れず、自分でも情けない位の慌てた返答をしてしまった。
「まったくもう、若いんだからもっとシャキッとなさい! と言うか若いのに何でこんな課にいるの?」
お偉いさんにでも聞いてくれと言ってやりたいところだが、押し殺す。佐々木さんの言う事にも一理あると言う事は自分自身認めている部分もあるからだ。
齢二十三で市役所の備品管理なんて言う、あってもなくてもいいような部署にポツンと一人いると言うのは、どうにも違和感だ。
こういう時はとりあえず苦笑いと言うヤツで凌いでおく。呆れた調子の佐々木さんが部屋から出て行ったのを見て、軽い溜息をついた。
壁の時計に目をやると、十一時五十分を過ぎていた。昼前には用意すると言ったが、ほぼ昼前である事に気付く。早々に準備した方が良さそうだな。
三〇台のタブレットは、動作確認と充電を済ませて業務用コンテナに詰めて手押し台車に積んである。
目の前にある古臭いデスクトップパソコンのネットブラウザを消して、社内用のソフトを立ち上げる。これが立ち上がるのがおそろしく遅い。
やっとこさ立ち上がった味気ないメイン画面の備品管理の項目を選ぶ。教わった手順ををなぞるだけの単純作業。
オフィスなのか物置なのかも分からない部屋から、手押し台車を引っ張りながら出て、ドアに鍵をかける。一応、貴重品の様な物があるので、無人になる時は必ず鍵をかけるのが決まりだ。
薄っぺらいタブレットでも三〇台ともなると、それなりにズッシリしている。腰を入れて台車を押していると、今度は向こう側から男が近寄ってくる。名前は忘れたが、庶務課の課長だった筈。
「鵜飼君、気を悪くしないで欲しいんだが、ロビーの方は使わず裏から運んでもらえるかな。表は人の出入りも多いし……ね」
庶務課の課長はそう言って、右目から頬を縦になぞって見せた。俺の顔に刻まれている縦傷がヤクザっぽいだとか、やんちゃだとか、市民の皆さんには何たらかんたらとでも言いたいのだろう。とは言え、愛想も目付きも悪いのは自覚している。――本来の俺には不要なものだ。
無言のまま台車をUターンさせて裏からエレベーターへ向かう事にする。
無駄な遠回りを経て、エレベーターに乗り込んで四階のボタンを押す。つくづく居心地が悪いな。この職場も、この街も。
“里”を出て、外で働く様になってから四年程経つ。本当の俺はそれなりの評価を手にしてこそいるが、里にいた頃よりは勿論、満足のいくところではない。
全国各地が混沌としている。優先して手助けすべき処は他にもある筈だったが、俺の様な群れる事を嫌うはぐれ者には、こんな癖の強い地での任務ぐらいしかなかった。
四階に降りて会議室の端の方へ台車を置いてストッパーをかけた。後は勝手にやってくれ。
一段落した辺りのタイミングでふと視界を前にすると、今度は秘書の鷹野が立ち塞がっていた。この雰囲気は、いよいよ本職の方の話が舞い込んで来そうな予感がした。
「何時もの場所で……あと、ネクタイぐらいちゃんと締めなさい」
鷹野は無表情且つ冷淡な目で言うと、そのまま立ち去った。ハイヒールのカツカツと規則正しい足音が廊下に響いている。あの女、顔は良いのに間違いなくロボットだ。
再びエレベーターに乗り十階へ向かう。俺が雇い主と会う場所は普段は閉鎖されている屋上だった。この時だけ密かに電子ロックが解除されているのだ。
窓もない薄暗い建物の端の扉を開けると、そこから溢れる様に光が入り込んでくる。
一瞬目が眩み、慣れてくるとその先に雇い主の氷野市長が待っていた。霜月の空はいわし雲が埋め尽くし、少々肌寒かった。
「前回はご苦労だったね」労いの言葉に対し、軽い会釈でもしようとしたが「ただね…」
氷野さんから手渡されたのはタブレットだった。画面からは動画が流れている。
それがなんの動画か分かった時、またかとげんなりする。動画には忍び装束を身に纏った俺がしっかりと映っていた。
