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R-15
九話 『恋人同士になるのは』
 それからの記憶はとても曖昧だった。いつの間にかお昼休みになっていた。

 僕は校庭のベンチで一人お昼を食べていた。教室にいると嫌でも沙知のことが目に入るため、僕は逃げるようにこの場所でご飯を食べている。

 正直味は一切しない。ただ口に入れたものを喉に通して胃の中に流し込むだけだ。

 それに沙知とはこの場所で一緒にお昼を食べたことを思い出しては憂鬱な気分になってしまう。

 何でこんなことになってしまったのか……そればかりが頭の中を駆け巡る。

 そんなことを考えていると突然背後から人の気配を感じた僕は後ろを振り向くと、そこには沙知の姉である沙々さんが立っていた。

「あ……沙々さん」

「良かった……君を探していたんだ」

 沙々さんは安心した表情でそう言うと、僕の横に腰を下ろした。

「探していったって……僕に何か用ですか?」

「ああ……実は島田に話しておかないといけないことがあってな……」

 沙々さんはそう言い出すので、僕は首を傾げた。

「僕にですか?」

 沙々さんが僕に話があるといっても一体何の話なのかまるで見当がつかなかった。それにあまり彼女とは一緒に居たいとは思えず、僕はこの場を立ち去りたかった。

 双子だから仕方がないとはいえ、彼女の顔や声は沙知と全く一緒で嫌でも沙知のことを意識してしまう。

 そんなことを思いつつも彼女の言葉に耳を傾けていると、彼女は真剣な表情で口を開く。

「単刀直入に言うが島田……沙知が君の事を忘れていただろう」

 沙々さんのその言葉に僕の心臓は一瞬止まりそうになるが、なんとか平常心を保とうとする。だがそれでも僕は動揺を隠せないでいた。

 そんな僕の様子を見て沙々さんはやっぱりかというような反応を見せる。

「その様子だと本当に忘れていたようだな」

 沙々さんにそう言われると、僕は頷くしかなかった。それを見た沙々さんは僕に真剣な表情を浮かべる。

「さて……何から話せば良いものか……」

 沙々さんは腕を組みながらしばらくそう呟いた後に、ベンチに深く座り込んだ。

「あの……一つ聞いて良いですか?」

 僕がそう聞くと、沙々さんはちらっとこちらを見てくる。

「なんだ?」

「どうして……沙知は僕の事を忘れたんですか? 突然のこと過ぎて頭が混乱しているんですけど」

 僕は自分が思っている疑問を正直に口にした。

 あまりにも唐突に僕のことを忘れていた理由がどうしても知りたかったのだ。

 沙々さんはそれを聞くとしばらく考え込んだ様子を見せた後に静かに答えた。

「そうだな……今からとても酷いことを言うが許してくれ」

「なんですか?」

 沙々さんのトーンが下がる様子に僕は緊張した表情を浮かべる。そしてしばらくの間の後に沙々さんは重い口を開く。

「あいつは島田に興味がなくなったからだ」

「えっ……」

 沙々さんが言ったことに僕は一瞬反応できなかった。そして頭が真っ白になると、僕は全身に冷や汗をかき始める。

 そんな僕に対して沙々さんは構わず言葉を続ける。

「前置きとしてあいつは自分の知的好奇心のままに生きている」

「それは……なんとなく分かります」

 僕がそう答えると、沙々さんは真剣な目を向けてくる。

