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R-15
二十四話 『あたしは恋を知りたい』
 それからテスト当日まで彼は毎日、放課後になると家にやってきてテスト勉強をしていった。

 あたしは彼が家に来るといつも部屋に閉じ籠り、顔を合わせないようにしていた。

 当然、学校でも一言も会話することもなかった。

 ただ彼に対してのモヤモヤが日を経つごとに少しずつ募っていって、胸が苦しくなる。

 でもそのことを彼に悟られるのが嫌で強情になったあたしは彼のことをとことん無視してしまっていた。そしてそれが余計にあたしの中でモヤモヤを強くしていくことに……もう自分でもどうしようも出来なくなっていた。

 それにお姉ちゃんの態度からして、彼のことが気に入っているのは、見て分かる。

 そうじゃないないとあのお姉ちゃんが他人を家に上げたりしないし、ましてや自分の部屋に入れるなんて絶対にありえない。

 だから、余計にモヤモヤする。あたしのことを好きだと言った彼がお姉ちゃんと仲良くなっているものだから余計に……。

 よくよく考えなくても、あたしよりもお姉ちゃんのほうが良いのは明白。だから、彼がお姉ちゃんを狙っているのも当然。

 そう自分が納得するように頭の中では言い聞かすけど、やっぱり心の中はそれを認めたくないのかモヤモヤが溜まっていく。

 胸がチクリとする感覚に襲われる。まるで針で刺されているようでチクチクした痛みが広がっていく。それが不快感丸出しのなんとも言えない痛みだった。

 ノートに書いた約束を見るたびにページを破り捨ててやりたい衝動が募っていく。

 元々これは彼を突き放すための約束。叶うはずのない約束だから。破り捨てたって構わない。

 だってこれは形だけの約束なのだから……。

 けど、何故か破くことが出来なくて、ずっとそのノートは彼の約束が書いてあるページを残ったまま。

 そんなことを繰り返していたらあっという間にテスト当日を迎える。

 テスト自体は問題なかった。あたしは勉強が趣味みたいな人だから、九十点以上を取るのもそんなに苦じゃない。

 実際に返ってきたテストの点数は平均九十七点。これを越えるのはほぼ無理だろう。

 お姉ちゃんも全てのテストが返ってきたみたいだけど、点数までは教えてくれない。

 毎回、順位が発表されたときのお楽しみとしてお姉ちゃんは言わない。結果が分かったときの一喜一憂が楽しいらしい。

 そうしてテストが終わり、順位が発表されるまで数日は彼が家にやってくることはなかった。

 彼がどれだけ点数が良かったのかちゃんとは知らない。ただ、教室で彼の友だち? が彼の点数を見て驚いた声は聞こえていた。

 それなりには良かったんだろうくらいしか認識していない。あたしにはもうどうでも良かったから。

 そして順位が発表された日の昼休み。あたしはお姉ちゃんに連れられて掲示板の前までやってきた。

 そこには何人もの男女が立っていて、生徒たちが順位を見て賑わせていた。

 その中に彼の姿もあった。

 お姉ちゃんは彼の姿を見るなり彼の元へと歩み寄っていく。お姉ちゃんが声をかけると、彼は泣き始めた。

 その様子を見て彼はあたしに負けたんだと確信した。それと同時に嫌な感情がまたムクムクと胸の中で膨れていく。

 絶対に勝つと言っていたくせに負けて、あれだけ見栄を張っておきながらこの始末。

「ウソつき……」

 遠目で彼を見ていたあたしはボソリと言葉を漏らした。

