最後の砦・QAテスター
「よし、今日はこんなとこか。α版が2週間後に迫ってるから、それまでになんとか入れられる仕様は入れとこう。スケジュール厳しいが、もし実装間に合わなそうだったら相談してくれ」
桃山が定例ミーティングの終わり際にそう告げると、「質問です」と手が挙がった。QAテスターの契約社員、直島修平(なおしましゅうへい)だ。
「あの、基本的なとこですけど、α版ってなんすか?」
肩の少し上まで伸びた長い髪をかきあげながら、気怠い様子で尋ねる。
「ああ、要はゲームをリリースするにもいきなりドーンと出すわけじゃなくて、社内用のバージョンでプレイして色々改善点を洗い出してくってことだ。外には出ないから画像やテキストは仮でもOKだが、とはいえ南社長にもレビューしてもらう形にはなるから、ちゃんとコンセプトからブレずに、ゲームとして遊べないとダメだけどな。でも、修平は前にも経験なかったか?」
直島は以前『レジェンズユニバースオンライン』で、派遣社員としてQAテスターをしていたことがあり、その縁で桃山が声をかけたのだ。企画段階なら別だが、だんだんゲームが形になってくると専属のテスターが必要となってくる。最終的には人がプレイするものとなれば、人力で確認をするのがクオリティアップには必須なのである。
「そりゃ俺は知ってますけど、ほら、原さんが初めてでしょ」
そう言いながら直島が横を見ると、アルバイトで入社したての原君枝(はらきみえ)がいた。不安そうな表情を浮かべていた彼女が「すみません」と軽く頭を下げ、短めに揃えた髪が揺れる。
「いいんだ、説明しないこっちが悪かった、わからないことあったら誰にでも遠慮しないで聞いてくれよな」
桃山も原に優しく声をかけると、新谷もここぞとばかりに身を乗り出して続ける。
「そうそう、別に直島君だけじゃなくてさ、俺にもなんでも聞いちゃっていいのよ。手取り足取り教えちゃうからね、へへっ」
「なんか下心ありそうなのよねこの男は。原さんも、あんなのじゃなくて話しやすい人に聞けばいいからね」
福田が呆れながらもフォローを入れると、原は少し緊張が解けた様子で軽く微笑み、小さな声で「ありがとうございます」と答えた。
「あんなの呼ばわりは酷いよ、文江ちゃん」
「新谷は日頃の行いがあるから、自業自得ってやつだな」
「そんなぁ、桃山さんまで!」
「よし、じゃオチもついたところで、今週も頑張って行こう!」
桃山が締めて解散となり、それぞれ席を立ち会議室を出ていった。
◆◆◆
α版に向け、開発を進めていたある日。冴川が修正中の不具合について相談しようと直島の席に来たが、離席しているらしく見当たらない。周りを見回して探していると、横にいて目が合った原がおずおずと声をかけてきた。
「あの、ここ、止まっちゃったのですけど」
見てみると、画面上にエラーのログ表示され、ゲームが停止してしまっている。タップしても反応がないようだ。
「なるほど……少し良いですか」
原から端末を受け取り、エラーの詳細を確認する。おそらくサーバー側で自分が実装したところだろう、考えられるケースはすぐに思い当たった。
「なるほど、これはサーバー側でアイテムのデータが無いということですね」
まだよくわかっていない様子の原を見て、さらに説明をする。
「ここをタップした時点でこのスマホから、このアイテムの情報をください、という風に通信をするんですね。ですが、サーバー側ではそんなアイテムありませんよ、とエラーが返ってきていると」
「では、どうすればいいですか?」
「詳しい原因の調査と修正はこちらでやりますので大丈夫です。おそらく、アイテムのデータになにか不備があるのではないかと。スクリーンショットを添付して、チケット作成をお願いできますか?原さんの方では、修正後に、直っていることを確認していただく形です」
社内のタスク管理システムに情報を登録するための一単位を、チケットと呼ぶ。タイトル、内容、担当者、報告者などを記入し、進捗に応じて担当者が対応中、修正済み、確認済みとステータスを変更する。こうすることで、プロジェクトの進捗が目に見える形で管理できるというわけだ。
