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作者: 日暮ミミ♪
初めての恋と大きな覚悟 ①
 わたしには、彼が少し照れているようにも見えた。ハンドルを握る彼の横顔が月明かりに照らされて、思わずウットリと見とれてしまう。……どうしてわたし、彼のことがこんなに気になるんだろう?

 ――その後の会話は、彼の家族の話題に移っていった。
 桐島家のお父さまは大手メガバンクの支店長さん、お母さまは若い頃保育士さんだったそうだ。貢には四歳上のお兄さまもいて、調理師として飲食店で働いていると聞いた。将来的には自分でお店をオープンさせたいのだとか。

「へぇー、スゴいなぁ。立派な目標をお持ちなんだね。桐島さんにはないの? 夢とか目標とか」

「…………まぁいいじゃないですか、僕のことは。今はこの会社で働けているだけで満足なので」

 彼は明らかに、この質問への答えをはぐらかしていて、わたしはちょっと不満だった。

「そんなことより、ちょっと不謹慎な質問をしてもいいですか?」

「……えっ? うん……別にいいけど」

「お父さまに万が一のことがあった場合、後継者はどなたになるんでしょうか」

 つまり、父が亡くなった後ということだろう。娘であるわたしに気を遣って遠回しな表現をしてくれたのだと、わたしはすぐに気がついた。

「う~んと、順当にいけばわたし……ってことになるのかなぁ。ママは経営にたずさわる気がないみたいだし、わたしは一人っ子だから」

 ちなみに母も一人娘だったので、父が婿入りすることになったのだ。

「お母さまは確か、以前教員をされていたんですよね。中学校の英語の」

「うん、そうなの。だから元々経営に興味がなかったみたい。祖父が会長を引退した時も、自分は後継を辞退してパパに譲ったみたいだし。まぁ、ウチの当主ではあるんだけど」

 その祖父も、今から五年前にこの世を去った。前年に心臓発作で他界した祖母の後を追うようにして。祖母が亡くなってから、祖父の体調が悪くなったことをわたしもよく憶えていた。

「親戚の中には、パパが後継者になったことをよく思ってない人たちも少なくなかったなぁ。まためることにならなきゃいいんだけど」

 わたしは遠からず起きるであろうお家騒動を想像して、ウンザリとドレスの上に着ていた白いジャケットのえりをいじりながらため息をついた。

「名門一族って、どこも大変なんですね……」

「うん……、ホントに」

 彼の素直なコメントに、わたしも頷いた。
 篠沢家も明治時代から代々続く経営者の一族だ。過去には遺産相続や後継者のことで何度も揉めごとがあったに違いない。……まさかわたしまで、しかもあんなに早く、その渦中かちゅうに放り込まれることになるなんて思ってもみなかった。

「絢乃さん、一人っ子だとおっしゃってましたよね? ご結婚される時はどうなるんですか?」

「やっぱり、相手に婿入りしてもらうことになるんじゃないかなぁ。パパの時みたいに」

 父の旧姓は井上いのうえといい、二歳上のお兄さん――わたしから見れば伯父おじがいる。伯父の家族はもう十年以上前からアメリカ在住だ。

「じゃあ……、僕もその候補に入れて頂くことは可能ですか?」

「…………えっ!? ……うん、多分……大丈夫だと思うけど」

 一瞬彼の言っていることが理解できず、キョトンとなりながらも真面目に答えると、彼からは「冗談ですからお気になさらず」と肩をすくめられた。
 本当に冗談だったのかな? 本気ならいいのにな……と思いながら、わたしの胸は高鳴っていて、自分でも戸惑っていた。