「自分が興味ある対象を見つけた際はそれを一心不乱に追いかけ自分が満足するところまで知ろうとする性格だ」

「はあ……」

「逆に言えば興味の対象外のことは一切記憶しようとしないし、記憶したところですぐに忘れる、あいつと一緒にいてそんな場面を見たことがあるはずだ」

 沙々さんにそう言われて僕は今まで沙知と過ごしてきた中で、ふと思い当たる出来事を思い出してしまう。

 あれは沙知と初めて知り合ったときのことだ。彼女に僕の名前を教えたが何度か間違えていた。それに沙知と中学が一緒だった佐々木のことも一切覚えていなかった。

「確かにありましたけど……あれは冗談だと思っていたので」

「いや冗談なんかではない、あいつは興味を持った対象しか記憶しないんだ」

「け……けど、沙知が僕の名前をちゃんと覚えてくれましたよ……」

 僕はなんとかそう反論するが、沙々さんは首を横に振る。

「それは恋人同士は名前で呼び合うものだと認識したから覚えただけだろう」

 沙々さんの言葉に僕は何も言えなくなる。確かにそうかもしれないと思ったからだ。

 そんな僕を憐れむ目で見ながら沙々さんは続ける。

「そもそも何故あいつと付き合うことになったんだ?」

「それは……沙知が恋愛感情を知りたいって言ってきたからです」

 僕が沙知から恋人同士の提案をされたときのことを思い出す。

 そういえば彼女は僕に沙知のどんなところに恋愛感情を感じたかという質問をしてきた。あの時は単なる興味本位だったと思っていたが、まさかこんなことになるなんて思いもしなかっただろう。

「ああ……なんとなく想像できるな……」

 そんな僕の気持ちを察してか沙々さんは苦笑いを浮かべる。

「あいつにとって恋愛感情を知ることが興味の対象であって、島田自身は興味の対象ではなかった」

 沙々さんの言葉が僕の胸に突き刺さる。はっきり言われたからか余計に胸が苦しい……。

「あくまでも恋愛感情を知るための恋人Aというサンプル……といったところだな」

「そう……なんですか」

 僕は沙々さんが言ったことに対して返す言葉が思いつかなかった。そんな僕の反応を見ると、彼女は少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「悪いな……嫌な話をしてしまって……」

「……いえ大丈夫です」

 本当は大丈夫ではないけど、沙々さんだってこんな話をするのは心苦しいはずだ。これ以上気を遣わせるわけにはいかないと思い僕は平然を装う。

「そうか……話を続ける、今回沙知が島田のことを忘れたのは、恋愛感情を知るという知的好奇心よりも他のことに関心が移ってしまったからだ」

「他のこと?」

「ああ、それで沙知は恋愛感情のことなんて眼中になくなっただろう」

 沙々さんはそう断言すると、僕の中である一つの考えが頭に浮かぶ。

「それじゃあ……もしも、また恋愛感情について知りたいって思ったら……」

 僕が恐る恐る沙々さんに尋ねると彼女は目線を下にやって答える。

「……恋愛感情について興味を持ったという事実は思い出すだろうが、誰と何をしたかは綺麗さっぱり忘れるだろう」

「そ……そんな……」

 沙々さんがあまりにも落ち着いた様子で話す様子に僕は心の底から絶望感を感じ始める。もし、これから沙知がまた恋愛について興味を持ったところで、僕については全て忘れてしまうということに。