「えっと、スクリーンショットはどうやって……」
冴川は、手元の端末を原に見せながら、電源ボタンと音量を下げるボタンを長押ししてみせる。
「こうです。これでスクリーンショットが取れましたので、PCからアクセスできますか?」
USBケーブルがPCに繋がっているのを確認しながら言う。原がエクスプローラからファイルにたどり着いたのを見、「ではあとは大丈夫そうですね」と確認すると、ちょうど直島が戻ってくるところが見えた。
「お待たせ、冴川さん。ああ、教えてくれてたんすね、助かります」
ちょうど戻ってきた直島が言うと、どこからともなく現れた福田が「そうそう、丁寧に教えてくれるのね、優しい~」と続ける。
「ねえ、どうよ原さん、このちょっとミステリアスな知的メガネ男子は」
「べ、別に他意はありませんが。早く戦力になってもらったほうが、こちらとしても助かりますから」
「照れちゃってもう。でもね、こういうタイプは攻略するには難易度は高いかもよ?実はずっと心に決めた人がとか、秘めたトラウマがみたいな、ありがちなパターンよね」
「はいはい、そういうのはもういいっすから」
きょとんとした原を置き去りにして勝手に盛り上がる三人だった。
◆◆◆
その頃、自席で敵モンスターのパラメータを修正していた月本は、新しいメールを受信したのに気づいた。どうやら自分が新しいチケットの担当になったらしい。それと同時に、席まで直島がやってくるのが見える。
「月本さんさ、このチケットなんすけど」
メールからリンクを開いて確認すると、重要度Sの停止バグだった。バグにも色々あり、単純な誤字脱字や単純な表示のずれであれば、優先度は低めにはなる。その中でもゲームが停止して進行不能になるものは、真っ先に修正するべき優先度として扱われるのだ。チケットを詳しく見るとスクリーンショットとともに、再現方法が書かれている。
「んじゃ頼みます、敵のバランス調整の方は?」
「あの、もう少し時間もらえますか?明日中には、なんとか……」
下手に出て頼むものの、直島の表情は渋い。
「ほんとに明日中で行けます?なるべく早めに頼みますよ、テストの時間もしっかり取りたいし。チェック足りなくてリリースしちゃったら、結局俺らが文句言われるんすよ」
「なんとかします、すみません」
必死に頭を下げると、一応は納得してくれたようだ。とはいえ、バグのチケットもこれで10件近く溜まってしまっている。どうしたものかと考えていると、隣の席の土屋からのありがたい申し出があった。
「私少し手が空いてるから手伝おうか?直島君も、気持ちはわかるけど、そんな言い方したら可哀想だよ」
土屋の柔らかくたしなめる様子に、どこか毒気を抜かれた直島は、軽く頭を掻きながら答える。
「ああ、まあ今のチームなら正直そこまで心配はしてないっすけど、前は酷くて。社員がQAテスターの部屋まで怒鳴り込んできたりとかもしたわけ。元々の実装が雑なのが悪いのに、テストで発見できない方が悪いみたいな感じで言われてさ」
『レジェンズユニバースオンライン』でのことだろう、月本も覚えている。
「今のチームはそんなことで責める人はいないから大丈夫だよ。それじゃ私がいくつか引き取るから、一旦先に停止バグ直そっか。再現できそう?」
「はい、ちょっと試してみます」
頼もしく仕切って指示を出す土屋に、素直に従う。手元の端末で手順を試してみると、スクリーンショットと同じような状態になって停止している。
「ああ、このログにあるアイテムのID、とりあえず入力して後回しにしてたやつでした」
「お、良かった、じゃ直せそうすか?いやあ、しかし土屋さんの仕様書はわかりやすいしバグもないし、月本さんもちょっとは見習ってほしいもんすね」
「こら、困ったときはお互い様でしょ」
二人の掛け合いを聞きながら、以前の職場を思い出す。当時より人は減って仕事量は増えても、自分が行った作業や入力したデータがそのままゲームの大事な部分になり、プレイできる形で動いている。責任も重大だが、それはとても有り難くやりがいのあることだなと改めて実感すると、作業に戻る月本だった。
