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作者: 矢賀地 進
SNS活用法
「スマートフォン向けRPG『異世界大戦 ワンダラーズ』サービス開始します!!」

 そう言って月本がノートPCのエンターキーを叩くと、フロア中から自然と拍手が巻き起こった。それが落ち着いてしばらくの後、皆の視線はある一点に向かっていた。その先には、壁にかけられた大きなモニターがある。

「どうやら無事にリリースできたようですね、順調にダウンロード数とアクセスも増えていっています」

 野間がそう言いながら、モニターを指差す。そこに表示されたダッシュボードに、実際のユーザーからのアクセスを表す棒グラフが表示されていた。直前までほぼ平らだったのが、グラフの右端が一気に上に跳ねているのがわかる。

「ええ、集計できるデータはまだ今後増やすようですが、なんとか新谷さんが間に合わせてくれましたね」

 冴川も技術者として興味深いのか、仕事の成果が数字として目に見えて増えていくのが嬉しいのか、いくらか声が弾んでいるように聞こえる。

 サーバー側にはゲーム内の仕様だけではなく、ユーザーからの期間・時間帯ごとアクセスや課金アイテムの売上、その他様々なデータを集計してダッシュボードに表示する機能が実装されており、それは新谷が担当していた箇所だった。

 そういった情報があることで、どれだけ広告の効果があったか、アプリのダウンロード数が増えたか、その中からどれだけの割合が課金アイテムを購入したのかなどを定量的に判断ができ、日々のサービス運営に活かすことができるようになる。

 月本が数秒ごとに更新され増え続けるグラフを眺めていると、新谷と原がビニール袋を手に下げながらフロアに入ってくるのが見えた。どうやら何か買い出しに行っていたようだ。

「ほら、みんな一個ずつ持ってって!」

 新谷が中の物を配ろうとしているところに近づくと、袋の中には大量のパーティークラッカーが入っていた。一つ取り出して、席に戻る。

 チームの全員が取り終えたところで、桃山が「よし、みんな持ったか?」と確認し、月本のほうを見やりうなずく。

 先程のサービス開始に続いて、どうやらなかなかの大役を任されてしまったようだ。誰もが月本の言葉を今か今かと待つ中、一つ大きく息をつき、しばし感慨に浸る。

(ついにやったよ、健の残した企画が、形になって世に出たんだ。まあ、本番はこれからだけどな)

 約束を果たせた喜びに思わずこみ上げるものをこらえながら、周りを見回す。

 皆、良い顔をしていた。そして、今はしんみりする時ではないと気持ちを切り替えると、月本は努めて明るく音頭を取った。

「『異世界大戦ワンダラーズ』サービス開始、おめでとうございまーす!はい、せーの!」

 合図に合わせてそれぞれがクラッカーの紐を引っ張ると、部屋中にパンと小気味よい音が何度も響きわたり、紙吹雪が舞うのだった。

 ◆◆◆

「よし、じゃあ無事リリースできたところで、皆、向こうの会議室に移動してくれるか」

 桃山に言われた通り会議室に入ると、中央に並べられた机の上にピザや中華料理、さらには寿司まで、所狭しと豪華な食事が並んでいた。事前にケータリングを頼んでいたのだろう。コーラや麦茶のペットボトル、更には缶ビールまで置かれている。

「みんなの頑張りのお陰で、なんとか温かいうちに食べられるな!早いもの勝ちだぞ」

 そう桃山が言うと、「いただきます」とそこかしこから声があがる。

「やったー、会社で明るいうちからお酒飲んでいいなんて!」

 大げさに反応する福田に「ほどほどにしてくださいよ」と呆れながら声をかけると、冴川も会話に入ってきた。

「前職を思い出しますね。金曜日に職場で同僚とよく飲んだりしました」

「そうなんだ、アメリカの会社って楽しそうでいいよね」

「確かに良いところもありますが、また別の大変さもありますよ」

 過去を懐かしみ、微笑みながら冴川は答えた。

「でも、エンジニアの人たちが飲みすぎちゃったら、このあと何かトラブルあったらどうするの?」

「私は福田さんと違って、飲みすぎることはないので」

「冴川君、最近私に当たりきつくない?」

「それは文江先生の日頃の行いのせいじゃないですか?」

 三人が楽しげに話していると、野間も寄ってきて「私は食べる専門ですので、万が一の不具合対応は私に任せて存分に楽しんでください」と頼もしい一言を残すと、左手の皿に残る焼きそばをかきこみながら、その巨体に見合わぬ素早さでまっしぐらにピザを取りに向かっている。

「早いもの勝ちですからね、ピザ、無くなっても知りませんよ」

「ほら、野間ちゃんだとほんとに全部食べかねないよ、二人とも!」

 そう福田に促され、月本が紙皿と割り箸を取りに向かおうとした時には既に、彼女は電光石火の早業で500mlのビール6缶パックを両手に、合計6リットル確保していた。

 ◆◆◆

 その後、大方の予想通りに絡み酒を始めた福田は、冴川の背後から忍び寄り彼の耳元に口を近づけ、話しかけようとしていた。常識的に考えれば、既婚女性が職場の男性にする行動としては不適切だが、飲酒した彼女に常識を期待するのがそもそもの間違いなのかもしれない。

「こら、文江先生、近い近い!」
 
 触る場所に気をつけながら、月本がなんとか二人を引き離す。

「聖騎士(せいきし)、アキト君の、ちょっといいブログ見てみたい、いえーい!ぷぷっ」

 冴川の使っているハンドルネームでわざとらしく呼びかけて、馬鹿にした風で笑っている。

「聖騎士(パラディン)です、そこは大事ですので間違えないでください」

(あ、怒るところ、そこなんだ)