 所詮口だけ……彼との約束なんて覚えている価値もなかったんだ。

 そんなことを思いながら彼を見つめる。いや、目が離せなかったんだ。

 彼の流した涙はまるで本気で悔しがっているようにも見えたから。でもそんなはずない。口だけ人なんだ。

 彼はお姉ちゃんに良いように見せるために嘘泣きをしているだけだ。そう自分に言い聞かせた。

 しばらく経つとお姉ちゃんが彼を抱き締めて、落ち着かせるように頭をポンポンと叩いていた。

 その光景を見ていると胸の中がゴワゴワとして不快な感情が込み上げてくる。

 何だろうこの気持ち……。お姉ちゃんが彼を抱き締めているのを見てるとなんかモヤモヤする……。

 お姉ちゃんが彼に盗られるとでも……思ってるのかな……? それなら納得出来る。けど、本当にそうなの? なんか違うような……。

 なにこれ……おかしいな……こんなことでイラつくなんて……それに心なしか胸もチクチクするし……。

 あたしはモヤモヤに苛立ちを覚え始めていた。なんで彼がお姉ちゃんに抱き締められている姿を見て、イライラするのか自分でもわからないでいる。

「なんで……」

 モヤモヤに苛立った気持ちを誤魔化すように呟き、二人から逃げるように目線を逸らした。

 逸らした先には今回の順位が表示されている。順位表を見たあたしはその場に立ち尽くした。

「ウソ……」

 一位にはあたしの名前が書いてなかった。代わりに書いてあったのはお姉ちゃんの名前で、つまりお姉ちゃんが首位になったことになる。

 別にそれがおかしいとかじゃなくて、あたしが驚いたのはそこじゃない。だって……。

「なんで……」

 なんで……彼よりもあたしの順位が低いの……? そんなのあり得ないはずなのに……。あたしはその現実を認めることが出来なかった。

 けど、何度見返しても変わらない。彼が二位で、あたしが三位。

 その差はたった一点。僅差であたしが彼に負けた。その事実があたしを混乱させた。

 じゃあなんで彼はあんな泣き顔をお姉ちゃんに見せていたの? それすらも全然分かんないよ……。

 彼のほうにチラリと視線を向けると、お姉ちゃんが彼にちゃんと結果を見ろと言い聞かせ、掲示板の近くまで誘導していた。

 お姉ちゃんと一緒に掲示板の前に立つ彼は自分の順位を見て、驚いた声を上げていた。

 どうやら彼は何か勘違いをしていたみたい。多分、名字だけ見てあたしに負けたんだと、勝手に思い込んでいたんだと思う。

 そこは納得できた。だけど、自分が彼に負けたことには納得がいかない。

 彼が勝ったということは……それはつまり、彼の約束を叶えていることになる。

 つまり、彼の言葉をあたしが信じることに……。

『好きだ』

 頭のなかでその言葉が響き渡る。その言葉を思い出した瞬間、体中が沸騰しそうなくらい熱くなる。

 胸の中がムズムズして、心臓が高鳴っていく感覚に襲われた。そんな自分の感情がわからないまま立ち尽くしていると──

「それで? お前はいつまでコソコソしているつもりだ?」

 そう言ってお姉ちゃんはあたしに声を投げかけた。それにより彼にあたしがここにいることバレてしまう。

 あたしは咄嗟に視線を逸らして彼と目が合わないようにする。ただ必死で目線を逸らしているせいで端から見たら挙動不審にも見える。

「その……お、おめでとう……お姉ちゃん……」

 とりあえずお姉ちゃんに祝いの言葉を送る。すると何故か彼があたしの名前を呼んで、一歩ずつ近づいてくる。

 彼が近づいてきた瞬間、あたしは思わずその場から逃げ出す。