桃山が定例ミーティングの終わり際にそう告げると、「質問です」と手が挙がった。QAテスターの契約社員、直島修平(なおしましゅうへい)だ。
「あの、基本的なとこですけど、α版ってなんすか?」
肩の少し上まで伸びた長い髪をかきあげながら、気怠い様子で尋ねる。
「ああ、要はゲームをリリースするにもいきなりドーンと出すわけじゃなくて、社内用のバージョンでプレイして色々改善点を洗い出してくってことだ。外には出ないから画像やテキストは仮でもOKだが、とはいえ南社長にもレビューしてもらう形にはなるから、ちゃんとコンセプトからブレずに、ゲームとして遊べないとダメだけどな。でも、修平は前にも経験なかったか?」
直島は以前『レジェンズユニバースオンライン』で、派遣社員としてQAテスターをしていたことがあり、その縁で桃山が声をかけたのだ。企画段階なら別だが、だんだんゲームが形になってくると専属のテスターが必要となってくる。最終的には人がプレイするものとなれば、人力で確認をするのがクオリティアップには必須なのである。
「そりゃ俺は知ってますけど、ほら、原さんが初めてでしょ」
そう言いながら直島が横を見ると、アルバイトで入社したての原君枝(はらきみえ)がいた。不安そうな表情を浮かべていた彼女が「すみません」と軽く頭を下げ、短めに揃えた髪が揺れる。
「いいんだ、説明しないこっちが悪かった、わからないことあったら誰にでも遠慮しないで聞いてくれよな」
桃山も原に優しく声をかけると、新谷もここぞとばかりに身を乗り出して続ける。
「そうそう、別に直島君だけじゃなくてさ、俺にもなんでも聞いちゃっていいのよ。手取り足取り教えちゃうからね、へへっ」
「なんか下心ありそうなのよねこの男は。原さんも、あんなのじゃなくて話しやすい人に聞けばいいからね」
福田が呆れながらもフォローを入れると、原は少し緊張が解けた様子で軽く微笑み、小さな声で「ありがとうございます」と答えた。
「あんなの呼ばわりは酷いよ、文江ちゃん」
「新谷は日頃の行いがあるから、自業自得ってやつだな」
「そんなぁ、桃山さんまで!」
「よし、じゃオチもついたところで、今週も頑張って行こう!」
桃山が締めて解散となり、それぞれ席を立ち会議室を出ていった。
◆◆◆
α版に向け、開発を進めていたある日。冴川が修正中の不具合について相談しようと直島の席に来たが、離席しているらしく見当たらない。周りを見回して探していると、横にいて目が合った原がおずおずと声をかけてきた。
「あの、ここ、止まっちゃったのですけど」
見てみると、画面上にエラーのログ表示され、ゲームが停止してしまっている。タップしても反応がないようだ。
「なるほど……少し良いですか」
原から端末を受け取り、エラーの詳細を確認する。おそらくサーバー側で自分が実装したところだろう、考えられるケースはすぐに思い当たった。
「なるほど、これはサーバー側でアイテムのデータが無いということですね」
まだよくわかっていない様子の原を見て、さらに説明をする。
「ここをタップした時点でこのスマホから、このアイテムの情報をください、という風に通信をするんですね。ですが、サーバー側ではそんなアイテムありませんよ、とエラーが返ってきていると」
「では、どうすればいいですか?」
「詳しい原因の調査と修正はこちらでやりますので大丈夫です。おそらく、アイテムのデータになにか不備があるのではないかと。スクリーンショットを添付して、チケット作成をお願いできますか?原さんの方では、修正後に、直っていることを確認していただく形です」
社内のタスク管理システムに情報を登録するための一単位を、チケットと呼ぶ。タイトル、内容、担当者、報告者などを記入し、進捗に応じて担当者が対応中、修正済み、確認済みとステータスを変更する。こうすることで、プロジェクトの進捗が目に見える形で管理できるというわけだ。
「えっと、スクリーンショットはどうやって……」