前回の仕事は港区方面を縄張りにしていたギャング共の一掃だった。警察がちょこまかと動いてコツコツやるよりも、俺が動けば手っ取り早く済む。世直しと言う名の汚れ仕事こそ、この俺――忍者の十八番と言うものだ。
動画の中の俺は四方を囲まれながらも、攻防一体からの小太刀の一太刀。鎖と刃の縄鏢(じょうひょう)に似た得物“大蛇”を、しなやかな蛇の様なうねりから豹変して一直線に相手の頭蓋を貫抜く。
「我ながら良い動きをしてる」
氷野さんが何が言いたいのかは分かっている。が、ここまで来たらこちらも開き直るしかない。そこら中に防犯カメラ、誰でも持ってるカメラ付きの携帯端末。忍びようがない。
忍者が一目つかずに蠢くには、このご時世は闇も影も少ない。しかしながら、この一世紀の間で、忍者の需要は右肩上がりになっている。
古くは室町時代に産声を上げた乱破者達は、消滅する事なく常に存在している。存続の為、地域や流派の隔たりを捨て、技と知識を磨き続けて忍者は存在してきた。
戦後の日本は太平が長く続き、忍者の出る幕はほとんどなかったが、彼の世界的なウイルスパンデミックで経済崩壊を起こし、不安定になった日本で、忍者の需要は年々増えていったのだ。
「忍ぶ者と書いて忍者。もう少し目立たずに行動してもらいたいね」
「ギャング共を生かさず殺さずで殲滅するのは隠密の域を出てる。目立つなと言われてもな。それに、この程度ならSNSでテキトーに流れてくレベルだろ?」
言い訳がましいのは承知で氷野さんに反論しておく。
忍者の需要が上がる一方で、俺の様な不可抗力な事態もあるが、ここ数十年の間で露出が増えてきているのも事実だ。インターネットやSNSなど意外に溢れている。そのお陰もあって表立って騒がれる事はない。所謂、インターネットミームと言われる一ジャンルに過ぎない。
ただ問題なのは、その露出の中には全国各地に点在する里の与り知らぬ者も紛れている事だった。
この辺は氷野さんを含めて、忍者のクライアント達にはどうでもいい話だが、明らかに忍びの技や知識が外部に漏れ出している証拠だった。
「港区の再開発の為には、先ずは無法者達の排除が必要だからね。荒療治だが、正常に機能する港を増やして利益を生まないと、此処の維持も厳しくなってくる」
氷野さんは容易く譲らない俺に根負けしたのか、軽い溜息と共に話を進めた。
この国がまだ日本と辛うじて名乗れるのは、とりあえずの政府と呼ばれる張りぼての機関が残っているからだが、実際のところは全国の彼方此方で――無法状態である。
関東は大震災の崩壊から未だに立ち直れず放置され、移行された首都機能が存在する関西では、反政府派で溢れて内戦状態。それ以外は自治体レベルで独自の政策を強行して、生き永らえている。
この東北地方旧六県を解体、再編成された“六連合特別自治区”もその一つだった。
見て見ぬふりの丸投げ状態。今の日本政府には全国へ、国民へ秩序を発信する力はない。自衛に委ねるのみと言うヤツだ。
忌まわしいウイルスパンデミックと、東京を崩壊させた大震災から一〇〇年かけて政府黙認の元、どうにか人々が生活できるレベルを保っている。それも――あと何年続けられるか。
ある時代には世界一の経済大国と謳われていたそうだが、その名残など微塵も感じられない、何とも惨めな状況である。だが、そのお陰で皮肉にも忍者は潤っている。
氷野さんは今年で五十になるが、精神的にも若く情熱と野心を抱いている男だ。その点に関しては、俺は嫌いじゃない。
一体どこまで成り上りたいのか知らないが、少なくとも自分の管轄する場所を純粋に良くしたいという思いで俺を雇っている。俺のいた“里”からも信頼されている人だった。
「俺を呼んだと言う事は、その雑魚共からいよいよ黒幕を聞き出せた。と言う所かな」
港区はここ数年、大きな犯罪組織が牛耳っている状態だった。アジア圏の犯罪組織の入り口にもなり、密輸の温床である。