「だから、島田がもう一度あいつと恋人役をやるとしてもまた最初からやり直しになるということだ」

「は……ははっ……」

 沙々さんの言葉に僕は思わず乾いた笑いをこぼしてしまう。あまりにも現実離れした話ばかりするせいでどう反応したらいいか分からなくなったからだ。

「それにまた興味の対象が変われば島田のことは間違いなく忘れるだろうな」

「……」

 沙々さんの言葉を聞いて僕は絶句する。僕が何度沙知の恋人役になったところで彼女が興味を示さなくなれば、沙知は僕のことを忘れてしまうんだ。

 僕はそんな事実を認めたくなくて耳を塞ぎたくなるが、そんなことをしても何も変わりはしない。

「じゃあどうすれば……」

 僕が力なくそう呟くと沙々さんはしばらく黙り込んでいた後、神妙な面持ちで口を開いた。

「島田……正直に言うぞ、沙知のことは諦めろ、その方がお前のためだ」

 沙々さんが僕のために気を遣いながら言っているのはなんとなく分かる。

 確かに沙知のことを諦めれば、もう何も悩まなくていい。ただただ初恋が失恋で終わった。いや、始まってすらもいない。それだけだ。

「仮に島田が沙知を諦めないと選択しても、あいつにはもう一つ致命的な欠点がある」

「……なんですか」

「それは……あいつの身体は恐ろしいほどに病弱ということだ」

「えっ……?」

 沙々さんの言葉が一瞬理解できず、僕は思わず変な声を上げてしまう。だが僕の様子も気にせずに彼女は言葉を続ける。

「お前も知っていると思うがあいつは体力が無いだろ?」

「それは知ってます」

 沙知は毎日登校する度に息を切らせて教室に入る姿を何度も見たことがある。

 それに登下校する際は必ずセグウェイに乗っているし、体育の授業は絶対に見学をしているのが日常だった。

 その理由が単純に体力がなくて体を動かすのが億劫だからなのかと僕は勝手に解釈していたが、どうやらそれだけではないらしい。

「あいつの体は普通の人より体力が無い、それに少しでも運動をすればそれだけで死にかけるぐらいだ」

「そ……そんなにですか……」

 そこまで聞いて僕はようやく初めて知り合ったときに沙知が倒れていたのかを理解した。

 あのとき彼女は科学室に行こうとして、少しの距離を歩いただけで疲れ果てていた。それは運動したからではなく、ただ短い距離を歩いただけなのに……。

 それだけで疲れるほどの虚弱体質。

「仮に島田が沙知と恋人役を続けたとしよう、まず普通のデートはほぼできないと言っていい」

 沙々さんの言うことは最もだ。たかが校内の移動だけで疲れ果ててしまうほどの虚弱体質が仮にデートができるだろうか。

 答えはノーだ。どこかへ遊びに行こうとなれば、必ずしも移動は発生する。その度に沙知の身体に負担が掛かるだろう。

「もし、沙知と島田が本当の意味で恋人同士になったとしてもまともな男女交際はほぼ制限されてくる」

「沙知に負担が掛かるからですよね……」

 僕は重い口調で呟く。すると沙々さんは静かに首を縦に振った。

「……そうだな、その上虚弱体質である以上、この先妊娠はおろか性行為でさえ、あいつには死のリスクがある」

「……」

「だからな島田……あいつと恋人同士になるのは諦めて、また別の相手を探すほうがお前の為だ」

 沙々さんの言う通りかもしれない。相手は自分のことをまともに見ていない。それどころか実験動物くらいにしか思ってない。

 そんな相手に対して僕が必死にアプローチをして上手くいくとは到底思えない。もし、例え付き合ったとしても、沙知が虚弱体質である以上まともな恋人同士の営みはできない。

 そんなできないことだらけの関係なんて苦痛でしかない。

 普通に考えてそんな相手と恋人になるくらいならまた別の相手を探したほうが自分の為なのだろう。

 だからか……。沙知のお母さんも辛くなったら娘とはすぐに別れても良いなんてことを言っていた。

「確かに……このまま続けてもデメリットだらけですね」

 僕がそう呟くと、沙々さんは申し訳なさそうな声で謝る。

「すまないな島田……」

 沙々さんが謝ることなんて何一つもない。だってこんな残酷な真実をちゃんと説明してくれたんだ。感謝こそしても責める道理はない。

「いえ、ありがとうございます」

 僕は沙々さんに向かって頭を下げると感謝の言葉を告げた。そして一度息を吐くと顔を上げて答える。

「正直……ショックなことが多すぎて頭がこんがらがってます、だから、自分の中でちゃんと整理する時間をください」

「そうだな……それがいい……」

 沙々さんは頷くと立ち上がり僕に背中を向けた。おそらく僕を一人にさせてくれているのだろう。そんな気遣いがありがたくもあり辛くもあった。

 そして僕は校庭のベンチで一人座りぼんやりと空を見上げて、ただ空を眺めることしかできなかった。
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