 なんで逃げ出しているんだろ……こんなことしたら絶対変に思われるのに……。もうどうしたいいかわからないよ……。

 逃げ出したあたしを彼は追いかけてきた。

 なんで追いかけて来るの? 意味わかんない……。

 そのことで頭がいっぱいいっぱいになって、考える余裕すらなかった。

 ただ今は逃げることだけを考えてひたすら走った。だけど、体力のないあたしが逃げたところで彼との差が縮まっていく。

 それに普段走らないから息が上がって苦しくなってきた。このままだとあたしが先にバテる……どうしよう……。

 そう悩んでいるうちに限界が来て、あたしは脚を止めてその場で立ち止まってしまう。

 もう、走れない……。それに走ったせいで吐き気がするし……というかもう吐きそう……。

 あ……やば……。

 彼が近づいたタイミングであたしは口元に手を押さえた。それから堪えていたものが一気に溢れ出し、その場に逆流した吐瀉物を吐き出した。

「オエェー」

 苦しそうに悶えながらその場で嘔吐していると彼は慌てた様子であたしの前で膝をついた。

 彼に背中をさすられて少し吐き気が和らいだけど、すぐにまた気持ち悪いのが込み上げてきた。

 そんなあたしを彼は必死に介抱してくれたけど、あたしはまともに顔を合わせることが出来ずにずっと顔を背けたままだった。

 もう嫌だよ……なんでこうなるの……もう嫌だよぉ……。

 それからすぐにトイレに連れていかれて口をゆすがされた。その後に保健室に連れていかれて今に至る。

 彼に……頼那くんにもう一度告白されて、あたしは彼の言葉を信じると言った。

 すると、彼はその場で嬉しそうに泣きじゃくり始めて、あたしはどうすればいいのか分からず困惑することしか出来なかった。

 けど……その姿を見て、頼那くんは本当にあたしのことが……本気で好きなんだということが何となく分かった。

 あたしのことが本当に好きだから、あたしに信じてもらえるようにテストを頑張った。

 そして本当にあたしに勝っちゃうなんて……。

 頼那くんの行動や言動をちゃんと見ると、そのどれもがあたしに対する好意からきているものだった。それに気づかなかったあたしは、勝手に彼に失望して、勝手に彼を悪者にした。

 自分が傷付かないように、自分を守りたいがために……。

 頼那くんはずっとあたしのことを思って行動してくれていたのに……あたしは彼の想いをなにも分かろうともしないで自分都合でしか物事を見てなかった。

 彼は言葉だけじゃなくて、行動でもしっかりと示してくれた。だから……あたしも……ちゃんと誠意を見せなきゃいけない。

 あたしのことを好きだと言ってくれる頼那くんに。

 あたしのために勉強を頑張ってくれた彼に。

 ちゃんと……応えなきゃ……。

 あたしはもう、頼那くんから逃げないと決意した。自分の都合のいいように彼を見て、信用せず逆恨みをするようなことなんか絶対にしないって決めたんだ……。

 それに、彼を本気で信じるって決めることができたから、今は向き合うことができる。

 だから……ちゃんと伝えなきゃ……。

 あたしは被っていた布団を剥ぎとるとベッドから起き上がる。

 まだ頼那くんとは目線を合わせられないけど、ちゃんと彼を見て話さないと……。

「ら、頼那くん……」


 緊張で呂律が回らない。ただ名前呼ぶだけでもやっとの状態だ。本当に情けない……。けど、ちゃんと伝えなきゃ……あたしは自分の胸元に手を当てて小さく深呼吸して彼に向き合った。