日本がこんな状態である事を良い事に裏社会も表社会も外資系の進出に歯止めが利かない。
前回の仕事はその下っ端にあたる連中から詳しい組織図を聞き出すのが目的だった。
俺が程よく連中を弱らせたタイミングで警察が残りを一網打尽にする。後はあの手この手で情報を聞き出す。
「詳細はそのタブレットに入っている。目を通したら処分するように」
処分するようにと簡単に言ってくれるが、紙を燃やすのとは訳が違う。
面倒だなと、眉を顰めるながら資料を流し見していると、気になる言葉が目に留まった。
「荒神会……中々の大物組織だ」
おそらく、この界隈では一番巨大な組織だ。反社会的な組織やコミュニティーは多種多様に混在しているが、この組織はヤクザ系ではかなりの老舗だ。この組織が幅を利かせているが為に、その他のヤクザ系はチンケな歓楽街で鳴りをひそめていると言われている。
悪くない、こう言う大物が相手となると、やり甲斐が沸き上がる。俺のスキルは、こう言う奴等の為にあるのだ。
「海外の人身売買を主とした組織と深く繋がっているようだな」
「えげつない話だ」
人の売り買いがまかり通る世界がある。外道以外の何物でない所業に強烈な嫌悪感が襲ってきて、吐き気がする。
正義感、など言う大それた想いではないが、それが本当なら、俺は喜んで荒神会を屠ってやろうじゃないかと、奮い立っていた。
「数日前、荒神会の幹部の一人が輝紫桜町で殺された」
こっちの気持ちの高ぶりを他所に、氷野さんは話を続けた。
「クラブで九人があっという間にやられたって話か」
その場に居合わせた連中が、警察の聴取では皆口を揃えて刹那の出来事だったと言ったそうだ。
そのクラブの中にいた荒神会のヤクザ共六人が、一分と経たずに正確に二発づつ撃たれて殺されていったそうだ。それも必ず頭部を撃ち抜いている。残りの三人も成す術なく一瞬で蜂の巣だったらしい。正に必殺だ。
規則的な様で、臨機応変に相手の動きを読み、即座に行動できる技術を持っている、紛れもない百戦錬磨のプロの仕業だろう。
飛び道具を使う相手の対処法は幾つもあるが、この殺し屋は苦戦しそうだ。だからこそ一度手合わせしたいものだと、興味が沸いてくる。
「何かが動き始めている。その先をまずは調べてほしい」
「暗殺でねじ伏せるって話では済まないのか?」
「荒神会のバックにも何かがいるかもしれない。先ずは慎重に調べてもらいたい」
確かに氷野さんの話には一理ある。荒神会の規模は老舗の暴力団を優に超えているが。組織の維持を単独で持続させるの難しい。
氷野さんは“かもしれない”と言っているが、俺に求めているのは、間違いなくその黒幕なのだろう。
「了解」
窮屈な役所勤務の冴えない俺、と言うのは仮の姿。此処の職員連中にも見せ付けてやりたくもなるが、そうもいくまい。
正当な甲賀流、鵜飼猿也(ウカイエンヤ)の本分を。
早速、今夜から調べてみる事にしよう。
「それともう一つ……」その場を去ろうとすると、氷野さんが呼び止めた。自分の首元を指差していた。「ネクタイぐらいちゃんと締めなさい」
窮屈だな、役人と言うのは。それとも俗世間が窮屈なのか。隔離された狭い世界で業を磨いて生きて来た俺には未だに分からない。分かりたくもないが。
「乱破者にそんな事を要求されてもなぁ……」
目の前まで近付いて来た氷野さんが、俺のワイシャツのボタンと緩めたネクタイを素早く直してきた。
「此処に来た頃の、十九のお前は、もう少し素直だったのになぁ。可愛げのない……」
肩をポンと叩かれ、氷野さんはその場を後にした。主君と忍者の関係にしては、氷野さんの距離感は近いと度々思う。
可愛げだとか素直だとか、その頃を思い出すと不慣れな自分に腹が立ってくるな。この四年ですっかり慣れてしまった。――この島国の現実に
純情など、数年で消え失せてしまう。俺達が人生を賭けて成った忍者の力を以てしても、収拾が着かない程に混沌とした、この国の暗雲に呑まれかけているかも知れないな。