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R-15
三十七話『どうして映画に誘ったの?』
 映画が終わり、僕たちは映画館を出ると、すぐ近くにあるカフェに入った。

 映画の感想を言いながら、僕はカフェオレ、沙知はホットコーヒーを飲んでいた。

「映画楽しかったね」

「うん!! やっぱりSFはいいね!! 面白い科学技術とか出てきて、いいインスパイアをもらえるよ!!」

 映画の内容を思い出すように興奮気味に語る沙知。話している内容の中心は物語とかではなく、設定とか技術とか科学的な部分ばかりだ。

 まあ、沙知らしいと言えば沙知らしい。

 物語上の技術を真面目に考察する沙知。僕はそんな沙知の話に相槌をうちながら、ずっと聞き続けていた。

 正直、沙知がなに言っているのか、一も理解はできない。

 本当に同じ映画を観たのだろうかと疑ってしまうくらいには、沙知の話についていけなかった。

「それでね……って、頼那くんなにその顔?」

「あ、いや……沙知は本当に楽しそうに話すなって思って……」

 彼女の話には一切ついていけないけど、それでも沙知が楽しそうに話しているのを見ているのは楽しい。

 だから僕はそんな感想を素直に口にした。すると沙知はとても嬉しそうな笑みを浮かべる。

「えへへ、だって楽しいんだもん」

 そう言って沙知はまた一口コーヒーを飲む。そんな彼女を見て僕はとても満足した気分になった。

 やっぱり沙知には笑顔が似合う。

 子どものように無邪気にはしゃいでいる姿を見ていると、自然と僕も笑顔になる。

「頼那くん」

「なに?」

「そういえば、このあとはどうするの?」

「あとは帰るだけかな」

 本当はまだまだ沙知とのデートを楽しみたい。けど、それはダメだ。

 沙知の体力を考慮するなら、これ以上は振り回すわけにはいかない。

 名残惜しけど、切り時を見誤ってはダメだ。

 そう自分に言い聞かせながら、僕は残っていたカフェオレに口をつける。

「あ~……そっか……もう終わりかぁ……」

 僕が帰る意思を示すと、沙知は残念そうに呟く。そんな沙知を見て、僕はふとあることを沙知に訊ねた。

「沙知は……今日の映画楽しかった?」

 僕の質問に沙知はキョトンとした表情を浮かべると、すぐに満面の笑みを浮かべて答えてくれた。

 まるで子どものような無邪気な笑顔で……。

「うん、すっごい楽しかった!!」

「そっか」

 そんな沙知の返事に僕は思わず笑みが溢れる。

 良かった……本当に良かった。沙知が楽しんでくれたならそれで充分だ。

 彼女の満面な笑みを見ていると、心の奥から満足感が湧いてきて、それを包み込むような幸福感が溢れてくる。

「どうしたの? そんな顔をして?」

「えっ?」

「なんか幸せそうな顔してるから」

 そう言われて僕は自分の顔に触れる。自分の表情なんて見えないから分からないけど、でもきっとそうなのかもしれない。

 だって、こんなにも幸せな気分になれたんだから。

「沙知が楽しんでくれたからかな?」

「ん? どういうこと?」

「沙知の笑顔を見てたら、僕も幸せになったんだよ」

 そう伝えると沙知はいまいちピンとこなかったみたいで首を傾げて、考え込むような仕草をする。

「あたしが楽しんだら頼那くんも幸せになったの?」

「うん」

「……ふ~ん……そうなんだ……」

 沙知は何かを考えるように僕の顔をマジマジと見つめる。その視線がなんだかむず痒くて、僕は思わず視線を逸らしてしまう。

「アハハ、頼那くん照れてる」

「て、照れてない……」

 沙知に指摘されて僕は慌てて否定する。だけど、自分でも顔が赤くなっているのが分かるくらいには熱を持っているのを感じる。

 何度も何度も彼女に見つめられることはあるけど、それでもやっぱり照れる。

 少しは見つめ返せるくらいにはなりたいなって思っているんだけど、なかなか上手くいかない。

「やっぱりあたしにはよく分かんないな、頼那くんが幸せそうにしている理由」

「それは……その……」

 沙知の質問に対して、僕は上手く答えられなかった。

 確かに僕が今幸せを感じているのは事実だ。だけど、それをどう言葉にすればいいのか分からなかったから。

 そんな僕の様子を見て沙知はクスリと笑った。

「まあ、いいや、もう一つ気になることがあるから聞いてもいい?」

「なに?」

「どうして映画に誘ったの?」

 それは今さらな質問だった。

「どうしたの? 突然」

「いや、今日って頼那くんがテストであたしと引き分けたご褒美なんだよね?」

「うん、そうだけど」

 沙知の質問の意図が読めずに僕は首を傾げる。そんな僕の反応を見てか彼女は更に言葉を続ける。

「でもさ……正直、他にもあたしにお願いできたのに、どうしてわざわざ映画に誘ったのかなって、気になって」

「えっ? なんで?」

 僕は沙知の質問の意味が分からず、素直に聞き返す。すると沙知は不思議な顔で僕を見る。

「だって、何でも好きなことお願いできたんだよ、例えば頼那くんが好きなこのあたしの豊満なおっぱいを揉むことだってできたのに」