 彼の不満に思う点はどこかずれているように思えて可笑しかった。

「でも逆にすごくない?中2っていうの?このネーミングセンス。よーし、開発メンバーが書いてるってことで、アキト君のブログを、私のアカウントで紹介しちゃおうっかな!そしたら、拡散されて一躍時の人になれるかもよ?」

「私は別に、あまりアクセスだとかは気にしていないんです。分かる人にだけ分かってもらえれば」

「でもさあ、やっぱりぃ、良いものはたくさんの人に見てもらったほうがいいと思うのよ、私は。アキト君のブログすごく好きだよ。読んだらさ、この人はほんっとうにゲーム好きなんだなって、分かる人には絶対分かるよ!私が保証します!」

 呂律が怪しくなりながらも、良いものは良いと、素直な感想を本人にもはっきり伝える。見目麗しい彼女にそんな直球を投げられてしまっては悪く思う人はいないだろう。毎度これではついつい少しの粗相も大目に見てしまうなと月本は苦笑いした。

 冴川もそう言われてはあまり邪険にもできず、少し照れながらも「それは……ありがとうございます」と完全に毒気を抜かれていた。

「実は、僕も文江先生と同じ意見なんです」

「そんな月本さんまで、褒めても何も出ませんよ」

 月本が正直な気持ちとこれまでの感謝を伝えようとしたところで、なにか不穏な気配を察知したが、気づいて止めようとしたときにはすでに手遅れだった。

「よーし。善は急げで。やっちゃいます!ディァァ・ロォンリネェスの感想のURLはっと、あとこの画像も一緒に投稿してっと……できた!」

「『Dear Loneliness』です。それに、今何を」

 冴川が本場仕込みの発音で正すも、どうやら既に投稿は終わってしまったようだ。その後、1分と経たないうちに彼のポケットの中のスマホが通知で何度も鳴るのを聞いた。

「アキト君、スマホ鳴ってるよ!」

「いえ、後で確認しますので大丈夫です……ってあれ?」

 何かがおかしい。通知が鳴り止まない。冴川がスマホを取り出してロックを解除すると、「なんだこれは!」と今まで見たことのない驚き方をしながら、SNSのアプリアイコンに表示された「99+」という信じられない数字を月本にも見せてきた。

「これってもしかして……」

「ええ、恐らくは。福田さん、一体何を投稿したのですか」

「いやあ、私はね、いつも通知オフにしてるの~」

「そういうことを聞いているのではありません」

 噛み合わない会話に、一触即発の緊張感があたりに漂い、その間も通知音は止まらない。

「何が起きたのか、確かめさせてもらいます」

 意を決した冴川がアプリを開き、通知欄を確認すると、そこには信じられないほど凄惨な光景が広がっていた。

「ああぁぁ……、なんてことだ……!」

 画面に表示されるリプライの数々を横から覗き見た月本は、わざとらしく衝撃で膝から崩れ落ちるフリをした。

『ふみえちゃん、可愛いすぎるよう、おじさん我慢できないよ(*^^*)』

『水着似合ってるね!Fカップかな!??♥♥』
 
『ナイスバディ!(^q^)』

『可愛い♥ペロペロしたい』

『ええチチとケツやな、ワイは腐美絵のファンや♥♥♥♥♥』

 光に群がる蛾のように、際どい水着姿の画像に返信する哀れな有象無象のアカウントから溢れ出す性欲が、冴川の通知欄を圧倒的なエネルギーと件数をもって蹂躙し、今この瞬間も彼のスマホを数秒ごとに振動させ、通知音を響かせている。そして、これまた今まで見たことのない渋い表情で、冴川がため息をついた後に呟いた。

「このSNS(海)は、地獄だ…!」
 
 元はといえば日本、いや世界中に散らばる男共のデジタルデバイスから放たれた生々しい感情の奔流が、2進数のデータに形を変え物理的なケーブルや無線を経由して電子の海を漂い、最終的には振動と音という物理的な現象と気持ち悪い文章を伴い、冴川の精神を確実に削り取っていった。

 事の次第はこうだ。福田が冴川のアカウントに@(アットマーク)でメンションしながら、ブログのURLを彼女の水着画像と共に投稿した結果、彼女のファンからの大量の巻き込みリプライを食らうことになったのだ。ただひたすら他人の画像に対する独りよがりなリプライが届くのは迷惑極まりないだろうが、月本にとっては所詮他人事であり、正直に言うとこの状況をこっそり楽しんでいた。

「なんてことをしてくれるんですか、今すぐ消してください!それに、こ、こういうエ……いえ、注目されやすい画像を気軽にネット上にアップするのはリスクもあります。もっと自分を大事にしてください」

「心配してくれるの、アキト君優しい!さすが聖騎士(パラディン)。でもね、注目されたらたくさん読んでもらえるよ!」

「そうかもしれませんが、もう少し他のやり方もあるでしょう」

「だってぇ、画像があるだけでぇ、反応の数が段違いなんだもん」

 いつの世も変わらぬ悲しい男の性。福田がこの世界の残酷で絶対的な真実を口にするも、冴川は諦めない。

「数字だけにとらわれて大切なことを見失ってはいけません!」

 口論とも漫才ともつかない言い合いを続ける二人を見る。

(もしかしてこの二人、実は相性バッチリなんじゃない?面白いからもっと続けてくれないかなぁ)

 月本は紙コップ片手に必死で笑いをこらえながら、無責任にもそう思ったのだった。
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