「えっとね……その……あたし……」

 上手く言葉が出てこない。人に好意を持たれたことがなければ、告白をされたこともないからなにを言えばいいのか分からない。

 あたしが口ごもっていると、頼那くんが優しそうな顔であたしを見つめていた。

 特段カッコいいわけでもなければ、不細工な顔をしているわけでもない。むしろどこにでもいそうな顔に体型。

 そんな彼からの視線を受けてあたしは一気に顔に熱が籠る。恥ずかしくて今すぐにでも逃げ出したくなったけど、そんな我儘はもうしないって決めたんだ。

 だから、あたしは彼から決して目を逸らさないで彼の目を見つめながら必死に言葉を紡ぐ。

「あたし……本当に……頼那くんのことが……」

 こんなこと言ったら頼那くんは幻滅するかもしれない。けど、ちゃんと言わないといけない。真っ直ぐあたしに向き合おうとしてくれる彼にウソを付きたくないから。

「好きか……分かんない……」

 今、あたしが彼に言える精一杯の言葉……。嘘偽りのない本当に正直な言葉。

 ここ数日頼那くんに対して向けられた感情が理解できない。だから好きって感情をあたしはちゃんと判断できない。

 あたしが彼に抱いている感情の正体もハッキリとしていない。ただ自分でもよく分からない状態で彼と向き合いたくなんかない。

 だからこそちゃんと向き合うためにあたしは──

「だから……あたしに……恋を教えて……」

 それは頼那くんと恋人関係になるときに言ったセリフ。だけど、意味合いはあのときとは違う。

 ちゃんと彼と向き合うためにあたしは恋を知りたい。前みたいなお遊びの実験じゃなくて本気で恋を知りたい。

 しっかりと自分の中で答えを出さなきゃ頼那くんと向き合えない。彼の真っ直ぐな好意に応えられないから……。だから知りたいんだ。

「あたしのワガママで頼那くんを振り回すし、体質のせいでいっぱい迷惑かけちゃう面倒な女だけど……それでもいいなら……」

 これは彼への確認の言葉。これから自分が向き合うために、彼の時間を無駄に使わせることになる。

 最低最悪な面倒極まりない女の子との徒労に終わるかもしれない恋愛を彼は本当にしてくれるのかと、あたしは問いかけた。

「いいよ」

 そんなの当たり前だとばかりに即答する頼那くん。あまりにも即答で答えるから思わず戸惑ってしまう。

「え……ほ、ホントにいいの……?」

「本当に」

 彼にもう一度確認の言葉をかけると彼はまた即答で答える。そんな頼那くんにあたしは思わず尋ね返す。

「もし……本当にあたしが頼那くんのこと、好きになって……その……恋をしたらどうなるか分かんないよ……」

 恋を知ったあたしがどんな行動に出るのか自分でも予想できない。どんなことをやらかすか分からない。例えば……。

「恋を知った途端、頼那くんに興味がなくなるかもしれないし、逆に燃え上がり過ぎて、頼那くんと結婚しなきゃヤダとかワガママ言い出すかもしれないよ」


 とんでもない女だって自分でも分かってる。そんな女を恋人にするってことはつまりそういうことだ。あたし次第で頼那くんの人生を振り回す可能性だってあるんだから。

 なのに……彼は笑みを絶やさずに答えた。

「沙知が僕に興味が無くなったらまた興味が持ってもらえるようにまた努力するし、君となら結婚だってする覚悟は出来てるよ」

 彼の言葉を聞き、あたしは目を見開く。そして数秒ほど彼の顔を見ていると、あたしはとんでもない告白をされたことに気づく。

「あっ……え……えっと……あ、あたしなんかと結婚したいってこと……?」

「沙知さえ良ければ結婚して欲しいと思ってる」

 聞き間違いじゃない。しっかりと彼の口からその言葉を聞いた。そして彼の言葉を聞いたあたしは、今までに感じたことのないくらい顔が熱くなった気がした。

「あ……あたしなんかでホントにいいの……?」

 そんな素っ頓狂な言葉があたしの口から出てきた。だって本当にそうとしか言えないもん……。

 まさか、あたしなんかと結婚したいなんて言うなんて思わなかったんだもん……。

 だけど、彼のことを信じるって言った以上、彼の言ったことは全部本気だって信じる。

「沙知がいいんだ」

 彼にそう言われた瞬間、心臓の音が激しく鳴り響いた。胸の奥がギュッと締め付けられるような感覚がした。それはとても苦しくて、切なくて……。そして嫌じゃない不思議な感覚だった。

「う、うん……ありがと……」

 顔が熱い。正直頼那くんの顔が直視できない。しかも、恥ずかしいせいかどう接したらいいかが分からなくて俯いてしまう。

 ホント、君ってとんでもない男の子だよね……。

 自分の事をそこまで思ってくれる人がどれだけいるのか。正直分からないけど、あたしは彼の気持ちに応えようと思う。本当に好きなのかは分からない……でも彼と一緒ならきっと何かを見つけられるかもしれないから……。

「そ、それじゃあ……これからも……よろしくね……頼那くん……」

 あたしは真っ赤な顔のまま精一杯の笑顔で応えた。それを聞いた彼は嬉しそうに笑ってくれた。それから手を差し出してきた。

「こちらこそよろしく」

 彼の差し出された手にそっと手を重ねると、頼那くんは優しくあたしの手を握り返してくれた。そんな些細なことですら嬉しいと思ってしまった。

 そんな彼の優しさに触れながら、あたしは彼とこれから知っていこうと心に決めた。

 あたしはまだ恋を知らない。

 これから先、本当に誰かを好きになる日が来るのか……それとも恋を知ることなく人生を終えるかもしれない。

 でも、今は彼と一緒に知りたいって思う。この気持ちがどんなものなのかを……。

 彼ならきっとあたしと一緒に答えを見つけてくれるかもしれない……。

 そんな予感を胸に抱きながらあたしは、精一杯の笑顔を彼の前に晒した。

 こうしてあたしたちは恋を知るためにもう一度恋人同士になった。
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