冴川は、手元の端末を原に見せながら、電源ボタンと音量を下げるボタンを長押ししてみせる。
「こうです。これでスクリーンショットが取れましたので、PCからアクセスできますか?」
USBケーブルがPCに繋がっているのを確認しながら言う。原がエクスプローラからファイルにたどり着いたのを見、「ではあとは大丈夫そうですね」と確認すると、ちょうど直島が戻ってくるところが見えた。
「お待たせ、冴川さん。ああ、教えてくれてたんすね、助かります」
ちょうど戻ってきた直島が言うと、どこからともなく現れた福田が「そうそう、丁寧に教えてくれるのね、優しい~」と続ける。
「ねえ、どうよ原さん、このちょっとミステリアスな知的メガネ男子は」
「べ、別に他意はありませんが。早く戦力になってもらったほうが、こちらとしても助かりますから」
「照れちゃってもう。でもね、こういうタイプは攻略するには難易度は高いかもよ?実はずっと心に決めた人がとか、秘めたトラウマがみたいな、ありがちなパターンよね」
「はいはい、そういうのはもういいっすから」
きょとんとした原を置き去りにして勝手に盛り上がる三人だった。
◆◆◆
その頃、自席で敵モンスターのパラメータを修正していた月本は、新しいメールを受信したのに気づいた。どうやら自分が新しいチケットの担当になったらしい。それと同時に、席まで直島がやってくるのが見える。
「月本さんさ、このチケットなんすけど」
メールからリンクを開いて確認すると、重要度Sの停止バグだった。バグにも色々あり、単純な誤字脱字や単純な表示のずれであれば、優先度は低めにはなる。その中でもゲームが停止して進行不能になるものは、真っ先に修正するべき優先度として扱われるのだ。チケットを詳しく見るとスクリーンショットとともに、再現方法が書かれている。
「んじゃ頼みます、敵のバランス調整の方は?」
「あの、もう少し時間もらえますか?明日中には、なんとか……」
下手に出て頼むものの、直島の表情は渋い。
「ほんとに明日中で行けます?なるべく早めに頼みますよ、テストの時間もしっかり取りたいし。チェック足りなくてリリースしちゃったら、結局俺らが文句言われるんすよ」
「なんとかします、すみません」
必死に頭を下げると、一応は納得してくれたようだ。とはいえ、バグのチケットもこれで10件近く溜まってしまっている。どうしたものかと考えていると、隣の席の土屋からのありがたい申し出があった。
「私少し手が空いてるから手伝おうか?直島君も、気持ちはわかるけど、そんな言い方したら可哀想だよ」
土屋の柔らかくたしなめる様子に、どこか毒気を抜かれた直島は、軽く頭を掻きながら答える。
「ああ、まあ今のチームなら正直そこまで心配はしてないっすけど、前は酷くて。社員がQAテスターの部屋まで怒鳴り込んできたりとかもしたわけ。元々の実装が雑なのが悪いのに、テストで発見できない方が悪いみたいな感じで言われてさ」
『レジェンズユニバースオンライン』でのことだろう、月本も覚えている。
「今のチームはそんなことで責める人はいないから大丈夫だよ。それじゃ私がいくつか引き取るから、一旦先に停止バグ直そっか。再現できそう?」
「はい、ちょっと試してみます」
頼もしく仕切って指示を出す土屋に、素直に従う。手元の端末で手順を試してみると、スクリーンショットと同じような状態になって停止している。
「ああ、このログにあるアイテムのID、とりあえず入力して後回しにしてたやつでした」
「お、良かった、じゃ直せそうすか?いやあ、しかし土屋さんの仕様書はわかりやすいしバグもないし、月本さんもちょっとは見習ってほしいもんすね」
「こら、困ったときはお互い様でしょ」
二人の掛け合いを聞きながら、以前の職場を思い出す。当時より人は減って仕事量は増えても、自分が行った作業や入力したデータがそのままゲームの大事な部分になり、プレイできる形で動いている。責任も重大だが、それはとても有り難くやりがいのあることだなと改めて実感すると、作業に戻る月本だった。