 そう言って沙知は自分の胸を持ち上げるように腕を組んで持ち上げる。

 持ち上げられたことで彼女の大きな胸がより強調される。

「沙知、ちょっと……人前だから」

 僕は慌てて沙知の行為を止めさせる。幸い、周りの人は僕たちのことを気にしている様子はない。

「あっ、ごめん……でさ、どうしてなの?」

「むしろ、そんなに気になることなの?」

「うん、だって気になるよ」

 沙知はあっさりとそう答えると、また真っ直ぐに僕を見てくる。その瞳には嘘偽りがないように見える。そんな瞳を見ている内に僕も正直に答えたほうがいいのだと思えてくる。

「ほらっ、あたしって身体弱いから映画に誘うのって、面倒じゃない? 実際、先週だって体調崩して頼那くんに迷惑掛けちゃったし……」

 彼女の言葉を聞いてようやく理解した。沙知がどうしてそんなことを気にしているのかを。

 普通の人からすれば遊びに行く。ただそれだけのことだ。

 だけど、沙知にとっては違う。

 身体の弱い彼女にとって遊びに行くということは、かなりハードルの高いことだ。

 だからこそ彼女は気になってしまうんだろう。何で自分なんかを誘ったのだろうって。

 いくつもあった選択肢の中からよりにもよって、遊びに行くことを選んだ理由を彼女は知りたがっている。

「正直、頼那くん、あたしのこと気を遣って、色々と大変だったと思うんだけど」

「確かに大変だったのは事実だよ、本音を言えば歩いて五分もしないで、息が上がったときは、ちょっと焦った」

「うぐっ……」

 事実を言われて沙知は気まずそうな顔を浮かべる。

 申し訳ない気持ちになるけど、沙知の性格からしてウソを言うよりも正直に話したほうが良いと思ったから、僕は素直に話した。

「まあ……確かに……あたしって歩くだけで体力の底が尽いちゃうのは……事実だけど……」

 沙知はバツが悪そうに僕から視線を逸らしながら呟く。

 やっぱり体力がないことは気にしていたようだ。だから、僕は彼女を安心させるように笑顔を浮かべる。

「それでも沙知と一緒にデートがしたかったから」

「やっぱり一応恋人同士だから?」

「それもあるけど、もう一つ理由が……」

 僕はそこで一旦言葉を止める。

 沙知とデートに行きたかったのは事実。

 それ以上にもう一つの理由が僕にはあった。だから何としてでも彼女をデートに、外に連れ出したかった。

「沙知……旅行に行きたがっていたでしょ」

「えっ? う、うん……まあ……そんな話したっけ?」

 沙知は僕の突然の発言に戸惑いながらも頷く。

「沙知は覚えてるか分かんないけど、前に保健室で寝込んでた時に言ってたんだ」

「えっ? あっ……」

 沙知は言われて思い出したのか、小さく声を上げた。その顔は徐々に赤く染まっていくのが分かる。

 それは彼女が僕のことを忘れていたときの話。

 廊下で倒れていた彼女を保健室まで運んで、沙々さんが来るまで彼女の話し相手になっていた。

 そのときに沙知は色んな所に行きたいと僕に話してくれた。

 だけど、それは彼女の諦めた夢。あり得ることのない現実。

 行きたいこと、やりたいことを少し楽しげに語る彼女。語るたびに自分の身体の弱さを恨む彼女。

 そんな彼女を見ていて僕は思った。だから、どうしても叶えてあげたかった。彼女の夢物語のような願いを……。

「よく覚えてるね……そんなこと……」

「まあね」

 沙知は恥ずかしそうに顔を俯かせながら、呟く。そんな彼女に僕は小さく笑う。そしてそのまま言葉を続けた。

「それに……見たんだ……」

「何を?」

「沙知の部屋にあった旅行雑誌を」

「えっ?」

 僕の言葉に沙知は驚きの声を上げる。すると、次第に彼女の顔は真っ赤に染まっていく。

「な、なんで……それを……」

「ごめん、たまたま目に入ったんだ」

 本当に偶然だった。沙知の家に遊びに来たときにたまたま沙知の本棚を見たら旅行雑誌が置いてあった。

 ただの旅行雑誌だったら気にもしなかった。だけど、その雑誌はボロボロで何度も読み返した跡があった。

 それがたまたま目に入って、偶然中を見てしまった。

 雑誌の中もボロボロで所々テープで補強されていた。文字も若干掠れて読みにくかった。

 それでも、何度も読み返したのは分かるくらい雑誌には折り目があった。

 それに雑誌には彼女が書き込んだと思われる彼女の夢が書かれていた。

『このおしろって、どれだけたかいんだろう?』

『ほんとにうみのなかがとうめいにみえるの?』

『ここってどんなにおいがするんだろう? はながおおいからあまいにおいがするのかな? ちょっとくさかったりするのかな?』

『このごはんってどんなあじがするんだろう? からい? からいのはにがてだからやだなぁ~』

 そんな感じで幼い頃からずっと抱いていた好奇心を文字として書き残していた。

 そして彼女が書き込んだ文字で最も印象に残ったのは……。

『いきたいな……』

 そんな、とてもささやかな願いだった。
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