 ――もうすぐ恵比寿えびすというところで、クラッチバッグの中でスマホがヴーッ、ヴーッ……と振動した。

「……あ、電話だ。出てもいい?」

 急いで画面を確かめると、かけてきたのは母だった。

「どうぞ。お母さまからですか?」

「うん。――もしもし、ママ? 今、桐島さんのクルマの中なの」

 彼は電話中、横から口をはさもうとしないで運転に徹してくれていた。

『そう。今日はお疲れさま。閉会の挨拶、ちゃんとできた?』

「うん、どうにかね。自分なりには。――ところでパパの様子は?」

『今はぐっすり眠ってるわ。顔色もちょっと落ち着いたみたい』

「そっか、よかった」

 とりあえず落ち着いているようだと分かって、わたしもホッと胸を撫でおろした。

「あのね、ママ。パパのことなんだけど。桐島さんが言うには……」

 わたしは貢からのアドバイスと、彼と話していたことを母にも伝えた。

「……でね、わたしだけじゃ心許こころもとないから、ママにも協力してもらえないかな……と思って」

『分かったわ。ママも桐島くんのアドバイスは的確だと思う。パパのためだもの、協力するわね』

「ありがと、ママ」

 母が非協力的だったらどうしようかと思っていたけれど、その返事を聞いてわたしも安心した。

『あとどのくらいで着きそう?』

「あとねぇ、えーっと……」

 貢に自由が丘まであと何分くらいか訊ねると、「十分くらいですかね」と答えてくれた。

「十分くらいだって」

『そう。じゃあ待ってるわね。今日は本当にありがとう。桐島くん、いい人でしょう? 絢乃からもちゃんとお礼言っておいてね』

「……うん、分かった」

 終話ボタンをタップすると、信号待ちに引っかかった貢と目が合った。

「――何ですか?」

「ママが桐島さんに『ありがとう』って伝えてほしい、って。あと、わたしからも……ありがとう」

「いえ……」

 二人分の感謝を伝えられた彼は、照れくさそうに視線を前方へと戻した。


 ――自由が丘に建つ篠沢邸の前で、貢はわたしを降ろしてくれた。わざわざ助手席のドアを、執事のように外から開けてくれて。

「今日はお疲れでしょう。ゆっくり休んで下さいね」

「うん、ありがとう。――あ、桐島さん。あの…………」

 そのまま運転席に戻ろうとした彼を、わたしは慌てて呼び止めた。このまま別れてしまうのは名残なごり惜しいし、彼とはまだまだ話したいことがたくさんあった。
 でも、ここでの長話は迷惑だろうから……。

「連絡先……、交換してもらえないかな…………なんて」

 初対面の夜にこんなお願い、厚かましいかな……と思い、ダメもとのつもりで言ってみたところ。彼はあっさり――というよりむしろ若干食いぎみに「いいですよ」とOKしてくれた。

「……ありがと。あの、これからウチでお茶でも飲んでいく?」

「いえ、遠慮しておきます。もう夜も遅いですし、明日も仕事があるので。僕はこれで失礼します」

「……そう? 分かった。じゃあ……おやすみなさい」

 さらに引き留めようとしたら断られたので、内心小さく肩を落とした。

「おやすみなさい、絢乃さん。連絡お待ちしています」

「えっ? ……あー……うん。ハイ」

 別れ際に微笑みかけられ、わたしは彼にまともな返しができなくなってしまった。


「――はぁ~……、なんか顔が熱い……」

 彼の車を見送りながら、両手で火照ほてった頬を押さえていた。
 彼が最後に言った「連絡を待っている」というのは、父への説得がどうなったか教えてほしいという意味だったのか、それとも別に意味があったのか。もしも後者だったら……?
 彼、わたしに好意をもっているということだろうか。

「……〝も〟って何だ」

 思わず自分の考えにツッコミを入れてしまい、笑いがこみ上げた。
 その時はまだ、彼に対するこの複雑な感情が何だったのか分からなかったけれど、今なら分かる。わたしに自覚がなかっただけで、すでに恋の沼にはまっていたのだと。

「そんなことより、パパの説得頑張らないと!」

 ニヤついている場合じゃないと気持ちを切り替え、わたしは二階建ての洋館の前にどっしりと存在する玄関ゲートをくぐったのだった。
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